心の傷を治療するには?完全には治らない?死ぬまで忘れられない?

皆さんはなにか心に傷を抱えていますか?

 

心に傷のないまま人生を過ごせたらいいのですが、心に大きな傷をつけて生きている人もたくさんいるんですよね。

 

心の傷って完全にはなかなか治らないものなんです。




心の傷って簡単に言うと【心が正常な状態ではいられないほどのショックな出来事をあなたが受けた】ということです。

 

心の容量よりもはるかにひどい刺激を受けて、ダメージを負ってしまった状態です。

 

震えるほどの恐怖や頭が機能しなくなってしまうほどの強い衝撃を体験してしまったんです。

 

 

心の傷ってすごくつらいんです。すごく苦しいです。

 

 

身体の傷の方にはある程度の耐性があっても、心には耐性をつける機会が少ない人もいます。

 

耐性がある程度ついていたとしても、耐性のついた心さえボロボロにしてしまうのが心の傷です。

 

実際に肉体的な骨折や裂傷などの痛みよりもきついと表現される人も多いです。

 

心の傷と闘っている人ほど「こんなにきついとは思わなかった。」と言いますし、心の傷を体験したことがない人ほど「弱い人間だな。自分は乗り越えてきた!」と言います。

 

本当に心が壊れそうなくらいのことを体験した人と、そこまでの体験をしたことがない人とでは認識が全然違っています。

 

 

身体の傷は目に見えるのでわかりやすいですが、心の傷は目には見えません。

 

 

他人はもちろん、自分自身にも傷の大きさがわからないときがあります。

 

 

そんなに大きな傷ではないと思っていても、自分が予想していた以上に傷ついていたこともあります。

 

ほんのかすり傷だと思っていたことが、中心深くまで傷ついていたということもあります。

 

自分でも気づかないうちに、いつの間にか傷ができていたということもあります。

 

 

心の傷の大きさと深さを正確に把握することは誰にもできません。

 

 

心の傷の大きさを読み違える人は多いです。

 

自分が思っているよりも心の傷が深ければ被害妄想が強い人間と思ってしまうし、自分が思っているよりも心の傷が小さければ大げさな人間になってしまいます。

 

でもそれは誰にもわかりません。

 

あなたの認識次第です。

 

 

心の傷ってなかなか受け入れられないんですよね。




心に傷ができるほどの衝撃を受け入れて進むことって難しいです。

 

 

あなたが苦しくても闘っているのはその心の傷なんですから。

 

『もしあんなことがなければ・・・』と考えずにはいられません。

 

あのときあの場面で心に傷を負わなければ、自分はもっと楽な生き方ができたんです。

 

困難に直面する回数も少なくなります。

 

他の人と同じような生活ができていたんです。

 

リセットボタンがあるのなら、何度だって押して心の傷を回避した人生を進みたいです。

 

 

心の傷の怖いところは、なにかのきっかけで閉じていた傷口が開くんです。

 

 

しばらくはおさまっていたと思っていても、急に震えが止まらなくなることがあります。

 

世界が怖くて怖くて仕方がないような状態になってしまうことがあります。

 

あのときの状況が鮮明に脳内で再現されます。

 

視覚だけでなく、聴覚、嗅覚、触覚、そのときの自分の気持ちまで再現してしまうことすらあります。

 

こういったことが『また起こるかも。』と思うと心臓の鼓動がドラムを打ち、自分で自分を制御できないほどパニックを起こしてしまいます。

 

いつ爆発するかわからない爆弾です。

 

 

しかも爆発してなくなってくれるわけではなく、爆発してもまだ残っている爆弾です。使い捨てではありません。

 

 

いつまた爆発するかわからない恐怖が離れてくれません。

 

 

不安と共に歩んでいく人生になります。

 

こういった事態にならないようになんとか克服しようと努力していきます。

 

爆弾が爆発しないように生きていけるすべを必死でさがしていきます。

 

そうじゃないと日常生活に支障が出ることがあるからです。

 

でもね・・・

 

 

心の傷の完全な修復はほとんど不可能なんです。

 

 

つまり生きている限りは不安と闘い続ける人生になります。

 

がんばることを余儀なくされる人生です。

 

死ぬまで覚えていて、いつ再発するか恐れる人生です。

 

他の人とは違い、爆弾と共に生活していく人生になります。

 

 

ときにはすごく怖くて取り乱してしまうこともあります。

 

ときには『どうして一度きりの人生なのにこんな目に。』と、理不尽さに押し潰されてしまうこともあります。

 

『こんなの嫌だ。』と頭がおかしくなるほど嘆くこともあります。

 

はっきり言って、心の傷ってなくてもいいものです。

 

ない方が楽しい生活ができます。

 

でもね、そんな心の傷と生きているあなたは、きっと誰よりも自分の人生と向き合って生きていると思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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満たされていない自分。恵まれていることに気づくと幸せになれる。

皆さんは自分が満たされていると思いますか?

 

それとも満たされるには量も質も不十分で、全然満たされないと思っていますか?

 

満たされることって意外と難しいんですよね。




日々の生活に幸せを感じることが多いのなら満たされていることに気づけますが、幸せをほとんど感じないときは満たされているとは思えないんですよね。

 

どうしてこんなにも自分はひどい環境にいるんだと感じてしまいます。

 

 

もっと幸せがほしいと望めば、今の自分は満たされていないことになってしまいます。

 

 

最近では親ガチャ失敗なんて言葉もよく聞くようになりましたが、親は十分に子どもにしていることも多いです。

 

大学生で「親がケチで仕送りをほとんどくれない!親ガチャ失敗だ!」とわめいている人でも実際には仕送り10万円なんてこともよくあります。

 

仕送りに10万円って皆さんはどう思いますか?

 

僕は十分な金額だと思うんですよね。実際に僕は大学生時代に仕送りを10万円もらったことはありませんし。アルバイトをして生活費を稼いでいました。

 

月に10万円仕送りがある人は僕は恵まれた人だと思います。

 

でもその10万円の仕送りをもらっている人が、自分のことを恵まれていると感じているかは別問題です。

 

「仕送りが少ないせいで惨めな生活をしないといけない!」、「ほしいものが買えない!」と、親ガチャに失敗したと落胆します。

 

 

でも本当に親ガチャに失敗した人ってそんなものじゃないんですよね。

 

 

子どもに暴力や暴言なんて当たり前。

 

反抗したらさらに痛めつけられる。

 

育児放棄をされて親子じゃなく邪魔ものとしてみられている。

 

子どもに何があろうがまったく無関心で興味もない。

 

子どもが死んでも子どものことを想って涙しない、泣くときはこれから罰を受けるであろう自分を想像して泣きます。かわいそうなのは死んでしまった子どもではなく、子どもが死んでしまったがために罰を受けるかわいそうなわたしです。

 

 

こういった親に当たってしまったときは「親ガチャに失敗した。」と言えると思います。




でもこういう子どもたちって親ガチャに失敗したとはなかなか言いません。

 

言えるような余裕もないんです。

 

そんなことを考える暇もありません。

 

ある程度の余裕がないと人間、嘆くことすらできないんです。

 

 

足りないことを嘆くのはいつも満たされている側の人たちなんです。

 

 

空腹時を想像してみてください。

 

昼ご飯を食べる時間が一時間遅くなったとき、「腹減ったー。」と言うことができます。

 

では一週間何も食べていないときはどうでしょう?

 

「腹減ったー。」と言うことができますかね?

 

・・・

言えないですよね。

 

衰弱して限界を超えているときに「腹減ったー。」なんて余計な言葉を言えるわけがありません。

 

そんな言葉を言う体力すらもったいないし、仮に目の前に食事があったのなら思考や理性なんて消し飛びます。

 

 

満たされていないと感じることができるのは、実際には少しでも余裕がある人です。

 

 

本当に追いつめられているときは、満たされているかどうかなんてどうでもいいんです。

 

 

そんなことを考えるよりも他にしないといけないことで精一杯なんです。

 

考えている余裕なんかないし、考えられる状況でもないんです。

 

自分のことを満たされていないと感じて嘆くことができる人は、ある程度の裕福さがある人です。

 

考えることができるのは、まだ考えることができる余裕があるからです。

 

そこを超えると思考停止します。

 

無というより混沌でわけがわからない状態になります。

 

 

満たされないと感じているときは、まだ最悪までいっていない状態です。

 

 

実際にはある程度は満たされている状態のときに、満たされていないと感じます。

 

 

少しだけ満たされてその味を知っているから、もっともっと欲しいと思ってしまうんです。

 

こんなものじゃまだまだ足りないんです。

 

これくらいなんかじゃわたしの欲望を満足させてくれないんです。

 

 

要するに中途半端なんですね。

 

自分がすごく幸せだと思えるほど満たされているわけじゃないし、もっと欲しいとも思えなくなってしまうような極限状態でもないんです。

 

中途半端に満たされているからそのことに気づかなくて『もっと満たされたい!』と思ってしまうんです。

 

 

恵まれている部分にも気づいてあげましょう?

 

 

ないところばかりを見てしまうと、今の恵まれているところがわかなくなってしまいます。

 

それを失った後で『あの頃はすごく幸せだったんだな。』と気づくことも少なくありません。

 

確かに今のあなたは、あなたが満足するほどの幸せをもらえていないのかもしれません。

 

でもまだ一番最低というわけでもありません。

 

恵まれている点に気づくだけでも、生き方は変わってくると思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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仕事で重大なミスをしてしまった。みんなに迷惑をかけてしまった時は?

皆さんは仕事をしていてすごく重大なミスをしてしまったことはありますか?

 

本来ならあってはならない失敗をしてしまったことはありませんか?

 

ミスをしていることに気づいた瞬間に頭が真っ白になってしまったことはありませんか?




ミスってしたくはないものなんですが、人間って必ずミスをしてしまうんですよね。

 

今までに一度もミスをしたことがないという人間なんていません。

 

気づかないうちにミスをしていたり、ミスをしないように注意をしていてもミスをするときはミスをします。

 

何度も確認して『よし!大丈夫だ。』と確信していてもミスをしてしまうこともあります。

 

人間のミスを完全に防ぐことはできません。

 

 

ミスの怖いところは連鎖してしまう危険性があるところです。

 

 

取り返しのつかないような重大なミスをしたわけではなく、ちょっとした些細なミスをしてしまっただけで、収拾がつかない大問題まで発展してしまうことがあります。

 

初めからミスをしたら大問題になるというようなものなら警戒しますが(それでもミスをするときはミスをしてしまいます。)、そうじゃない場合は慣れで心の油断もでてきます。

 

そして『どうせ大丈夫だろう。』という考えから、思わない事態にまで発展してしまう危険性があるのがミスの怖いところなんです。

 

最初のミスで方向性が変わり、目標していたところとまったく別のところにたどり着いてしまうことも少なくありません。目標と正反対のところにゴールしてしまったということも多いです。

 

 

でも一番怖いのが【やってはいけない重大なミス】をしてしまったときです。

 

 

一発アウトのあってはならないミスです。

 

 

このミスが発覚したときに一瞬固まります。

 

『え?』、『うそ?』、『いや?』と簡単な疑問が頭を支配します。

 

あまりにもショックな出来事なので、頭が理解をするのに時間がかかるんです。

 

そこから少しずつ頭が追いついてくるようになるのですが、少しずつ整理して受け入れていかないとパニックで何もできなくなってしまいます。

 

 

そしてこれが現実だとわかったときに、これからどうすればいいのかを脳がフル回転で考えます。

 

 

・今の時点で気づいて挽回できることなのか、もう挽回なんかできないことなのか。

・他の人はこのことに気づいているのか、気づいているのはまだ自分一人なのか。

・黙っていればわたしが原因だと特定されないミスなのか、黙っていてもわたしが原因のミスだと特定されてしまうのか。

・逃げ道はまだあるのか、もう終わってしまったのか。

 

すごい保身だらけのような人に見えるかもしれませんが、突然重大なミスをしてしまったことがわかったときは絶対に保身が入ります。(周囲にミスが発覚してから時間が十分に経過していても保身だらけの人もたくさんいますしね。)

 

突然のミスが発覚した直後に逃げ道をまったく想像しない人は、自分の安全管理面での問題を抱えています。




正直に話しても決して許されないことは、世の中にたくさんあります。

 

 

どんなに誠意を尽くして謝っても許されないことが、世の中にはたくさんあります。

 

 

そしてそのミスの発覚は避けられないし、挽回のしようもない。わたし個人が原因だと特定されると理解したとき、恐怖が支配します。

 

泣きたくなるし、すぐにでも家に帰りたくなります。

 

布団に入って眠って起きたら夢だったーなんてことを期待してしまいます。

 

その場から一早く逃げ出したくなるんです。

 

なかにはそれを実行する猛者もいます。

 

 

けどね、普通はなかなかそんなことできないんですよね。

 

 

いくら信じられないくらいのミスをしてしまったとしても、どれほど逃げ出したくなっても、人はミスの結果と向き合うことを選びます。

 

 

重大なミスをしてそれが周囲に発覚する前に急に仕事を辞めた。後日その仕事場が大変なことになって電話がかかってきたときに「俺は知らねー。もう辞めたし。」とはなかなかできません。

 

『大変なことをしてしまった。』という罪の意識を簡単には捨てられません。

 

『取り返しのつかないことをしてしまった。』と感じるとき、人間はできる限り誠実であろうとします。

 

罪に罪を重ねたくないんです。

 

 

まだ自分一人だけの問題ですんで周囲には影響はないということならいいのですが、自分のミスが原因で周りの全員にすごく影響が出てしまったときはあなたの心への負担も大きいです。

 

 

優しい人ほど『自分のせいでみんなに迷惑をかけた。』と強く思います。

 

自分がミスをしたから大勢の人が忙しそうにしている。すごく焦っている。

 

これでもかというほどわたしに対して怒ってくる人もいるし、「そんなに気にしなくていいよ。」と自分が大変なのに気遣ってくれる人もいます。

 

そんな空間を作ってしまったのはわたしなんです。

 

 

心を平静に保つことは難しいです。

 

 

まずはね、自分を責めすぎるのをやめましょう。

 

 

パニックになっている現場を見て、自分がひどいことをしてしまったと感じるのはあなたが優しい心を持っているからです。

 

優しい人ほどそういう状況になると、他の誰よりも自分を責めてしまいます。

 

ミスは誰にでもあります。反省していないのなら別ですが、あなたは十分に反省しているはずです。

 

あなたが十分に反省して弱っている一方で、あまり反省していない人が反省アピールをして元気なのはどうかと思いますよ?

 

必要以上に自分を責めないようにしてくださいね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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無気力で何もできない。やる気がでない。身体が動かないときは?

皆さんはやる気もまったくなく、動けないような状態になったことはありますか?

 

なんだかすごくだるくて気が重くて、何もしていなくてもエネルギーをどんどん奪われていく感覚になったことはありますか?

 

いつまでたっても気力が空っぽの状態で、無気力になってしまったことはありませんか?




この状態ってすごくしんどいんですよね。

 

熱でもでていれば安静にすることもできますが、熱は平熱です。風邪をひいているわけでもありません。

 

身体が疲れてしまってグッタリというわけではないんです。

むしろ身体的には好調と言っていい状態のときも多いです。

 

それなのになぜか動けないんです。焦ります。

 

『なにをやっているんだ!!』と自分に問いかけます。

 

それでも身体は動いてくれません。動いたとしても亀のようにのっそりとです。

 

一つ一つの行動をするのに力が必要になり、一つの行動をしただけで重労働をした後みたいに疲れ果てます。

 

 

ただただやるせなくて、頭もどこかボーッとしている時間が続きます。

 

 

『一体なんなんだこれは?』、『なにをしているんだ。昨日、特に疲れることをしたわけでもないのに。』と自分でも今の自分の状態が不思議になります。

 

いつも日課にしていることをする時間になっても動く気になれなくて、いつの間にか時間が過ぎている。その間眠っていたわけでもないのに、いつの間に時間がたったのかわからない。

 

今の自分の気持ちもわからなくて、わかるのはなんだがだるくて身体が重いということだけ。

 

半分夢の中にいるみたいに現実感が薄れている。

 

お腹がすくことも排泄をもよおすこともほとんどなく、しようと思えば一日中動かずにいられます。

 

 

でもね、一日動かずにいるわけにはなかなかいかないんですよね。

 

 

元々調子が悪くて何も予定を入れてなかったのなら動かなくてもかまいませんが、今日の予定を入れていたり、学校や仕事、家事や育児をしなくてはいけないんです。

 

学校や仕事は最悪休めばいいだけだし、家事も一日や二日放置してもその後はどうとでもなります。

 

でも育児、特に子どもがまだ小さい場合だと放置をするわけにはいきません。

 

子どもの面倒を代わりにみてくれる人がいないと、あなたが動かないといけません。

 

それに仕事だってあなたがいないとできないことや、あなたが絶対に必要な重要な会議や取り引きなどがあれば、そう簡単に休むこともできません。

 

他にも親や祖父母の介護をしないといけない人などもいます。

 

 

自分一人だけで一日何もせずにボーッとしていられる環境って案外少ないんですよね。




無気力状態になりやすい人は、日頃から忙しくて精神的な負担も大きい生活を続けてきた人です。

 

たっぷり休む時間があったり、気分転換をして十分にリフレッシュができていれば、無気力状態にはなりにくいんです。

 

それができない環境にあった人だから、こんな異変になってしまったんです。

 

 

無気力状態になってしまったのは、日頃から無理をしてがんばりすぎていたからなんです。

 

 

普通の生活をしていたら無気力状態になるなんてことはありません。

 

 

基本がんばり屋さんが多いです。

 

そんな人だから無気力になってしまったときに人一倍自分を責めます。

 

『身体はどこも悪くないのに動けないなんてふざけるな!動こうとしないだけだろ!!』、『ただの仮病だろうが!休んでいられる状況じゃないことはわかっているはずだろ!!』と自分に怒りがわきます。

 

無気力で何もする気になれないのに、そんな怒りだけは感じてしまうんです。

 

『あー、だるいなー。何もしたくないなー。』だけ感じて終わりならいいのですが、普段から無理をする習慣がついている人はそこで止まれないんです。

 

無気力でも、しないといけないことをしない自分が許せないんです。

 

無気力なんかを言い訳にすることをあなた自身が許せません。

 

 

だから強引に気力を取り戻そうとします。

 

 

自分を刺激して半分夢のような世界から現実に戻ろうとします。

 

『やるべきことをやれ!!』と心と身体に命令します。

 

無気力状態にひたることを頭が拒絶します。理性がすごく強いんです。

 

やらない選択をしてしまったときに起こりうる最悪の事態を想像します。

 

何度も何度も自分に言い聞かせます。

 

通常の何倍も重い身体を、通常の何十倍もの力を入れて動かそうとします。

 

身体を強引に動かして、心がやる気になってくれたらもうけものです。

 

だから必死で頭で身体を一つ一つ操作します。

 

・・・

・・・

 

そこまでしなくていいんですよ?

 

 

無気力状態になるというのは普通のことではありません。緊急事態です。

 

 

危険信号として「休みなさい!!」と命令が出ているんです。

 

 

それに逆らって強引に動いていたら大変なことになります。

 

緊急事態なのにその警告を無視して無理をすると、自分でも驚くほどの代償を払わなければいけなくなるかもしれません。

 

そこまでして無理をしなくていいんですよ。

 

無理をするのってしんどいですよね?

 

せめてこんなときくらいは心に従ってのんびりとしてみてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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もっと強くなりたい!こんなに弱い自分なんて嫌だ!情けない!!

皆さんは『もっと強くなりたい!』思ったことはありますか?

 

あまりにも弱い自分が嫌で、情けなくて、『強くなりたい!』と心から願ったことはありますか?

 

『もっと強くなりたい!』と思ってしまうほど、つらい想いをしてしまったんですね。




『もっと強くなりたい!』というのは良いことのように思うかもしれませんが、時と場合によります。

 

目指すべき目標があってそれに向かって努力をし、充実しているのならいいのですが、【とにかく今の弱い自分が嫌だから】という理由で『もっと強くなりたい!』はあまりいいものとは言えません。

 

この場合の『もっと強くなりたい!』は正の願望ではなく負の願望です。

 

 

自分の理想に近づくための成長ではなく、苦痛から逃れるための対策です。

 

 

同じ『もっと強くなりたい!』でも、この動機の違いで精神的な負担は全然違ってきます。

 

 

自分の理想を追い求めての『もっと強くなりたい!』は具体的な目標があるかと思いますが、『今の弱い自分が嫌だから強くなりたい!』は具体性に欠けることが多いです。

 

具体的な目標があるときは目標に到達した後の自分を想像できますが、具体性がないと目標に到達後の自分が想像できないんです。

 

『もっと強くなりたい!』ということは、今のままでの生活を続けていてはいけないということです。

もっと強くなるための具体的な努力をこなしていかないといけません。

 

だけど『今の弱い自分が嫌だから強くなりたい!』と望むときって、目標の自分があいまいです。どこをどう努力していけばいいのかさえわからないんですね。

 

 

だからとりあえず、めちゃくちゃがんばるんです。

 

 

『なにを?』と思われる人もいると思いますが、全部です。

 

なにもかもを今まで以上にがんばろうとします。

 

なにをすればいいのかわからないから、手当たり次第で今まで以上にがんばるんです。

 

非効率ですよね。そんな生活は無謀だってわかりますよね。

 

だけどその無理を続けます。

 

 

それ以外に【弱い自分からの脱出する方法】がわかないから。

 

 

非効率でも無謀でも、それしか道はないんです。

 

もっと強い自分になれるのなら、たとえ無謀なことでも一生懸命がんばります。

 

それだけ今の弱い自分は嫌いなんですね。

 

多少しんどい思いをしてもこんな自分から解放されるなら無理をし続けます。

 

 

それほどあなたは傷ついてしまったんです。




『こんなに弱い自分なんかじゃダメだ!』、『こんなことくらいで傷ついてしまうような弱い人間のままではいられない。』と思ってしまったんです。

 

『自分が弱いから、こんなにもつらくて悲しい目にあってるんだ!』と思っているんです。

 

『自分が強くなればこんなことくらいでは落ち込んだりなんかしない!』と思っているんです。

 

今の弱い自分から脱皮して強い自分に成長したいんですね。

 

多少のことでは傷つかないような強い人間になりたいんです。

 

 

そんなにも傷ついたのはあなたのせいではないんですよ?

 

 

『これぐらいのことで』と思っているかもしれませんが、あなたは【これぐらいのこと】でも傷ついてしまうぐらいがんばってきたんです。

 

ずっとがんばり続けて心が疲れてしまっているんです。

 

だってそうじゃないと『これぐらいのことで』なんて思いません。

 

あなた自身も納得するようなひどい目にあったのなら、自分のことを弱いだなんて思いません。傷つくのは当然なんだからただただその出来事に悲しむだけです。

 

あなたが『大したことじゃないのになんで傷ついているんだ!』と思っているのは、今までのあなたならそこまで傷つかないようなことだったからです。

 

今までのあなたなら傷つかないようなことでも、心が疲れて弱ってしまい深く傷つくようになったんです。

 

元気な状態なら跳ね返したり、さほど気にならないようなことでも、疲れ果てた状態ではすごく強い刺激になります。

 

 

そこまでがんばってこれたのはすごいことだと思います。

 

 

そしてそこまでがんばってきても、まだがんばるを選ぶんですね。

 

 

こんなにつらい思いばかりする生活は嫌だから。

 

何回も何回も傷ついているわけにはいかないから。

 

このままじゃ日常生活に支障をきたすかもしれないから。

 

こんなちょっとしたことで悲しくて落ち込むのなら、いままでのように本当にひどいことがあったときに自分が耐えられるか怖すぎるから。

 

だから弱い自分から抜け出して必死で強くなろうとします。

 

 

そこまで無理をしなくてもいいんですよ?

 

 

『今の弱い自分じゃダメだ。』というのは、今の自分を否定していることになります。

 

それは今のあなたの状態ではさらに苦しい追い打ちになります。

 

たしかに今のままの状態のあなたでは、世界は傷つくことであふれているかもしれません。

 

『こんなことでこれからどうなるんだ?』と不安かもしれません。

 

 

でもね、今は弱い自分を許してあげませんか?

 

 

好きでこんなにも弱くなったわけじゃありません。

 

好きでこんなにも傷つきやすくなったわけじゃありません。

 

あなたはただ、がんばりすぎただけなんです。

 

そこまでしてがんばったのに、また否定をしてしまったらさらに苦しい生活が待っています。

 

強くなろうとするよりも今は、疲れ切ってしまったありのままの自分を認めてあげませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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相手から傷つくことを言われたときは

人のことを見下すのは自信がないから。劣等感が強い人ほど攻撃的!

皆さんの周りに人を見下してばかりの人っていませんか?

 

なぜか自信満々で態度が大きくて、それでいて人のことをけなすことしかしない人はいませんか?

 

人のいいところを見ようとせずに、減点方式だけで人を採点する人はいませんか?




この人たちってね、実は自分に自信がないんですよ。

 

 

自分に自信がないから他人をそれよりも下にしようとして必死なんです。

 

人のできていないところや悪いところばかりに注目して、自分の方が上だと思い込みたいんです。

 

自分に自信はないけど、他人に負けてしまうのは許せない人たちなんです。

 

プライドが人一倍高い人たちです。

 

 

この人たちはね、自分が完全に負けていて勝負にもならないという人にはマウントをとりません。

 

 

いくらできていないところや悪いところをばかりに注目しても、それでも話にならないほどのプラスを持っている人たちには普通に関われます。

 

勝てないとあきらめがあり、別世界の人だと割り切っています。

 

でもね、自分でも勝てるかもしれない人間が相手だと必死で相手のことを落とします。

 

一生懸命相手を落として落として、そして自分を持ち上げます。

 

相手の悪いところばかりを探してそれが相手のすべてであると決めつけ、勝ち誇ります。

 

そのためにはその人をけなして、バカにして、見下して。

 

 

過剰なマイナス採点をします。

 

 

そこまでしないと自分のプライドを守れないからです。

 

 

本人は気づいていないことも多いのですが、そこまでしてでも勝ちたいんです。

 

他人に悪態をつき、その人のいいところは見ないふりをする。

 

そして自分の方が上だということを主張するために態度を大きくする。

 

そこまでやらないとちっぽけな自信を持つことができないんです。

 

 

そこまでのことをしないとあなたには勝てないと心の底では思っているんです。




弱い犬ほどよく吠えるというのと似てますよね。

 

自分は本当はちっぽけで弱いから、せめて態度だけでも大きく攻撃的になろうとしているんです。

 

全力で威嚇します。

 

それで相手がビビってくれたらもうけものです。

 

『自分では勝てない。』と勘違いしてくれたらすごくラッキーです。

 

『この人には従わないといけない。』といけないと思ってくれたら作戦成功です。

 

 

威嚇で相手がわたしのことをすごい人だと思ってくれたらお得なんです。

 

 

そのためには相手の悪いところを堂々と指摘するのが一番だと思っています。

 

相手が強く出れない部分を見つけてそこを狙っての集中砲火です。

 

仮に自分も同じような悪い部分があったとしてもそのことは棚上げします。

 

相手だけを責めて、相手だけが悪いように、その人だけができていないように思わせます。

 

そのためには日常的に相手の悪いところをさがしておく必要があります。

 

相手の悪いところをさがすことを習慣にしていると、相手のいいところや長所が見えなくなってきます。

 

視界には入っても心が『そんなの認めない!』と拒否を繰り返します。

 

 

するとその人のことをだんだんと見下すようになっていきます。

 

 

自分が見下している人間にはさらに態度が大きくなるし、反抗的にもなります。

 

こちらの意見をまったく聞いてくれなかったり、言葉遣いもとげとげしくなります。

 

人間は自分が見下している人にはなかなか丁寧な対応ができないんですよね。

 

格下だと思っているから。

 

同格であると認めていないから。

 

自分の方が劣っているはずないから。

 

そんな人を尊重する気にはなかなかなれません。

 

 

人間って、勝負をして『わたしの方が優れている!』と認識してしまった相手には普通の対応はできなくなってしまいます。

 

 

勝負をしないことが見下さないための一番の方法なんだと思いますが、人を見下す人って一般の人よりも勝負をしてしまいます。

 

ことあるごとにマウントをとったり、一人で勝手に勝負をして勝手に勝った気になります。

 

これって本当に優れた人よりも、優れた人間になりたかった人に多いんです。

 

つまり、否定されて生きてきた経験がある人です。

 

 

劣等感が強い人ほど勝負をしたがります。

 

 

わたしが劣っているなんて認めたくないから。

 

劣っているままではいたくないから。

 

勝っているところで勝負をして勝ち誇りたいから。

 

劣等感をなくすためには勝ちを重ねることだと思ってます。

 

 

だからどこか余裕がないし、いつもとげとげしいんです。

 

 

見下されてしまうと不愉快になると思いますが、その人は他人を見下すことによって自分を支えています。

 

「見下すようなことをしないでほしい。」と伝えても、変わってくれることなんかありません。

 

もしあなたがその人から見下されるような生活を続けているのなら、距離をあけてください。

 

見下されているのは嫌だからとがんばっても、今度は違う理由で見下されます。

 

あなたがその人に認めてもらえる可能性は残念ながらかなり低いです。

 

近くにいると傷つけられることも多いですが、一定以上の距離をあけるとあなたへの攻撃は減りますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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皆さんは何か得意なことがありますか?

 

これだけは他の人にも負けないというような特技はありますか?

 

これがあるかないかだけでも全然違ってくるんですよね。




特技や得意なことがない人は、自分のことを『人よりも劣っている。』と思いがちです。

 

通常のときはそれほど意識していないかもしれませんが、落ち込むことがあったときなどに心へのダメージが大きいです。

 

特技がないと自分の中に支えとなるものが少ないんです。

 

なにか自分の中で絶対的なものがあればそれを中心に落ち込んでいる状態から回復もできますが、特技や得意がないとそのすがる部分がないんです。

 

 

本当に落ち込んでしまったときは特技や得意があるかないかで回復する速度は全然違ってきます。

 

 

特技や得意があると落ち込んでしまったときに立ち直る切っ掛けになることがあります。

 

落ち込んで自信喪失をしてしまったときにも『わたしにはこれがある!』と思えるようになります。

 

落ち込んでいても特技を続けているうちに自信を回復していくようになります。

 

特技はあるほうが人生でお得になる場面がでてきます。

 

 

でもこの特技って、なかなか身につかないんですよね。

 

 

特技とは一般基準以上に優れている技能になると思いますが、それを持つのって簡単ではないんです。

 

初めて挑戦してできる特技もありますが、基本的には何回も繰り返すことによって習得していくことになります。

 

小さい頃から日常的に継続していて特技と呼べるようなものになったというケースも多いです。

 

 

他の人よりも優れている技能は、一朝一夕では基本的には身につきません。

 

 

特技がない人もたくさんいます。

 

僕も昔から何をやっても不器用で特技と呼べるようなものはありません。

せいぜい人並みかそれ以下です。

 

他の人が一週間かけて習得していくことを二、三週間かけて習得していくというような感じでした。

 

そしてそれを習得したころにはもう他の人は次のステップへ移っている。飲み込みが早い人はそのステップすら終わって次に、って感じでした。

 

不器用だったり飲み込みが遅いとどんどん置いていかれます。

 

周りについていくのにただただ必死で、離されないようにするので精一杯です。

 

『自分にはこういうことが向いているのかも!?』、『こういうことをするのはすごく楽しい!!』という感想を抱く暇もありません。




特技を持つのは難しいことなんですが、残念ながら他人はあなたの特技に目をつけます。

 

 

履歴書や自己紹介を書くときにはほとんど必ずと言っていいほど【趣味・特技】の欄があります。

 

日頃からどんなことをしているのか、どんなことがあなたの中で優れた能力なのかを知りたがります。

 

専門分野にいけばいくほど特技の内容も細かく分類され、それがどの程度のレベルにあるのかを知りたがります。

 

顔、名前、その次に来るのが経歴と特技だと思います。(性別や年齢は見た目でだいたいわかるので。)

 

 

「あなたはどれくらい有能な人間ですか??」と尋ねられるのが特技なんです。

 

 

特技がたくさんある人はいいんですが、特技がない人はこれが困ります。

 

「何も特技はありません!」とは答えられないんですよね。

 

もちろんまったくの無関係の人間に特技を尋ねられたときは「特技はないです。」と答えることができますが、これから関係を築いていくかもしれない人間に「あなたは何ができますか?」と尋ねられて「わたしは何もできません!!」とは答えられません。

 

そんな風に答えた時点であなたとその人間は縁がなかったことになります。

 

そうならないために自分の中の特技を探します。『何が他の人よりできるだろう?』、『自分の中でまだ他の人と比べて劣っているのが少ないものはなんだろう?』と悩みに悩みます。

 

特技が多い人なら悩まずにポンポンといくらでも出てくるのに、特技がない人はやっとの思いでひねり出して一つか二つです。

 

 

自分の中に『これは他の人よりも優れている。普通の人は持っていない特別な能力だ!』というものがないんです。

 

 

他人より優れている自信がないんです。

 

 

特技がないとね、自分は何もできないように思ってしまうんです。

 

特技が多い人は頼りにされる機会が多いし、そのたびに注目されます。

 

他の誰にもできない唯一無二の特技を持っていたら、それで生活費を稼ぐことができるようになるときもあるし、人気者にもなれます。

 

そうやって自分が持っていないものでその人が活躍し、自分は蚊帳の外状態ということが続くと、自分は価値がないんだと思ってしまうようになります。

 

 

特技がないだけで『人間としての価値が他の人よりも下だ。』と勘違いしてしまうことになってしまいます。

 

 

特技ってね、別になかったらなかったでいいんですよ?

 

 

絶対に持っていないといけないものだというわけではありません。

 

それにあなたが気づいていないだけで、特技が一つもないということはないと思います。(それが人に堂々と言える特技だとは限りませんが。)

 

なかにはこんな特技があるのを人に知られたくないという人もいると思います。

 

アピール欄に書けるものだけが特技ではありません。

 

特技があれば有利な場面もたしかにあります。

 

特技を他人から求められることもあります。

 

 

でもね、もう少し軽く考えてみませんか?

 

役に立たない特技でも別にいいし、特技がなくても別にいいんです。

 

不器用な自分もそのまま認めてあげてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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日に日に疲れがたまっていく。ゆっくり休めないし回復が追いつかない。

皆さんは回復が追いつかずに日に日に疲れがたまっていく状態を体験したことはありますか?

 

本当はしっかり休んだら回復するんだろうけど、その休むことさえできない状況になったことはありませんか?

 

オーバーワークが積み重なり、十分な休みも確保できない状況で日常を過ごしてはいませんか?




休むことってすごく大切なんですよね。

 

人間ってしっかりと休まないと、最高のパフォーマンスを発揮できないようになっています。

 

疲れがたまればたまるほど人間のパフォーマンスは低下します。

 

これは身体だけではなく頭の回転や反応も鈍くなります。

 

 

元気に日常生活をするためにも休息は大事なんです。

 

 

でも、実際はなかなか休息が追いつかないこともあるんですよね。

 

やらないといけないことがたくさんあったり、休んでしまったら大変なことになることもあります。

 

忙しい日常に追われながらの小休憩というカタチでしか休むことができない人もいます。

 

時間も質もたっぷりの休息なんてとれないことも多いんですね。

 

もちろんその場合は疲労やストレスは積み重なります。

 

 

楽しいから休むことも忘れてしまっていたという場合は別ですが、やらないといけないことに追われて休めないときは精神力を削っていきます。

 

 

寝る前に『今日も疲れた。やっと寝れる。明日は〇時には起きないといけないのか。嫌だなー。』と思いながら眠りにつきます。寝つきも浅く、疲れもあまりとれません。

 

朝起きたときに頭が覚醒するまで時間がかかり、目をあけてからボーッとします。気だるくて『始まってしまったか。』という思いです。布団から出るのがすごく億劫です。

 

何をやるにしても通常の何倍もの気力を使うし、体力も確実に減っていきます。

 

『絶好調だ!!』という日がほとんどなくなり、行動するまでが重りをかついでいるように遅くなります。

 

その感覚が日に日に強くなっていきます。

 

 

生きていくだけで疲れてしまうんです。

 

 

自分の日常を守るために生活をするだけで、いっぱいいっぱいになり弱っていきます。

 

開放感を感じることがほとんどなくなり、どんよりとした気分になることが増えていきます。

 

人はどれだけ忙しくてもそこに充実感があれば心は安定しますが、楽しみが少なく疲れがたまるだけの日々は心を削りとり不安定にしていきます。

 

余裕のなさからイライラもしやすくなり、不愉快に思うことも増えていきます。

 

 

がんばって人生を生きているのに、苦しくてしんどい状態が続きます。

 

 

生きていくために消耗戦を強いられてしまいます。




楽しさや喜びを感じにくい生活っていうのは、はっきり言ってつまらないです。

 

ただの惰性だけで生活しているだけで、心をおどらせる刺激がありません。そのくせ悲しい刺激やつらい刺激というのは定期的に襲ってきます。

 

疲れやストレスがたまっているところに追い打ちをかけてきます。

 

ただでさえ苦しいのに、さらなる負荷を与えてきます。

 

これが続くと、生きていくことは試練になってしまいます。

 

 

そうならないためには十分な休息をとることが必要です。

 

 

そのためには休むことの重要性をもう一度確認しておく必要があります。

 

人間って余裕がないときほど休むことをしません。

 

休むことの重要性を忘れて邪魔な時間ととらえてしまいます。

 

まずはその意識改革からです。

 

 

余裕がないときほど休まないといけないんです。

 

 

これがすごく難しいです。

 

比較的楽な生活をしているときには簡単に休んだり、必要以上に多くの休息をとってしまうこともあるんですが、本当に休みが必要な状況になるとなかなか休む選択ができません。

 

休むことの優先順位は忙しさに比例して落ちていきます。

 

 

忙しすぎると『休んでいる暇なんかない!!』になってしまいます。

 

 

あまりにもやることが多いと、そのやらないといけないことばかりに目がいってしまい、自分のことがおろそかになってしまいます。

 

やらなければいけないことばかりに神経をそそぎ、自分が疲れているという感覚が弱くなっていきます。いつも無理をすることがベースの生活となっていきます。

 

そして疲れを感じるようになったときにはもうヘトヘトなんです。自分で思っている以上に疲れています。

 

それでもすぐに休むということをしません。

 

『最近なんか特にしんどいなー。』と思っても、気合を入れて無理を続けます。

 

 

休みがとれなくて疲れがたまっているときは、精神にゆとりを持たせてあげることが大事になります。

 

 

身体の方は規則正しい生活、栄養バランスのとれた食事、適度な運動、質の高い睡眠である程度カバーできますが、心の方はここまで追い込まれてくるとそれだけでは全然カバーできません。

 

気を張りつめている状態をいかに少なくできるかがカギになります。

 

追い込まれてずっと無理をしている心に許しを与えてあげることが大切です。

 

 

誰でもやることが多くて時間がないときは焦ります。

 

 

時間内に終わらせようと思ったら気合を入れて全力でするという方法も確かにあります。

 

でもそればかりだと心と身体の消耗が激しいんです。

 

それに慣れるまでに時間がかかりますし、仮に慣れたところでいつ限界を迎えるかわからない状態です。

 

回復が追いつかずに日に日に疲れがたまっていくときは、オーバーワークや精神的な負担が大きいときです。

 

忙しいときほど心に許しを与えてあげましょう。

 

その方がうまくいく可能性が高いですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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友だちが一人もいない。友だちが欲しいけど作れない。どうすればいい?

皆さんは友だちとよべる人たちはいますか?

友だちは多い方でしょうか?少ない方でしょうか?

 

それとも・・・

 

友だちが一人もいないでしょうか?




友だちが一人もいないって人も多いんですよね。

 

友だちがいない人はまず『この関係を友だちと呼んでいいんだろうか?』と悩みます。

 

友だちという関係の理想像が高く、『このくらいのことでは友だちとは言えないな。』と思ってしまうことも少なくありません。

 

相手からは友だちだと思われているのに、自分の方は『これくらいでは友だちではない。友だちって言葉を使っちゃいけない!』という人もたくさんいます。

 

僕も交友関係は割と広いのですが、友だちと呼べる人って何人いるかと言われたら・・・

 

 

友だちって作れる人は当たり前のように作れますが、反対に作れない人はなかなか作れません。

 

 

生まれてから友だちが一人もいないという人もいます。

 

友だちって『ほしいなー。』と思っても簡単にはできないんですよね。

 

一人ではできないことだから。

 

友だちを作るには友だちになりたい相手が必要になります。

 

そしてその相手が信用できる人なのが前提になります。

 

 

人間は自分が全然信用できない相手とは友だちになることはできません。

 

 

いつ裏切るかもしれないような人間とは友だちにはなれないんです。

 

そしてその相手からもある程度の好意を持たれていないと友人関係にはなれません。

 

相手からも友好的にみられて初めて友だちという関係になれます。

 

相手から嫌われていたり、敵対視されていたら友だちにはなれないんです。

(かりそめの友だちという怖い関係にはなれますけどね。)

 

 

大人になればなるほど、友だちを作るのは難しくなります。




それは友だちになるには理由がいるからです。

 

なにか理由がないと友だち認定をしないんです。

 

相手に対して遠慮をして本音を見せないので、距離感が縮まるのにも時間がかかります。

 

共通の趣味などで知り合えたら別ですが、通常は友だち関係になるのに子どものころよりも時間がかかります。

 

 

大人になると友だちってすごく敷居が高い存在になります。

 

 

子どものころは家が近いから友だちになれたのに、大人になると家が近いだけでは友だちにはなれません。

 

子どものころは教室の席が近くだから友だちになれたのに、大人になると隣の席だけでは友だちになれません。

 

子どものころは用事もないのに相手に会いに行けたのに、大人になると相手に会いに行くのにも理由がいります。

 

子どものころはほんの少しのきっかけだけで友だちになれたのに、大人になるとほんの少しのきっかけでは友だちにはなれません。

 

 

大人になると、子どものころのように純真無垢ではいられなくなります。

 

 

「よしっ!今から友だちな!!」とまだあまり知らない人に言われて『やったー!今からこの人と友だちになれるんだー!』と喜ぶ人はほとんどいません。

 

普通は『何を言ってるんだこの人?』、『なにが狙いなんだ?』、『なれなれしいな。』、『胡散臭い。信用ならない人間。』といった具合に、相手に対して強い警戒心が出てきます。

 

子どものころのように無防備とはいかないんです。

 

 

大人になれば友だちを作る難易度は一気に上がります。

 

 

お互いに警戒心を持つようになるからです。

 

本音を隠し、上辺だけの付き合いになりがちになるからです。

 

相手も自分も心の壁が高くなっています。

 

社交的な人でも広く浅くは付き合えるけど、広く深く付き合うことは難しいです。

 

大人になれば子どものころよりも本音と建前のずれが大きくなります。

社交辞令も増え、相手の気持ちを判断するのは難しくなります。

 

建前や社交辞令をそのまま真に受けて、あとで痛い目にあうことも少なくありません。

 

友だちを作るためには相手がどういう人間か見極める技術が必要になってきます。

 

 

別に友だちがいなくてもいいんですよ?

 

 

だってこんなに友だちを作るのは難しいんですから。

 

 

子どものころに親や先生から「友だちをたくさん作りなさい。」と言われてきたと思いますが、友だちって作ろうと思って作るものでもありません。

 

意気投合して一緒にいると楽しいとか、一緒にいると気が楽で素の自分でいられるという人ができたのなら友だちになればいいですが、友だちがいないからといって、なってくれる人を探すようなものではありません。

 

世の中には友だちが一人もいなくても、充実した人生を送っている人がたくさんいます。

 

 

友だちがいないからといってあなたに問題があるというわけではありません。

 

 

自然に任せてみませんか?

 

友だちがいないと肩身が狭いように感じるかもしれませんが、無理をして友だちを作ろうとするよりも気楽にいきませんか?

 

友だちがいない人なんか、世の中にたくさんいます。

 

友だちは無理をして作るようなものではないと思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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皆さんは自分の心が『すごく弱ってしまったなー。』と感じてしまうようなときはありませんか?

 

もっと自分を強く持とうとしても無理で、なにかにすがりつきたくなってしまうことってありませんか?

 

これって心が疲れてしまって弱りきっているんですね。




心が強い状態、または普通の状態ならば自立して立てるのですが、それすらもできないほど、なにかにすがりついていないと立っていられないほど弱ってしまっているんです。

 

自分の力だけでは立っていることもままならないから、他の力も使うんです。

 

それが他人であったり物です。

 

 

他人の場合はもちろん人ですよね。

 

自分一人で立っているのがつらくなったから、もたれかかれる人を探すんです。

 

弱った自分を支えてくれる人を探します。

 

もしくは自分よりもさらに弱っている人を探し、『この人を支えるために生きているんだ!』と自分に意味を持たせます。

 

 

それ以外にも宗教や心理系のサイトなどがあります。

 

弱ってしまった心に力を与えてくれるような【許し】を探します。

 

心の拠りどころとなる考えを探します。

 

特に宗教などは、のめりこんでしまう人は抜け出せないくらいのめりこんでしまいます。

 

それで人生が狂ってしまう人もいるほどです。

 

 

元気な心の人からしたら『どうしてそんなものに手を出すんだ。危ういってことがわからないのか?』です。

 

 

そう。心が弱っているときって危ういんです。

 

 

恋愛ではよく「相手の失恋直後を狙え!」って言われてますよね。

 

誰かに依存したくもなるし、誰かに依存してもらいたくなります。

 

人をすぐに信用する(というよりも疑う力が弱くなる)し、簡単にだまされるようになります。

 

自分の判断に自信が持てなくなり、他人の思考に染められやすくなります。

 

確たる自分が小さくなり、外部の影響を大きく受けるようになります。

 

 

よく幸運を呼ぶ○○とかって売ってますよね。

 

 

あれって『誰がこんなの買うんだろう?』って思ったことはありませんか?

 

『ただの○○に幸運を呼ぶ力なんてないだろう。』、『え?1000円?たったの1000円でなれるような安っぽい幸運なんていらない。』、『100万円?100万円もする○○なんて高すぎる。もったいない。』といった具合に思ったことはありませんか?

 

ようするに胡散臭いんですよね。

 

それを買ったところで幸運が舞い込んでくるなんて、あなたは思っていないんです。

 

だって怪しすぎます。




でもそれを買ってしまう人もいます。

 

真剣に『幸運をもたらしてくれるんだ!』と思って買う人がいます。

 

『少しでも今の状態が改善すれば!』と藁にもすがる思いで買う人がいます。

 

『試しに持っとくか。』と気休めに買う人がいます。

 

そしてその幸運を呼ぶ○○を手にしたときに、幸運なことがあったとします。

 

するとあなたは『これは本物だ!!』と思うようになります。

 

もちろん一度や二度の小さな幸運や、ほんの些細な幸運ではそうなりませんが、一定以上の大きな幸運がやってきたときは幸運を呼ぶ○○の存在を信じるようになります。

 

その幸運が続けばあなたはその幸運を呼ぶ○○の信者です。

 

誰よりもその幸運を呼ぶ○○の存在を信じ、あがめたてまつります。

 

 

なにか幸運なことが起こると、すべて幸運を呼ぶ○○のおかげだとなります。

 

 

あなた自身の行動や努力の結果ではありません。

 

周りの環境の変化の結果でもありません。

 

ただの運や偶然でもありません。

 

すべて幸運を呼ぶ○○の力です。

 

心が弱っているときほどこのことに何の疑いもなく思い込みます。

 

 

自分ではない何かのおかげにしてしまいます。

 

 

普通の状態でも占いや風水、お守りなどを信じる人は大勢いますが、その信じる範囲が心が弱くなってくると拡大していきます。

 

一般の人が『怪しいんじゃないか?』と思ってしまうようなものにまで手を出し、そして一度信用するとなかなか離れられなくなります。

 

 

でもそれをしないと生きていけないんですね。

 

 

心が弱ってしまって何かを頼りにしないと苦しすぎるんです。

 

心の拠りどころを探さないとつらすぎるんです。

 

 

皆さんも元気なときはこのブログを見たことなかったですよね?

 

【心が弱っても】にたどり着いたとしても、変なページに来たと思いすぐに閉じていましたよね?

 

仮に少し読んでみても『なんだこれ?胡散臭い。気持ち悪い。』と敬遠していましたよね?

 

流し読みで内容なんてほとんど入ってきませんでしたよね?

 

 

今はどうですか?

 

 

もし今、あなたがこのブログをしっかりと読まれているのなら、それだけ心が疲れてきているということです。

 

嫌悪感のある内容に共感できるようになっていたのなら、それだけ苦しい状態にいるということです。

 

心が弱ったときはね、なにかにすがりついてもいいと思います。僕もそうやってここまで生きてこられました。

 

ですが深く依存してしまうと大変なことになるかもしれません。

 

何事もほどほどを心掛けていてくださいね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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