しんどいなんて言ったらダメだ!もっとがんばらないと!!

『しんどいなんて言ったらダメだ!もっとがんばらないと!!』こう思ったことはありませんか?僕もよく思ってしまうのですが、これを思ったことがある人は要注意です。

自分の限界を超えてしまっています。

しんどいっていうのは心からの警告なんですね。

『これ以上続けたらダメだ。』、『早く休まないと。』とあなたに知らせてくれているんです。これ以上やったら『倒れるよー。』、『心の病気になるよー。』とあなたに教えてくれているんです。

あなたのことを心配して心が忠告してくれているんです。




さて、あなたは、そんな心からの忠告にどう応えていますか?

ちゃんとしんどいという気持ちに従って休めていますか?

しんどいという気持ちを押し殺して、見えないようにふたをして、しんどいことをやり続けていませんか?

 

それどころか、『こんなことでしんどいなんて甘えだ!!』、『こんなことで休もうとするなんて、なんて情けない奴なんだ!!』と自分にダメ出しをしていませんか?

そして、『気合が足りないんだ!もっとしっかりしないと!!』と、前にもまして意欲的にしんどいことをするようにはなっていませんか?

 

 

あのね、はっきり言います。

 

しんどいことをやり続けるのが意志の強さではありません。

 

 

『皆がしんどいことをやり続けているのだから、自分もしんどくてもやり続けないと!』

・・・

これね、あなたの誤解なんです。

 

 

世の中の人はね、あなたが思っているよりもはるかに、しんどいことをやっていません。

皆がしんどいことをやり続けている・・・誤解です。

 

しんどいことをやり続けている人のほうが、はるかに少ないです。

 

あなたは自分のことを怠け者だと思っているかもしれませんが、違います。あなたは頑張り屋さんに分類されます。

 

しんどいことをやり続けようと思う気持ちがある時点で、あなたは頑張り屋さんです。

 

でもね、しんどいことをやり続けるメリットって、あなたが考えているよりもはるかに少ないかもしれませんよ?

 

 

しんどいことをやらない選択肢があるのなら、そちらを選んでもいいと思うんです。というか、大半の人は迷うことなくそちらを選びます。

しんどい仕事、やめます。
しんどい恋人、別れます。
しんどい子育て、相手に押し付けます。
しんどい勉強、やりません。

 

そのしんどいの程度は人によって違いますが、しんどいことをやり続けようとする人は我慢強い性格でもあると思います。

そんな我慢強いあなたがしんどいと感じていることは、他の人が同じ立場になればしんどすぎることってこともあると思います。

 

途中で投げ出してしまうのは悪いこと、負けてしまうことだと考えるかもしれませんが、しんどいことをやり続けるよりはマシだと思います。

 

本当にしんどいこと、しんどすぎることをやり続けると、成長につながると考えているかもしれませんが、違います。世の中、苦労すれば報われるというわけでもありません。

 

しんどいことをやり続けると、破滅に向かいます。

 

成長なんて優しい報酬は受け取れません。

 

 

身体がね、不具合を起こします。頭痛や吐き気がしたり、目まいがしたり。常に身体が重くてだるいといったことになってしまいます。

心がね、悲鳴をあげます。「限界だー!」、「助けてくれー!」とうるさく泣き叫びます。

 

世の中ね、実は楽をしたほうが勝ちなんです。

 

身も蓋もない話ですが。




自分の心に正直に楽しく、つらいことやしんどいこと、嫌なことからは適度に逃げ出す人が充実した人生をすごせます。

自分の限界を自覚できており、しんどいことにやめるという選択ができる人は、心が弱ってしまうこともありません。

今あるものに満足し、自分に無謀な要求はしません。手に入れられるモノを手にし、手に入れられないモノを手に入れようとしません。

 

意志が弱い?

負け犬?

 

違います。

 

人生の本当の勝ち組です。

 

 

しんどいことを回避し、要領よく生きている人、あなたが思っているよりはるかにいます。

また、そういう風に生きている人たちのほうが成果も出やすいんですね。あなたのほしい結果を出せていることも多いんです。

最大の特徴としては、無理をしていないので、純粋な100%の力で物事にあたれます。
あなたが無理をしているという壁に塞がれて、80%ほどの力しか出せないのに、無理をしていない人は100%の力を発揮できます。

 

 

これってずるくないですか?

 

 

あなたはしんどい思いをして、能力の80%しか発揮できない。
しんどい思いをしていない人は、能力の100%を発揮できる。

この20%の違いって思いのほか大きいんですよね。

 

あなたは今、結果がでないからしんどい思いをしているんです。
なのにしんどい思いをしていない人が、結果だけをさらっていく。

なんかやってられないですよね。

 

しんどい思いをしている人が能力の120%を発揮できる。しんどい思いをしただけ結果がでる。

そうであってほしいのですが、違います。

 

 

要領よく生きた人の勝ちです。

 

 

もちろんしんどい思いをやり続けている人のほうが、精神力はつきます。逆境に立ち向かう力や底力は、しんどい思いをしている人のほうがあります。

エリートには負けません。雑草が勝ちます。

 

ですが、雑草として戦い続けるメリット、案外ないものですよ?

楽に生きるのは悪いことじゃありません。罪悪感を感じる必要もないし、嫌悪感を感じる必要もありません。

 

小さいころから「がんばれ!」、「逃げ出すな!」と育てられてきた僕たちですが、いい加減、その呪縛から解放されてもいいんじゃないでしょうか?

 

不器用に生きてしんどい思いをするよりも、器用に生きて楽しく生活してみたくはないですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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どんなに頑張っても絶対に勝てない相手。それでも負けたくない!!

しんどい恋愛をやめるには

『もう頑張れない!』と言う人ほど、頑張ることをやめない。

何をやっても逆効果!辛くて苦しくてしんどくて悲しくて悔しいときは?

泣いてばかりの自分が嫌だ。泣いたらダメってわかっているのに。

自分の実力以上の結果を求められたら?死ぬ気で頑張ればいい?

努力と頑張りの違いとは?頑張りすぎても破滅するだけ。

努力が足りない?頑張っているつもりなのに責められるときは。

こんなに尽くしているのに、私を大切にしてくれない恋人。なぜ?

恋人に対してすごく尽くしているつもりなのに、恋人は自分を雑に扱ってくることってありませんか?

こんなに恋人を大切にしているのに、どうして彼(彼女)は私(俺)を大切にしてくれないんだと思ったことはありませんか?

 

これね、答えは簡単です。



相手に尽くしすぎているからです。

 

相手に尽くすことは、少しならいいことだと思うんです。大切にしてもらっていることが相手もわかり、相手も自分を大切にしてくれます。

でもね、相手に尽くしすぎてしまうと問題なんです。『少し尽くしたら相手が私を大事にしてくれた。もっと尽くそう!』となってしまいがちなんですが、そこに罠が隠されています。

 

実は・・・

ある一定以上相手に尽くすと、相手はあなたを雑に扱ってくるようになるんです。

 

尽くしすぎるとあなたの価値が下がるんです。

 

 

車を想像してみてください。最初のうちはあなたはピカピカの傷一つない新車です。持ち主も毎日ピカピカにあなたを磨いてくれます。埃一つない状態にしてくれています。だけどある日、車をガードレールにこすってしまい、少しの傷ができてしまいました。(この傷が尽くすという行為です。)最初は持ち主も「あ~!やってしまったー!!」とすごく残念がります。傷を念入りに確認してくれます。ですが運転が上手とは言えない持ち主は、その後もあちこちで車をぶつけてしまいます。壁にガリガリと、電柱にドカンと、次々に傷がついてしまいます。いろんな箇所がへこんでしまいます。初めのうちは「あ~っ!!」と反応をしてくれていた持ち主も「あ、またやっちゃった。」で終わってしまうようになりました。

新車だったものが事故車のようにボロボロです。

持ち主はそれでも、その車を毎日磨いてくれるでしょうか?

 

尽くすという行為は、ピカピカの新車に傷をつけるのと同じことなんです。

 

尽くせば尽くすほど、実は逆効果です。

 

『私は尽くさないとあなたのそばにいることができないの。だから尽くすからそばに置いておいて。』と相手にお願いしているようなものです。

自分の価値を低くして、相手の価値を高くしているんです。

 

相手があなたを大切にしてくれないのは、あなたが自分を大切にしていないから。

 

あなたが相手に『私は大切にする価値はないよ。』と伝えているからです。

 

 

尽くすという言葉があなたの頭にある時点で、あなたは無理をしている状態なんです。

 

尽くすというのは、自分の気持ちより相手の気持ちを優先させるということです。純粋にあなたがしたいからやることではないんですよね。

だから尽くすことをやり続けているうちに、あなたにはこんな感情が出てきます。

 

 

『こんなにしてあげているのに・・・』

 

 

あなたは無理をしているのだから当然見返りを求めます。

『あんなにしてあげているのにありがとうもないのか?』、『あんだけのことをしてあげたんだから、どれだけのお返しをもらえるのだろう?』と考えるようになります。

 

別に見返りがほしくてやっているわけじゃないと思うかもしれませんが、尽くし続けているうちに絶対に思うようになります。無理を続けると許容量をオーバーします。




『こんなに尽くしているのに、仕事を優先された。』
『あんなに尽くしていたのに、友だちのほうが大事?』
『3時間かけて会いに来たのに、5分しか会えなかった。』
『プレゼントを買ってあげたのに、機嫌が悪い。』

『私がしているのに、どうして・・・』

この気持ちを感じてしまうと恋愛がしんどいものに変わります。

 

この感情を自分の中でとどめてしまうと、心はずっとモヤモヤしたままです。苦しいです。ですから我慢できなくなって、相手にその感情を伝えてしまうこともあります。「こんなに尽くしているのにどうして大切にしてくれないの!?」と相手に怒ってしまうことがあります。悩んで悩んで溜め込んでいた感情を、相手にぶつけてしまうことがあるんですね。

 

 

わかってもらいたくて。助けてもらいたくて。

 

 

あなたにとっては最善なんですよね。ストレスでおかしくなってしまう前に発散させる。最善のことです。

でもね、これって相手にとっては実は最悪なんです。

 

 

「もっと大切にしてよ!」、「私のこと、なんだと思っているの!?」、「私はこんなにもやってあげているのに!」

感情が爆発し、直接的な表現になっています。追いつめられて余裕がなくなっているんですね。

 

でも、いきなりそんなことを言われた相手はどうでしょう?

 

あなたに「自分は最善を尽くしている。だけど思うような結果が出ていない。自分はできることは全部やっているから、自分は正しい。それなのに結果が出ないのはあなたのせいだ。間違っているのはあなただ。だからあなたは正しい反応ができるようにならないといけない。だから自分が教えてあげているんだ!」と言われた相手の気持ちはどうでしょうか?

 

「私は悪くない!悪いのはお前だ!お前が変われ!」と叫んでくる相手、あなたならどうですか?

「そうだったんだ!わかった!変わるね!」となりますか?

 

わかってほしくて、助けてほしくて、相手のことを考えることができなくなっています。過剰な要求をしてくる重たい女(男)になってしまいます。相手も最初は付き合ってくれるかもしれませんが、次第にうんざりしてしまいます。

 

 

尽くすことっていいことないんですよね。

 

自分にとっても。相手にとっても。

 

 

尽くすとは見返りも求めず、相手が望むことを、自分が我慢してでもすることだと思います。

極端に言うと自己犠牲ですよね。自己犠牲をして満足ができたら悲劇のヒロイン症候群としての幸せがありますが、つらいと感じる人も多いと思います。

つらいと感じてしまうと『私が無理をしているのだからあなたも無理をしろ!』という思いが出てきます。重いです。

 

その思いが出てしまう前に、尽くすこと、やめてみませんか?

 

あなたは尽くさなくても相手と一緒にいることができる、価値のある人です。ピカピカの輝く新車なんです。わざわざ傷や泥をかぶり、汚れることなんてないんです。

相手はピカピカのあなたに惹かれて、あなたを選んだのですから。もう少しそのことに自信を持ってみてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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休んでも休んでも疲れがとれない。休み下手のあなたに効く裏技。

『疲れたなー。』と感じるときってありますよね。『ちょっとしんどいな。』、『いつもと違うなー。』というときが。

定期的に感じることがあるかと思いますが、そのスパン、短くなっていないですか?

 

短くなっていたら要注意です。

 

かなり疲れがたまっている状態です。





まあ、疲れたと感じるのだから疲れがたまっているのは当たり前なんですが、なにかをした突発的な疲れではなく、なにもしていなくても疲れている状態です。疲れが慢性的にたまってしまっていて、疲れを癒しきれていない状態です。 

 

 

風船を想像してみてください。おもいっきり膨らませて、いつ割れてもおかしくない風船を想像してみてください。

 

・・・想像できましたか?

 

これが疲れを感じることができるボーダーラインです。これ以上膨らませると風船が割れてしまいます。

そうするとどうなるか?

 

疲れていることを自覚できなくなってしまいます。疲れているかどうかわからない、あるいは、疲れていると考えるのも面倒くさい状態です。

通常はそうなってしまう前にブレーキがかかります。『これ以上空気を入れたら破裂する。早く空気を抜け!』と心から指令が出ます。

緊急事態であることをあなたに伝えます。

 

 

そこでうまく休むことができる人は、パンパン状態の風船からほとんどの空気を抜いてしまうことができます。空気をほとんど抜いてしまってしぼんだ風船を想像してください。あんな感じで疲れを抜いてしまうことができます。

(そもそも休むことが上手な人は、パンクしそうになるまで疲れがたまることも少ないです。小さい子どもが風船を膨らませようと、一生懸命息を吹きかけることがあるでしょう?でもなかなか膨らまず、少し膨らんではしぼみを繰り返しますよね?上手に休める人はそんな感じです。パンパンに膨らんでしまうことは滅多にないです。)

 

 

でも休むことが上手にできない人は、パンパン状態の風船から空気を抜いても、普通に風船として機能しています。破裂しそうな状態から普通の状態に戻るんですね。120あった空気を0にすることができません。100にするのがやっとです。

 

それでも休むことが下手な人はこう思ってしまうんですよね。

『あー、疲れがとれた。楽になった!』と。

 

「イヤイヤ、チョットマテヨ。」です。

 

『全然疲れとれてねーよ!こんなのすぐにパンパン状態に戻ってしまうじゃん!』ですよね?

 

上手に休む方法って色々あると思うんです。

自分の好きなことを好きなだけするとか、ぬるめのお湯で半身浴、寝る30分前にはテレビやスマホを見ずに上質な睡眠、適度な運動、自然と触れ合う、マインドフルネス、アロマ、音楽、などなど、色々ありますよね。

休む方法で調べたらそれこそ山のようにあります。

 

 

でもね、究極的には自分の心だと思うんです。

 

あなたの心が、「もう休んでいいんだよ。」、「ゆっくり休みなさい。」と言ってくれることが一番の回復方法だと思います。

 

身体は休んでいるのに心は休んではいけないと思っていると、あなたは身体と心に大岡裁き状態です。(一人の子どもに対して「自分がこの子の母親だ!」と主張する二人の女性がおり、それぞれ子どもの反対の手を引っ張り合って、子どもを自分のほうに引っ張ったほうが、この子の本当の親だと認められるってやつです。余談ですが、この話は子どもが引っ張られて「痛い!痛い!」と泣いているのを聞いて手を放してしまった女性が母親だと認められます。最後まで力を緩めずに子どもを自分のもとに引っ張った女性は母親だと認められませんでした。)

 

あなたは今、この大岡裁きの子どものように身体と心から逆方向に引っ張られている状態です。めちゃくちゃ大変でしょう?

 

普通なら疲れたら休むというのは当たり前のことなんです。しんどいから休む。ストレスがたまったから発散させる。

そんなの当たり前のことです。

 

でも、普通の状態じゃなかったら、実は休むのって簡単なことじゃないんです。

その普通の状態じゃないというのが、心が弱った状態です。

 

そうなんです。

 

心が弱っているときは、休むのも一苦労なんです。





『もっと他にすることがあるのに、こんなに休んでばかりいて・・・』と思ってしまったことはないですか?

 

『来週の会議の資料作れていないのに、映画なんか見てしまった・・・』、『試験までもう日にちがないのに、外食なんて無駄な時間をすごしてしまった・・・』、『熱が出て会社を休んだけど、担当の私がいなくて大丈夫だろうか?ちゃんと説明したとおりにしてくれているだろうか・・・』

 

休めてますか?

 

ちっとも休めてないですよね?

 

 

もうね、これって、「そんなことは気にするな!グダグダ言わず、しっかり休め!」で解決することなんですよね。

「やるときは真剣にやって、休むときは思いっきり休め!」で片付く問題なんです。

 

 

客観的には。

 

「ウジウジするな!」と一喝されて終わりのことなんです。

 

 

でもね、そんな状態におちいってしまったときって、そんな簡単な話ではないんですね。

 

『休んだ方が効率が良くなる?』、『しっかり休まないと体調を壊す?』、『ズルズル休んでも長引くだけ?』

 

「そんなこと言われるまでもなくわかってるよ!!」

です。

 

・・・
わかっていてもできないから困っているんですよね?

 

休むことに罪悪感焦燥感を感じてしまい、休んでしまったことに後悔する。

休んでもいいと自分に言い聞かせても、ムチでビシバシ叩いてくる自分がいる。

 

休むのにバカみたいなパワーを使って、効果は人の半分以下。むしろ休む前より疲れていることさえある。

 

 

やってられないですよ。ほんと。

 

・・・
・・・
・・・
やってられないのならいっそ、何も考えなくていいのではないですか?

 

あれこれ考えて効率の良い休みがとれるのならいいですけど、あれこれ考えすぎて、しんどい思いをしているのにそれほど効果も出ない。

 

 

じゃあ、いいじゃないですか。やけくそで。

 

頭空っぽにしてみましょう。

 

 

あれこれ考えてもうまくいかなかったんです。自暴自棄になりましょう!(本当に自暴自棄になるのではなく、深く考えすぎるのをやめましょう。)

 

起きたい時間に起きて、食べたいときに食べる。

クソをしたいときにクソをして、寝たいときに寝る。

 

動物のような行動ですが、1回これをしてみませんか?

だらだらした生活かもしれませんが、これをやってみると案外すっきりします。

 

休みの日だから、気分転換に外出しないと。
休みの日だから、寝だめしないと。

 

~だから、~しないと。

まずはこの気持ちをなくしちゃいましょう。この時点で自由ではなく、使命になっています。

そりゃー、そんなのでは休めません。

もっと自由にしてもいいと思うんです。

 

小さい子どもがいるから無理?
休日でも職場からガンガン電話がかかってくるから無理?
親の介護をしないといけないから無理?

たしかに、自分が好きなことを好きなだけする時間ってなかなかもてないかもしれませんね。

 

だけど、たまにはいいんじゃないでしょうか?

 

子どもをパートナーや親に1日任せても。
職場からの電話がかかってこないよう電源を切っても。
親を兄弟や施設に1日あずけても。

 

立場があるとできませんか?

 

でも、そこまで疲れるほどがんばってきたあなたなんです。たまには怠けても罰は当たらないんじゃないですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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こんな自分はもう嫌だ!性格を変えて生まれ変わりたい!

自分の性格を変えたいと思ったことはありますか?

性格って本当に色々ありますよね。わがまま、泣き虫、目立ちたがり屋、マイペース、神経質、などなど、いくつ種類があるかもわからないほどあります。

 

普段はその性格がいいと思ってあなたは生活をしているのですから、性格を変えたいと思うにはなにかきっかけがあったと思います。

失敗ばかりだったり、自分の無力さを痛感したり、大事な人をひどく傷つけてしまったりと、このままの性格ではいけないと思う出来事があったと思います。




性格を変えようとチャレンジしている人もたくさんいると思います。

変えようとチャレンジしている人ならわかると思うんですけど、これってめちゃくちゃ難しいんですよね。

 

以前『変わらないといけないのに変われない自分。自己嫌悪の解消法。』にも書きましたが、自分が変わったと感じるほど変わるのは難しいことです。とりわけ、性格を変えたいを選んでしまったあなたは最悪です。

 

難易度マックスです。

 

 

性格ってなかなか変わりません。根暗な人が『明るい人になりたい!』とか、自分勝手な人が『思いやりをもって行動できる人になりたい!』とか、大雑把な人が『几帳面な人になりたい!』とか意気込んでも、これは相当難しいと思います。

正反対の性格を組み合わせて書きましたが、『変わりたい!』、『変わらないといけない!』と思うときって、ゴールを自分の性格と正反対の位置に置いているんです。

 

『変わりたい!』、『変わらないといけない!』というのは今の自分のままではダメだということです。

今の自分ではダメなので、ダメじゃない自分を目指すということです。

ダメじゃない自分というのは、今のダメな自分の正反対に位置するところなんですね。

 

そこが目的地です。

 

・・・
・・・

遠くないですか?

 

今までの自分と正反対の位置がゴールって?

しかも性格を変えたいと思うときって、かなりの緊急時だと思うんですよね。

 

今までのあなたでは対応ができなくなったから、対応できるように早く身につけないといけないんです。

 

のんびりしている暇はありません。

 

すぐに変化を、結果を求めます。

 

 

最初は一生懸命変わろうとします。ゴールに向かって歩いていきます。ただね、そのゴールがめちゃくちゃ遠いんですよね。一生懸命ゴールに向かって歩き続けても、ゴールが遠すぎてちっとも近づいている気がしないんです。・・・で、歩き疲れたのでどのぐらい進んだか確認するために後ろを振り返りました。そしたらでかでかとあるわけです。スタート地点が。スタート地点からだいぶ歩いたと思っていたのに、スタート地点のゲートから10メートルくらいしか進んでいないわけです。それでもあなたは既に疲れています。ゴールまでは1キロ以上離れています。

どうしますか?(スタート地点とゴール地点をオアシスと考えてくださいね。スタートとゴールの間は心を落ち着かせることができない砂漠です。)

 

・・・

スタート地点に戻ってしまいますよね??

 

習慣とか身体を変えたいはまだ簡単なんですが(それでもすごく難しいですが)、性格を変えたいとまで思ってしまうと、本当に難しいです。

すごく疲れるので、短期決戦を望みたいわけなんですが、短期決戦では絶対に変わりません。性格を変えようと思ったのなら長期戦です。

 

1カ月や2カ月で変わろうとしなければ、10年、20年を視野に意識すれば性格も変えられるかもしれません。

理想の性格の人だと『こんなときどう行動するのだろう?どういう思考をするのだろう?』と考え、そのイメージの模倣を続けていきます。

今までの自分と行動を変えるんですね。それを何十回、何百回、何千回、何万回と繰り返していけば変われるかもしれません。ただ、確実に変わるとは言えません。それほど難しいです。

時間をかけたら必ず変わるというものでもありません。

 

一か八かの賭けです。



性格が変わる=生まれ変わる

ともいえると思います。

 

変わりたいと強く思っている人は、今の自分がダメなことをよく知っているのだと思います。『もっといい自分になりたい!』というのもいいことだとは思いますが、性格を変えたいと思うより、今の自分をもう一度見つめてみたらどうでしょう?

性格を変えるのは、本当に難しいです。

 

本当にしんどいです。

そんなつらい思いをしても確実に変わるとは言えません。

リスク高すぎです。

 

 

仮に性格を変えることに成功しても、それは今のあなたじゃありません。

あなたは一度死ぬことになります。

 

生活習慣が変わったり、付き合う人間の種類が変わったり、趣味が変わったり、物事に対する捉え方、感じ方が変わったりと、今のあなたではなくなっています。

 

・・・で、『やっぱり前のほうがよかった。』と元に戻ろうとしても、なかなか戻れません。スタートからゴールまで苦労して長い距離を歩いたんです。またその距離を歩かないといけません。

『これをするのが自分は好きだったなー。久しぶりに昔みたいにやってみようか!』と思ってしても、『えっ!?全然楽しくない!』ということも少なくありません。

 

未来のあなたは、今のあなたの記憶を知識としてもっている別人です。

 

 

大人になれば味覚は変わると言われていますが、あれのズレがすごく大きいものだと思えばわかりやすいかもしれませんね。

子どもの頃は苦手で食べられなかったものが、今は大好物。
子どもの頃大好きで何個も食べていたものが、今は1個食べれば十分。

なんてことよくありますよね。

その誤差が数えきれる数だったのが、数えきれないほど多くなります。

 

・・・

それでもいいですか?

 

今のあなた、捨てちゃってもいいですか?

 

 

それでも今の自分が嫌だという人は、覚悟を決めて臨んでください。ゴールまでには高い壁がいくつもあなたの前に立ちふさがりますが、強い意志をもったあなたなら変わることができるかもしれません。

 

今回の内容を見て少しでも『えっ、それはちょっと・・・』と考えてしまった方は、今は変わろうとしなくていいのではないですか?性格を変えようとするメリットは、あなたが思っているよりはるかに少ないです。

 

自分が大嫌いで未練がない状態なら挑戦してみるのも一つの手だとは思いますが、少しでも今の自分に未練があるのなら変わろうとせず、自分を認めることに力を注いでください。そのほうが性格を変えるよりはるかに簡単で楽ですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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『自分なんか認められない!』では勿体ない!人生を楽しむには?

自分に厳しくなれない。自分に甘い自分が嫌い。

人の言葉に過剰反応してしまう。傷つきやすい性格が嫌い。

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記事タイトルからして重い空気ですが、こういう感情を経験したことはありますか?

妬みや嫉妬の感情の強いバージョンというか、妬みや嫉妬をやり続けるとこういった気持ちになってしまうことがあります。

叶わない夢であったり、届かない恋であったり、能力がない現実であったりと、なんとかしてその状態から抜け出そうと努力します。




叶わない夢を叶えるために、足掻きます。
届かない恋を実らせるために、もがきます。
能力がない現実を否定するために、自分を磨きます。

 

まだ足りない。もっとできることがある。方法が悪かった。時間を無駄にした。休んでなんていられない。やり方が悪い。努力が足りない怠け者だ時間が迫ってる

 

 

・・・こんなにやってるのにどうして?

 

人より努力しているとは思う。なのに結果が全然ついてこない。思っていたよりも伸びない。

 

 

・・・もう無理だと受け入れる?

 

できるわけがない。自分は持っていないんだ。ただでさえ持っていない自分なのに、そこだけでは、気持ちだけでは絶対誰にも負けられない。負けちゃいけない。

 

限界を超えていることに気づかないフリをして、心を痛めつけます。

いくらやっても満足を得られず、焦燥感がお友だち。

 

叶わない夢、叶えられません。

届かない恋、届きません。

能力がない現実、変わりません。

 

 

これだけやっているのにどうして?

 

それこそ、他の全てを捨ててでもそれにかけているのに。一縷の望みにかけているのに、それなのにどうしてそれさえも・・・?

といった気持ちになってしまうこともあります。

 

 

・・・
そこでふと隣を見てしまいます。

自分があれだけ叶えたくてがんばってきて、それでも叶えられていない夢をあっさり叶えている人。
自分がどんなに好意を示して尽くしても、見向きもしてくれない相手のいつも隣にいる人。
自分の理想や憧れに少しでも近づこうと苦しんでいる隣で、自分の理想像のモデルになっている涼しい顔の体現者。




自分がどれほど心を痛めて、犠牲を払ってでもできなかったことを、なんの苦労もなく気軽に実践できている人がいるわけです。その相手がどれだけ苦労しているかはわかりませんが、あなたは自分の苦労を誰よりも知っているため、思ってしまうんです。

『私のほうががんばっているのに・・・』

『俺のほうがふさわしいのに・・・』

『僕のほうがあなたなんかより・・・』

 

 

どす黒いです。

 

 

なかには『自分ってこんなにひどいことを考えることができるんだ・・・』と驚いてしまうこともあるかもしれません。

 

『妬んでるなー。』、『嫉妬してるなー。』、『アハハハハ!』で終われたらいいのですが、なかには自分でもひくくらいの感情が見えてしまうこともあるんですよね。

 

『いや、さすがに笑えねーよ・・・』状態です。

 

 

自分の気持ちに気づくことが、心を落ち着かせる一番の方法だと言われています。心がどう感じているかを理解することが、心の味方になるとこのサイトでも書いたと思います。

 

でもね、自分でも目を背けたくなってしまう心の感情もなかにはあるわけです。

上靴に画びょうの究極系みたいなモノが。

 

・・・
まだね、その相手がその環境を満喫していたら、それほど心が歪むことはないんです。嫉妬はもちろんしますが、嫉妬だけですみます。

 

問題は、相手が、そのうらやむ環境を、全然満喫していない場合です。

うらやむ環境を、なんの執着もなく捨ててしまう場合です。

 

自分にとってはどうしても叶えたいたった一つの夢の中にいるのに、「飽きた」の一言で投げ出してしまう、才能たっぷりのアイツ。

自分にとってどうしても届かせたい恋愛対象を、邪険に扱い簡単に捨ててしまうアイツ。

自分がどんなに努力をしても届かない場所にいる、自分だったら『どんなに幸せだろう』と思える場所にいるのに、大した理由もなく簡単に捨ててしまうことができるアイツ。

 

・・・許せない!

 

この文章を書いているだけでも、しんどい気分になってきます。読んでいて疲れませんでしたか?

 

こういう感情を何度も感じてしまうと、心が暗黒モードになってしまいます。この暗黒モードはすごくエネルギーを消費します。疲れます。

 

この暗黒モードの心って、なににむかってなっているんですかね?

本当にアイツなんでしょうか?

 

アイツをひどい目に合わせたら、あなたの心は暗黒モードから抜け出せるのでしょうか?

あなたの心は晴れるのでしょうか?

 

・・・
これね、あなたは別にアイツに対して怒っているわけじゃないと思うんです。たまたまわかりやすい対象としてアイツが出てきたから、恨みの方向性を見つけられたと思っているだけで、本当にあなたが怒っている相手は別にいます。

 

 

あなたは本当は世界を相手に怒っています。

 

 

こんなにがんばっているのに、こんなに全てをささげているのに、それでもどうにもならないことがある世界に対して、怒っているんです。

あなたは世界の不条理に対して怒っています。
怒っているというよりは『間違っている!』という思いのほうが強いと思います。

 

あなたは『こんな世界は間違っている!絶対に認めてはいけない!!』と世界を相手に戦っている人なんです。

 

こう書くとすごい人ですよね。

 

でも、世界を相手に戦っても勝ち目はないから、正面から堂々と戦おうという気は心にもないんです。ただ、このまま黙って引きさがることもできない。ここで分かりやすい敵として登場です。アイツが。

 

実際にアイツはあなたには持っていないモノを、たくさん持っているかもしれません。

だけど、本当にあなたより恵まれているんでしょうか??

 

アイツを妬むということは、あなたは自分でアイツに負けていると認めている状態なんです。

アイツはあなたのこと、全く気にもしていませんよ?ライバルだとも思っていないですよ?

それなのに、こちらから怒りのエネルギーをアイツに出し続けるってバカバカしくないですか?

 

あなたはアイツにかまってほしくて、あなたを敵とみなしてほしくて一生懸命妬んでいるんです。

救われないですよ?

 

たしかにね、自分がどんなにがんばっても手に入れられないモノを、簡単にもっている人もいます。そのうらやましすぎる環境を、何の未練もなく捨ててしまえる人もいます。

世界は理不尽です。

 

でもそこで、アイツを恨んでしまっても何の意味もないんです。アイツの代わりにあなたがそこに座れるというわけでもないです。

 

世界を恨んでも世界が変わるわけではありません。

 

みじめな思いをするだけです。

 

ムキになってあなたが落ちてやることはないと思うんです。やるせない思いはしばらく続くと思いますが、それにムキになってしまったら、みじめな思いまで追加されてしまいます。

 

許せない気持ちもわかりますが、『こんなの間違っている!』という思いを『ま、こんなもんか。』と思えるように挑戦してみませんか?

いつまでも暗黒モードでいたら溺れてしまいますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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もっと頑張らなきゃいけないのに、頑張れない。自分は怠け者?

皆さんは『もっと頑張らなきゃいけない!』と思ったことはありますか?僕もよく思ってしまうことがあるんですが、この言葉ね、実はかなり危険な言葉なんです。

 

頑張らなきゃいけない=無理をしている

状態です。

 

自分は頑張りたくない状態なんだけど、頑張らないとできないからしなくてはいけない。無理をしなくてはいけないということです。

 

もっと頑張らなきゃいけない=もっと無理をしないといけない

状態なんです。




まだ心に余裕、ゆとりがあるときならがんばることができます。頑張らなきゃいけないから、無理をしてすることができます。無理をすればできます。

給料をもらうために働かないと。
希望校に合格できるように勉強しないと。
来週の試合に勝つために練習しないと。

できます。

 

働くことが嫌いでも、勉強が嫌いでも、練習が嫌いでも、頑張らなきゃ望んだ結果にならないから、頑張れます。

無理をしてすることができます。

 

1回や2回なんか、無理をすることなんて楽勝です。むしろ1回も無理することができないほうがおかしいと思う人もいます。

日本人は特に努力を評価します。努力ができない人はダメな人間だとレッテルを貼られます。

 

あなたはいま、その努力ができないから自分は怠け者だと感じているのかもしれませんね。

 

でも、実はあなたは怠け者ではないかもしれませんよ?

 

・・・
・・・
頑張ることができないと悩んでいるあなたは、実はがんばり屋です。

 

 

頑張ることができないのにがんばり屋って意味がわかりませんよね?でも僕は、あなたは普通の人よりもがんばり屋さんだと思います。

 

そもそもね、

がんばる=努力

だと思っていませんか?

 

 

・・・
これって実は違うと思うんですよね。

 

努力は継続することができます。

 

頑張りは継続することができません。

 

 

努力を生涯続けられる人はいます。

 

頑張りを生涯続けられる人はいません。

 

頑張りと努力って類義語として扱われていると思うんですけど、この二つの言葉って実は正反対の言葉なんじゃないかと思います。




まずね、皆さんに覚えておいていただきたいのは、努力をしている人は頑張っていません。まあ、多少は頑張っているかもしれませんが、あなたの10分の1、100分の1、あるいはそれ以下の頑張りです。

 

努力とは、無理をしないことだと思うんです。練習量とか勉強量の話ではなく、自分の心に無理をしないことです。努力とは、あなたがやりたいことを、結果を出せるように日々取り組むことだと思います。だからなにかの分野でトップの人は一人の例外もなく努力家です。ですが、頑張っている人はほとんどいません。

頑張りとは、無理をすることだと思います。1日10時間の練習を毎日続けていても、あなたの心が無理をしていなければ、それは努力です。1日10分しか勉強をしていなくても、あなたの心が無理をしていたら、それは頑張りです。

 

努力は自分のやりたいことを無理なくすること。限界を超えていません。

 

頑張りは自分をふるいたたせないとできないこと、本当はやりたくないことを無理やりすること。限界を超えています。

 

 

努力はやりたいことを限界を超えずにすることです。

 

頑張りはやりたくないことを限界を超えてすることです。

 

まぁ、僕の勝手な解釈なわけですが、頑張るのが疲れたという方には納得していただけるのではないでしょうか?

 

一般的には頑張りは美徳だとされています。全く頑張らない人より、少しでも頑張る人のほうを応援したくなりますよね。

だからあなたが頑張っていないように見えている人には「もっとがんばれ!!」とか「なにを怠けているんだ!!」と言ってくる人もいるかもしれません。『こんなにやっているのにまだ足りないのか・・・』とか『もっとがんばらないといけないのに・・・』と思ってしまうかもしれません。

 

『成功しないのは自分の頑張りが足りないからだ!』、『周りは頑張っているから成功しているんだ。なのに自分は頑張れない。』と思ってしまうかもしれません。

 

ですがあなたは、その人たちより頑張っていないのではありません。

実はあなたは、その人たちより頑張っているんです。

 

頑張りすぎていると言ったほうがいいかもしれません。

 

 

頑張り屋さんのあなたが頑張れなくなってしまうほど、いまのあなたは頑張ってしまったんです。

頑張りすぎを続けて、限界を超えすぎてしまった状態が、頑張らないといけないのに頑張れないという状態なんです。

 

普通の人よりも頑張りが足りないのではなく、普通の人よりも頑張りすぎてしまった結果なんですね。

 

そりゃー、この状態を知らない人は「もっとがんばれ!!」「なにをしているんだ!!」と言ってきますよ。でもそういうことを言ってくる人って自分が頑張った気になっているだけの人なんですよね。

あなたは、なにか壁にぶち当たって苦しんでいる人に「なにをやっているんだ!!もっと頑張れ!!」という言葉をかけますか?「無理するなよ。」とか「頑張ってるね。」といった言葉をかけませんか?

頑張ることの大変さをあなたがよく理解しているからです。

 

頑張っている人にさらに頑張れと言えるのは、頑張ることの大変さを知らない人です。

 

 

一つ例を出すなら、女性の出産です。よく例えとして、出産の苦痛は鼻からスイカと言われますよね。でもごめんなさい。僕は男ですので、男性視点から書かしてもらうと『そんなことありえないだろ!?』と思ってしまうんですよ。『いや、鼻からスイカって物理的に無理じゃん!!人間にはできないじゃん!?絶対誇張してるでしょ!?』って思ってしまっちゃうんですよ。

女性にしても「あれは大げさに例えすぎ。」と笑顔で言う人もいるし、「鼻からスイカどころじゃない!!鼻からスイカだったらどれだけ楽か・・・」と怖い顔で言う人もいます。

 

男性は出産の痛みに耐えられなくて死ぬとも言われていますよね。知らない立場で言うんで本当にごめんなさい。『どうしても誇張しているだろ!!』と思ってしまうんですね。男性の立場では。出産の痛みを味わったことがないから。知らないから。「大変だね。痛いね。わかるよ。」と言う男性もいますが、断言します。出産の痛みを理解している男性は一人もいないです。わかるのは出産の疑似体験をした男性だけです。(それもどれだけ正確なのかはわかりませんが。)

 

まあ、理解できていないから言えるんですよね。初めての出産前で不安になっている人に「出産はつらいみたいだけど、君なら大丈夫だよ。」とか立ち合い出産で「もう少しだ!もっと!もっとがんばれ!!」と。

(・・・なんか、こんなことを言う男性は悪い男みたいな書き方をしてしまいましたが、男性に悪気はないので許してください。むしろこういったことを言ってくれる男性は優しい人だと思います。)

僕は男性なので想像しかできないですが、出産の苦痛を一生味わうのって無理でしょ?拷問をずっとされているような状態ですよね?そんな状態がずっと続いたら心なんて簡単に壊れてしまいますよ。

 

いつまでも全力で走り続けることが無理なように、いつまでも息を止めることが無理なように、いつまでも頑張ることは無理なんです。

頑張りがずっと継続できないことをあなたは経験で知っています。

 

継続できないからこそ頑張りなんです。逆に継続できることは頑張りじゃないんです。

 

頑張り続けることによって簡単に限界を超えてしまいます。『限界はもっと先だ!まだ大丈夫!』と思い、頑張り続けようとしてしまうこともありますが、待っているのは成長できたあなたではなく、心と身体を壊してしまったあなたです。

頑張り屋さんほど、頑張れなくなってしまった自分を責めてしまうものなのですが、もう少し心をねぎらってあげたらどうですか?『よく頑張ったね。』とねぎらってあげることで、我慢していた心が泣いてしまうかもしれませんよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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100記事達成記念

いつも心が弱ってもを読んでくださり、本当にありがとうございます。

このブログを書くにあたって『最低でも100記事は書いてみよう。まずはそこから。』と思い書き始めました。基本的には三日坊主が多い自分なのですが、読んでくださる皆さんに支えられて、なんとか続けることができました。




このブログは僕のこれまでの経験をもとに基本は書かせていただいています。

自分とはまったく関係ない話も多少はありますが、『そのときどう思ったか』の感情を書いていきたいと思っているので経験談がほとんどです。(少しアレンジしているところはありますが。)

逆に体験した直後で気持ちがのりすぎて書いてしまい、あとで読み返して恥ずかしくなることもあります。

 

このブログは僕の主観をもとに書いています。

一般的な正攻法と一致するところもあったり、一般的な正攻法とはまったく違うことを書いてあるところもあります。なかには感情だけ書いて、解決方法を投げ出しているものも多数ありますが、それは僕自身がまだ闘っている途中なので解決方法がわからないんです。すみません。

 

このブログは書いている時点での僕の感情を書いています。ですので数カ月前の記事と正反対の記事を書いていることもあるかと思います。

前には『こうしたらダメだ!』と書いていても、今の僕が『こうしたらいい!』と思っていたときは『こうしたらいい!』で書くようにしています。それが次の僕には『こうしたらダメだ!』に戻っているかもしれませんが・・・

 

自分に似た境遇の記事や、今の自分にとって役に立つ記事を見つけていただき、読んでいる皆さんに『あ、こういうこと考えているのは自分だけじゃないんだー。』と共感していただけるブログになれればと思います。





いつも読んでくださっている皆さんには本当に感謝です。

皆さんが読んでくれることが僕の力にもなっています。

皆さんに僕も助けられています。

 

このブログで皆さんと巡り会えた奇跡に感謝です。本当にいつもありがとうございます。

できれば200回記事達成記念ブログで、また皆さんとお会いできることを祈っています。

 

 

文章力をもっと向上させたいと思っているのですが、なかなか難しいですね。

 

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400記事達成記念

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はじめに

変わらないといけないのに変われない自分。自己嫌悪の解消法。

『変わりたい!』、『変わらないといけない!』と思ったことはありますか?この『変わる』って簡単そうで意外と難しいんですよね。

・・・意外とというか、かなり難しいです。

 

どんなに一大決心をして臨んでも、自分の満足のいく結果が出る前にやめてしまうこともよくあります。強い意志をもって変わろうと挑戦したのに、途中で挫折してしまうことがよくあります。

そうすると、呪いのような言葉が自分の頭に浮かんできます。『こんなこともできないのか!』、『どうして自分は最初だけしかやる気にならず、すぐにやめてしまうんだ。』といった自分の不甲斐なさを呪う言葉が出てきます。




まだね、やめてしまうことに大きな理由があればいいと思うんです。

自分は変わりたいと思ってこれだけがんばってきたけど、こういう理由があって変われないとわかった。変わらないほうがいいとわかった。

 

やめる理由がはっきりあるほうが納得できますし、変われなかった落ち込みを少なくできます。

 

ただ、そうじゃなかったとき、やめる理由が特になく、自分の意志が続かなくてやめてしまった場合は、心にしこりが残ります。

言い方は悪いですが、やめるのに理由がなく、自分が変わる努力を続けるのがしんどくなったため、楽をしたいがためにやめてしまうと、心にしこりが残ります。

 

それが一度や二度ではなく、何度も続いてしまうと自分の意志の弱さに嫌気がさしてしまいます。新しいことに挑戦したいと思っても『どうせ自分は続かないから・・・』と、挑戦をする前にあきらめてしまうようになります。

自分の期待を何度も裏切ってきたので、自分を信用できなくなってしまいます。

なにかを続けることに対して、自信が持てなくなってしまうんですね。

 

そうなると悪循環です。

 

続けるかやめるかの選択をするときに、やめるほうを選んでしまいやすくなってしまいます。

やめてしまう理由に『どうせ自分だから』という大義名分が成り立ってしまいます。

 

・・・
でもね、『どうせ自分だから』は大義名分としては成立しないんです。たとえ成立してもそんなことばかりをしていたら、自己否定をし続けていることになり、自分が傷ついてしまいます。

心にしこりを残さなないために、心の安定を求めて自分を傷つけてしまう。

これでは本末転倒です。

 

 

でも、もう一度考えてみてください。

 

・・・

・・・

やめるのに理由が必要ですか?

 

理由もなくやめてしまうのは悪いことですか?

 

 

ダイエットをしても三日坊主
禁酒をしても三日坊主
禁煙をしても三日坊主

こんなことよくありませんか?

 

・・・
よくあることですよね?

これってほとんどの場合が自分の意志でやめる選択をする、続ける選択を放棄していますよね。ダイエットのやりすぎでドクターストップがかかれば別ですが、それ以外はやめる選択をする理由がないですよね。

 

自分が食べたいから、自分が酒を飲みたいから、自分がタバコを吸いたいから、

『自分が~たいから』やめてしまうんです。

自分の都合です。

 

 

でもこれって、本当に悪いことなんでしょうか?

 

そんなにいけないことなんでしょうか?





三日坊主ってなにか、すごく悪いイメージがあると思うんです。続けることに意味があると言われるように継続することが美徳で、途中で投げ出してしまうと、意志が弱いダメな人ってイメージがあると思います。

 

そして三日坊主になってしまったら自分にダメ出しをしてしまうんですね。

『三日坊主になってしまう自分は情けない。』と。

 

・・・
でも、ちょっと待ってください。

落ち込む前にストップです。

そもそも前提が違います。

 

人間は三日坊主になることのほうが当たり前なんです。

 

継続できる人のほうが少ないんです。

 

三日坊主になったからダメじゃないんです。

 

三日坊主にならなかったらすごいんです。

 

強い意志が必要なことを、人間は続けることができない生き物なんです。

 

 

学生時代、試験勉強で一夜漬けした経験はありませんか?睡眠不足になってしまい結果も散々。返ってきたテストの答案用紙を見て『よし!一夜漬けをしたってしんどいだけだし、毎日コツコツ勉強しよう!!』と思うんですよね。

 

・・・続きましたか?

 

テスト後になると毎回同じセリフを言っていませんでしたか?

『今度こそは!』と。

 

今までしてこなかったことに新たに取り組むことって、口で言うほど簡単なものではないんですね。その変化が大きければ多きいほど、負担も大きくなります。

 

だから

 

変われないあなたが弱いんじゃないんです。

 

変われないあなたが普通なんです。

 

 

極端な言い方をするなら、

『変われる人が異常なんです!』

ちょっと歪んだ見方ですが。

でもそれほど、変わろうと決意して変わるのは難しいです。

 

あなたは人生で成長してきました。変わってきました。

今回はあなたの人生で、変わってこなかった部分を変えないといけません。

そう書いたらどれだけ難しいかがわかるでしょ?

 

目標を高く設定しすぎると、途中で投げ出したくなってしまいます。また、少しは変化をしていても、できなかった結果だけを見て『変われなかった。』、『自分はダメだ。』と自己評価を下げてしまいます。

変わっていない部分にばかり目を向けると、変わっている部分が見えてきません。

 

途中でやめてしまっても、どこか変わっている部分があったのではないですか?

 

いつもより長く続いたとか、無理だと思っていたことをやってみようという気になったとか、どこかにわずかでも変化はありませんでしたか?

それは気づかないくらい、見落としてしまうくらい小さな変化だったのかもしれません。ですがその変化って、実はすごいことなんじゃないですか?

 

変わらなくても生きてこられたんです。

 

変わらなくても生きていけるんです。

 

 

それなのに、わざわざ『変わる』という決意をした時点で、あなたは実はすごい人なんじゃないですか?

結果ももちろん大事ですが、過程を見失わないでください。

あなたはきっと、自分が思っているほどダメな人間じゃありませんよ。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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理想の相手に巡り合えない。条件で選ぶ結婚は幸せが遠ざかる。

結婚って人生の一大イベントの一つかと思いますが、パートナー選びって大変ですよね。スムーズにいく人はとんとん拍子で進むのに、スムーズにいかない人はこじれにこじれます。自分一人で結婚することはできず、必ず相手が必要になります。

そしてある一定の年齢に達しても結婚をしていなければ、『あの人、まだあの歳で結婚していないなんて、どこか問題があるんじゃないか?』といった風潮さえあります。

負け犬、売れ残り、余計なお世話ですよね。




『愛さえあれば』で結婚できたらいいのですが、年齢がいってくるとお互いに『条件』がでてくるときもあります。

 

10代の頃はただただ心に従って、恋愛がすべてだという思いさえあったのに、いつの間にか自分の心よりも、条件で結婚を考えてしまうようになっていきます。

相手を好きになったからではなく、理想の相手の条件を満たしているから結婚しようということさえ珍しくありません。

 

男性の場合だと、若い子がいいとか、かわいい子がいいとか、家事が得意な子がいいなどが一般的にありますかね。

女性の場合だと、経済力がある人がいいとか、やさしい人がいいとか、浮気をしない人がいいなどが一般的ですかね。

 

 

女性の場合は特に出産という問題もついてきますので、30歳を過ぎると焦りが急に出てくるそうです。20代では『まあ、結婚はまだいいかな?仕事も忙しいし。30歳までに結婚したらいいや。』と思っていたら、20代後半になってしまいました。『あれっ?相手がいねえ!』と少し焦りが出てきます。30歳を過ぎるとその感情が一気に爆発するそうです。

男性にしても『独り身のほうが気楽でいいわー。結婚していなくても不自由しないし、好きなことができるし。』と思っていても50代になりました。『最近身体が衰えてきた気がするなー。50でこれだと、70や80になるとどうなるんだろう?怖いなぁ。あれっ!?妻も子どももいないし、どうすんの?誰も俺の面倒見てくれないの?老後にひとり?』と将来が不安になってきます。

 

ある一定の年齢を超えると結婚願望が強くなってくると思います。

 

若い頃ならそれで相手を探して、お互いが好きになって、周りから祝福されて結婚も可能ですが、ある程度歳がいってしまうとなかなかそうはいかないんですよね。

 

 

そもそも結婚をしていることが前提となっており、普段の仕事とか友だちとの交流の中で結婚を意識した交際に発展するのが難しいかもしれません。

『あの人いいなー。』と思う人が現れても『どうせ結婚しているだろうな。』とアプローチもせず終わったり、逆にあなたのことを『いいなー。』と思っている人がいてもアプローチされることなく終わってしまうことがあります。

 

真剣に婚活をしないと、相手さえ見つけられない状態になってしまうんですね。

若いころに比べてお互いにしがらみが増え、条件が出てきます。

 

 

将来が不安だから子どもがほしいと考える50代の男性なら、やはり40歳前の女性を選びたいですし、それが30歳とか25歳とか、若ければ若いほどいいですよね。

経済力のある人と結婚したいと考える30代の女性なら、最低でも年収は1000万ほしいとか、1000万より5000万とか1億の人がいいとなってきますよね。

 

好きだからでなく、結婚しないといけないから、『条件』で結婚をみつめてしまうんです。

 

あなたとしては妥協してやっているという思いがあると思うんです。

『本当は好きな人と結婚したかったけど、ダメだったから最低限の条件をクリアしていたら我慢してあげる。』何様だって感じですけど、この思い、心のどこかにありませんか?

 

『条件』で見てしまうと相手に満足することは決してありません。





だって世界には、その条件よりももっと上の相手が山のようにいるから。相手より上の物件を探してしまうし、結婚した後にさらにいい物件があり、関係をもてそうなら『なんでこんな相手と結婚したんだろ。早まった。』と後悔してしまいます。

それにね、この『条件』がかなり厄介なんですよね。男女でズレがあるというか。

 

男性は

『若くて、美人で、性格がよくて、胸が大きくて、スタイルがよくて、家事がよくできて、仕事である程度収入があって、親と同居してくれて、交際経験の少ない、俺のことを何よりも大切にしてくれる子』

がいいけど、

『23歳までで、顔は中の上以上で、料理が得意で、性格がよくて、俺のことを大切にしてくれる子』で妥協しよう。

 

女性は

『経済力があって、頼りがいがあって、やさしくて、話していて面白い、医者か弁護士で、高身長で、一流大学をでていて、家事もしてくれて、とにかく一途で絶対に浮気をしない、信頼できる人』

がいいけど、

『年収1000万以上で、身長は180センチ以上で、家事を手伝ってくれて、やさしくて、絶対に浮気をしない人』で妥協しよう。

 

・・・
どうですか??

 

妥協した希望なら、該当する人、結構いると思うんですよ。異性に求めるものとして、無理なものを望んでいないと思うんですよ。

クリアする人たくさんいると思うんですよ。

 

 

でも異性から求められることはどうですか?

 

・・・

・・・

『全然妥協になってねー!!!』

って思いませんか?

 

いや、たしかに条件を満たす人は世の中にはたくさんいると思いますよ。数パーセントの割合で。妥協はわかるんですけど、その妥協でさえもスーパーマンです。

『条件で求めてくるのはいいけど、そこまでのものを求めてくるあなたは一体なにをもっているの?』

ですよね?

 

『条件』で結婚相手を見つけようとするのは、刀で斬りあいをしているようなものです。殺すか殺されるか状態になってしまいます。血みどろです。

『条件』だけで結婚してしまうとそんな状態が続きます。疲れます。

 

歪んだ『条件』で見てくる相手に対して、こちらも歪んだ『条件』で見てしまうようになります。

そんな状態で結婚して幸せになれるのでしょうか?

そこまでしてでも、すぐに結婚しないといけませんか?

 

 

他に相手がいないから。他のよりはマシか。

 

そんな理由で結婚しても、満足のいく結婚生活は送れません。結婚後にもっと条件のいい相手が出てきます。

結婚することが目的になってしまったら、よっぽどいい相手に巡り合えないとあなたは満たされません。

 

結婚がゴールになってしまうと、待っているのは不満に満ちた生活です。

 

 

結婚はゴールではありません。これから長い道のりを相手と一緒に歩いて行くんです。『条件』で結婚をしてしまうと、相手が『条件』から外れてしまったとき、相手の価値を下げることなくいられるでしょうか?

選ぶのはあなたですが、ここまで待ったんです。どうせなら、妥協した幸せよりも最高の幸せを目指してみませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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泣くのは恥ずかしいこと?すぐに泣いてしまう自分が情けない。

泣くことって人間の生理現象の一つかと思いますが、結構特殊ですよね。

他の生理現象は自分の意思ではとめられない、無意識に起こるものがほとんどだと思うのですが、泣くって、自分の意志でとめられるんですよね。

よっぽど感情を揺さぶられることでなければ、泣くか泣かないかの判断も自分でできますし、あるいは泣いてしまっても、涙を抑えようとするかそのまま泣き続けるかの判断もできます。



この自分の意志である程度コントロールできるというのも、実は厄介なんですよね。

 

泣くって人間なら誰もがもっている機能の一つですが、一般的には人前で泣くことはよしとされていませんよね。

 

泣くことを許されているのは赤ちゃんだけで、幼少期になると「そんなことで泣かないの!」、「お兄ちゃんでしょ!?しっかりしなきゃ!」、「泣いてわがままを言ったってそんなもの買いません!」、「○○くんは強い子でしょ?泣かないの!」といった具合に泣くのはダメなこととしてしつけられます。

赤ちゃんだって厳密には、泣いていたら親が駆け寄り、泣いている原因をさぐります。『お腹がすいたんだろうか?』、『おむつかな?』といった具合に泣いている状態から泣いていない状態にしようとします。いつまでも泣いていると必死であやします。

そういった意味では、赤ちゃんでさえも自由に泣くことは許されていないのかもしれませんね。

 

「泣いていたってわからないでしょ!?なんでこんなことしたのか、泣くよりちゃんと説明しなさい!!」、「泣いていたら周りの迷惑になるでしょ!やめなさい!」となにかにつけて泣くのを否定されて育ちます。

 

 

泣く回数も年齢がいくにつれて少なくなっていくと思います。

小学生では転んで泣いていたのに、高校生で転んで泣く子って少ないですよね。

 

幼少期のあの純粋な感情はどこへ行ってしまったんでしょうか?

 

泣くことが減る=大人になる

ということだと思います。

 

 

大人になると泣くことは許されていません。

 

 

転んで膝をすりむいてわんわん泣いている、見た目50歳ぐらいの男性。「どうしたの?ころんじゃったの?」と声をかける人いませんよね?むしろ不審者として通報される可能性のほうが高いと思います。

 

まだね、感動で涙を流すというのは許されていると思いますが、悲しい、痛いで流す涙は特に拒否されます。

 

「そんなことぐらいで泣くな!」、「泣くぐらいならこんなことするな!」、「泣けば許されると思っているのか!」、「泣きたいのは私のほうだ!」と拒絶をされます。

悲しい涙を流していいのはお別れの場面ぐらいじゃないですかね?

 

泣くということに関しては世の中は厳しいです。

 

・・・
・・・

でも、本当に泣くのって悪いことなんでしょうか?

 

恥ずかしいことなんでしょうか?





・・・
僕もね、泣くのは恥ずかしいことだと思っていました。すごく変わった子どもだったんですよね。物心ついたころから泣くことは恥ずかしいことだと思っていました。幼稚園でびゃーびゃー泣いている同級生を見て『なんでこんなことぐらいで泣いているんだろう?格好悪いなー。』と思っていました。嫌な子どもですね。だから人前では絶対に泣かない子どもでした。『大丈夫か?まともな大人にならないだろ?』レベルですよね。

 

僕の場合は本当に病的なまでに泣かない子どもでした。クラスメイトの誰一人僕の泣き顔を知りませんし、担任の先生や近所の人も誰一人僕の泣き顔を知りません。(家族の前では泣くことができていたので、そこはまだ救いですが。)転んで血が出たくらいじゃ泣いたことありませんし、4歳か5歳のときに頭を数針縫う怪我をしてしまったのですが、そのときも泣きませんでした。周りから見たら怖い子ですよね。頭から血がダラダラ出ているのに、平然としている幼児。周りが「大変だー!」と泣いているのに、当の本人は泣きわめくこともなく冷静。

(あれって当時の子は血が出ているのに泣いていたんじゃなくて、僕の態度が怖くて泣いていたのかもしれませんね。)

まあ、異常な子だったんですよ。

 

自分にも悲しい気持ちや痛い気持ち、怖い気持ちがあるのに人前でそれを表現できなかったんですね。

 

 

泣くのは恥ずかしいことだと思っていたから。

 

 

20代まではそれで生活できていたんです。僕の場合。家族以外、僕が泣いているのを見た人がいないという生活を。30歳になってから様々な挫折を結構なペースで味わってしまったんですけど、そこから変わったんですね。

 

・・・なんと、人前で泣いてしまったんです。あれだけ人前で泣くことを嫌っていた僕が。気づいたら涙が出ていたんですね。それは悲しい涙ではなく、人の優しさに感動しての涙だったんですけど、気がついたら頬に涙が流れていてとめることはできませんでした。(ちなみにうれし涙や感動の涙があると気づいたのは青年になってからだったと思います。幼少期は『なんでこの人泣いているんだろう?』と理解できませんでした。その感動の涙すら人前で流すのは恥ずかしいことだと思い我慢してきました。)

 

本当にね、極端なほど人前で自分が泣くことを嫌っていたんです。どんなに泣きたい場面があっても我慢してきました。周りが同じ状況で泣いているのを見ても、『自分はこんな状況でも泣かない。泣いてたまるか!』と意地を張って生活してきました。

 

でもね、それを我慢できなくなってしまったんですね。自分の意志でとめることのできない感情があふれてきたんです。そんな僕に一番驚いたのが自分だったわけですが、とにかく僕は病的と言えるほど人前で泣くことが嫌いでした。

『泣くのは我慢できる。』、『我慢しなくちゃいけない。』と思ってきたわけですが、人前で泣いてみるとスッキリしたんですね。今まで我慢していたのが馬鹿らしく思えるくらい。自分の本当の気持ちに気づけたというか。『今うれしいんだ。』とか『今悲しいんだ。』というのが泣く前よりはっきりと自覚できるんですね。

 

 

泣くことによって自分の感情に気づくことがあります。

 

泣きたいときに泣けないと、自分の感情にふたをしてしまって、自分の思いに気づけなくなってしまうことがあります。

 

泣くことって実は、すごく大切なことなんじゃないですか?

 

僕もね、挫折を味わってから泣くことが増えました。ときには『こんなことぐらいで泣いてしまって、昔の自分ならこれぐらいのことで泣かなかったのに、弱くなった。』と思ってしまうこともありますが、それは痛みを経験して理解できるようになった、人間として成長できたからではないかと思います。

歳をとると涙もろくなるってやつですね。

 

うれし涙は我慢する必要がないと思いますし、悲しい涙でないてしまうのも仕方ないことです。抑えきれないほど涙があふれてしまうことはあります。血まみれになっても、腕や足を骨折しても、いじめられていても泣かなかった僕が言うので間違いありません。

 

泣くのは悪いことじゃありません。

 

泣いてしまう自分は弱くなんかありません。

 

 

むしろ、自分の感情にまっすぐに向き合える強い人だと思います。

 

 

泣くことは心からのSOSです。我慢せずに耳を傾けてあげましょう。泣いてしまうことは罪ではありません。恥じゃありません。ずっと我慢をしているといつか感情が爆発してしまいます。

それに、我慢するよりも泣きたいときに思いっきり泣いたほうがスッキリしますよ?

前に進みたいときほど、泣くのを我慢するのをやめて、しっかり泣いてみてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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