理不尽すぎる現実。言い聞かすのも疲れた。心が壊れそう。

皆さんは理不尽な現実を体験したことはありますか?

理不尽な現実というより、まともに考え出したら頭がおかしくなるような現実にぶち当たってしまったことはありますか?

 

理不尽な現実って本当に卑怯ですよね?




たださえ叫びたくなるような理不尽さなのに、理不尽には上限がありません。

気が狂いそうになる現実もたくさんあります。

 

多少のことなら心を穏やかにと心掛けることもできますが、それがあまりにも理不尽すぎた場合は受け入れることができません。

反撃したくなります。

 

実際にあなたはなにか反撃しているのかもしれませんね。

 

 

けどね、それをやっても現実は理不尽だということに変わりはありません。

 

 

あなたがいくら訴えかけても、世界を憎んでも、現実は一切関係ありません。

ただただ現実は理不尽だと伝えてくるだけです。

 

 

そのことはあなたもわかっていますよね?

 

 

理不尽なことをいくら訴えても仕方ないと思っていますよね。

だから怒りを抑えようとするんです。

あなたの本心は「ふざけるなー!!」と叫びたいのに、あなたは理性でストップさせているんです。

 

 

だから苦しいんです。

 

 

いっそのこと周囲に感情をぶちまけて、世界を堂々と憎んだ方があなたの負担は減るんです。

世界なんて嫌いになってしまえば、あなたの負担は減るんです。

 

 

でもあなたは、それをしないんですね。

 

 

世界なんて恨んでも仕方ない。

世界を憎もうという思考が歪んでいるから、世界から嫌われているだけなんだ。

そう思い込もうとして心を押し殺します。

世界にぶちまけてやりたいほどの強い想いを、あなたは自分一人で抱え込みます。

 

まあ、実際にはこれをするしかないと思うんですけどね。

世界を憎んで革命や殺人を犯そうものなら犯罪者になってしまいます。

そうならないためにあなたは理性を全力で働かせます。

 

 

でもね、この状況って普通じゃないんですよ?

 

 

犯罪を犯さないようにするのに理性を総動員なんて。

たいていの人は犯罪を犯そうという考えになりません。

というか、そんな発想すら出てきません。

 

 

あなたは今、あなたが考えている以上に危険な位置にいるのかもしれません。

 

 

このね、理不尽な現実って誰にも起こることではないんですよね。

もちろん、日常生活レベルでの小さな理不尽は誰でも一度は体験していると思います。

ですが、その理不尽の回数が人の何倍も多い人もいるんです。

その理不尽の大きさが人の何倍も大きい人もいるんです。

 

 

でも、そんな人たちは少数なんです。

 

 

テレビのニュースで妻と子を交通事故で亡くしたとかって報道されますよね。相手が車でこっちは歩道を歩いていた。相手が居眠り運転で100%むこうが悪い。夫は妻と子の思い出を語ります。泣きながら。もう二度と戻らない幸せな日常を思い描きながら。『なんで?』、『どうして?』、『なぜ?』そんなことを頭に思いながら。

 

そしてテレビの前で僕らは思うわけです。『うわーぁ、この人、かわいそうだなー。』と。そして報道を聞くたびに同情するわけなのですが、報道回数が少なくなってくるとともに、僕たちはこの人のことを忘れます。

数年後には『ああ、そういえばそんな事件があったなー。』、『へー、こんなことがあったんだー。かわいそうに。』となってしまいます。

 

 

この運命にあなたが選ばれないとは限りません。

 

 

でもそのことを誰も考えもしません。





一瞬は考えるかもしれませんが、それもすぐに忘れてしまいます。

 

ずっと『もしそんなことになってしまったら・・・』と考えていたら、心が壊れてしまうからです。

 

 

でも悪夢でもなんでもなく、現実としてそういうことになってしまう人は一定数います。少ないですが存在しています。

 

そういった人は、一体その後の人生をどうやって生きていくのでしょうか?

 

 

一時的にはすごく同情してくれると思います。周りはあなたに対して必要以上に気を遣い、優しく接してくれます。

ですが年月が経つとそれが腫れ物扱いに変わるのではないでしょうか?

 

これは知人から聞いた話なのですが、あるエリート一家の息子が家で首をつって自殺していたそうです。学業についていけず、親の期待も大きく耐えられなかったのだろうと憶測が飛びかったそうです。

そして初めのうちは【息子さんを失った気の毒な一家】として周りは振る舞っていたそうですが、次第に変貌していきます。その土地に新しい人が入ってくると新しい人にこう教える人がいるそうです。【息子さんが自殺した家】と。

 

 

両方とも事実ではあるのですが、これって受け取り方が全然違いませんか?

 

 

【息子さんを失った気の毒な一家】なら仲のいい家族だったのに、愛していた息子さんを失ってしまったかわいそうな家族となります。

【息子さんが自殺をした家】なら家庭内に問題があって、息子を自殺にまで追いやった、あるいは、息子さんが自殺しようとしたことにも気づいていなかった家族となります。

 

結局その家族は近所の人のそういう態度に我慢することができず、誰にも行き先を告げずに出て行ったそうです。

 

別に近所の人に悪意があったわけじゃないと思います。

でも徐々に【かわいそうな一家】から【何らかの問題がある家】に変わっていきました。

 

 

こんなのってあんまりでしょう??

 

 

一番悲しいのは当事者なんです。

 

 

「気持ちはわかるよ!」と言ってくる人もいると思いますが、当事者の気持ちなんてもっと不幸な思いをした人にしかわからないんです。

それ以外の人は軽い気持ちでわかったつもりになっているだけです。

そんな中で生きていかなければいけません。

 

 

理不尽すぎます。

 

 

『世の中は平等じゃないんだ。』、『自分よりもっとつらい思いをしている人はたくさんいる。』という訳のわからない呪文を何回も唱えながら。

壊れそうになる心を何度もコントロールしながら。

 

 

大きな理不尽はね、それを乗り越えたら終わりじゃないんです。

 

 

将来にずっと影響を与え続けるんです。

 

 

解決法なんてありません。

本当に過去に戻らない限り。

 

情緒不安定になってもかまいません。

精神が不安定になってもかまいません。

 

 

なにが理不尽かは一人一人違います。

 

 

その人がすごく理不尽だと思っていることでも、周りからしたら理不尽でもなんでもないごくごく普通のことと解釈されることもあります。

 

世の中ね、理不尽なことばかりです。

 

頭が割れそうな理不尽はね、抑えつけようとしなくていいんです。

いくら納得させようと思っても、納得なんかできるわけがないんです。

 

 

理不尽はね、向き合わなくていいんです。

 

 

理不尽を肯定してはいけないこともないし、理不尽を否定しなければならないこともないんです。

時間を何年も重ねていき、その後もさまざまな経験をしたうえで、『世界なんてこんなもんかー。』、『まあこういうこともあるよなー。』と思えるようになったら、理想的なのではないかと僕は思います。

 

そこまでの道のりは本当に長くて厳しいものですが、苦しい自分、悲しい自分、怒っている自分、つらい自分、恨んでる自分、そしてなによりも、がんばっている自分を認めてあげてくださいね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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