頑張らない生き方はどうすればいい?生き方がわからなくなった時は?

皆さんは毎日をがんばって生きていますか?

それともがんばることはせずにのびのびと生きていますか?

 

人生にはこの二つの生き方があります。

 

どちらかが正しくてどちらかが間違っているというわけではありません。

 

 

どちらの生き方を選ぶかです。




がんばる生き方を選ぶと一定の緊張状態が続きます。

 

『やらないといけない!』と思っていることが多く、常に何かに追われている感覚です。

疲れがたまりやすい状態にあり、オンオフをはっきりさせてメリハリをつけないと精神を削っていきます。

 

がんばる生き方は限度を知らないと心が疲れ切ってしまうときがあります。

 

 

心が疲れた人にはよく【がんばりすぎないようにしましょう】という言葉が使われます。

 

 

これまでにがんばりすぎてしまい、精神を削りすぎてしまったからです。

 

疲れたらまずは回復することが必要になります。

 

そのための一番の方法が気を楽にして穏やかに生きることなんです。

 

心の疲れが激しい人には、がんばらない生き方が求められます。

 

でもこれが難しいんですよね。

 

 

今までがんばって生きるを選択してきた人たちだから。

 

 

がんばらないで生きていく方法を知らないんです。

 

 

頭では『無理をしないようにしよう。』、『がんばらないようにしよう。』とわかっているんですが、実際の行動ではそれができないんです。

 

『無理をしないようにしよう。』と思っていても、その時点で色々と無理をしていることが多いです。

 

『がんばらないようにしよう。』と考えていても、かなりがんばっていることが多いです。

 

がんばらないで生きようとしても『本当にこれでいいのか!?』という戸惑いと不安がつのります。

 

ある程度の元気が残っていると、がんばらない生き方は居心地が悪く感じてしまうんです。

 

 

普段からがんばって生きている人は、がんばらないで生きることを悪いことのように根本的に考えています。

 

 

でもね、これが根本的な間違いなんですよ?

 

がんばらないで生きることは悪いことではありません。

 

がんばらないで生きることイコール怠惰ではありません。

 

 

がんばらないで生きるということは、ありのままの自分を受け入れて生きるということです。

 

 

自分に過剰な期待なんかせずに、自分の実力をはっきりと自覚しています。

 

できることとできないことの分別がしっかりしています。

 

自分のことをしっかりと把握し、身の丈に合った生活をすることです。

 

何が起こったとしたても『それが自分なんだ。』と認める覚悟が必要になります。

 

この自分をしっかり把握して、ありのままの自分を受け入れることは心にとって一番のやすらぎを与えるんです。




がんばって生きる生き方は、極端に言うと現在の自分を受け入れない生き方です。

 

 

現状に満足することをよしとせず、ありのままの自分よりも一歩進んだ自分を求める生き方になります。

 

前に進む自分こそ、理想を追い求める自分こそが正しいと信じ、それをしないと自分のことがどんどん嫌いになっていきます。

 

 

心が疲れすぎてしまうとね、目に見えて弱くなるんです。

 

 

ちょっとしたことですごくショックを受けたり、普段なら動じないことでも心が激しく揺さぶられます。

 

すぐに切り替えることができずに長い期間引きずり続けます。

 

身体にもあちこちに不調が出てきます。

 

以前の自分(心が疲れていない自分)よりもあきらかに弱くなっていると実感します。

 

 

以前の自分にさえ満足せずに上を求めていたあなたが、以前の自分よりもはるかに弱くなってしまったちっぽけな自分を認めることができますか?

 

 

心が疲れてしまったときにがんばらない生き方をするということは、これらすべての自分を受け入れるということです。

 

 

普段からがんばりすぎの傾向があったから心が疲れてしまったのに、それよりも弱くなってしまった何もできない自分のことを認めないといけません。

 

そんな自分を認めてがんばらずに穏やかになるのってすごく大変なんですよね。

 

なにもできない悔しさが襲ってきます。

 

未来に対する怖さが襲ってきます。

 

 

がんばっていないと不安で仕方なくなるんです。

 

 

それを乗り越えないとがんばらない生き方にはたどり着けません。

 

がんばらない生き方というのは簡単ではないんですね。

 

今までがんばって生きてきた人ほどがんばらないことへの抵抗が強いです。

 

 

ありのままの自分を認めて自然体で生きるという生き方を選んでこなかったので、どうすればいいのかわかりません。

 

 

それを心が疲れた状態で求められます。

 

 

ものすごく難しいですよね。

 

疲れているのに生き方の変革まで求められるんです。

 

人間ね、そんなに簡単には変われないんです。

 

決意して明日から変われるというような単純なものではないんです。

 

変わるためにはすごく力がいるんです。

 

疲れているときにそんな力なんてなかなか出せません。

 

 

がんばらないようにしようとがんばりすぎるのをやめましょう。

 

 

がんばらない生き方をしようとがんばりすぎては元も子もありません。

 

焦らずに少しずついきましょう。

 

まずはがんばらない生き方を目指してがんばりすぎるのをやめることから始めてみませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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誰かに必要とされる人間になりたい。自分の存在価値がほしい。

皆さんは『誰かに必要とされる人間になりたい!』と思ったことはありますか?

 

人の役に立つ人間になって認めてもらいたいと考えたことはありますか?

 

存在価値と存在意義を示してほしいと願ったことはありませんか?




人間ってね、誰かに必要とされていたいんですよね。

 

 

誰かに必要とされると『自分はここにいてもいいんだ。』と安心するんです。

 

反対に誰からも必要とされていないと感じていると、ここに自分がいる意味を見出せないんですね。

 

安心して生きていけないんです。

 

誰からも必要とされないことは寂しいことだし、なによりすごく怖いことでもあるんです。

 

誰かから必要とされたいし、誰かに認めてもらいたいんです。

 

 

このことを承認欲求と言います。

 

 

承認欲求は誰でも少なからず持っています。

 

今までに『認められた!』と思うような体験が少ない人ほど、『誰かに認められたい!!』という欲求は強いです。

 

否定され続けて生きてきた人ほど、内心では大きな承認欲求を抱えています。

 

そのための一番簡単な方法が・・・

 

 

役に立つ人間なんです。

 

 

誰だって役に立つ人間と役に立たない人間なら、役に立つ人間を選びます。

 

自分に安心を与えてくれる人間と自分に危害を与えてくる人間なら、自分に安心を与えてくれる人間を選びます。

 

選択できることではみんな平等というようにはなりません。

 

しっかりと取捨選択をされます。

 

役に立てば立つほど人から選ばれる可能性が高まります。

 

自分が選ばれるということは、他の人よりもあなたのことを優先させてくれたことになります。

 

 

それはつまり自分のことが認められたということです。




でもね、ここまでいくのが難しいんです。

 

他の人よりも優れていないと選ばれないんです。

 

でも簡単には他の人よりも優れているところを作れないんですよね。

 

それ相応の努力が必要になるし、場合によってはかなり無理をしないといけないときもあります。

 

そこですごく無理をしてしまう人たちがいます。

 

自分の限界近くまでがんばってしまう人たちがいます。

 

限界を超えても無理をすることをやめない人たちがいます。

 

そして最悪なことに、いくら優れていても認めてもらえないときもあります。

 

 

役に立つことと認めてもらえることはイコールではないんです。

 

 

全然何の役に立たない人でも、認められている人はたくさんいます。

 

周りに迷惑ばかりかけて困らせている人でも、認められている人はたくさんいます。

 

相手にとってはその人は特別な人で、存在するだけで価値があるんです。

 

役に立っても役に立たなくても関係ないんです。

 

代わりのきかないたった一人だけの特別で大切な人なんです。

 

 

そういう相手が一人もいないのと、たった一人でもいてくれるのでは精神的な安心感が全然違ってきます。

 

 

心が疲労してきたときほど人間はなにか心の支えになるものをさがします。

 

その一つが誰かから必要とされている安心感です。

 

自分は存在していていいという証明です。

 

誰からも必要とされていないと感じると『自分はなんのために生きているんだ?』と思うようになってしまいます。

 

心が疲れているときは生きている理由を見つけないと、引きずられそうになってしまいます。

 

ただただ漫然と生きていくことが不安なんです。

 

 

誰からも認められていないと感じると、世界から拒絶されているような気持ちになるんです。

 

 

誰かから必要とされたいし、愛されたいんです。

 

 

人間ね、元気なときは生きる意味なんて小難しいことはあまり考えないのに、弱ってくると意識をするようになるんです。

 

それを得ることでまた戦える元気をもらえると思うようになります。

 

だから弱っているときほど支えてくれる他人を求めます。

 

また一人で立ち続けることができるよう一時的でも支えてくれる相手を求めます。

 

 

でもね、あなたの価値はそんなものじゃないんですよ?

 

 

何もできなくても価値があるんです。

 

そこに存在しているだけで価値があるんです。

 

社会から切り離されていても価値があるんです。

 

あなたの価値は役に立つ、役に立たないで揺らぐようなちっぽけなものではありません。

 

 

自分の価値を他人にゆだねすぎてしまってはいませんか?

 

 

自分自身のことなんです。

 

もっと自分の独断と偏見で価値を決めたらいいと思います。

 

あなたは自分のことを少し、なめすぎているのではありませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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負けたくないから頑張って。それでも結果が出ない。どうにもならない。

皆さんはどうしても負けたくなくて、結果にこだわったことはありますか?

 

これだけは譲ることなんてできなくて、譲らないためにも一生懸命がんばったことはありますか?

 

それでもどうにもならなかったことってありませんか?




いくらがんばってもどうにもならないことって世界にはあるんですよね。

 

がんばればすべてが報われるような甘い世界ではありません。

 

がんばった量と結果が比例しないことはよくあります。

 

がんばればがんばるほど、結果との差が大きくなってしまってしんどくなってしまうことがあります。

 

それでがんばることをやめられたらいいのですが、なかなかそうはいかないんですよね。

 

 

簡単には納得できません。

 

 

そんな簡単にあきらめてしまえるようなことなら、そもそもそこまでがんばっていません。

 

どうにもならない結果さえなんとかしたくてがんばっているんです。

 

 

自分のできる範囲で徹底的に無理をします。

 

 

疲れがたまろうが、精神的に苦しかろうが、結果だけを追い求めて無理をし続けます。

 

途中で挫折してしまいそうなことが何度もあっても、それでも挫折なんかしてあげません。

 

『もう無理だって本当はわかってるだろ?』という心の声が聞こえても、それを叩き潰します。

 

結果を出すためにはそれ以外のことを捨ててでも、それだけをただ追いかけます。

 

 

ボロボロになりながら。

 

 

身体も心もボロボロになりながら、それでも足を止めることをしません。

 

ただわかっていることは『あきらめてはいけない!』ということだけ。

 

何度も何度も心を奮い立たせて、あきらめずに突き進むことを命令します。

 

『もう無理だ。』という言葉に支配されそうになったときほど、がんばらないといけない理由を思い出します。

 

あきらめてもいい理由が100個あったとしても、あきらめてはいけない1個の理由を重要視します。

 

 

それだけ譲れないんです。




そこまで譲れないのなら最早結果を出すことが一番の近道かもしれませんが、それでも結果は出ないんですね。

 

結果を出すまで決してやめないあなたと、それでも結果を出してくれない現実との戦いです。

 

 

あなたVS現実世界の厳しさです。

 

 

これが現実世界ではなく、将来を想像した夢や妄想の場合ならあなたに都合のいい結果になって勝てるんですが、現実はそんなに甘くないんですよね。

 

いくら努力して、無理をしてがんばっても、そんなことぐらいでは現実に太刀打ちできないときがあります。

 

努力することに疲れが出てきて、がんばることも限界になってきても、それでも現実は微動だにしないときはあります。

 

無理をしてでもなんとかしないといけないのに、無理をしてもどうにもならないことはあります。

 

 

それでも負けてなんてやりません。

 

 

現実にあらがい続けます。

 

勝ち目のない戦いを負けないためにも続けていきます。

 

自分が負けを認めない限り負けることはありません。

 

だからどれだけ疲れていても負けを認めません。

 

どれだけ勝つ可能性は低くてもそれを受け入れてしまったらほんとに終わってしまうから、その最後の砦だけは死守します。

 

 

負けを受け入れられないことって残酷なことなんですよね。

 

 

負けを受け入れることができていたらこんなにもボロボロになっていないのに、それができなかったためにあなたは傷だらけです。

 

譲れないことって、自分がボロボロになったからといって譲れるようなものではないんですよね。

 

譲ってしまうことよりもボロボロになることを選んでしまいます。

 

身体も心もボロボロになってでも、それでも認められないものがあるんです。

 

 

そしてその状態が続くと限界がやってきます。

 

 

どうにもならない現実には勝てません。

 

戦いの時間を延長することしかできません。

 

その間も体力と精神力はどんどん消耗していき、最後には底をつきます。

 

どうにもならないほどの現実を打ち破れるのは、よっぽど運が味方したときだけなんです。

 

自分の力ではもうどうすることもできないのが、どうにもならない現実なんですから。

あなたの範疇を超えた何かが働かないと、どうにもならない現実には勝つことはできません。

 

 

それでもあなたは戦いをやめないんですよね。

 

 

「そんな現実なんてクソくらえ!」とずっと立ち向かっていきます。

 

戦い続けるのってしんどいですよね。

 

こんな現実なんか認められないですよね。

 

限界間近でも受け入れることなんてできないですよね。

 

ならせめて、全力を出し続けるのはやめにしてください。

 

あなたが全力だろうが、なにもしていなかろうが結果は変わりません。

 

持久戦に最初から全力でとばしていてもあなたの方が先に力尽きます。

 

もう少しだけペース配分を考えてくださいね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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いいように利用されて。都合のいい女、都合のいい男になった時は?

皆さんは都合のいい女や都合のいい男ってどんなイメージがありますか?

 

相手が少し困っていたりしたらいいように利用されて、それが解決したら放置や偉そうな態度をとられます。

そしてまた相手がピンチになったら、相手はあなたにお願いや命令をしてきます。

 

こんな男女関係になってしまったことはありますか?




これってあなたと相手の性格や態度がかみあったときに起こりやすいです。

 

もちろん悪い方向で、です。

 

 

あなたのタイプが、

 

①相手の言うことに従順すぎるタイプ

②相手が困っていたら助けてあげたいというタイプ

③相手に嫌われたくないという想いが強いタイプ

 

 

相手のタイプが、

 

①人に感謝をすることをしないタイプ

②人に多くのことを求めて満足しないタイプ

③人を利用することに抵抗を感じないタイプ

 

これらのタイプが自分と相手にあてはまってしまったときに、都合のいい女や都合のいい男の関係になってしまいます。

 

 

簡単に言えばあなたが相手を甘やかして相手は調子にのっているんです。

 

 

しかもお互いに度を超えて。

 

 

この状態になるとあなたは負担を感じることが多くなります。

 

相手からの要求は小さいことから大きなことでもなんでもあなたにいくようになります。

 

自分はひな鳥であなたのことをエサを運んできてくれる親鳥のようにとらえています。

 

たしかに最初は無償の愛だったかもしれませんが、相手の要求が大きくなってくるとあなたも無償のままではいられません。

 

 

見返りを求めるようになります。

 

 

最初の頃はコンビニのおにぎりを渡せば満足していた相手が、今ではコンビニおにぎりを渡すと投げ捨てます。

そして『お寿司!!』、『ステーキ!!』とあなたを叩きながら要求してきます。

 

相手が求めてくるものがどんどん大きくなります。

 

それはつまりあなたの負担も大きくなってくるということです。

 

 

雑に扱われてコキ使われて、そのことに対して当然のように思っている他人に不満がでないようにすることはできません。

 

 

『いい加減にしろよ。』、『この前かなりの無理をして要望に応えただろ?』、『なんでそれで満足しないの?』と、相手との認識の違いに疲れがたまります。

 

都合のいい男や女になってしまうと、相手の言動はエスカレートします。




相手の要求には応えるのが当たり前となり感謝もなく、もしその要求に応えなければ相手は不機嫌になり激怒します。

 

 

こちらからの要望に応えてくれることも少なくなり、少しでも大きなことをお願いすると『こいつはなにを調子にのっているんだ!?立場がわかっているのか!?』となります。

 

こちらの要望をかなえてくれることもありますが、そのときは相手はすごいことをしたかのように恩を売ってきます。

 

こちらはそれ以上のことを何度もしているのにそのことはどこかへ行ってしまって、自分だけが『特別にすごいことをしてやったんだ!!』という感じが見てとれます。

 

あなたがわたしの言うことを聞いてくれることは相手は当然だと思っていますし、わたしがあなたの言うことを聞いてあげることはわざわざしてあげたことなんです。

 

対等な存在ではないんですね。

 

 

それが都合のいい存在なんです。

 

 

都合のいい存在になってしまったのはね、あなたが相手のために無理をしすぎてしまったからです。

 

 

相手のことがすごく好きだったからです。

 

相手が残念がるところを見たくなくてがんばってきたからです。

 

相手に嫌われてしまうことが怖かったからです。

 

相手の望みを叶えようと必死だったからです。

 

 

相手の望みはね、叶え続けてはダメなんです。

 

 

たまには断らないといけないんです。

 

文句も言わずに従順になっていてはダメなんです。

 

相手から謝罪があったときに簡単に許してはいけないんです。

 

あなたはそんなに安くない人間だと相手に知らしめる必要があるんです。

 

 

都合のいい存在として扱っていいような人間ではないことを、相手に教えておく必要があったんです。

 

 

一度できあがってしまった人間関係を壊して修正するのは、最初から人間関係を構築していくことよりも難しいです。

 

印象が固定されてしまっているし、お互いの関わり方ももう決まってしまっているからです。

 

相手によっぽど印象に残るようなことがない限り、あなたはいつまでたっても都合のいい人間です。

 

 

少しだけ抵抗する努力をしてみませんか?

 

 

今でも抵抗しているという人でもまだ抵抗が足りません。相手はあなたなら大丈夫となめられています。

 

まったく反発をしてこなかった人は抵抗すること自体が大変ですが、今よりもほんの少しだけ抵抗してみてください。

 

従順すぎると相手はあなたの価値を見誤ってしまいます。

 

あなたの価値はそんなにも安くないことを教えてみてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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心の傷を治療するには?完全には治らない?死ぬまで忘れられない?

皆さんはなにか心に傷を抱えていますか?

 

心に傷のないまま人生を過ごせたらいいのですが、心に大きな傷をつけて生きている人もたくさんいるんですよね。

 

心の傷って完全にはなかなか治らないものなんです。




心の傷って簡単に言うと【心が正常な状態ではいられないほどのショックな出来事をあなたが受けた】ということです。

 

心の容量よりもはるかにひどい刺激を受けて、ダメージを負ってしまった状態です。

 

震えるほどの恐怖や頭が機能しなくなってしまうほどの強い衝撃を体験してしまったんです。

 

 

心の傷ってすごくつらいんです。すごく苦しいです。

 

 

身体の傷の方にはある程度の耐性があっても、心には耐性をつける機会が少ない人もいます。

 

耐性がある程度ついていたとしても、耐性のついた心さえボロボロにしてしまうのが心の傷です。

 

実際に肉体的な骨折や裂傷などの痛みよりもきついと表現される人も多いです。

 

心の傷と闘っている人ほど「こんなにきついとは思わなかった。」と言いますし、心の傷を体験したことがない人ほど「弱い人間だな。自分は乗り越えてきた!」と言います。

 

本当に心が壊れそうなくらいのことを体験した人と、そこまでの体験をしたことがない人とでは認識が全然違っています。

 

 

身体の傷は目に見えるのでわかりやすいですが、心の傷は目には見えません。

 

 

他人はもちろん、自分自身にも傷の大きさがわからないときがあります。

 

 

そんなに大きな傷ではないと思っていても、自分が予想していた以上に傷ついていたこともあります。

 

ほんのかすり傷だと思っていたことが、中心深くまで傷ついていたということもあります。

 

自分でも気づかないうちに、いつの間にか傷ができていたということもあります。

 

 

心の傷の大きさと深さを正確に把握することは誰にもできません。

 

 

心の傷の大きさを読み違える人は多いです。

 

自分が思っているよりも心の傷が深ければ被害妄想が強い人間と思ってしまうし、自分が思っているよりも心の傷が小さければ大げさな人間になってしまいます。

 

でもそれは誰にもわかりません。

 

あなたの認識次第です。

 

 

心の傷ってなかなか受け入れられないんですよね。




心に傷ができるほどの衝撃を受け入れて進むことって難しいです。

 

 

あなたが苦しくても闘っているのはその心の傷なんですから。

 

『もしあんなことがなければ・・・』と考えずにはいられません。

 

あのときあの場面で心に傷を負わなければ、自分はもっと楽な生き方ができたんです。

 

困難に直面する回数も少なくなります。

 

他の人と同じような生活ができていたんです。

 

リセットボタンがあるのなら、何度だって押して心の傷を回避した人生を進みたいです。

 

 

心の傷の怖いところは、なにかのきっかけで閉じていた傷口が開くんです。

 

 

しばらくはおさまっていたと思っていても、急に震えが止まらなくなることがあります。

 

世界が怖くて怖くて仕方がないような状態になってしまうことがあります。

 

あのときの状況が鮮明に脳内で再現されます。

 

視覚だけでなく、聴覚、嗅覚、触覚、そのときの自分の気持ちまで再現してしまうことすらあります。

 

こういったことが『また起こるかも。』と思うと心臓の鼓動がドラムを打ち、自分で自分を制御できないほどパニックを起こしてしまいます。

 

いつ爆発するかわからない爆弾です。

 

 

しかも爆発してなくなってくれるわけではなく、爆発してもまだ残っている爆弾です。使い捨てではありません。

 

 

いつまた爆発するかわからない恐怖が離れてくれません。

 

 

不安と共に歩んでいく人生になります。

 

こういった事態にならないようになんとか克服しようと努力していきます。

 

爆弾が爆発しないように生きていけるすべを必死でさがしていきます。

 

そうじゃないと日常生活に支障が出ることがあるからです。

 

でもね・・・

 

 

心の傷の完全な修復はほとんど不可能なんです。

 

 

つまり生きている限りは不安と闘い続ける人生になります。

 

がんばることを余儀なくされる人生です。

 

死ぬまで覚えていて、いつ再発するか恐れる人生です。

 

他の人とは違い、爆弾と共に生活していく人生になります。

 

 

ときにはすごく怖くて取り乱してしまうこともあります。

 

ときには『どうして一度きりの人生なのにこんな目に。』と、理不尽さに押し潰されてしまうこともあります。

 

『こんなの嫌だ。』と頭がおかしくなるほど嘆くこともあります。

 

はっきり言って、心の傷ってなくてもいいものです。

 

ない方が楽しい生活ができます。

 

でもね、そんな心の傷と生きているあなたは、きっと誰よりも自分の人生と向き合って生きていると思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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満たされていない自分。恵まれていることに気づくと幸せになれる。

皆さんは自分が満たされていると思いますか?

 

それとも満たされるには量も質も不十分で、全然満たされないと思っていますか?

 

満たされることって意外と難しいんですよね。




日々の生活に幸せを感じることが多いのなら満たされていることに気づけますが、幸せをほとんど感じないときは満たされているとは思えないんですよね。

 

どうしてこんなにも自分はひどい環境にいるんだと感じてしまいます。

 

 

もっと幸せがほしいと望めば、今の自分は満たされていないことになってしまいます。

 

 

最近では親ガチャ失敗なんて言葉もよく聞くようになりましたが、親は十分に子どもにしていることも多いです。

 

大学生で「親がケチで仕送りをほとんどくれない!親ガチャ失敗だ!」とわめいている人でも実際には仕送り10万円なんてこともよくあります。

 

仕送りに10万円って皆さんはどう思いますか?

 

僕は十分な金額だと思うんですよね。実際に僕は大学生時代に仕送りを10万円もらったことはありませんし。アルバイトをして生活費を稼いでいました。

 

月に10万円仕送りがある人は僕は恵まれた人だと思います。

 

でもその10万円の仕送りをもらっている人が、自分のことを恵まれていると感じているかは別問題です。

 

「仕送りが少ないせいで惨めな生活をしないといけない!」、「ほしいものが買えない!」と、親ガチャに失敗したと落胆します。

 

 

でも本当に親ガチャに失敗した人ってそんなものじゃないんですよね。

 

 

子どもに暴力や暴言なんて当たり前。

 

反抗したらさらに痛めつけられる。

 

育児放棄をされて親子じゃなく邪魔ものとしてみられている。

 

子どもに何があろうがまったく無関心で興味もない。

 

子どもが死んでも子どものことを想って涙しない、泣くときはこれから罰を受けるであろう自分を想像して泣きます。かわいそうなのは死んでしまった子どもではなく、子どもが死んでしまったがために罰を受けるかわいそうなわたしです。

 

 

こういった親に当たってしまったときは「親ガチャに失敗した。」と言えると思います。




でもこういう子どもたちって親ガチャに失敗したとはなかなか言いません。

 

言えるような余裕もないんです。

 

そんなことを考える暇もありません。

 

ある程度の余裕がないと人間、嘆くことすらできないんです。

 

 

足りないことを嘆くのはいつも満たされている側の人たちなんです。

 

 

空腹時を想像してみてください。

 

昼ご飯を食べる時間が一時間遅くなったとき、「腹減ったー。」と言うことができます。

 

では一週間何も食べていないときはどうでしょう?

 

「腹減ったー。」と言うことができますかね?

 

・・・

言えないですよね。

 

衰弱して限界を超えているときに「腹減ったー。」なんて余計な言葉を言えるわけがありません。

 

そんな言葉を言う体力すらもったいないし、仮に目の前に食事があったのなら思考や理性なんて消し飛びます。

 

 

満たされていないと感じることができるのは、実際には少しでも余裕がある人です。

 

 

本当に追いつめられているときは、満たされているかどうかなんてどうでもいいんです。

 

 

そんなことを考えるよりも他にしないといけないことで精一杯なんです。

 

考えている余裕なんかないし、考えられる状況でもないんです。

 

自分のことを満たされていないと感じて嘆くことができる人は、ある程度の裕福さがある人です。

 

考えることができるのは、まだ考えることができる余裕があるからです。

 

そこを超えると思考停止します。

 

無というより混沌でわけがわからない状態になります。

 

 

満たされないと感じているときは、まだ最悪までいっていない状態です。

 

 

実際にはある程度は満たされている状態のときに、満たされていないと感じます。

 

 

少しだけ満たされてその味を知っているから、もっともっと欲しいと思ってしまうんです。

 

こんなものじゃまだまだ足りないんです。

 

これくらいなんかじゃわたしの欲望を満足させてくれないんです。

 

 

要するに中途半端なんですね。

 

自分がすごく幸せだと思えるほど満たされているわけじゃないし、もっと欲しいとも思えなくなってしまうような極限状態でもないんです。

 

中途半端に満たされているからそのことに気づかなくて『もっと満たされたい!』と思ってしまうんです。

 

 

恵まれている部分にも気づいてあげましょう?

 

 

ないところばかりを見てしまうと、今の恵まれているところがわかなくなってしまいます。

 

それを失った後で『あの頃はすごく幸せだったんだな。』と気づくことも少なくありません。

 

確かに今のあなたは、あなたが満足するほどの幸せをもらえていないのかもしれません。

 

でもまだ一番最低というわけでもありません。

 

恵まれている点に気づくだけでも、生き方は変わってくると思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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頑張っているのに充実感がない。満足感もなく疲れだけが溜まるのは?

無駄な努力で時間を捨てた。努力が全て水の泡になってしまった時は?

毎日がしんどい。生きているのが辛い。苦しくても幸せを求めて。

もしかしたらあったかもしれない可能性を想像してしまう。意味ないのに。

諦めることができない心。ギブアップしてくれない心。強い心。

幸せになりたいのに

苦しい思いをしている人ほど助けを求めない。一人で解決しようとする。

『もう無理だとわかっているのに!』どうしても諦められない時は?

仕事で重大なミスをしてしまった。みんなに迷惑をかけてしまった時は?

皆さんは仕事をしていてすごく重大なミスをしてしまったことはありますか?

 

本来ならあってはならない失敗をしてしまったことはありませんか?

 

ミスをしていることに気づいた瞬間に頭が真っ白になってしまったことはありませんか?




ミスってしたくはないものなんですが、人間って必ずミスをしてしまうんですよね。

 

今までに一度もミスをしたことがないという人間なんていません。

 

気づかないうちにミスをしていたり、ミスをしないように注意をしていてもミスをするときはミスをします。

 

何度も確認して『よし!大丈夫だ。』と確信していてもミスをしてしまうこともあります。

 

人間のミスを完全に防ぐことはできません。

 

 

ミスの怖いところは連鎖してしまう危険性があるところです。

 

 

取り返しのつかないような重大なミスをしたわけではなく、ちょっとした些細なミスをしてしまっただけで、収拾がつかない大問題まで発展してしまうことがあります。

 

初めからミスをしたら大問題になるというようなものなら警戒しますが(それでもミスをするときはミスをしてしまいます。)、そうじゃない場合は慣れで心の油断もでてきます。

 

そして『どうせ大丈夫だろう。』という考えから、思わない事態にまで発展してしまう危険性があるのがミスの怖いところなんです。

 

最初のミスで方向性が変わり、目標していたところとまったく別のところにたどり着いてしまうことも少なくありません。目標と正反対のところにゴールしてしまったということも多いです。

 

 

でも一番怖いのが【やってはいけない重大なミス】をしてしまったときです。

 

 

一発アウトのあってはならないミスです。

 

 

このミスが発覚したときに一瞬固まります。

 

『え?』、『うそ?』、『いや?』と簡単な疑問が頭を支配します。

 

あまりにもショックな出来事なので、頭が理解をするのに時間がかかるんです。

 

そこから少しずつ頭が追いついてくるようになるのですが、少しずつ整理して受け入れていかないとパニックで何もできなくなってしまいます。

 

 

そしてこれが現実だとわかったときに、これからどうすればいいのかを脳がフル回転で考えます。

 

 

・今の時点で気づいて挽回できることなのか、もう挽回なんかできないことなのか。

・他の人はこのことに気づいているのか、気づいているのはまだ自分一人なのか。

・黙っていればわたしが原因だと特定されないミスなのか、黙っていてもわたしが原因のミスだと特定されてしまうのか。

・逃げ道はまだあるのか、もう終わってしまったのか。

 

すごい保身だらけのような人に見えるかもしれませんが、突然重大なミスをしてしまったことがわかったときは絶対に保身が入ります。(周囲にミスが発覚してから時間が十分に経過していても保身だらけの人もたくさんいますしね。)

 

突然のミスが発覚した直後に逃げ道をまったく想像しない人は、自分の安全管理面での問題を抱えています。




正直に話しても決して許されないことは、世の中にたくさんあります。

 

 

どんなに誠意を尽くして謝っても許されないことが、世の中にはたくさんあります。

 

 

そしてそのミスの発覚は避けられないし、挽回のしようもない。わたし個人が原因だと特定されると理解したとき、恐怖が支配します。

 

泣きたくなるし、すぐにでも家に帰りたくなります。

 

布団に入って眠って起きたら夢だったーなんてことを期待してしまいます。

 

その場から一早く逃げ出したくなるんです。

 

なかにはそれを実行する猛者もいます。

 

 

けどね、普通はなかなかそんなことできないんですよね。

 

 

いくら信じられないくらいのミスをしてしまったとしても、どれほど逃げ出したくなっても、人はミスの結果と向き合うことを選びます。

 

 

重大なミスをしてそれが周囲に発覚する前に急に仕事を辞めた。後日その仕事場が大変なことになって電話がかかってきたときに「俺は知らねー。もう辞めたし。」とはなかなかできません。

 

『大変なことをしてしまった。』という罪の意識を簡単には捨てられません。

 

『取り返しのつかないことをしてしまった。』と感じるとき、人間はできる限り誠実であろうとします。

 

罪に罪を重ねたくないんです。

 

 

まだ自分一人だけの問題ですんで周囲には影響はないということならいいのですが、自分のミスが原因で周りの全員にすごく影響が出てしまったときはあなたの心への負担も大きいです。

 

 

優しい人ほど『自分のせいでみんなに迷惑をかけた。』と強く思います。

 

自分がミスをしたから大勢の人が忙しそうにしている。すごく焦っている。

 

これでもかというほどわたしに対して怒ってくる人もいるし、「そんなに気にしなくていいよ。」と自分が大変なのに気遣ってくれる人もいます。

 

そんな空間を作ってしまったのはわたしなんです。

 

 

心を平静に保つことは難しいです。

 

 

まずはね、自分を責めすぎるのをやめましょう。

 

 

パニックになっている現場を見て、自分がひどいことをしてしまったと感じるのはあなたが優しい心を持っているからです。

 

優しい人ほどそういう状況になると、他の誰よりも自分を責めてしまいます。

 

ミスは誰にでもあります。反省していないのなら別ですが、あなたは十分に反省しているはずです。

 

あなたが十分に反省して弱っている一方で、あまり反省していない人が反省アピールをして元気なのはどうかと思いますよ?

 

必要以上に自分を責めないようにしてくださいね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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無気力で何もできない。やる気がでない。身体が動かないときは?

皆さんはやる気もまったくなく、動けないような状態になったことはありますか?

 

なんだかすごくだるくて気が重くて、何もしていなくてもエネルギーをどんどん奪われていく感覚になったことはありますか?

 

いつまでたっても気力が空っぽの状態で、無気力になってしまったことはありませんか?




この状態ってすごくしんどいんですよね。

 

熱でもでていれば安静にすることもできますが、熱は平熱です。風邪をひいているわけでもありません。

 

身体が疲れてしまってグッタリというわけではないんです。

むしろ身体的には好調と言っていい状態のときも多いです。

 

それなのになぜか動けないんです。焦ります。

 

『なにをやっているんだ!!』と自分に問いかけます。

 

それでも身体は動いてくれません。動いたとしても亀のようにのっそりとです。

 

一つ一つの行動をするのに力が必要になり、一つの行動をしただけで重労働をした後みたいに疲れ果てます。

 

 

ただただやるせなくて、頭もどこかボーッとしている時間が続きます。

 

 

『一体なんなんだこれは?』、『なにをしているんだ。昨日、特に疲れることをしたわけでもないのに。』と自分でも今の自分の状態が不思議になります。

 

いつも日課にしていることをする時間になっても動く気になれなくて、いつの間にか時間が過ぎている。その間眠っていたわけでもないのに、いつの間に時間がたったのかわからない。

 

今の自分の気持ちもわからなくて、わかるのはなんだがだるくて身体が重いということだけ。

 

半分夢の中にいるみたいに現実感が薄れている。

 

お腹がすくことも排泄をもよおすこともほとんどなく、しようと思えば一日中動かずにいられます。

 

 

でもね、一日動かずにいるわけにはなかなかいかないんですよね。

 

 

元々調子が悪くて何も予定を入れてなかったのなら動かなくてもかまいませんが、今日の予定を入れていたり、学校や仕事、家事や育児をしなくてはいけないんです。

 

学校や仕事は最悪休めばいいだけだし、家事も一日や二日放置してもその後はどうとでもなります。

 

でも育児、特に子どもがまだ小さい場合だと放置をするわけにはいきません。

 

子どもの面倒を代わりにみてくれる人がいないと、あなたが動かないといけません。

 

それに仕事だってあなたがいないとできないことや、あなたが絶対に必要な重要な会議や取り引きなどがあれば、そう簡単に休むこともできません。

 

他にも親や祖父母の介護をしないといけない人などもいます。

 

 

自分一人だけで一日何もせずにボーッとしていられる環境って案外少ないんですよね。




無気力状態になりやすい人は、日頃から忙しくて精神的な負担も大きい生活を続けてきた人です。

 

たっぷり休む時間があったり、気分転換をして十分にリフレッシュができていれば、無気力状態にはなりにくいんです。

 

それができない環境にあった人だから、こんな異変になってしまったんです。

 

 

無気力状態になってしまったのは、日頃から無理をしてがんばりすぎていたからなんです。

 

 

普通の生活をしていたら無気力状態になるなんてことはありません。

 

 

基本がんばり屋さんが多いです。

 

そんな人だから無気力になってしまったときに人一倍自分を責めます。

 

『身体はどこも悪くないのに動けないなんてふざけるな!動こうとしないだけだろ!!』、『ただの仮病だろうが!休んでいられる状況じゃないことはわかっているはずだろ!!』と自分に怒りがわきます。

 

無気力で何もする気になれないのに、そんな怒りだけは感じてしまうんです。

 

『あー、だるいなー。何もしたくないなー。』だけ感じて終わりならいいのですが、普段から無理をする習慣がついている人はそこで止まれないんです。

 

無気力でも、しないといけないことをしない自分が許せないんです。

 

無気力なんかを言い訳にすることをあなた自身が許せません。

 

 

だから強引に気力を取り戻そうとします。

 

 

自分を刺激して半分夢のような世界から現実に戻ろうとします。

 

『やるべきことをやれ!!』と心と身体に命令します。

 

無気力状態にひたることを頭が拒絶します。理性がすごく強いんです。

 

やらない選択をしてしまったときに起こりうる最悪の事態を想像します。

 

何度も何度も自分に言い聞かせます。

 

通常の何倍も重い身体を、通常の何十倍もの力を入れて動かそうとします。

 

身体を強引に動かして、心がやる気になってくれたらもうけものです。

 

だから必死で頭で身体を一つ一つ操作します。

 

・・・

・・・

 

そこまでしなくていいんですよ?

 

 

無気力状態になるというのは普通のことではありません。緊急事態です。

 

 

危険信号として「休みなさい!!」と命令が出ているんです。

 

 

それに逆らって強引に動いていたら大変なことになります。

 

緊急事態なのにその警告を無視して無理をすると、自分でも驚くほどの代償を払わなければいけなくなるかもしれません。

 

そこまでして無理をしなくていいんですよ。

 

無理をするのってしんどいですよね?

 

せめてこんなときくらいは心に従ってのんびりとしてみてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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もっと強くなりたい!こんなに弱い自分なんて嫌だ!情けない!!

皆さんは『もっと強くなりたい!』思ったことはありますか?

 

あまりにも弱い自分が嫌で、情けなくて、『強くなりたい!』と心から願ったことはありますか?

 

『もっと強くなりたい!』と思ってしまうほど、つらい想いをしてしまったんですね。




『もっと強くなりたい!』というのは良いことのように思うかもしれませんが、時と場合によります。

 

目指すべき目標があってそれに向かって努力をし、充実しているのならいいのですが、【とにかく今の弱い自分が嫌だから】という理由で『もっと強くなりたい!』はあまりいいものとは言えません。

 

この場合の『もっと強くなりたい!』は正の願望ではなく負の願望です。

 

 

自分の理想に近づくための成長ではなく、苦痛から逃れるための対策です。

 

 

同じ『もっと強くなりたい!』でも、この動機の違いで精神的な負担は全然違ってきます。

 

 

自分の理想を追い求めての『もっと強くなりたい!』は具体的な目標があるかと思いますが、『今の弱い自分が嫌だから強くなりたい!』は具体性に欠けることが多いです。

 

具体的な目標があるときは目標に到達した後の自分を想像できますが、具体性がないと目標に到達後の自分が想像できないんです。

 

『もっと強くなりたい!』ということは、今のままでの生活を続けていてはいけないということです。

もっと強くなるための具体的な努力をこなしていかないといけません。

 

だけど『今の弱い自分が嫌だから強くなりたい!』と望むときって、目標の自分があいまいです。どこをどう努力していけばいいのかさえわからないんですね。

 

 

だからとりあえず、めちゃくちゃがんばるんです。

 

 

『なにを?』と思われる人もいると思いますが、全部です。

 

なにもかもを今まで以上にがんばろうとします。

 

なにをすればいいのかわからないから、手当たり次第で今まで以上にがんばるんです。

 

非効率ですよね。そんな生活は無謀だってわかりますよね。

 

だけどその無理を続けます。

 

 

それ以外に【弱い自分からの脱出する方法】がわかないから。

 

 

非効率でも無謀でも、それしか道はないんです。

 

もっと強い自分になれるのなら、たとえ無謀なことでも一生懸命がんばります。

 

それだけ今の弱い自分は嫌いなんですね。

 

多少しんどい思いをしてもこんな自分から解放されるなら無理をし続けます。

 

 

それほどあなたは傷ついてしまったんです。




『こんなに弱い自分なんかじゃダメだ!』、『こんなことくらいで傷ついてしまうような弱い人間のままではいられない。』と思ってしまったんです。

 

『自分が弱いから、こんなにもつらくて悲しい目にあってるんだ!』と思っているんです。

 

『自分が強くなればこんなことくらいでは落ち込んだりなんかしない!』と思っているんです。

 

今の弱い自分から脱皮して強い自分に成長したいんですね。

 

多少のことでは傷つかないような強い人間になりたいんです。

 

 

そんなにも傷ついたのはあなたのせいではないんですよ?

 

 

『これぐらいのことで』と思っているかもしれませんが、あなたは【これぐらいのこと】でも傷ついてしまうぐらいがんばってきたんです。

 

ずっとがんばり続けて心が疲れてしまっているんです。

 

だってそうじゃないと『これぐらいのことで』なんて思いません。

 

あなた自身も納得するようなひどい目にあったのなら、自分のことを弱いだなんて思いません。傷つくのは当然なんだからただただその出来事に悲しむだけです。

 

あなたが『大したことじゃないのになんで傷ついているんだ!』と思っているのは、今までのあなたならそこまで傷つかないようなことだったからです。

 

今までのあなたなら傷つかないようなことでも、心が疲れて弱ってしまい深く傷つくようになったんです。

 

元気な状態なら跳ね返したり、さほど気にならないようなことでも、疲れ果てた状態ではすごく強い刺激になります。

 

 

そこまでがんばってこれたのはすごいことだと思います。

 

 

そしてそこまでがんばってきても、まだがんばるを選ぶんですね。

 

 

こんなにつらい思いばかりする生活は嫌だから。

 

何回も何回も傷ついているわけにはいかないから。

 

このままじゃ日常生活に支障をきたすかもしれないから。

 

こんなちょっとしたことで悲しくて落ち込むのなら、いままでのように本当にひどいことがあったときに自分が耐えられるか怖すぎるから。

 

だから弱い自分から抜け出して必死で強くなろうとします。

 

 

そこまで無理をしなくてもいいんですよ?

 

 

『今の弱い自分じゃダメだ。』というのは、今の自分を否定していることになります。

 

それは今のあなたの状態ではさらに苦しい追い打ちになります。

 

たしかに今のままの状態のあなたでは、世界は傷つくことであふれているかもしれません。

 

『こんなことでこれからどうなるんだ?』と不安かもしれません。

 

 

でもね、今は弱い自分を許してあげませんか?

 

 

好きでこんなにも弱くなったわけじゃありません。

 

好きでこんなにも傷つきやすくなったわけじゃありません。

 

あなたはただ、がんばりすぎただけなんです。

 

そこまでしてがんばったのに、また否定をしてしまったらさらに苦しい生活が待っています。

 

強くなろうとするよりも今は、疲れ切ってしまったありのままの自分を認めてあげませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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相手から傷つくことを言われたときは

人のことを見下すのは自信がないから。劣等感が強い人ほど攻撃的!

皆さんの周りに人を見下してばかりの人っていませんか?

 

なぜか自信満々で態度が大きくて、それでいて人のことをけなすことしかしない人はいませんか?

 

人のいいところを見ようとせずに、減点方式だけで人を採点する人はいませんか?




この人たちってね、実は自分に自信がないんですよ。

 

 

自分に自信がないから他人をそれよりも下にしようとして必死なんです。

 

人のできていないところや悪いところばかりに注目して、自分の方が上だと思い込みたいんです。

 

自分に自信はないけど、他人に負けてしまうのは許せない人たちなんです。

 

プライドが人一倍高い人たちです。

 

 

この人たちはね、自分が完全に負けていて勝負にもならないという人にはマウントをとりません。

 

 

いくらできていないところや悪いところをばかりに注目しても、それでも話にならないほどのプラスを持っている人たちには普通に関われます。

 

勝てないとあきらめがあり、別世界の人だと割り切っています。

 

でもね、自分でも勝てるかもしれない人間が相手だと必死で相手のことを落とします。

 

一生懸命相手を落として落として、そして自分を持ち上げます。

 

相手の悪いところばかりを探してそれが相手のすべてであると決めつけ、勝ち誇ります。

 

そのためにはその人をけなして、バカにして、見下して。

 

 

過剰なマイナス採点をします。

 

 

そこまでしないと自分のプライドを守れないからです。

 

 

本人は気づいていないことも多いのですが、そこまでしてでも勝ちたいんです。

 

他人に悪態をつき、その人のいいところは見ないふりをする。

 

そして自分の方が上だということを主張するために態度を大きくする。

 

そこまでやらないとちっぽけな自信を持つことができないんです。

 

 

そこまでのことをしないとあなたには勝てないと心の底では思っているんです。




弱い犬ほどよく吠えるというのと似てますよね。

 

自分は本当はちっぽけで弱いから、せめて態度だけでも大きく攻撃的になろうとしているんです。

 

全力で威嚇します。

 

それで相手がビビってくれたらもうけものです。

 

『自分では勝てない。』と勘違いしてくれたらすごくラッキーです。

 

『この人には従わないといけない。』といけないと思ってくれたら作戦成功です。

 

 

威嚇で相手がわたしのことをすごい人だと思ってくれたらお得なんです。

 

 

そのためには相手の悪いところを堂々と指摘するのが一番だと思っています。

 

相手が強く出れない部分を見つけてそこを狙っての集中砲火です。

 

仮に自分も同じような悪い部分があったとしてもそのことは棚上げします。

 

相手だけを責めて、相手だけが悪いように、その人だけができていないように思わせます。

 

そのためには日常的に相手の悪いところをさがしておく必要があります。

 

相手の悪いところをさがすことを習慣にしていると、相手のいいところや長所が見えなくなってきます。

 

視界には入っても心が『そんなの認めない!』と拒否を繰り返します。

 

 

するとその人のことをだんだんと見下すようになっていきます。

 

 

自分が見下している人間にはさらに態度が大きくなるし、反抗的にもなります。

 

こちらの意見をまったく聞いてくれなかったり、言葉遣いもとげとげしくなります。

 

人間は自分が見下している人にはなかなか丁寧な対応ができないんですよね。

 

格下だと思っているから。

 

同格であると認めていないから。

 

自分の方が劣っているはずないから。

 

そんな人を尊重する気にはなかなかなれません。

 

 

人間って、勝負をして『わたしの方が優れている!』と認識してしまった相手には普通の対応はできなくなってしまいます。

 

 

勝負をしないことが見下さないための一番の方法なんだと思いますが、人を見下す人って一般の人よりも勝負をしてしまいます。

 

ことあるごとにマウントをとったり、一人で勝手に勝負をして勝手に勝った気になります。

 

これって本当に優れた人よりも、優れた人間になりたかった人に多いんです。

 

つまり、否定されて生きてきた経験がある人です。

 

 

劣等感が強い人ほど勝負をしたがります。

 

 

わたしが劣っているなんて認めたくないから。

 

劣っているままではいたくないから。

 

勝っているところで勝負をして勝ち誇りたいから。

 

劣等感をなくすためには勝ちを重ねることだと思ってます。

 

 

だからどこか余裕がないし、いつもとげとげしいんです。

 

 

見下されてしまうと不愉快になると思いますが、その人は他人を見下すことによって自分を支えています。

 

「見下すようなことをしないでほしい。」と伝えても、変わってくれることなんかありません。

 

もしあなたがその人から見下されるような生活を続けているのなら、距離をあけてください。

 

見下されているのは嫌だからとがんばっても、今度は違う理由で見下されます。

 

あなたがその人に認めてもらえる可能性は残念ながらかなり低いです。

 

近くにいると傷つけられることも多いですが、一定以上の距離をあけるとあなたへの攻撃は減りますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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