特技や得意が何もない。飲み込みも遅く不器用でできないことばかり。

皆さんは何か得意なことがありますか?

 

これだけは他の人にも負けないというような特技はありますか?

 

これがあるかないかだけでも全然違ってくるんですよね。




特技や得意なことがない人は、自分のことを『人よりも劣っている。』と思いがちです。

 

通常のときはそれほど意識していないかもしれませんが、落ち込むことがあったときなどに心へのダメージが大きいです。

 

特技がないと自分の中に支えとなるものが少ないんです。

 

なにか自分の中で絶対的なものがあればそれを中心に落ち込んでいる状態から回復もできますが、特技や得意がないとそのすがる部分がないんです。

 

 

本当に落ち込んでしまったときは特技や得意があるかないかで回復する速度は全然違ってきます。

 

 

特技や得意があると落ち込んでしまったときに立ち直る切っ掛けになることがあります。

 

落ち込んで自信喪失をしてしまったときにも『わたしにはこれがある!』と思えるようになります。

 

落ち込んでいても特技を続けているうちに自信を回復していくようになります。

 

特技はあるほうが人生でお得になる場面がでてきます。

 

 

でもこの特技って、なかなか身につかないんですよね。

 

 

特技とは一般基準以上に優れている技能になると思いますが、それを持つのって簡単ではないんです。

 

初めて挑戦してできる特技もありますが、基本的には何回も繰り返すことによって習得していくことになります。

 

小さい頃から日常的に継続していて特技と呼べるようなものになったというケースも多いです。

 

 

他の人よりも優れている技能は、一朝一夕では基本的には身につきません。

 

 

特技がない人もたくさんいます。

 

僕も昔から何をやっても不器用で特技と呼べるようなものはありません。

せいぜい人並みかそれ以下です。

 

他の人が一週間かけて習得していくことを二、三週間かけて習得していくというような感じでした。

 

そしてそれを習得したころにはもう他の人は次のステップへ移っている。飲み込みが早い人はそのステップすら終わって次に、って感じでした。

 

不器用だったり飲み込みが遅いとどんどん置いていかれます。

 

周りについていくのにただただ必死で、離されないようにするので精一杯です。

 

『自分にはこういうことが向いているのかも!?』、『こういうことをするのはすごく楽しい!!』という感想を抱く暇もありません。




特技を持つのは難しいことなんですが、残念ながら他人はあなたの特技に目をつけます。

 

 

履歴書や自己紹介を書くときにはほとんど必ずと言っていいほど【趣味・特技】の欄があります。

 

日頃からどんなことをしているのか、どんなことがあなたの中で優れた能力なのかを知りたがります。

 

専門分野にいけばいくほど特技の内容も細かく分類され、それがどの程度のレベルにあるのかを知りたがります。

 

顔、名前、その次に来るのが経歴と特技だと思います。(性別や年齢は見た目でだいたいわかるので。)

 

 

「あなたはどれくらい有能な人間ですか??」と尋ねられるのが特技なんです。

 

 

特技がたくさんある人はいいんですが、特技がない人はこれが困ります。

 

「何も特技はありません!」とは答えられないんですよね。

 

もちろんまったくの無関係の人間に特技を尋ねられたときは「特技はないです。」と答えることができますが、これから関係を築いていくかもしれない人間に「あなたは何ができますか?」と尋ねられて「わたしは何もできません!!」とは答えられません。

 

そんな風に答えた時点であなたとその人間は縁がなかったことになります。

 

そうならないために自分の中の特技を探します。『何が他の人よりできるだろう?』、『自分の中でまだ他の人と比べて劣っているのが少ないものはなんだろう?』と悩みに悩みます。

 

特技が多い人なら悩まずにポンポンといくらでも出てくるのに、特技がない人はやっとの思いでひねり出して一つか二つです。

 

 

自分の中に『これは他の人よりも優れている。普通の人は持っていない特別な能力だ!』というものがないんです。

 

 

他人より優れている自信がないんです。

 

 

特技がないとね、自分は何もできないように思ってしまうんです。

 

特技が多い人は頼りにされる機会が多いし、そのたびに注目されます。

 

他の誰にもできない唯一無二の特技を持っていたら、それで生活費を稼ぐことができるようになるときもあるし、人気者にもなれます。

 

そうやって自分が持っていないものでその人が活躍し、自分は蚊帳の外状態ということが続くと、自分は価値がないんだと思ってしまうようになります。

 

 

特技がないだけで『人間としての価値が他の人よりも下だ。』と勘違いしてしまうことになってしまいます。

 

 

特技ってね、別になかったらなかったでいいんですよ?

 

 

絶対に持っていないといけないものだというわけではありません。

 

それにあなたが気づいていないだけで、特技が一つもないということはないと思います。(それが人に堂々と言える特技だとは限りませんが。)

 

なかにはこんな特技があるのを人に知られたくないという人もいると思います。

 

アピール欄に書けるものだけが特技ではありません。

 

特技があれば有利な場面もたしかにあります。

 

特技を他人から求められることもあります。

 

 

でもね、もう少し軽く考えてみませんか?

 

役に立たない特技でも別にいいし、特技がなくても別にいいんです。

 

不器用な自分もそのまま認めてあげてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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日に日に疲れがたまっていく。ゆっくり休めないし回復が追いつかない。

皆さんは回復が追いつかずに日に日に疲れがたまっていく状態を体験したことはありますか?

 

本当はしっかり休んだら回復するんだろうけど、その休むことさえできない状況になったことはありませんか?

 

オーバーワークが積み重なり、十分な休みも確保できない状況で日常を過ごしてはいませんか?




休むことってすごく大切なんですよね。

 

人間ってしっかりと休まないと、最高のパフォーマンスを発揮できないようになっています。

 

疲れがたまればたまるほど人間のパフォーマンスは低下します。

 

これは身体だけではなく頭の回転や反応も鈍くなります。

 

 

元気に日常生活をするためにも休息は大事なんです。

 

 

でも、実際はなかなか休息が追いつかないこともあるんですよね。

 

やらないといけないことがたくさんあったり、休んでしまったら大変なことになることもあります。

 

忙しい日常に追われながらの小休憩というカタチでしか休むことができない人もいます。

 

時間も質もたっぷりの休息なんてとれないことも多いんですね。

 

もちろんその場合は疲労やストレスは積み重なります。

 

 

楽しいから休むことも忘れてしまっていたという場合は別ですが、やらないといけないことに追われて休めないときは精神力を削っていきます。

 

 

寝る前に『今日も疲れた。やっと寝れる。明日は〇時には起きないといけないのか。嫌だなー。』と思いながら眠りにつきます。寝つきも浅く、疲れもあまりとれません。

 

朝起きたときに頭が覚醒するまで時間がかかり、目をあけてからボーッとします。気だるくて『始まってしまったか。』という思いです。布団から出るのがすごく億劫です。

 

何をやるにしても通常の何倍もの気力を使うし、体力も確実に減っていきます。

 

『絶好調だ!!』という日がほとんどなくなり、行動するまでが重りをかついでいるように遅くなります。

 

その感覚が日に日に強くなっていきます。

 

 

生きていくだけで疲れてしまうんです。

 

 

自分の日常を守るために生活をするだけで、いっぱいいっぱいになり弱っていきます。

 

開放感を感じることがほとんどなくなり、どんよりとした気分になることが増えていきます。

 

人はどれだけ忙しくてもそこに充実感があれば心は安定しますが、楽しみが少なく疲れがたまるだけの日々は心を削りとり不安定にしていきます。

 

余裕のなさからイライラもしやすくなり、不愉快に思うことも増えていきます。

 

 

がんばって人生を生きているのに、苦しくてしんどい状態が続きます。

 

 

生きていくために消耗戦を強いられてしまいます。




楽しさや喜びを感じにくい生活っていうのは、はっきり言ってつまらないです。

 

ただの惰性だけで生活しているだけで、心をおどらせる刺激がありません。そのくせ悲しい刺激やつらい刺激というのは定期的に襲ってきます。

 

疲れやストレスがたまっているところに追い打ちをかけてきます。

 

ただでさえ苦しいのに、さらなる負荷を与えてきます。

 

これが続くと、生きていくことは試練になってしまいます。

 

 

そうならないためには十分な休息をとることが必要です。

 

 

そのためには休むことの重要性をもう一度確認しておく必要があります。

 

人間って余裕がないときほど休むことをしません。

 

休むことの重要性を忘れて邪魔な時間ととらえてしまいます。

 

まずはその意識改革からです。

 

 

余裕がないときほど休まないといけないんです。

 

 

これがすごく難しいです。

 

比較的楽な生活をしているときには簡単に休んだり、必要以上に多くの休息をとってしまうこともあるんですが、本当に休みが必要な状況になるとなかなか休む選択ができません。

 

休むことの優先順位は忙しさに比例して落ちていきます。

 

 

忙しすぎると『休んでいる暇なんかない!!』になってしまいます。

 

 

あまりにもやることが多いと、そのやらないといけないことばかりに目がいってしまい、自分のことがおろそかになってしまいます。

 

やらなければいけないことばかりに神経をそそぎ、自分が疲れているという感覚が弱くなっていきます。いつも無理をすることがベースの生活となっていきます。

 

そして疲れを感じるようになったときにはもうヘトヘトなんです。自分で思っている以上に疲れています。

 

それでもすぐに休むということをしません。

 

『最近なんか特にしんどいなー。』と思っても、気合を入れて無理を続けます。

 

 

休みがとれなくて疲れがたまっているときは、精神にゆとりを持たせてあげることが大事になります。

 

 

身体の方は規則正しい生活、栄養バランスのとれた食事、適度な運動、質の高い睡眠である程度カバーできますが、心の方はここまで追い込まれてくるとそれだけでは全然カバーできません。

 

気を張りつめている状態をいかに少なくできるかがカギになります。

 

追い込まれてずっと無理をしている心に許しを与えてあげることが大切です。

 

 

誰でもやることが多くて時間がないときは焦ります。

 

 

時間内に終わらせようと思ったら気合を入れて全力でするという方法も確かにあります。

 

でもそればかりだと心と身体の消耗が激しいんです。

 

それに慣れるまでに時間がかかりますし、仮に慣れたところでいつ限界を迎えるかわからない状態です。

 

回復が追いつかずに日に日に疲れがたまっていくときは、オーバーワークや精神的な負担が大きいときです。

 

忙しいときほど心に許しを与えてあげましょう。

 

その方がうまくいく可能性が高いですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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友だちが一人もいない。友だちが欲しいけど作れない。どうすればいい?

皆さんは友だちとよべる人たちはいますか?

友だちは多い方でしょうか?少ない方でしょうか?

 

それとも・・・

 

友だちが一人もいないでしょうか?




友だちが一人もいないって人も多いんですよね。

 

友だちがいない人はまず『この関係を友だちと呼んでいいんだろうか?』と悩みます。

 

友だちという関係の理想像が高く、『このくらいのことでは友だちとは言えないな。』と思ってしまうことも少なくありません。

 

相手からは友だちだと思われているのに、自分の方は『これくらいでは友だちではない。友だちって言葉を使っちゃいけない!』という人もたくさんいます。

 

僕も交友関係は割と広いのですが、友だちと呼べる人って何人いるかと言われたら・・・

 

 

友だちって作れる人は当たり前のように作れますが、反対に作れない人はなかなか作れません。

 

 

生まれてから友だちが一人もいないという人もいます。

 

友だちって『ほしいなー。』と思っても簡単にはできないんですよね。

 

一人ではできないことだから。

 

友だちを作るには友だちになりたい相手が必要になります。

 

そしてその相手が信用できる人なのが前提になります。

 

 

人間は自分が全然信用できない相手とは友だちになることはできません。

 

 

いつ裏切るかもしれないような人間とは友だちにはなれないんです。

 

そしてその相手からもある程度の好意を持たれていないと友人関係にはなれません。

 

相手からも友好的にみられて初めて友だちという関係になれます。

 

相手から嫌われていたり、敵対視されていたら友だちにはなれないんです。

(かりそめの友だちという怖い関係にはなれますけどね。)

 

 

大人になればなるほど、友だちを作るのは難しくなります。




それは友だちになるには理由がいるからです。

 

なにか理由がないと友だち認定をしないんです。

 

相手に対して遠慮をして本音を見せないので、距離感が縮まるのにも時間がかかります。

 

共通の趣味などで知り合えたら別ですが、通常は友だち関係になるのに子どものころよりも時間がかかります。

 

 

大人になると友だちってすごく敷居が高い存在になります。

 

 

子どものころは家が近いから友だちになれたのに、大人になると家が近いだけでは友だちにはなれません。

 

子どものころは教室の席が近くだから友だちになれたのに、大人になると隣の席だけでは友だちになれません。

 

子どものころは用事もないのに相手に会いに行けたのに、大人になると相手に会いに行くのにも理由がいります。

 

子どものころはほんの少しのきっかけだけで友だちになれたのに、大人になるとほんの少しのきっかけでは友だちにはなれません。

 

 

大人になると、子どものころのように純真無垢ではいられなくなります。

 

 

「よしっ!今から友だちな!!」とまだあまり知らない人に言われて『やったー!今からこの人と友だちになれるんだー!』と喜ぶ人はほとんどいません。

 

普通は『何を言ってるんだこの人?』、『なにが狙いなんだ?』、『なれなれしいな。』、『胡散臭い。信用ならない人間。』といった具合に、相手に対して強い警戒心が出てきます。

 

子どものころのように無防備とはいかないんです。

 

 

大人になれば友だちを作る難易度は一気に上がります。

 

 

お互いに警戒心を持つようになるからです。

 

本音を隠し、上辺だけの付き合いになりがちになるからです。

 

相手も自分も心の壁が高くなっています。

 

社交的な人でも広く浅くは付き合えるけど、広く深く付き合うことは難しいです。

 

大人になれば子どものころよりも本音と建前のずれが大きくなります。

社交辞令も増え、相手の気持ちを判断するのは難しくなります。

 

建前や社交辞令をそのまま真に受けて、あとで痛い目にあうことも少なくありません。

 

友だちを作るためには相手がどういう人間か見極める技術が必要になってきます。

 

 

別に友だちがいなくてもいいんですよ?

 

 

だってこんなに友だちを作るのは難しいんですから。

 

 

子どものころに親や先生から「友だちをたくさん作りなさい。」と言われてきたと思いますが、友だちって作ろうと思って作るものでもありません。

 

意気投合して一緒にいると楽しいとか、一緒にいると気が楽で素の自分でいられるという人ができたのなら友だちになればいいですが、友だちがいないからといって、なってくれる人を探すようなものではありません。

 

世の中には友だちが一人もいなくても、充実した人生を送っている人がたくさんいます。

 

 

友だちがいないからといってあなたに問題があるというわけではありません。

 

 

自然に任せてみませんか?

 

友だちがいないと肩身が狭いように感じるかもしれませんが、無理をして友だちを作ろうとするよりも気楽にいきませんか?

 

友だちがいない人なんか、世の中にたくさんいます。

 

友だちは無理をして作るようなものではないと思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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皆さんは自分の心が『すごく弱ってしまったなー。』と感じてしまうようなときはありませんか?

 

もっと自分を強く持とうとしても無理で、なにかにすがりつきたくなってしまうことってありませんか?

 

これって心が疲れてしまって弱りきっているんですね。




心が強い状態、または普通の状態ならば自立して立てるのですが、それすらもできないほど、なにかにすがりついていないと立っていられないほど弱ってしまっているんです。

 

自分の力だけでは立っていることもままならないから、他の力も使うんです。

 

それが他人であったり物です。

 

 

他人の場合はもちろん人ですよね。

 

自分一人で立っているのがつらくなったから、もたれかかれる人を探すんです。

 

弱った自分を支えてくれる人を探します。

 

もしくは自分よりもさらに弱っている人を探し、『この人を支えるために生きているんだ!』と自分に意味を持たせます。

 

 

それ以外にも宗教や心理系のサイトなどがあります。

 

弱ってしまった心に力を与えてくれるような【許し】を探します。

 

心の拠りどころとなる考えを探します。

 

特に宗教などは、のめりこんでしまう人は抜け出せないくらいのめりこんでしまいます。

 

それで人生が狂ってしまう人もいるほどです。

 

 

元気な心の人からしたら『どうしてそんなものに手を出すんだ。危ういってことがわからないのか?』です。

 

 

そう。心が弱っているときって危ういんです。

 

 

恋愛ではよく「相手の失恋直後を狙え!」って言われてますよね。

 

誰かに依存したくもなるし、誰かに依存してもらいたくなります。

 

人をすぐに信用する(というよりも疑う力が弱くなる)し、簡単にだまされるようになります。

 

自分の判断に自信が持てなくなり、他人の思考に染められやすくなります。

 

確たる自分が小さくなり、外部の影響を大きく受けるようになります。

 

 

よく幸運を呼ぶ○○とかって売ってますよね。

 

 

あれって『誰がこんなの買うんだろう?』って思ったことはありませんか?

 

『ただの○○に幸運を呼ぶ力なんてないだろう。』、『え?1000円?たったの1000円でなれるような安っぽい幸運なんていらない。』、『100万円?100万円もする○○なんて高すぎる。もったいない。』といった具合に思ったことはありませんか?

 

ようするに胡散臭いんですよね。

 

それを買ったところで幸運が舞い込んでくるなんて、あなたは思っていないんです。

 

だって怪しすぎます。




でもそれを買ってしまう人もいます。

 

真剣に『幸運をもたらしてくれるんだ!』と思って買う人がいます。

 

『少しでも今の状態が改善すれば!』と藁にもすがる思いで買う人がいます。

 

『試しに持っとくか。』と気休めに買う人がいます。

 

そしてその幸運を呼ぶ○○を手にしたときに、幸運なことがあったとします。

 

するとあなたは『これは本物だ!!』と思うようになります。

 

もちろん一度や二度の小さな幸運や、ほんの些細な幸運ではそうなりませんが、一定以上の大きな幸運がやってきたときは幸運を呼ぶ○○の存在を信じるようになります。

 

その幸運が続けばあなたはその幸運を呼ぶ○○の信者です。

 

誰よりもその幸運を呼ぶ○○の存在を信じ、あがめたてまつります。

 

 

なにか幸運なことが起こると、すべて幸運を呼ぶ○○のおかげだとなります。

 

 

あなた自身の行動や努力の結果ではありません。

 

周りの環境の変化の結果でもありません。

 

ただの運や偶然でもありません。

 

すべて幸運を呼ぶ○○の力です。

 

心が弱っているときほどこのことに何の疑いもなく思い込みます。

 

 

自分ではない何かのおかげにしてしまいます。

 

 

普通の状態でも占いや風水、お守りなどを信じる人は大勢いますが、その信じる範囲が心が弱くなってくると拡大していきます。

 

一般の人が『怪しいんじゃないか?』と思ってしまうようなものにまで手を出し、そして一度信用するとなかなか離れられなくなります。

 

 

でもそれをしないと生きていけないんですね。

 

 

心が弱ってしまって何かを頼りにしないと苦しすぎるんです。

 

心の拠りどころを探さないとつらすぎるんです。

 

 

皆さんも元気なときはこのブログを見たことなかったですよね?

 

【心が弱っても】にたどり着いたとしても、変なページに来たと思いすぐに閉じていましたよね?

 

仮に少し読んでみても『なんだこれ?胡散臭い。気持ち悪い。』と敬遠していましたよね?

 

流し読みで内容なんてほとんど入ってきませんでしたよね?

 

 

今はどうですか?

 

 

もし今、あなたがこのブログをしっかりと読まれているのなら、それだけ心が疲れてきているということです。

 

嫌悪感のある内容に共感できるようになっていたのなら、それだけ苦しい状態にいるということです。

 

心が弱ったときはね、なにかにすがりついてもいいと思います。僕もそうやってここまで生きてこられました。

 

ですが深く依存してしまうと大変なことになるかもしれません。

 

何事もほどほどを心掛けていてくださいね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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好きの温度差がありすぎて寂しい。本当に私のこと好きなのかな?

皆さんは恋人との温度差を感じたことはありますか?

 

こっちは相手のことがすごく好きなんだけど、相手は別にこっちのことを好きだと思っていないように感じる。

 

どんなに努力しても相手との温度差がうまらない経験をしたことはありますか?




これってすごく寂しいんですよね。

 

相手のことがすごく好きだから。

 

相手のことがすごく好きだから、相手にも同じようにこっちを好きでいてほしいんです。

 

『この人は別にわたしのことが好きなわけじゃないんだな。』と感じさせるようなことはしてほしくないんです。

 

相手のことが好きだからこそ相手にも同じくらいあなたのことを好きになってもらいたいし、それができないとわかったときに心が傷つくんです。

 

 

好きにはね、温度差があります。

 

 

お互いにまったく同じ大きさの好きはありません。

 

比べようもないことですが、必ずあなたと相手の好きに大きい小さいがあります。

 

その好きの大きさの差が小さければ満たされやすいですし、好きの大きさの差が大きいと不満や不安を抱きやすいです。

 

互いの好きの大きさの差が小さければ幸せを感じることが多いですし、好きの大きさの差が大きいと寂しさや疲れを感じることが多くなります。

 

 

あなたが寂しいと感じることが多いのならそれは、相手との好きの大きさの差が大きいのだと思います。

 

 

しかもあなたの方が相手よりもかなり好きの大きさが大きいかたちで。

 

 

相手の好きの大きさがあなたよりも大きすぎると、寂しさよりもわずらわしさや鬱陶しさを感じます。これはこれでしんどいものですが、不安などとは無縁です。

 

恋愛って好きの大きさが大きい方が積極的になりやすいです。

 

恋人の喜ぶ顔が見たいし、悲しんでいるときはなんとかしてあげたいです。

 

自分にとって負担や不都合が多いことでも、恋人のためになるなら行動しようとします。

 

簡単に言えば無理をしやすくなります。

 

それで相手があなたの期待していた反応を見せてくれればいいのですが、なかなかあなたの期待通りの反応をしてくれることは少ないです。

 

 

恋人の方が好きの大きさが小さいから。

 

 

好きの大きさが小さければ態度や反応も小さくなります。

 

もし自分だったなら『これくらいの反応をするだろうなー。』という予想ラインを超えてくれることは少ないです。

 

点数をつけるなら60点や40点。それ以下の赤点であることも多いです。

 

あなたにとっては不満な数字になります。

(そのかわり相手が100点で返してくれたときのうれしさは、あなたを興奮状態にさせるほど大きいです。)

 

『あれ?そんなにうれしくなかったのかな?』、『もう少しぐらい反応をしてくれてもいいんじゃないか?』となってしまいます。




一般的にはね、恋愛の温度差が大きいと長くは続きません。

 

 

温度差が大きいのに長く続けるとお互いに違和感を強く感じるようになり、相手のことがわからなくなっていくからです。

 

「相手が何を考えているかわからないから恋愛は楽しいんだ。」という人ももちろんいますが、ここまでくると相手とは人種が違うように思えてきます。

 

国籍が違う人たちはお互いがそれぞれの文化などを理解しようとするからうまくいくわけであって、それをしなくなるとうまくいかなくなります。

 

相手のことを違う人種のように感じるようになってしまっては、相手を理解しようとする気持ちがなくなります。

 

恋人は理解不能の人種になります。

 

そんな理解不能の人種と一緒にいたってお互い楽しくはありません。

 

 

お互いに疲れていくだけです。

 

 

恋愛の温度差が違いすぎるときは、好きの気持ちの大きい方が我慢をするのが一般的な対策となっています。

 

・恋人と連絡が取れない間に自分磨きをがんばる。

・夢中になれる趣味を作る。

・精神的に自立できるように努力する。

・運動をする習慣を作る。

・友だちと一緒にいる時間を長く作る。

 

などといったことがよく書かれていると思います。

 

 

相手の好きって気持ちを急にあなたみたいに大きくできないからです。

 

 

だからあなたが少しでも下げてバランスをとれるようにしていきます。

 

 

でもこれもすごく大変なんですよね。

 

成果が出てくるまでには時間がかかるし、その間も寂しい気持ちが続きます。

 

あなたの好きが大きいほど相手とバランスのとれる温度まで下げることは難しくなりますし、あなたの負担が大きくなります。

 

そして仮にそれが成功できたとしても、その時点ではほとんど相手への関心がなくなっているという結果さえありえます。

 

あんなに好きだった相手のことが『別にどうでもいい。』と思えるようになってしまうことさえあります。

 

 

そこまでして合わせる必要が本当にありますか?

 

 

そんなに苦労しなくても、あなたの恋愛の価値観に近い人はもっとたくさんいますよ?

 

 

ほんとにね、温度差がありすぎると恋愛って急に心を苦しめるものに豹変します。

 

『好きだけどつらい。』、『好きだからこそ苦しい。』といった恋愛の苦い部分が前面に出てきます。

 

相手との温度差はね、簡単には縮まりません。

 

相手と一緒にいる限り、あなたはその寂しさをこれからもことあるごとに実感します。

 

それでもその人がいいですか?

 

それでもその人でなきゃダメですか?

 

その選択の先に幸せな恋愛が待っていることを願っています。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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休むことに罪悪感を感じる。サボっているだけなんじゃないか?

皆さんは休むときに何の抵抗もなく休むことができますか?

 

休むことがなんだか悪いような気がして、無理をしてでも休まずにがんばってはいませんか?

 

学校や会社に休むと連絡をしたあとで、『これならがんばれば行けたんじゃないか?』、『本当に休むくらいひどい状態なのか?サボりたかっただけなんじゃないか?』って面倒なことを考えてしまってはいませんか?




休むことって悪いことではないんですよ。

 

 

『他の人ががんばっているのに自分だけ休んでしまうなんて・・・』なんて思う必要はありません。

 

『他のみんなは休んでいないのに、なんでわたしだけがんばれないんだろう・・・』なんて悩む必要はありません。

 

『休んだら他の人に迷惑をかけてしまうのに、これくらいのことで休むなんてダメだ。』なんて考える必要はありません。

 

 

あなたは休まないといけないほど疲れているんです。

 

 

だってそんなにクヨクヨするほど休むことにあなたは抵抗があるんです。

 

精神的には休まないで無理をした方があなたは楽なんです。

 

休むことよりも休まないを選ぶ方があなた的には気楽なんです。

 

休むことに罪悪感を感じ『サボっているだけなんじゃないか?』なんて面倒なことにはなりません。

 

 

あなたはサボりなんかじゃないですよ。

 

 

だって、サボりたいだけの人ならこんなの悩みません。

 

休むと連絡をした直後に急に元気になります。

 

休むと連絡した後に『やっぱり行った方がよかったんじゃ・・・』なんて頭に浮かびません。

 

『今日は何をしようか?』、『ゆっくり休めるなー。』、『明日もついでに休んじゃおうかなー。』とウキウキです。

 

休んでもいいという事実がうれしくてたまりません。

 

・・・

あなたはそうではないでしょう?

 

 

ではそれは、あなたに本当に休息が必要だったってことです。

 

 

あなたが自分の能力を発揮させるためにも休む時間が必要だったってことです。

 

 

たしかにね、休み基準には個人差があります。

 

仕事や学校を少し風邪気味なだけで休む人もいますし、コロナになっても「休めないから。」と隠して出勤する人もいます。(ほんとにやめてほしいですが。)

 

右足首をねんざして休む人もいますし、右足首を骨折しても車を運転して出勤する人もいます。(アクセルを踏むときなどの痛みは我慢するらしいです。)

 

午前中に倒れて救急車で運ばれたのに、午後になると出勤してくる冗談みたいな人もいます。(周りが驚いて慌てて帰らせましたが。)

 

上に書いたことはすべて実際に僕の職場で起こったことです。

 

こんな超人が周りに大勢いるとたしかに休みにくいです。




今のあなたは『自分は完全に休んでいい。』という基準を満たしていないのかもしれません。

 

 

完全に合格ラインを超えて気兼ねなく休めないから、罪悪感なんて感じなくてもいいものまで感じてしまうんです。

 

そして休むことになっても頭は常にグルグルと思考を続け、気がつけば一日が終わっています。

 

ぐっすり休めたという実感はなく、中途半端に休んでしまったという感覚です。

 

『わざわざ休んだのに一体なにをしていたんだろう?サボってしまっただけだった。』と反省をしてしまいます。

 

そして明日はより一層休みにくくなります。

 

あのね・・・

 

 

自分に厳しくなりすぎですよ?

 

 

疲れたら休むなんて当たり前のことです。

 

調子が悪くなったら休むなんて当たり前のことです。

 

休んだらいけないんじゃありません。休まないといけないんです。

 

無理をしてがんばり続けていても、限界がどんどん迫ってくるだけです。

 

 

あなたは、ずーっとがんばり続けてきたんじゃないですか?

 

 

休むことを悪いことだと認識してしまうほどに。

 

休むことなんて考える暇もないほどに。

 

少しくらいの無理なんてどうってことないと感じるほどに。

 

自分が疲れているかどうかもわからなくなってしまうほどに。

 

 

そうやって無理を続ける生活をしてきたのではないですか?

 

 

そこまでね、がんばらなくていいんですよ。

 

そんなにもね、無理をしなくていいんですよ。

 

そこまで自分を追い込まなくていいし、そんなに自分を追いつめなくていいんです。

 

もっと楽な環境に自分の身をゆだねていいんです。

 

 

『休んだらダメだ!!』なんていうのはあなたのただの思い込みです。

 

 

『まだ動けるから!』、『まだ倒れてないから!』、『まだがんばれるから!』と自分を叱責して無理をする必要はありません。

 

これだとあなたは『倒れて動けなくなるまでがんばらないといけない!!』ってことになってしまいます。

『倒れるまでがんばらないといけない!!』なんていうのは、自分のことをないがしろにしすぎです。

 

 

もっと自分を大切にしてあげましょう?

 

 

休みたくないあなたが休まないといけない状況っていうのはよっぽどです。

 

 

それほど身体や心が疲れているってことです。

 

そのために休むことはサボりなんかでは決してありません。

 

休まずに無理を続けることは偉いことではありません。自分を大事にしない愚かなことです。

 

疲れているときは無理をせず休んでくださいね。

 

サボっているだけの人の方が堂々と休んでいますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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社会復帰ってこんなにも難しいの?普通になりたいだけなのに!?

皆さんは社会の一員としての活動ができていますか?

 

普通に外に出て遊んだり、学校に行ったり働いたり、どこか遠出をしたり、誰かに恋をしてみたりと、一般的に普通と呼ばれるような生活ができていますか?

 

この一般的には普通といわれることでも、その生活が難しい人もいるんですよね。




一度休憩をとることを余儀なくされた人たちです。

 

「これ以上このまま活動してはいけない!!」とストップがかかってしまった人たちです。

 

外からの刺激が強くなりすぎて、避難をしなくてはいけなくなった人たちです。

 

外からの刺激で一度ボロボロになってしまった人たちです。

 

もちろんなかにはただの甘えだけで社会から離れている人もいますが・・・(そういう人はこのブログを読まれていないと思います。)

 

 

普通の生活ってね、意外と難しいんですよね。

 

 

普通の生活には個人差が大きくありますが、あなたが望む夢のような生活ではなりませんよね。

 

少なくとも多少の妥協をし、現実から考えられるたどり着きそうな地点がこの場合の普通になります。

 

・大金持ちと結婚して玉の輿にのる

・プロの世界に入り超一流と呼ばれる存在になる

・あこがれのアイドルと結婚する

 

みたいなことを望んでいるわけではありません。

 

 

普通に社会と交流して、普通にメシを食べて、普通に屋根のある部屋で寝る。

 

 

極端に言えばこれが普通なんですよね。

 

あなたの望みはこれだけなんです。

 

なにも大それたことを望んでいるわけではないし、一般的にみんながしていることです。

 

みんなの当たり前の日常です。

 

今はそれがほしいだけなんです。

 

 

けどそれさえ、今のあなたには与えてくれないこともあります。




一度社会から切り離されてしまうと、それを取り戻すのは大変なんです。

 

 

前はがっちりとしたロープでしっかりとつながっていたのに、ときにはそれが鬱陶しくて自由になりたいとさえ思っていたのに、そのロープが真ん中でブチリと切れてしまったんですね。

 

一度切れてしまったロープを元通りにしようと接着剤でとめても、引っ張られるとすぐに接合部分から切れてしまいます。

 

見た目には一度切れてしまったロープだということをわからなくしたいのに、それでは修復が難しいんです。

 

元通りにはなかなか戻れません。

 

『たったこれぐらいのことで・・・』と思うようなことでもつまづいてしまうし、『どうしてこんなことも・・・』と思うくらいのことでもできないんです。

 

以前のように戻りたいけど、何事もなくスムーズにはなかなか戻れません。

 

 

元のように戻ろうと思っても、いくつもの障害が襲ってきます。

 

 

まずね、社会から離れていたって事実を社会は重く見ます。

 

どういう原因があるにせよ離れたということは、そこではやっていけなかったという事実として受け止めます。(あなたには正当な理由があったり、よくそこまでがんばったという環境でも、あなたの周囲にしか伝わりません。そこを一歩でも離れてしまうと、適応できなかった人と認識されてしまいます。)

 

『心が弱い人だ。』、『なにか問題がある人なんじゃないか?』、『またそういうことになられたら迷惑だ。』と敬遠されがちになります。

 

 

同じ条件であれば社会から一度も離れたことがない人を人は選びます。

 

 

この時点からしてなんなんだって感じですよね。

 

好きで社会から離れていたわけではないのに、戻るときにマイナス評価として加えられるなんて。

 

一度落とし穴に落ちてしまったら、そこから這い出してもハンデをつけられるんです。

 

這い出すことさえすごくしんどくて、やっとの思いで穴から出てきても、落とし穴に落ちたことがない人の方が優遇される世界になっています。

 

 

それにね、体力面でも問題が出てきます。

 

 

社会から切り離されている間は、行動範囲や活動時間が極端に短くなっています。

 

身体を動かす機会も減り、自分でも思っている以上に体力がなくなっています。

 

少し動いただけでも息切れやめまいがしたり、それを回復するのに2~3日かかるってこともあります。

 

太陽の光さえ刺激が強くて焼かれているようです。

 

社会とふれあっている時間が通常時の何倍も何十倍も長く感じます。

 

 

そしてなんといっても精神面の問題があります。

 

 

以前は日常として社会でできていたことが怖くてできなくなることがあります。

 

前は人と関わることが大好きだったけど、今は人が怖くて人が大勢いるところにいるだけで気持ちが悪くなる。

 

電車やバスに乗ると言いようのない不安に襲われ、パニックで乗れなくなってしまった。

 

ほんの少し電話で人と話しただけなのに身体中から汗が滝のようにふきだしてきた。

 

人がいると緊張して気を張ってしまう。こちらに視線を向けられるだけでも全身が硬直して思考停止してしまう。

 

特に疲れることは何もしていないはずなのに、家に帰ったらすぐに横になりそのままぐっすり眠ってしまった。

 

 

あなたが今までしていた普通の生活が、今の自分ではすごく大変な生活なんです。

 

 

社会復帰を目指す人はいつも走っています。

 

『早く元に戻りたい!』、『やっと治ったんだ!』、『このままじゃいけないんだ!』とすぐに全力疾走をしてしまいます。

 

そして以前との違いに愕然とします。

 

あのね、まずはゆっくりと歩いてみましょう。

 

 

いきなり全力疾走をしても無理です。

 

 

ブランクがあって転ぶだけです。

 

しかも自分で思っているほどスピードも出ていません。

 

焦らないで少しずついきましょう。

 

困難を乗り越えてきたあなたなら、今は焦らなくても後で追いつきます。

 

あの状況からでも這い上がってきたあなたの力を、少しは信じてみてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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失望されてがっかりされた。失望されたくなくて頑張ったのに・・・

皆さんは誰かに失望されたことはありますか?

 

その人から期待してもらえる場所にいたのに、期待に応えることができずにがっかりされてしまったことはありますか?

 

その人の悲しそうな顔が忘れられなくなってしまったことはありませんか?




失望されることってつらいですよね。

 

あなたがその人に期待されていたのなら特にきついです。

 

失望されることって見切りをつけられることなんです。

 

『なんだ。もっとしてくれると思っていたのにこんなものだったのか。』と落ち込まれるんです。

 

ついさっきまであったあなたの評価が崩れさります。

 

期待してくれていた相手からの評価が急降下します。

 

あなたとその人の関係は変化してしまいました。

 

 

相手があなたに期待していればいるほど、あなたが期待に応えなかったときの落胆は大きく、相手は強い失望をあなたと自分に抱きます。

 

 

失望されるってことは突き放されるということです。

 

相手はあなたが裏切ったと思い悲しくなり、あなたへ期待をしないようになります。

 

『期待した自分がバカだった。』と落ち込まれ、近かったはずの心の距離は遠のいてしまいます。

 

期待してくれていた相手から『あなたなんかいらない。』と見捨てられるんです。

 

 

これってすごく怖いことなんですよね。

 

 

今までは好意を寄せてくれていた相手が、あなたの実態を知り去っていくんです。

 

今までは相手との間に何の壁もなかったのに、あなたと相手との間に急に太い壁がそびえ立つんです。

 

失望された状態になると相手の態度が冷たく感じます。

 

互いに穏やかに笑っていた日々はもうやってこないかもしれません。

 

 

だからがんばるんですよね。

 

 

失望なんかされたくないから。

 

 

失望されてしまって関係性が破壊されるのはショックなことだから。

 

そんな浅い人間関係だったなんて思いたくもないから。

 

けどもしそんな浅い人間関係だったとしたら、自分が耐えられないかもしれないから。

 

相手から見捨てられないように一生懸命期待に応えようとします。

 

多少の無理なんか気にせず、全力で結果を出そうとします。

 

 

それでも相手の期待に応えることができないことってあるんですよね。




相手がこっちの能力をはるかに超えた期待をしていた場合や、万全の準備をしていたのにそのときに限って不運に見舞われたり、緊張で実力の半分も発揮できなかったりで。

 

相手の期待に応えてあげたかったのに、どうしてもそれができないときはやってきます。

 

相手があなたに期待をしてくるのなら、永遠にその期待に応え続けることなんて不可能なんです。

 

 

あなたは相手の期待に応えるために生み出されたものではないから。

 

 

すべての期待に応えられるほど万能でもないし、相手の期待とあなたの気持ちが正反対になることも多いです。

 

 

通常であれば、あなたが相手の期待に応えなくても相手は離れていかないと思います。

 

期待に応えてくれようが期待外れであろうが、あなたの存在自体に価値を見出してくれていると思います。

 

相手の期待に応えられなくて落ち込んでいるあなたを励ましてくれる人も多いと思います。

 

「そんなことぐらいでは関係は揺るがないから。」と安心させてくれます。

 

 

でも中には結果を重視してしまう人もいます。

 

結果を重視というか、結果がすべてだという価値観の人もいます。

 

そして実際にあなたを利用しているだけの人も・・・

 

そんな人はあなたから離れていく可能性が高いし、あなたが期待外れの人間であったことへの怒りをあなたにぶつけます。

 

あなたが相手の期待に応えることができなくて落ち込んでいても、励ますことなんかしません。

 

「わたしの方がつらいのに、なんでお前がつらそうにしているんだ!?」とブチギレます。

 

 

あなたはそんな相手を見たくないんですよね。

 

 

そうやって失望して「お前なんかいらない!」、「被害者ぶるな!」となってしまう相手の姿を見たくなかったんです。

 

だから必死になって相手の期待に応えようとがんばっていたんです。

 

失望なんかしてほしくないから、その可能性がたとえ1パーセントでもあるのなら、そんな現実が来ないように一生懸命がんばっていました。

 

そして何よりも・・・

 

 

相手に喜んでほしかったから。

 

 

相手の喜ぶ顔を見るために全力でがんばります。

 

自分が無理をして相手が幸せになるのなら安いものです。

 

失望をされる怖さももちろんありますが、それよりも『相手に喜んでほしい。』という気持ちが勝っていたはずです。

 

それでも今回はうまくいなかったんですよね。

 

失望されて現実には起こってほしくなかったことが起こりました。

 

どんな結果になろうと失望してほしくなかったのに失望されてしまいました。

 

 

このときはね、あなたもちゃんとショックを受けたらいいんです。

 

 

失望なんかしてほしくなかった相手に失望されたんですから、あなたも立派な被害者なんです。

 

相手の喜ぶ結果にならなくても受け入れてほしかったのに、相手は受け入れてはくれなかったのだから。

 

 

失望されたときはね、相手に失望していいんです。

 

 

それをしたくなくてあなたは苦しんでいるのかもしれません。

 

それができなくてあなたは自分を責めているのかもしれません。

 

相手に失望したくなくてあなたは精一杯闘っているのかもしれません。

 

失望なんかするのはいけないことだと思っているのかもしれません。

 

でもね、自分の気持ちを否定しすぎると心は疲れていきます。

 

心の優しいあなたには抵抗があるかもしれませんが、相手に失望をすることもときには大切なことだと思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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嫌いになりたくない!失望したくない!大切な存在でいてほしかった。

『人に好かれないといけない。人に嫌われてはいけない。』でも疲れた。

期待を裏切ってしまった。消えない罪悪感を消す方法。

嫌われたくないから無理をする。無理をするから恩着せがましくなる。

頑張っているのに認めてくれない。できて当たり前で褒めてくれない。

見捨ててしまった!救えなかった!守れなかった!それはただの勘違い。

期待に応え続けるのに疲れてしまったら

役に立たない自分は価値がない。誰からも必要とされなくなるのが怖い。

わかってくれていると思っていたのに、わかってくれていなかった

期待に応えられない自分は

「もっと思いやりを持て!」に注意。自分勝手な人に利用されるな!

皆さんの周りに『自分勝手だなー。』と思う人間はいませんか?

 

その人とは対等の立場のはずなのに、なぜか偉そうに命令してきたりする人はいませんか?

 

その人から「もっと思いやりを持て!!」って言葉を浴びせられたことはありませんか?




【もっと思いやりを持て】っていい言葉ですよね。

 

相手に思いやりを持って関わっていくと相手は喜んでくれるし、こちらとしてもうれしいです。

 

思いやりがないから互いに傷つけあったりするわけで、思いやりさえあれば傷つけあうことなんてありません。

 

あなたがもっと思いやりを持てばみんなが幸せになれます。

 

・・・

・・・

 

本当にそうでしょうか??

 

 

僕もね、定期的に言われるんです。「もっと思いやりを持て。」って。

 

僕の場合は大勢から言われることはなく、特定の数人とかになるんですが「そんなに自分のことばかり考えてどうするんだ!もっと思いやりを持てないのか!?」って言われます。

 

その人たちに共通していることとして僕の中では『え?よりにもよってあんたが言うの?』なんです。

 

『それはこちらのセリフですよ?』とか『いや、あなたって皆から自分勝手で周りに迷惑ばかりかけるって言われてますよ?』って人なんです。

 

『あなたに思いやりって概念があったんだ。』って驚かされます。

 

 

「思いやりを持て!」って言ってくる人って思いやりがないと思いませんか??

 

 

なんかややこしい文章になってしまいましたが、「思いやりを持て!」ってあなたのことを全然思ってなんかいないですよね。

 

だって思いっきり否定されています。

 

そりゃ極端に外れた行動や、人間としてそれはどうなのかといったことをいつもしているような人に言うのならともかく、人間の範囲内の人にはいう言葉ではない気がします。

 

人間として全然尊重してくれていないんですね。

 

 

「思いやりを持て!」言ってくる人たちはあなたに思いやりを持ってほしいわけではありません。

 

 

あなたに自分の都合のいいように動いてくれる人間になってほしいんです。

 

 

あなたのことを思って言ってくれているのではありません。

 

自分のためを思って言っているんです。

 

その人たちにとっての思いやりとは、自分の思い通りになってくれる人間のことなんです。

 

ようは自分の思い通りになってくれたらあとは、他人に対して思いやりがあってもなくてもどうでもいいんです。

 

 

あなたを利用したいだけなんです。




そのもっともらしい言い分として使われるのが「自分のことばかり考えるな!もっと人に対して思いやりを持て!!」です。

 

本当に思いやりがある人はそんな発言しないですよね。

 

少なくとも人に対して思いやりを持っているような人は、こんな人を傷つけるような言葉を選びません。

 

人に言う前にまずはあなたが思いやりを持てです。大ブーメランです。

 

だけどその人の言うことを信じてしまうこともあるんですよね。

 

 

あまりにもその人が自信満々に言うから。

 

 

『自分は思いやりがない人間なんだ。』と思い込んでしまうこともあります。

 

『もっと人に思いやりを持たなくてはいけない。』と思ってしまうこともあります。

 

『どうして自分には思いやりがないんだろう?』と落ち込んでしまうこともあります。

 

 

あのね、そういう風に思える時点で十分思いやりを持っているんですよ??

 

 

だって本当に思いやりがない人なら「人にもっと思いやりを持て!」なんて言われても気にもなりません。

 

思いやりなんて価値観がないから、思いやりを持たないといけないと思うこともないし、自分に思いやりがないと言われても『そんなの当たり前だよ?』で終わります。

 

 

「思いやりを持て!」と言われて突き刺さるのは、いつだって思いやりがある人間です。

 

 

元から思いやりのある人だけが『もっと思いやりを持とう!』と意識をするんです。

 

そして思いやりを意識しすぎて、しんどい思いをすることになります。

 

「もっと思いやりを持て!!」って人の言葉にだまされてはいけません。

 

そういうことを言う人は自分自身は思いやりを持っているつもりかもしれませんが、違う人からは「なんであの人は自分のことだけしか考えられないんだろう?」と言われている人たちです。

 

苦しくなるほどの思いやりを持ったことがない人です。

 

 

思いやりで困った経験がない人たちです。

 

 

思いやりで困るって時点で『そんなの思いやりじゃない。』と思うかもしれませんが・・・

思いやりってね、ありすぎると困るんです。

 

思いやりがあるために自分の本当の気持ちを殺してしまうことはよくあります。

 

思いやりがあるために自分の能力以上のものを抱え込んでしまうことはよくあります。

 

思いやりがあるために自分の人生を生きずに他人を支え続けてしまうことはよくあります。

 

思いやりは強すぎてもダメなんです。

 

 

「思いやりを持て!」と言う人たちにだまされないでください。

 

 

あなたは思いやりを十分持っています。

 

 

少なくともあなたに「思いやりを持て!」と言ってくる人よりも。

 

思いやりがない人があなたをもっと利用しようとして吠えてるだけです。

 

思いやりが強い人はときとして自分勝手な人を引き寄せてしまいます。

 

そしてただの自分勝手な人を傲慢ですごくわがままな人に成長さえさせてしまいます。

 

そういう自分勝手な人たちにあなたが利用されてしまうのは、あまりにももったいないことだと思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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毎日疲れてしんどくて。本当はヘトヘトでも弱音は吐きたくなくて。

皆さんは毎日がすごくしんどくて、ヘトヘト状態で生きているような状態になってはいませんか?

 

疲れているけど休むことができず、歯を食いしばってがんばってはいませんか?

 

今までは平坦な道を歩くような感じだったのに、今では崖をよじ登るような生活になってはいませんか?




これってあなたが限界近くまで身体と心を消耗させてしまったからなんです。

 

本当ならこんなことになる前にそれから逃げないといけなかったのに、あなたはそこから逃げることができなかったんですね。

 

『逃げてはいけない!』と気合を入れて生活を続けてきました。

 

『ここで逃げては負け犬だ!』と負けん気の強さで戦い続けてきました。

 

『他の人はしているから!』と自分だけが弱音を吐くことを嫌ってきました。

 

『もし逃げたとして、そこからどうする?他にいい案もないだろ?』と責任感を発揮して日常を守ってきました。

 

 

日に日に消耗されていく身体と心に、回復が間に合わなくなっても精神力の強さで無理をし続けてきました。

 

 

そう、あなたは精神力が強いんです。

 

 

あなた自身はそんなことを思っていないかもしれないですが、一般の人と比べても無理をできてしまうんです。

 

痛みや苦しさに対して我慢強く、耐えることができてしまうんです。

 

『これぐらいで弱っていってはいけない!』とあなたは認識してしまいます。

 

『しんどい。』と思うことは恥ずかしいことだと認識してしまいます。

 

だから周りにしんどいと伝えることなく自分の中でとどめます。

 

疲れを他人に見せることはカッコ悪いことだと思い込み、弱さを見せることは情けないことだと思い込みます。

 

 

でもね、みんな意外と疲れや弱さをさらしているんですよ??

 

 

あなたの周りに『すごく大げさだなー。』と感じる人間はいませんか?

 

『なんでこの人はこれぐらいのことですごくしんどいんだー!わかってよー!!』と周りにアピールできるのかと疑問に思ったことはありませんか?

 

『それくらいのことなら自分もよくあるし、他の人だってよくあることだろう?なぜ自分だけがしんどいんだって大声で伝えることができるんだろう?』と不思議に思ったことはありませんか?

 

『そんなに甘い自分を周りにさらけ出して、一体何の得になるんだろう?かまってほしいのならもっと普通にしていればいいのに、あんなんじゃ逆効果になるんじゃ・・・』とすら思えてしまう人はいませんか?

 

 

その人たちがあなたの先生です。

 

 

その人たちとあなたの中間がちょうど一般の人たちの立ち位置です。




あなたとその人たちは両極端な位置にいるんです。

 

あなたからしたらその人たちがなんであんなに泣き言を言っているのかわからないし、その人たちからしたらあなたがなんで泣き言も言わずに淡々としているのかがわからないんです。

 

目指せ中間地点です。

 

 

あのね、疲れているときは疲れているって言ってもいいんです。

 

 

あのね、しんどいときはしんどいって言ってもいいんです。

 

 

それらに黙々と耐えないといけないわけではありません。

 

泣き言を言ったら負けになるとかはありません。

 

弱音を吐かないのが強さだと思っているのならそれは違います。

 

そんなのは強さなんかじゃなく、ただ強がっているだけです。

 

 

疲れやしんどさをあなた自身が認めてあげないと、心は緊張したまま無理をし続けてしまいます。

 

 

そうすると疲れも急加速でたまっていきます。

 

今までは平坦で真っすぐな道を歩いていたのに、いつの間にか緩い上り坂が続いていくようになります。

 

だけどそのことにあなたは気づきません。

 

緩やかな傾斜なので気のせいだろうと思い歩き続けます。

 

歩いていくうちに坂道の勾配がどんどんきつくなっていることにも気づかないで。

 

いつの間にか息をハアハアときらすようになります。

 

歩くペースもだんだんと遅くなっています。

 

そんな自分にムチを打って同じペースで歩かせようとします。

 

息切れなんかを起こす自分が情けなくてイライラします。

 

 

そして一度限界が来て立ち止まり、後ろを振り返るとびっくりします。

 

 

すごい急斜面を歩いてきていたことにそのときになってやっと気づきます。

 

気づいたからには垂直に立ってはいられません。

 

手を地面につけ、転がり落ちてしまわないように身体全体で踏ん張ります。

 

そしていざ前を見てみると、そこにはもう見上げてよじ登らないと登れないような壁に変化しています。

 

このときに引き返すという手段をとることができていたらよかったんですけどね、残念ながらあなたには後退という文字はありません。

 

あなたの性格が来た道をゆっくりと引き返すなんてことを許しません。

 

崖下だろうが、壁のような角度だろうが、「よじ登れ!!」と命令します。

 

 

あのね、そこまで前進前進でいかなくてもいいんですよ?

 

 

ときには脇道にそれたり、歩いてきた道を引き返すことも大切なんです。

 

よじ登る前に一休みし、他に方法がないかを考えるのも大切なんです。

 

あなたのしんどさはね、他人にはわかりません。

 

本来ならあなたのしんどさはあなたにしかわからないもののはずです。

 

だけどあなたは無理をしすぎて、自分がしんどいのかどうかさえわからなくなってはいませんか?

 

あなたを大切にできるのも、あなたを過酷な環境に追いやるのも、あなた次第だというのは覚えていてくださいね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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