努力と根性でなんでもできるは間違い!どうにもならないことはある。

皆さんは『努力と根性でなんでもできる!』と思いますか?

 

ご年配の人や体育会系で鍛えられてきた人たちほどこういう思考が強いです。

 

最後の最後は精神論でなんとかなると思っているんです。

 

あのね・・・

 

 

努力と根性でできないことはあります。




まあ、当たり前のことですよね。

 

努力と根性で全員が100メートルを10秒台で走れたらいいのですが、そんなことはできません。

 

努力と根性で全員が医者や弁護士になれたらいいのですが、希望している人全員がなれることはありません。

 

努力と根性で全員が好きな人と結婚出来たらいいのですが、その好きな人とは縁がなく終わってしまうことはあります。

 

努力と根性で全員が病気にかからずに元気のまま寿命を迎えることができたらいいのですが、日々の健康にすごく気を遣っている人でも病気で亡くなります。

 

 

努力と根性でもどうにもならないことはあります。

 

 

そしてそれができなかったからといって、それができている人と比べてできていない人が必ずしも努力や根性が足りなかったというわけでもありません。

 

むしろできている人たちと比べて、その人たちと同じかそれ以上に努力と根性をみせてやってきたけど、それでもできなかった組は必ずいます。

 

 

世界は努力と根性でなんとかなるほど簡単にはできていません。

 

 

そんな単純でやさしい世界ではありません。

 

 

ある人にはすごく優しくてなんでも授けてくれるのに、ある人にはすごく厳しくてなんでも取り上げてしまうこともあります。

 

あきらかに多くのものを持っている人と、あきらかに持っているものが少ない人はいます。

 

みんな平等なんてきれいごとで、それぞれの人生にはそれぞれの不公平があります。

 

その不公平の中をどうやって生きていくか、不公平をどうやって自分なりに楽しんでいくかが重要になります。

 

 

でもね、それがなかなかできないんですよね。




あなたも『努力と根性でなんでもできる!!』と考えている組だから。

 

 

闘っている人は少なからずこの思考を持っています。

 

そして自分の努力と根性で実際に成功した経験があります。

 

闘いをやめてしまって今の自分そのものを認めてしまえば楽になれるのですが、努力と根性思考を持っているため闘い続けます。

 

努力と根性で最終的には何とかできるのに、中途半端なところであきらめてしまうのが一番もったいないからです。

 

あと少しの努力と根性でなんとかなるかもしれないのならと、闘うことをやめられないんです。

 

 

努力と根性思考の強い人は、自分の不遇な状況や気に入らない環境を自分の力で何とかしようとします。

 

 

人に頼る前にまずは自分でできるところまで徹底的にやってみます。

 

もちろん今までと同じことをしていてはダメなので、自分に対しての負担は大きいです。

 

あれやこれやと思考を巡らせ、それを次々に実践していきます。

 

なんとかするために時間と労力を惜しみなく使っていきます。

 

そしてそれでもどうにもならない場合のみ、人の力を頼ります。

 

でもね・・・

 

 

それでもどうにもならないときはあります。

 

 

状況や環境を変化させるためには膨大な力が必要になります。

 

できることややれることはすべてやっていても、それでも不遇な状況を変えるほどの力がないこともあります。

 

そうなってしまうと急に生きていく難易度が上がります。

 

なにをやってもどうにもならない環境の中で、それでもあなたは無気力になれません。

 

苦しくてつらくても、それに真正面から立ち向かうようになります。

 

 

あきらめることをなかなかできないんです。

 

 

素直に認めることができずに努力と根性に頼ります。

 

自分が持っていない側の人間なら、周りの人の何倍も努力してそこにたどり着けばいいだけです。

 

疲れていても気づかないふりをしてまでがんばって・・・

 

疲れているってわかっているのに『まだダメだ!!』とがんばって・・・

 

ひたすらがんばり続けます。

 

 

それこそ身体が限界を迎えて倒れて動けなくなってしまうまで。

 

 

それこそ心が限界を迎えて無感動で反応しなくなるまで。

 

 

世の中ね、どうにもならないことはたくさんあります。

 

どんなに努力を続けてもたどり着けない地点はあるし、どれほど根性を出してもそれを押し潰す力は存在します。

 

どんなに認めたくなくて拒絶をしても、現実として絶対に変わらないものというのはあります。

 

あなたがそこまでがんばっているのなら、あなたにとってそれはどうしても譲りたくない大切な部分なのでしょう。

 

 

それでも少しずつ認めていく努力をしていきませんか?

 

 

急に認めることなんてできません。

 

そんなことならそもそもあなたはここまで疲れていません。

 

ここまで疲れてしまうほど認められないことだから『努力と根性で!』というのもわかりますが、その代償はあなたが思っているよりも大きなものになるかもしれませんよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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真面目すぎると疲れることが多い。もっと気楽に生きるためには?

皆さんは自分のことを真面目だと思っていますか?

真面目なことは一般的には長所だと言われてますが、短所になることもあるんですよね。

 

それは、、、

 

 

真面目すぎるときです。




自分で自分のことを真面目すぎるなんて、どんな自意識過剰人間なんだと思うかもしれませんが、実際に真面目すぎる人はいます。

 

自分では真面目だなんて思ったこともがなくても、周りからは真面目だという認識をされている人もいます。

 

真面目すぎると融通が利かないところがあるんですよね。

 

こだわりが強いことも多く、それがうまくいかないとストレスがたまりやすいです。

 

真面目すぎるとひどく疲れてしまうことになります。

 

 

あなたは自分のことを真面目すぎる人間と思っていますか?

 

 

この記事を読まれている時点ですごく真面目な人だと思います。

 

『真面目な性格をどうすれば真面目じゃなくできるんだろう?』なんて、真面目な人じゃないと考えないです。

 

真面目だからこそ疲れて困っているし、真面目じゃなくなる方法を一生懸命調べているんです。

 

そんなことをするなんて、ほんと、真面目なんですよね。

 

 

真面目な性格を治そうとがんばるのは真面目な人だけなんです。

 

 

肩に力が入りすぎています。

 

もっとリラックスした方が真面目な性格からは離れられるのに、そのリラックスの仕方すらわからないから力んでしまうんです。

 

不器用な人なんですね。

 

適度な真面目さなら世の中とも上手に折り合いをつけられるし、周りからの信用も得やすいのですが、度が過ぎると真面目な性格はあなたを苦しめることになります。

 

 

許せないことが普通の人よりも多いです。

 

 

これは自分に向けてだけ、他人に向けてだけ、あるいはその両方を持っている人もいますが、真面目だと一定基準以上の結果を求めます。

 

なにか気にくわないことがあると融通が利きません。徹底的に責めます。

 

『こうあるべきだ!』というなんらかの強い価値観を持っており、そこからはみ出してしまう存在には怒りの感情を抱きます。

 

そしてその価値観から外れているのに、それをどうすることもできないときは精神が不安定になります。

 

 

イライラしてしまうことが多いです。




また、他の人から注意をされたり、ある評価をされると、それを鵜呑みにしてしまいます。

 

他人の言葉を信じやすいです。

 

他人が何気なく言ったことが、いつまでたってもあなたの心の深い部分に突き刺さってしまうことも多いです。

 

それが全然見当違いのことであったとしても『こんなことを言われた。注意しないといけないな。』、『わたしってそういうところがあるんだ。』と受け入れてしまいます。

 

いい評価ばかりを素直に受け入れることができたらいいのですが、悪い方面での評価までしっかりと吸収し、必要以上に考えます。

 

 

真面目すぎると他人の言葉を戯言だと弾き返せないんです。

 

 

自己評価と他人からの評価が同じならいいのですが、まったく違っていた場合戸惑いが大きくなります。

 

『どちらが正しい自分なんだろう?』なんて変なことを考えてしまいます。

 

自分の思っていた評価と他人からの評価が大きくずれていた場合、迷子になってしまうんです。

 

 

これね、どちらが正しいとかってないんですよ?

 

 

あなたは自分で『こういう人間だ。』と自分のことを認識しているし、他人から見ればあなたは『ああいう人間だ。』と認識されているだけです。

 

他人の数だけあなたの他人からの評価は違います。

 

だけど真面目すぎる人は他人の一人の意見、あるいは少数からの意見を他人全体からの意見だと認識してしまうんです。

 

自分一人対他人全員です。

 

 

すごく拡大解釈になっていますよね。

 

 

だけど真面目すぎる人は、こんな怖い状態に陥ってしまう可能性があるんです。

 

真面目すぎるとこだわりができないことにイライラしたり、他人の言動に内面がひどく振り回されてしまいます。

 

真面目すぎる人はなにかと考え込んでしまう癖がついています。

 

 

頭を空っぽにすることが苦手なんです。

 

 

真面目すぎると生きていて疲れる場面に出くわすことが多くなり、あまりにもひどいと他人から煙たがられます。

 

そして何よりも真面目すぎる自分を治せない自分にイライラしてしまいます。

 

今のあなたもそうではないですか?

 

今までの人生をかけて育ててきた性格です。

 

たかが一カ月や二カ月で真面目すぎる性格を治すのは無理です。

 

 

もっと長期的に考えてみませんか?

 

 

真面目な性格を治していきたいのならまずは、穏やかな気持ちでリラックスすることを心掛けることからしてみませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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皆さんは【つらいときこそ笑え】、【苦しいときこそ笑え】って言葉を聞いたことはありませんか?

 

「苦しいときに苦しい顔をしていたら心まで沈んでしまうから、困難を乗り越えるためには笑顔が必要だ。」といった意味合いで使われます。

よく使われる言葉なんですよね。

 

でもこれ、本当のことなんでしょうか??




本当です。半分は。

 

笑うことによりその瞬間、心がほんの少しだけ軽くなります。

 

『もう嫌だ。』、『もう無理。』って思っていた心にほんの少しのゆとりがうまれます。

 

今までは張りつめすぎていてものがリラックスできるようになります。

 

立ち止まりそうになったときでも、そこから先へ一歩踏み出そうとする力がでてきます。

 

それによって状況が改善し、『無理だ。』と思っていたものでもできることがあります。

 

 

つらいときや苦しいときに笑うと、自分の中でまだ眠っている力を発揮できます。

 

 

だからこれらの言葉はよく使われるんです。

 

すごく前向きな言葉なんです。

「つらいときは泣け」、「苦しいときは苦しいと言え」よりも。

 

「つらいときは泣け」、「苦しいときは苦しいと言え」はそこで終了してしまう言葉なんです。

 

【もう成長しなくていいから立ち止まりなさい】って言葉なんです。

 

だからこれらの言葉をすごく嫌う人もたくさんいます。

 

 

あなたもそうだったんじゃないですか?

 

 

『つらいからって泣いていたって何もならない!』、『苦しいからって顔にだしてどうする?こんなのなんでもない!』と自分によく言っていたんじゃないですか?

 

それで今までにも試練を乗り越えてきたんじゃないですか?

 

つらくても苦しくても『立ち止まってしまったらダメだ!!』と一生懸命前に進んできたんじゃないですか?

 

だけど今回はそれがうまくいっていないんじゃないですか?




「つらいときこそ笑え!」、「苦しいときこそ笑え!」はその場しのぎの一時的なものなんです。

 

 

火事場のバカ力を使用する方法なんです。

 

長期的には続きません。

 

なんのリスクもなく普段自分が使っている以上の力は使えません。

 

この場合のリスクはあなたの心です。

 

 

自分の心を犠牲にして、一時的に自分の奥底に眠っている力を引き出します。

 

 

そしてその力が尽きたとき激しい疲労が襲ってきます。

 

その力が尽きる前に結果が出せた場合は喜びや達成感もありますが、それでも間に合わなかった場合は何も手がつかないほど疲れ果てます。

 

 

つらいときって人間は笑わないんです。

 

苦しいときって人間は笑わないんです。

 

 

苦痛を感じているときに笑うのは不自然なことなんです。

 

 

だからつらすぎるときは笑おうとしても涙が出てきます。

 

だから苦しすぎるときは笑おうとしても苦笑いしかできません。

 

その方が人間として自然だから。

 

その方が生きていく反応で自然だから。

 

 

人間ね、不自然なことをするのには力がいるんです。

 

 

自然なことをするよりも精神力をたくさん使います。

 

食事をするよりも食事を抜くことの方が気力を使います。

 

排泄をしたいのに我慢をするとお腹が痛くなります。

 

眠らないで何日も起きているとフラフラしてきます。

 

 

不自然なことをするのは、自然なことをするよりも大変なことなんです。

 

 

自分自身への負担が大きいです。

 

不自然なことをしている時間は忍耐が必要になる時間です。

 

つらいときや苦しいときに笑うことは、『無理をしろ!』と自分に命令しているんです。

 

無理をしているのだから当然後でその反動がきます。

 

あのとき強がって笑わずに、素直に反応していたらここまでのダメージを受けずにすんだのに、無理をして笑ってしまったために後で深刻なダメージを負ってしまうことになるんです。

 

 

つらいときは笑わなくていいんです。

 

 

苦しいときは笑わなくていいんです。

 

 

もっと自分に素直になってください。

 

 

ここで自分をごまかしてしまったら大変なことになってしまうかもしれません。

 

ほんとは極限状態なのに笑ってごまかしてしまったら、自分の気持ちもわからなくなってしまいます。

 

ときには笑顔で乗り切ることも大事になるときもありますが、それが習慣になってしまうほどやってしまうと、あとでしんどい思いをするのは自分です。

 

やせ我慢や無理はほどほどにしてみませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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できない自分が許せない。不甲斐ない自分が情けない。無能すぎる!

皆さんは自分のことを許すことができないくらい嫌いになってしまったことはありますか?

 

なにをするにしても不器用で、がんばっているのに全然うまくいかなくて、がんばりが足りないのにもうがんばれなくて。

 

できるようにならなきゃいけないのに、それでもできなくて。

 

そんな足りない自分が許せなくなってしまったことはありませんか?




この状態ってすごく苦しいんですよね。

 

起きている時間は自分を責める時間になるんです。

 

そしてそんなにも時間をかけて自分を責め続けているのに、それでもできるようにならないんです。

 

 

『お前はなにをやっているんだ!?』と情けなくなります。

 

 

もっともっと努力をしないんです。

 

死ぬ気でがんばらないんです。

 

できるようにならないといけないのに、それでもできるようにならないんです。

 

ちゃんとしないといけないのに、それでもわたしはちゃんとしないんです。

 

 

そんな自分が許せないんですよね。

 

 

できるようになれば自分を許せるかもしれないのに、できないくせに努力やがんばりも全然足りません。

 

『なにを甘えているんだ!!』と自分を責める回数も多くなり、自分を責める強さも強くなります。

 

それでもできるようにはなりません。

 

できるようになれば問題も解決することなのに、それができるようにならない自分への怒りがあふれ出してしまいます。

 

そんな日常を過ごしているうちに自分のことが大嫌いになっていき、次第に自分自身に憎しみを持つようになっていきます。

 

 

無能な自分が情けなくて許せません。

 

 

もっとがんばらないといけないのに、がんばらない自分が情けなくて許せません。

 

 

心は暗く深く沈んでいきます。

 

何度も怒りで気が狂いそうになります。

 

何度も自分が情けなくて涙が止まらなくなります。

 

『どうしてもっとがんばらないのか?』、『どうしてこんなにも無能なのか?』と自分の無力さを許せなくなります。

 

そのくせ疲れだけは一人前に感じてしまって・・・

 

どうしてもそんな自分を許すことはできません。

 

こんなに不甲斐ない自分を認めてあげることなんてできません。

 

 

あのね、あなたはもう十分にがんばっているんですよ。




そうじゃないとそこまで自分にきつく当たりません。

 

 

あなたにまだ余力があるのなら、自分に怒りがわくことなんてありません。

 

全力で取り組んでいるからこそ、それなのにできない自分に腹が立ってしまうんです。

 

あなたは今やるべきことをすべてやっているからこそ、これ以上のことができないんです。

 

あなたが今回望んでいることは、今のあなたの手に負えないものなだけなんです。

 

その手に負えないことをどうにかしたいから、あなたはこんなにも苦しんでいるんです。

 

できなくてもがいて、気力も減っていくのにあがいて、それでもなんとかしようとしているのが現在のあなたです。

 

 

あなたはもうすごくがんばっているんです。

 

 

だけどそれを認めてしまうと絶望しかないんですよね。

 

結果を残さないといけない場面なのに、どうしても結果を残せないと理解してしまうから。

 

自分の可能性を見放して、自分の中の枠を作ってしまうことになるから。

 

自分は今はそれがどうしてもできない人間なんだと見切りをつけてしまうことになるから。

 

 

『自分にとって最高の結果になることはない!!』という事実を受け入れないといけないんです。

 

 

それをしたくないから自分を責めるんです。

 

『もっと全力でやらないと!!』、『努力がまだ全然足りてない!!』、『それでがんばっているつもりか!?』、『弱音をはいて解決するのか!?』、『疲れたなんて言い訳するな!!』と頭の中で何度も聞こえてきます。

 

 

『できないのならなんでできるようにしないんだ?』

 

 

この言葉が大きく響きます。

 

期間内にできるようになることはないという事実を認めることはなかなかできないんですね。

 

どうでもいいことならできないことを認めることは簡単ですが、今回のことはできないとほんとに困るんです。

 

できないままでは許されないことなんです。

 

どうしてもできるようにならないといけないことなんです。

 

 

最終的には【なにもできないのにがんばることすらできない情けない人間】と自分のことを認識します。

 

 

そしてできるようにならない自分を無能だと思い込み、延々と責め続けます。

 

自分を責め続けているうちに自分は無能なんだと洗脳されていきます。

 

今回は【これ】ができなかっただけなのに、【すべて】ができない人間と自分のことを認識してしまいます。

 

どんどん自信がなくなっていき、できないことばかりが心に刻まれます。

 

年月をかけるごとにその思いは強くなっていき、無能なのになにもしない自分の完成です。

 

 

人間ね、万能ではありません。

 

 

できることとできないことはあります。

 

 

どれだけ努力してがんばっても、できないこともあります。

 

ですが、その努力とがんばりまで否定しなくてもいいのではないですか?

 

あなたはすごくがんばっているのに、それを自分が認めてあげないのはかわいそうですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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うまくいっていたのに。順調だったはずなのに。なんでこんなことに?

皆さんはうまくいっていたはずなのに、途中で失敗してしまったことはありますか?

 

順調でこのままいけばいい結果がでると思っていたのに、予想外が起こってしまったことってありませんか?

 

これって衝撃なんですよね。




最初からうまくいかなかったことよりも心にダメージがきます。

 

しようと試みてすぐに失敗してしまったことよりも心を揺さぶられます。

 

どうせ無理だからとあきらめていたことよりも心は落ち込みます。

 

 

一度成功するイメージが頭に浮かんでしまったから。

 

 

実際にやってみて、自分にとっていい結果になると思ってしまったから。

 

 

手ごたえを実感してしまったんです。

 

成功する未来を期待してしまったんです。

 

失敗する未来が遠ざかってしまったんです。

 

今までの自分の経験からこれは成功すると思い、未来を楽しみにしてしまったんです。

 

 

そんな楽しみにしていた未来、ほとんど確定しているとさえ思っていた未来を奪われてしまうんです。

 

 

自分のほしかったものがあと少しで手に入りかけたのに、突然邪魔をされて手に入れることができなくなってしまいます。

 

 

ほんとうにあと少しだったのに。

 

もうそれを持った自分をリアルに想像できてしまったのに。

 

その生活の居心地の良さを感じるところまで来てしまったのに。

 

 

それなのに奪われてしまいました。

 

 

少なくとも今はそれが手に届かないところまで離れてしまいます。

 

この機会を逃したら二度と手に入らないものだって少なくありません。

 

 

想像していた結果とかけ離れた結果になります。




それを手に入れることができなかったために、周囲から強く責められてしまうこともあります。

 

それを手に入れることができなかったために、自分の運命が大きく変わってしまうことすらあります。

 

それを手に入れることができなかった自分をひどく責めてしまうこともあります。

 

 

せっかくのチャンスだったのに、ムダにしてしまったんです。

 

 

それを手に入れた順調な道は閉ざされてしまいました。

 

それを手に入れることができなかった道を歩いていくことになります。

 

ついこの前まではあった道が急に途切れてしまいました。

 

この道のままでは、ここから先へは一歩も前に行けません。

 

 

途中まで順調であればあるほどきついです。

 

 

目的地近くまで来ていれば来ているほど悔しいです。

 

 

どうせ手に入らないのなら、こんなにもったいぶらずに最初から無理だと教えておいてほしかったんです。

 

最初から無理だとわかっていたのならそもそもそれを手に入れようと真剣になってはいません。

 

もっと自分が手に入れることができるものの中から違う道を選んでいました。

 

こんなにも遠回りをさせておいて、手に入れることができると期待をさせておいて、あとほんのもう少しのとこで裏切るなんて、ほんと詐欺です。

 

 

あのね、強いショックに襲われているのは、あなたがあきらめて投げ出していないからですよ。

 

 

すべてをあきらめてしまったのならそこまでショックを受けていません。

 

違う道で歩いていく覚悟をしたからこそ、強いショックを受けているんです。

 

これから自分が最良だと思っていた道ではなく、本来なら選びたくなかって道を歩いていこうと決心したから、こんなにもがっかりしているんですよ。

 

 

もう前に進めなくて立ち止まったとしても、視線は未来を見ているんです。

 

 

こんなにショックを受けているのは、あなたが強い人だからです。

 

前に進めなくても目をつむることなく、どうすればいいか模索しているからなんです。

 

最高の結果はもう得られないかもしれないけど、それでもできることをしようと考えているからなんです。

 

 

ショックを受けるのは悪いことではありません。

 

 

現実を受け入れようとしている証拠なんです。

 

 

生きていれば順調なことばかりではありません。

 

ときには遠回りをするし、間違った道も進んでしまいます。

 

今回のように道が途中で途切れていることだって少なくありません。

 

選ぶ道がことごとくハズレなんてときもあります。

 

それでも現実から目をそらさず、しっかりと向き合っているあなたは素敵な人間だと思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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皆さんは自分だけが注意されるという体験をしたことはありますか?

 

他の人が自分と同じようなことをしていても注意されないのに、なぜか自分だけが注意をされるターゲットになっていることはありませんか?

 

理不尽に思ったことはありませんか?




そう、これ、理不尽なんです。

 

状況が違ってあなただけが注意されることももちろんありますが、まったく同じ状況であったとしてもあなたしか注意をされないこともあります。

 

注意をされやすい人と注意をされにくい人は実際に存在します。

 

あなたは注意をされやすいキャラクターになっているのかもしれません。

 

 

注意をされやすい人なんですが大別すると二つです。

 

 

一つ目はすごく不愛想で社交性がほとんどない人。

 

 

この場合は想像しやすいですよね。

 

不愛想にしているので相手もあなたに不愛想に接してくるんです。

 

あなたに好かれようとも相手は思っていないので直球に言ってきます。

 

あなたになんと思われようとどうでもいいと思っているので偉そうな態度にもなります。

 

あなたに社交性がなければ何をしようと悪評は広がりません。きつい言い方やこまかすぎる注意をしても誰にも知れ渡らないので自由です。

 

 

そしてもう一つの注意をされやすい人が、

 

 

愛想があって社交性も高い人です。

 

 

これは意外に思われる人も多いかと思いますが、愛想がいい人間にも注意はしやすいんです。

 

注意したとしても『この人はわたしに嫌な態度をとることはない。』と思っているから。

 

不愛想な人が相手なら逆ギレされることが怖く注意ができないという人もいますが、愛想がいい人が相手ならそんな心配はありません。

 

注意しても怒ってくることはなく、素直に謝ってくれます。

 

愛想がいい人間は話しかけやすく、相手も気を遣う必要がないんです。

 

言葉を選ばずに、他の人よりも話しかけやすいあなたを注意してきます。

 

注意をしてくる相手も人間です。

 

 

注意をする方からしても注意をしやすい人間と注意がしにくい人間とわかれてきます。




あなたが『他の人よりも注意をされている。』、『自分だけが注意をされる。』と感じているのならそれは、あなたが注意をしやすい人間に分類されているということです。

 

相手も他の人なら多少目をつぶることであっても、あなたが対象だと注意をしてきます。

 

連帯責任のはずなのに、なぜかあなたが責任者のように扱われてしまいます。

 

あなたにはほとんど関係なく他の人のミスであったとしても、あなたがそのミスに気づかなかったのが悪いという展開まであります。

 

 

あなたが注意をしやすい人間だからというだけで。

 

 

それだけで他の人よりもよく注意をされます。

 

そして注意をよくされていると周りに伝染するんです。

 

『この人なら別に注意をしてもいいんだ。』、『この人はできない人だから注意をよくされるんだ。』といった具合で、『なら自分もこの人には注意をしてもいいんだ。』となっていきます。

 

他の人が注意をされない場面でも、あなただけは注意をされるようになってきます。

 

そうなってくるとさすがに疲れてきます。

 

でも周りはそれに気づきません。

 

 

あなたが愛想よくしているから。

 

 

あなたが疲れているとは思わないし、あなたがそのことで悩んでいるとは思ってもいません。

 

人知れずあなたが傷ついていることも知りません。

 

あなたが憂鬱になっていることを誰も知りません。

 

そんな日常の中であなたの精神は疲れていきます。

 

 

人間ね、不公平を嫌うんです。

 

 

これはなにも冷遇されているときだけに限りません。

 

多少の優遇ならあまりなりませんが、優遇されすぎても居心地が悪くなります。

 

平均から大きく外れるよりも普通の範囲内でいたいんです。

 

優遇されることでさえ不満になるんですから、冷遇となるとなおさらです。

 

 

人間は他の人よりもひどい扱いを受けることを何よりも嫌います。

 

 

他の人よりも自分だけが多く注意をされるという状況は、予想以上に精神を削っていきます。

 

この状況の一番厄介なところは、一度この状況におちいってしまうとなかなか抜け出せないところです。

 

イジメと環境は同じです。

 

 

抜け出すためには自分が大きく変わるか、周りに変化してもらうしかありません。

 

 

自分を大きく変えるには相当の努力をしなければいけません。

 

周りが勝手に変化してくれるのはごく稀です。

 

そのどちらかが必要になります。

 

物理的にそこに近づかないようにできるのなら、それが一番簡単です。

 

 

まずはね、もう少し感情を素直に表現してみませんか?

 

 

愛想よくしないといけないことなんてありません。

 

注意されたあとに笑って交流しないといけないことなんてありません。

 

冷たい態度になって距離をあけてもいいんです。

 

その場で涙を流してもいいし、怒りの表情をしてもいいんです。

 

自分だけ注意をされてしまうような環境の中にいるのに、周りを優先させる必要なんてありません。

 

もっと自分を優先させていいんです。

 

あなたが周りに向けている優しさを、ほんの少しでも自分自身にわけてみてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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どうして自分だけこんな目に。悲劇の主人公になってしまったら?

頑張らない生き方はどうすればいい?生き方がわからなくなった時は?

皆さんは毎日をがんばって生きていますか?

それともがんばることはせずにのびのびと生きていますか?

 

人生にはこの二つの生き方があります。

 

どちらかが正しくてどちらかが間違っているというわけではありません。

 

 

どちらの生き方を選ぶかです。




がんばる生き方を選ぶと一定の緊張状態が続きます。

 

『やらないといけない!』と思っていることが多く、常に何かに追われている感覚です。

疲れがたまりやすい状態にあり、オンオフをはっきりさせてメリハリをつけないと精神を削っていきます。

 

がんばる生き方は限度を知らないと心が疲れ切ってしまうときがあります。

 

 

心が疲れた人にはよく【がんばりすぎないようにしましょう】という言葉が使われます。

 

 

これまでにがんばりすぎてしまい、精神を削りすぎてしまったからです。

 

疲れたらまずは回復することが必要になります。

 

そのための一番の方法が気を楽にして穏やかに生きることなんです。

 

心の疲れが激しい人には、がんばらない生き方が求められます。

 

でもこれが難しいんですよね。

 

 

今までがんばって生きるを選択してきた人たちだから。

 

 

がんばらないで生きていく方法を知らないんです。

 

 

頭では『無理をしないようにしよう。』、『がんばらないようにしよう。』とわかっているんですが、実際の行動ではそれができないんです。

 

『無理をしないようにしよう。』と思っていても、その時点で色々と無理をしていることが多いです。

 

『がんばらないようにしよう。』と考えていても、かなりがんばっていることが多いです。

 

がんばらないで生きようとしても『本当にこれでいいのか!?』という戸惑いと不安がつのります。

 

ある程度の元気が残っていると、がんばらない生き方は居心地が悪く感じてしまうんです。

 

 

普段からがんばって生きている人は、がんばらないで生きることを悪いことのように根本的に考えています。

 

 

でもね、これが根本的な間違いなんですよ?

 

がんばらないで生きることは悪いことではありません。

 

がんばらないで生きることイコール怠惰ではありません。

 

 

がんばらないで生きるということは、ありのままの自分を受け入れて生きるということです。

 

 

自分に過剰な期待なんかせずに、自分の実力をはっきりと自覚しています。

 

できることとできないことの分別がしっかりしています。

 

自分のことをしっかりと把握し、身の丈に合った生活をすることです。

 

何が起こったとしたても『それが自分なんだ。』と認める覚悟が必要になります。

 

この自分をしっかり把握して、ありのままの自分を受け入れることは心にとって一番のやすらぎを与えるんです。




がんばって生きる生き方は、極端に言うと現在の自分を受け入れない生き方です。

 

 

現状に満足することをよしとせず、ありのままの自分よりも一歩進んだ自分を求める生き方になります。

 

前に進む自分こそ、理想を追い求める自分こそが正しいと信じ、それをしないと自分のことがどんどん嫌いになっていきます。

 

 

心が疲れすぎてしまうとね、目に見えて弱くなるんです。

 

 

ちょっとしたことですごくショックを受けたり、普段なら動じないことでも心が激しく揺さぶられます。

 

すぐに切り替えることができずに長い期間引きずり続けます。

 

身体にもあちこちに不調が出てきます。

 

以前の自分(心が疲れていない自分)よりもあきらかに弱くなっていると実感します。

 

 

以前の自分にさえ満足せずに上を求めていたあなたが、以前の自分よりもはるかに弱くなってしまったちっぽけな自分を認めることができますか?

 

 

心が疲れてしまったときにがんばらない生き方をするということは、これらすべての自分を受け入れるということです。

 

 

普段からがんばりすぎの傾向があったから心が疲れてしまったのに、それよりも弱くなってしまった何もできない自分のことを認めないといけません。

 

そんな自分を認めてがんばらずに穏やかになるのってすごく大変なんですよね。

 

なにもできない悔しさが襲ってきます。

 

未来に対する怖さが襲ってきます。

 

 

がんばっていないと不安で仕方なくなるんです。

 

 

それを乗り越えないとがんばらない生き方にはたどり着けません。

 

がんばらない生き方というのは簡単ではないんですね。

 

今までがんばって生きてきた人ほどがんばらないことへの抵抗が強いです。

 

 

ありのままの自分を認めて自然体で生きるという生き方を選んでこなかったので、どうすればいいのかわかりません。

 

 

それを心が疲れた状態で求められます。

 

 

ものすごく難しいですよね。

 

疲れているのに生き方の変革まで求められるんです。

 

人間ね、そんなに簡単には変われないんです。

 

決意して明日から変われるというような単純なものではないんです。

 

変わるためにはすごく力がいるんです。

 

疲れているときにそんな力なんてなかなか出せません。

 

 

がんばらないようにしようとがんばりすぎるのをやめましょう。

 

 

がんばらない生き方をしようとがんばりすぎては元も子もありません。

 

焦らずに少しずついきましょう。

 

まずはがんばらない生き方を目指してがんばりすぎるのをやめることから始めてみませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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誰かに必要とされる人間になりたい。自分の存在価値がほしい。

皆さんは『誰かに必要とされる人間になりたい!』と思ったことはありますか?

 

人の役に立つ人間になって認めてもらいたいと考えたことはありますか?

 

存在価値と存在意義を示してほしいと願ったことはありませんか?




人間ってね、誰かに必要とされていたいんですよね。

 

 

誰かに必要とされると『自分はここにいてもいいんだ。』と安心するんです。

 

反対に誰からも必要とされていないと感じていると、ここに自分がいる意味を見出せないんですね。

 

安心して生きていけないんです。

 

誰からも必要とされないことは寂しいことだし、なによりすごく怖いことでもあるんです。

 

誰かから必要とされたいし、誰かに認めてもらいたいんです。

 

 

このことを承認欲求と言います。

 

 

承認欲求は誰でも少なからず持っています。

 

今までに『認められた!』と思うような体験が少ない人ほど、『誰かに認められたい!!』という欲求は強いです。

 

否定され続けて生きてきた人ほど、内心では大きな承認欲求を抱えています。

 

そのための一番簡単な方法が・・・

 

 

役に立つ人間なんです。

 

 

誰だって役に立つ人間と役に立たない人間なら、役に立つ人間を選びます。

 

自分に安心を与えてくれる人間と自分に危害を与えてくる人間なら、自分に安心を与えてくれる人間を選びます。

 

選択できることではみんな平等というようにはなりません。

 

しっかりと取捨選択をされます。

 

役に立てば立つほど人から選ばれる可能性が高まります。

 

自分が選ばれるということは、他の人よりもあなたのことを優先させてくれたことになります。

 

 

それはつまり自分のことが認められたということです。




でもね、ここまでいくのが難しいんです。

 

他の人よりも優れていないと選ばれないんです。

 

でも簡単には他の人よりも優れているところを作れないんですよね。

 

それ相応の努力が必要になるし、場合によってはかなり無理をしないといけないときもあります。

 

そこですごく無理をしてしまう人たちがいます。

 

自分の限界近くまでがんばってしまう人たちがいます。

 

限界を超えても無理をすることをやめない人たちがいます。

 

そして最悪なことに、いくら優れていても認めてもらえないときもあります。

 

 

役に立つことと認めてもらえることはイコールではないんです。

 

 

全然何の役に立たない人でも、認められている人はたくさんいます。

 

周りに迷惑ばかりかけて困らせている人でも、認められている人はたくさんいます。

 

相手にとってはその人は特別な人で、存在するだけで価値があるんです。

 

役に立っても役に立たなくても関係ないんです。

 

代わりのきかないたった一人だけの特別で大切な人なんです。

 

 

そういう相手が一人もいないのと、たった一人でもいてくれるのでは精神的な安心感が全然違ってきます。

 

 

心が疲労してきたときほど人間はなにか心の支えになるものをさがします。

 

その一つが誰かから必要とされている安心感です。

 

自分は存在していていいという証明です。

 

誰からも必要とされていないと感じると『自分はなんのために生きているんだ?』と思うようになってしまいます。

 

心が疲れているときは生きている理由を見つけないと、引きずられそうになってしまいます。

 

ただただ漫然と生きていくことが不安なんです。

 

 

誰からも認められていないと感じると、世界から拒絶されているような気持ちになるんです。

 

 

誰かから必要とされたいし、愛されたいんです。

 

 

人間ね、元気なときは生きる意味なんて小難しいことはあまり考えないのに、弱ってくると意識をするようになるんです。

 

それを得ることでまた戦える元気をもらえると思うようになります。

 

だから弱っているときほど支えてくれる他人を求めます。

 

また一人で立ち続けることができるよう一時的でも支えてくれる相手を求めます。

 

 

でもね、あなたの価値はそんなものじゃないんですよ?

 

 

何もできなくても価値があるんです。

 

そこに存在しているだけで価値があるんです。

 

社会から切り離されていても価値があるんです。

 

あなたの価値は役に立つ、役に立たないで揺らぐようなちっぽけなものではありません。

 

 

自分の価値を他人にゆだねすぎてしまってはいませんか?

 

 

自分自身のことなんです。

 

もっと自分の独断と偏見で価値を決めたらいいと思います。

 

あなたは自分のことを少し、なめすぎているのではありませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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皆さんはどうしても負けたくなくて、結果にこだわったことはありますか?

 

これだけは譲ることなんてできなくて、譲らないためにも一生懸命がんばったことはありますか?

 

それでもどうにもならなかったことってありませんか?




いくらがんばってもどうにもならないことって世界にはあるんですよね。

 

がんばればすべてが報われるような甘い世界ではありません。

 

がんばった量と結果が比例しないことはよくあります。

 

がんばればがんばるほど、結果との差が大きくなってしまってしんどくなってしまうことがあります。

 

それでがんばることをやめられたらいいのですが、なかなかそうはいかないんですよね。

 

 

簡単には納得できません。

 

 

そんな簡単にあきらめてしまえるようなことなら、そもそもそこまでがんばっていません。

 

どうにもならない結果さえなんとかしたくてがんばっているんです。

 

 

自分のできる範囲で徹底的に無理をします。

 

 

疲れがたまろうが、精神的に苦しかろうが、結果だけを追い求めて無理をし続けます。

 

途中で挫折してしまいそうなことが何度もあっても、それでも挫折なんかしてあげません。

 

『もう無理だって本当はわかってるだろ?』という心の声が聞こえても、それを叩き潰します。

 

結果を出すためにはそれ以外のことを捨ててでも、それだけをただ追いかけます。

 

 

ボロボロになりながら。

 

 

身体も心もボロボロになりながら、それでも足を止めることをしません。

 

ただわかっていることは『あきらめてはいけない!』ということだけ。

 

何度も何度も心を奮い立たせて、あきらめずに突き進むことを命令します。

 

『もう無理だ。』という言葉に支配されそうになったときほど、がんばらないといけない理由を思い出します。

 

あきらめてもいい理由が100個あったとしても、あきらめてはいけない1個の理由を重要視します。

 

 

それだけ譲れないんです。




そこまで譲れないのなら最早結果を出すことが一番の近道かもしれませんが、それでも結果は出ないんですね。

 

結果を出すまで決してやめないあなたと、それでも結果を出してくれない現実との戦いです。

 

 

あなたVS現実世界の厳しさです。

 

 

これが現実世界ではなく、将来を想像した夢や妄想の場合ならあなたに都合のいい結果になって勝てるんですが、現実はそんなに甘くないんですよね。

 

いくら努力して、無理をしてがんばっても、そんなことぐらいでは現実に太刀打ちできないときがあります。

 

努力することに疲れが出てきて、がんばることも限界になってきても、それでも現実は微動だにしないときはあります。

 

無理をしてでもなんとかしないといけないのに、無理をしてもどうにもならないことはあります。

 

 

それでも負けてなんてやりません。

 

 

現実にあらがい続けます。

 

勝ち目のない戦いを負けないためにも続けていきます。

 

自分が負けを認めない限り負けることはありません。

 

だからどれだけ疲れていても負けを認めません。

 

どれだけ勝つ可能性は低くてもそれを受け入れてしまったらほんとに終わってしまうから、その最後の砦だけは死守します。

 

 

負けを受け入れられないことって残酷なことなんですよね。

 

 

負けを受け入れることができていたらこんなにもボロボロになっていないのに、それができなかったためにあなたは傷だらけです。

 

譲れないことって、自分がボロボロになったからといって譲れるようなものではないんですよね。

 

譲ってしまうことよりもボロボロになることを選んでしまいます。

 

身体も心もボロボロになってでも、それでも認められないものがあるんです。

 

 

そしてその状態が続くと限界がやってきます。

 

 

どうにもならない現実には勝てません。

 

戦いの時間を延長することしかできません。

 

その間も体力と精神力はどんどん消耗していき、最後には底をつきます。

 

どうにもならないほどの現実を打ち破れるのは、よっぽど運が味方したときだけなんです。

 

自分の力ではもうどうすることもできないのが、どうにもならない現実なんですから。

あなたの範疇を超えた何かが働かないと、どうにもならない現実には勝つことはできません。

 

 

それでもあなたは戦いをやめないんですよね。

 

 

「そんな現実なんてクソくらえ!」とずっと立ち向かっていきます。

 

戦い続けるのってしんどいですよね。

 

こんな現実なんか認められないですよね。

 

限界間近でも受け入れることなんてできないですよね。

 

ならせめて、全力を出し続けるのはやめにしてください。

 

あなたが全力だろうが、なにもしていなかろうが結果は変わりません。

 

持久戦に最初から全力でとばしていてもあなたの方が先に力尽きます。

 

もう少しだけペース配分を考えてくださいね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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いいように利用されて。都合のいい女、都合のいい男になった時は?

皆さんは都合のいい女や都合のいい男ってどんなイメージがありますか?

 

相手が少し困っていたりしたらいいように利用されて、それが解決したら放置や偉そうな態度をとられます。

そしてまた相手がピンチになったら、相手はあなたにお願いや命令をしてきます。

 

こんな男女関係になってしまったことはありますか?




これってあなたと相手の性格や態度がかみあったときに起こりやすいです。

 

もちろん悪い方向で、です。

 

 

あなたのタイプが、

 

①相手の言うことに従順すぎるタイプ

②相手が困っていたら助けてあげたいというタイプ

③相手に嫌われたくないという想いが強いタイプ

 

 

相手のタイプが、

 

①人に感謝をすることをしないタイプ

②人に多くのことを求めて満足しないタイプ

③人を利用することに抵抗を感じないタイプ

 

これらのタイプが自分と相手にあてはまってしまったときに、都合のいい女や都合のいい男の関係になってしまいます。

 

 

簡単に言えばあなたが相手を甘やかして相手は調子にのっているんです。

 

 

しかもお互いに度を超えて。

 

 

この状態になるとあなたは負担を感じることが多くなります。

 

相手からの要求は小さいことから大きなことでもなんでもあなたにいくようになります。

 

自分はひな鳥であなたのことをエサを運んできてくれる親鳥のようにとらえています。

 

たしかに最初は無償の愛だったかもしれませんが、相手の要求が大きくなってくるとあなたも無償のままではいられません。

 

 

見返りを求めるようになります。

 

 

最初の頃はコンビニのおにぎりを渡せば満足していた相手が、今ではコンビニおにぎりを渡すと投げ捨てます。

そして『お寿司!!』、『ステーキ!!』とあなたを叩きながら要求してきます。

 

相手が求めてくるものがどんどん大きくなります。

 

それはつまりあなたの負担も大きくなってくるということです。

 

 

雑に扱われてコキ使われて、そのことに対して当然のように思っている他人に不満がでないようにすることはできません。

 

 

『いい加減にしろよ。』、『この前かなりの無理をして要望に応えただろ?』、『なんでそれで満足しないの?』と、相手との認識の違いに疲れがたまります。

 

都合のいい男や女になってしまうと、相手の言動はエスカレートします。




相手の要求には応えるのが当たり前となり感謝もなく、もしその要求に応えなければ相手は不機嫌になり激怒します。

 

 

こちらからの要望に応えてくれることも少なくなり、少しでも大きなことをお願いすると『こいつはなにを調子にのっているんだ!?立場がわかっているのか!?』となります。

 

こちらの要望をかなえてくれることもありますが、そのときは相手はすごいことをしたかのように恩を売ってきます。

 

こちらはそれ以上のことを何度もしているのにそのことはどこかへ行ってしまって、自分だけが『特別にすごいことをしてやったんだ!!』という感じが見てとれます。

 

あなたがわたしの言うことを聞いてくれることは相手は当然だと思っていますし、わたしがあなたの言うことを聞いてあげることはわざわざしてあげたことなんです。

 

対等な存在ではないんですね。

 

 

それが都合のいい存在なんです。

 

 

都合のいい存在になってしまったのはね、あなたが相手のために無理をしすぎてしまったからです。

 

 

相手のことがすごく好きだったからです。

 

相手が残念がるところを見たくなくてがんばってきたからです。

 

相手に嫌われてしまうことが怖かったからです。

 

相手の望みを叶えようと必死だったからです。

 

 

相手の望みはね、叶え続けてはダメなんです。

 

 

たまには断らないといけないんです。

 

文句も言わずに従順になっていてはダメなんです。

 

相手から謝罪があったときに簡単に許してはいけないんです。

 

あなたはそんなに安くない人間だと相手に知らしめる必要があるんです。

 

 

都合のいい存在として扱っていいような人間ではないことを、相手に教えておく必要があったんです。

 

 

一度できあがってしまった人間関係を壊して修正するのは、最初から人間関係を構築していくことよりも難しいです。

 

印象が固定されてしまっているし、お互いの関わり方ももう決まってしまっているからです。

 

相手によっぽど印象に残るようなことがない限り、あなたはいつまでたっても都合のいい人間です。

 

 

少しだけ抵抗する努力をしてみませんか?

 

 

今でも抵抗しているという人でもまだ抵抗が足りません。相手はあなたなら大丈夫となめられています。

 

まったく反発をしてこなかった人は抵抗すること自体が大変ですが、今よりもほんの少しだけ抵抗してみてください。

 

従順すぎると相手はあなたの価値を見誤ってしまいます。

 

あなたの価値はそんなにも安くないことを教えてみてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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