障害を受け入れられない情けない自分。どうして立ち上がれないんだろう?

前回『当たり前の生活が一変。障害を受け入れる過程。』で障害の受け入れ方についていて書きましたが、障害を受け入れるのは簡単なことではありません。どうしても過去の自分、元気だった自分が頭をよぎってしまうことがあります。

何年たっても心が晴れずに、このまま終わっていくのかと思ってしまう人もいます。

もう吹っ切れたと思っていても、なにかの拍子で突然思い出し、悲しみにくれてしまうこともあります。

 

障害を受け入れるのは本当に難しいです。





自分と同世代はバリバリ現役で働いて、走り回って、生き生きしているのに、こっちは介助をしてもらわないと満足に外出もできない。

一人でできて当然だと思っていたこともできなくなり、家族の負担になっている。「気にするな。」と優しく接してくれるけど、重荷になっているだけなんじゃないか?家族がいるときは明るく気丈に振る舞うけど、一人になると涙が止まらない。

 

『どうして自分が・・・?』考えても無駄なことだとわかっているのに、考えずにはいられない。

 

いくら涙を流しても枯れてくれません。

『こんな状態で生きながらえるより、いっそのこと死んでしまいたい。』

こんなことを考えてしまう自分が、ひどく醜い人間に思えてしまう。

 

いつまでもクヨクヨしていたって仕方がないことはわかってる。

自分よりもっとつらい体験をしている人でも、立ち直って前に進んでいるのもわかっている。

甘えているだけなのかもしれない。

みんな立派に克服して前に進んでいるのに、自分は受け入れることもできずにただ立ち止まっているだけ。

 

 

でも、どうしても『なぜ?』、『どうして?』が消えない。

 

 

前になかなか進めない。

 

悩んで泣いている間に時間だけが過ぎていく。

 

 

このままではいけないと思い行動しようとするも、周りの視線が気になる。好奇の目で見られ、経緯を話すと同情されます。

そのたびに惨めな思いをしてしまいます。

外出が嫌で引きこもってしまうこともあります。

 

 

そのときはいくらでも引きこもっていたらいいと思います。別に慌てる必要はないです。気が済むまで立ち止まっていたらいいと思うんです。時間を無駄にしていると感じるかもしれませんが、そんなことはないです。

 

その時間こそが前に進むために必要な時間なんです。





・・・
ただ、周りがそれを許してくれないこともあります。

 

受け入れるまでに時間がかかりすぎてしまうと、あなたにとって親しい人、家族や親友から「何年前のことだと思ってる!いつまでも引きずるな!」、「ちゃんとがんばれよぉー!みんな乗り越えているだろ!?」といった言葉が出るときがあります。

 

この言葉ってつらいんですよね。

 

自分が誰よりもわかっていることだから。

 

大切な人たちからそんなことを言われてしまうと、わかってくれないという孤独感を感じてしまいます。

 

その後少し冷静になると、自分を心配して言ってくれているんだとわかります。

そしてその想いに応えられない自分が情けなくなってしまいます。

 

心が軽くなるどころか、プレッシャーでさらに重くなってしまいます。

 

 

でもね、これって実はあなたのためじゃないんです。

 

このままではあなたがダメになってしまうと思って相手は言ってくれているんですが、本当の心はそうではないんです。下を向いているあなたをこれ以上見たくない、苦しいという相手の勝手な願望なんです。

 

あなたを思ってではありません。

 

相手は自分を助けてほしくて言っているんです。

 

 

そこまで相手が苦しんでしまうのは、あなたのことがすごく大切だからなんですけどね。他人なら放置もできますが、あなたは大切な人なんです。

相手もあなたが泣くたびに自分の無力さを痛感するのだと思います。

もしかしたらあなた以上に苦しんでいるかもしれません。一緒に苦しんでいるからあなたに助けてほしいという思いがあふれてくるんです。

 

相手からのSOSなんです。

 

でも、このSOSは無視していいんです。非情かもしれませんが、あなたは重体なんです。

 

あなたには他人を助ける余裕はないんです。

今は自分のことだけを考えるようにしましょう。

 

それが結果として相手を一番早く救える方法になります。

 

前に進めない自分を許してあげてください。

自分だけが不幸だと思っている自分を許してあげてください。

大げさかもしれない自分を許してあげてください。

 

 

そこまで苦しんでいるあなたが動けないのは、それだけ重体だからです。甘えでも大げさでもありません。

 

じっと立ち止まっているのって、はたから見ている以上に楽なことではありません。意外としんどいんです。むしろゆっくりでも進む方が楽なんです。

でもあなたがそれをしないのはできないからです。

しないんじゃありません。できないんです。

 

熱が38度のときって気合を入れたら動けると思います。普段と同じ生活をしようと思えばできます。
でも熱が40度あったらどうでしょう?気合がどうのこうのの問題じゃないと思います。

もし40度の熱があって普通に生活をしている人がいたら、「すぐに病院に行け!」、「大人しく寝ていろ!」と言うでしょう?「ちょっと肩でも揉んでくれよ。」なんて言わないでしょう?

 

だからあなたは大人しく安静にしていたらいいんです。

 

周りに悪いなと思う必要はありません。

 

 

40度の熱で「掃除機かけるね。」と動き回れてもいい迷惑です。大人しくしていてください。

 

障害を受け入れることができないと悩まれている人は、今は受け入れる必要はありません。

 

『5年も前なのに・・・』

違います。

まだ5年しか経っていないんです。

 

そんなに自分をいじめないでください。

あなたは怠けているわけではありません。

あなたはもう一生懸命がんばっています。

身体に鞭を打って走っています。

 

どうか、今、がんばっているあなたを、これ以上責めないであげてくれませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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当たり前の生活が一変。障害を受け入れる過程。

障害・・・身体や精神や知能などが、正常な人間と比べて劣っている状態ですね。一般人以下という証明です。

生まれた時点から障害を持っている人もいますし、生まれた時点では障害はなくても、生きているうちに病気や事故等により障害を負ってしまうことがあります。

あるとき目を覚ましたら病院のベッドの上。一時的に車いすを使っているだけのつもりが、リハビリをしても効果がない。「以前の状態に戻ることはない。」と医師から告げられる。

なんてことがあります。




以前は健常者だったのに、障害者になってしまうことがあります。

人生が一変します。

 

 

まずね、現実だとは思えないんですよね。今は夢を見ているだけで、目を覚ますと以前の状態に戻っている。悪夢の中にいるだけと思います。

ある意味、他人事状態です。

 

次に、自分が正常に機能しないことを意識しだします。当たり前にできていたことができなくなっていることに気づきます。『自分なわけがない!』、『ちゃんと正常に機能するはずだ!』、『必ず治る!!』と現実を否定します。

 

でも、戻りません。現実として障害者としてのあなたが付きまといます。『違う!!』、『離れろ!!』と叫んでも離れてくれません。

 

悲しみがとまりません。『どうして?』、『なんで?』以前の生活を想い、これからの未来を想像し涙します。

泣いても泣いても現実は変わりません。もうあの頃のようには戻れないと理解をしだします。

 

『なにを失ったのだろう?』と考えます。そして『なにをまだ失っていないんだろう?』と考えるようになります。

最終的には『この状態でなにを手に入れられるんだろう?』と考えるようになっていきます。

 

 

受容過程を簡単に書きましたが、それぞれの段階で信じられないくらい高い壁を越えていかないといけません。

何日も何日も、何十日、何百日とかけて壁を越えていきます。

 

 

これは生まれつきの障害者にはない過程です。

 

途中から障害者になってしまった人だけが通る道です。

 

 

健常者から障害者に落ちてしまった人だけが通る道です。(障害者に落ちるという表現は批判があるでしょうが。)

 

特に20代から60代ぐらいになってしまうのが、一番ダメージが大きいのではないかと思います。

 

いままで健常者として生きてきた時間が長かった分、障害を受け入れるまでには時間がかかります。周りの自分の年代をみても現役バリバリで働いているのに、『自分はできることが限られている。情けない。』と思ってもしまいます。思い描いていた将来像が一瞬で粉々になってしまうこともあります。

 

『いつまでもクヨクヨするな!!』は頭ではわかっていますが、自分が当事者になってしまうと理屈じゃありません。

『なぜ、自分なんだ。』が呪いのように付きまといます。この気持ちを消し去ることは本当に難しいことだと思います。




僕もね、人より少しハンデを抱えて生まれたんです。見た目には普通の人と変わりないし、日常生活にほとんど支障はないのですが、何万人に一人だか、何十万人に一人だかの障害が生まれつきあります。(どうせ何万人に一人かなら宝くじでもあたってほしいですが。)

でもそのことで小学生の時に劣等感やコンプレックスを持っていたかと言えば、全然そんなことありません。障害を持っていると知ると驚かれたり、同情されたりしたこともあったのですが、びくともしませんでした。

 

その障害で全然悩まされていなかったからです。

 

その障害を抱えていることが自分の当たり前の世界だったから。驚かれても『大げさだなぁ。』と思ったし、同情されても『なんでこの人同情してくるの?』と不思議でした。もし、手術とかで治ると言われても『これが自分なんだから。』と断っていたと思います。『障害のない自分なんて気持ち悪い。』と。

 

今はこんなにも跳ね返すことができなくなってしまいました。

 

人生経験を積んでいくにつれて、やっぱり不利な面はどうしても出てくるんですね。こんなことで人生は左右されないと思っていても、障害があることによってうまくいかないこともあるんです。

色々と『こんな障害がなければ・・・』と考える機会が増えました。

遺伝性なのですが、『子どもに遺伝したらどうしよう?こんなつらい思いさせたくない。』といった感じで、障害を個性ではなくハンデだと認識してしまうようになりました。

その後は自己否定ですよね。『なんで自分はこんな障害を持って生まれてきたんだ。』、『どうして普通の子のように産んでくれなかったんだ。』と自分や親まで恨むようになりました。その感情はすごく醜いもので、自分が汚い人間になってしまったように感じました。

 

ただ、僕の場合は障害受容はかなり軽度だったと思います。

 

正常な状態を体験していないから。

 

だからいまひとつ正常な状態というものを想像できないんです。

 

 

兄弟がいない人ならわかってくれると思うのですが、「一人っ子は寂しいね。」と言われたことありませんか?

これって『???』ってなりませんでしたか?『別に寂しくともなんともないよ。』って思いませんでしたか?

 

 

最初からなかった人は、苦しまないんです。

 

 

最初から目が見えない人は、周りから思われているよりも不自由していないんです。
最初から耳が聞こえない人は、周りから思われているよりも自由なんです。

 

あなたは自分の背中に羽がなくて飛べないことを、真剣に悔やんだことはありますか?

 

 

最初からなかった人は苦しみません。

 

 

途中から失ってしまった人が苦しみます。

 

 

兄弟の例に戻りますが、最初から一人っ子だったらそんなに寂しくないんです。でも、3歳上の兄がいて、10歳のときに事故で亡くしてしまったら、めちゃくちゃ寂しいと思います。寂しいという表現ではぬるいほどの想いがこみ上げてくると思います。

 

もし、なにかのきっかけで障害を抱えてしまい、いま悩んでいるのなら、無理に受け入れようとしなくていいと思います。

 

あなたは一番しんどい立場に立たされています。

 

 

「いつまでも下を見てないで、ちゃんと前を見ないと!」と言ってくる人もいるかもしれません。

 

でもね、他人は無責任なんですよ。気軽に言ってくるんです。軽く流してください。立場が逆なら相手も泣き続けているし、あなたも相手に無責任なことが言えるんです。

 

真に受けすぎるのは要注意です。

 

相手の言っていることが正しいとは限りません。というか、相手が適当なことを言っている場面って想像よりはるかに多いんです。

 

障害を抱えて悩んでいるのに、満足に悩ませてももらえない。「早く復活しろ!!」と言ってくる相手。そんなこちらの想いも汲んでくれない自分勝手な人たちの言葉に耳を傾ける必要はありません。

 

 

あなたはもう十分がんばっています。

 

今できることを精一杯しています。

 

焦る必要はありません。

 

障害を受け入れられない自分を責めないでください。

 

周りの言葉は所詮他人事です。

 

 

障害だとわかり心に傷を負ったのに、期待に応えられない、早く回復できない、と傷を広げる必要はありません。

 

現実逃避、無気力、それが当たり前です。

 

 

数カ月で乗り越えられる人もいますが、そういった人はあなたが思っているよりも少数派です。

映画やドラマといった創作物はやけにあっさりと受け入れてしまいますが、現実はもっとドロドロです。あんな簡単なものではありません。

 

誰かの一言であっさりと前向きになれるような単純なものではありません。

地獄の苦しみと闘っていかなければなりません。

 

期限を決めることなく、受け入れようとして泣いて、前に進もうとして絶望して、それでも前を向こうとしてを繰り返してください。

 

ありがちな言葉ですが、神様は乗り越えられる人にしか試練を与えません。

あなたなら焦らなければ必ず乗り越えられます。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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人の言葉に過剰反応してしまう。傷つきやすい性格が嫌い。

人の言葉に過剰に反応してしまうことってありませんか?

相手が何気なく言った言葉を必要以上に重くとらえてしまったり、必要以上に強く反論してしまったり。相手は言いたいことを言ってスッキリしているみたいなのに、自分だけがいつまでも引きずってしまっている。

そのことでひどく悩んでしまったりしたことはありませんか?

 

あれってどうしてなのでしょうか??



自分を守りたいからです。

自分の心を守りたいから過剰に反応してしまうんです。

 

自己防衛としては正常な反応です。

 

ただ、自分が過剰反応をしていることを理解しているときは、自己防衛の正常な反応だとは思えません。器の小さい人間臆病者のように感じてしまいます。ひどくみじめな気分になってしまいます。

 

過剰反応をしてしまうことは元々の性格も影響しますが、きっかけがあることも多いんです。

 

 

ある日玄関のチャイムが鳴りました。宅配便の格好をした男性でした。鍵は普段から施錠していません。何気なくドアを開けると相手はナイフを持っていました。宅配便のふりをした強盗でした。生きた心地がせず、怖い体験をしました。

あなたは今度からチャイムが鳴ると身体がこわばってしまいます。何気なくドアを開けることは二度とありません。玄関は常時施錠しています。相手の要件を伺い、ゆっくりとドアを開けて来訪者の様子を確認します。

 

片手に金属バットを持って。

 

 

こんな感じなんだと思います。

怖い体験やつらい思いをしたから神経が過敏になっているんです。

気にしすぎているんです。

 

これってすごく疲れるんですよね。

周りのことを敵だと思っているから。

 

いつ誰が襲い掛かってくるかわからないから、金属バットを手から離せないんです。

一人にならないと気を休めることができないんです。

 

しかも周りからはおかしなヤツと思われてしまいます。

いつも金属バットを片手で持っている人。そんな人、危険すぎます。近寄りたくないですし、できれば距離をあけたいと思われてしまいます。

 

なにより、あなただけでなく、相手もあなたといると緊張するんです。

 

当たり前ですよね。

近くで金属バットを持って自分をにらみつけてくる人がいる。

相手からしてみたら、いつ殴りかかってくるかヒヤヒヤです。一つ一つ考えて言動をします。

 

要注意人物として特別扱いをされてしまいます。





その場限りの相手ならまだいいですが、長い付き合いをしなければいけない相手とならその関係性はマイナスに働きます。

 

特別扱いをしなければいけない人間とずっと一緒にいるのって疲れるんです。

友人と一週間同じ部屋で生活しないといけないのと、会社の上司と一週間同じ部屋で生活をしないといないのと。どちらが精神的に疲れるかは考えるまでもないですよね。

 

相手はあなたのことを苦手な人として認識してしまいます。

 

相手が苦手意識をもって接してくるので、あなたも居心地が悪いんです。あなたも相手に対して、一緒にいても楽しくない人、苦手な人になってしまいます。

 

それが特定の個人に対してなら普通のことなんですが、あなたの場合はアンテナの感度が高すぎるんです。一人二人の話ではなく、大多数に向けて警戒心をむき出しにしている状態になっているんです。

そうなってくると周りの空気が変わってきます。

 

『いつ自分を攻めてくるかわからない。大人しく目立たないようにしてやり過ごそう。』となり、相手から関わってくるのは必要最小限になってしまいます。

 

孤立してしまいます。

 

 

誰もあなたのことを理解してくれないし、わかろうともしてくれないんです。

あなたと周りに大きな溝ができてしまいます。

孤独感を感じてしまいます。

 

ただ一つ覚えておいていただきたいのは、皆には悪気はないんです。皆があなたにいじわるをしてやろうと結託しているのではなく、一人一人はバラバラなんです。ただ一人一人が、あなたに対して同じ行動をしているだけなんです。

あなたに緊張しているだけなんです。

 

これの予防法は金属バットを持ち歩かないことなんです。

敵なんていないんだと理解することなんです。

 

『あいつは俺の敵だ!』、『あの人はわたしの敵。』と思って接するから、実際に敵になってしまうんです。

 

金属バット、捨てちゃいましょう?

 

 

敵なんかいません。

敵を作っているだけです。

 

たしかに全ての人があなたの味方ではありません。

でも、全ての人があなたの敵だということではないんです。

 

 

もう一度それを信じてみませんか?

 

 

過剰反応をしてしまうと、相手も過剰に反応してきます。

お互い疲れてしまいます。

そうなるとお互い相手のことが苦手になってしまいます。

悪循環です。

 

まずはあなたから変わってみませんか?

相手に『どうして?』ばかりを求めても、変わってはくれませんよ?

金属バット持ち歩かないと不安ですか?家に置いていくわけにはいきませんか?

 

怖いですよね?

金属バットがないと安心できないですよね?

 

でもそれが余計に周りのあなたに対する警戒心を強めているんです。

あなたも相手も心を疲労させてしまいます。

 

でも、いきなり金属バットを家に置いていくというのも難しいです。

あなたにとって周りは皆武器を持っている人なんですから。金属バットでも心もとないのに、それを持ち歩かないなんて耐えられないかもしれませんね。

 

まずは木製バットを買いに行きませんか?

しばらく木製バットで慣らしませんか?

 

徐々に徐々に殺傷能力の低いものに持ちかえていきましょう。

 

周りが襲ってこないことを確認しながら。

敵なんていないことを確認しながら。

 

 

なにも持ち歩かないことに不安なら、そこまで目指す必要はないと思います。

最終目標はしゃもじを持ち歩くぐらいでいいんじゃないですか?

 

過剰反応をしてしまうのは、原因が外部にあることが多いです。つらい体験や悲しい思いをしたことがあるから金属バットを持ち歩くようになったんです。

 

最初は外からの刺激でした。

 

あなたが悪いわけではありません。

 

 

でも、今、過剰反応をしてしまうことに悩んでいるのなら、そろそろ周りを信じることにチャレンジをしてみてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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過剰反応してくる人間には要注意。言葉を鵜呑みにしてはいけない。

どうしてこんなに被害妄想が強いの?惨めな自分が嫌だ。

こんなことで拒絶反応が出るなんて。自分はなんて弱いんだろう。

相手から傷つくことを言われたときは

全否定された時の対処法!問題があるのはあなたじゃなく相手。

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努力が足りない?頑張っているつもりなのに責められるときは。

自分を責めてくる相手には

自分の価値観を押し付けてくるわがままな人との関わり方。

自分が大嫌い!!ここから自分を大好きになるには?

何の取り柄もない私。強い劣等感から解放されるには。

皆さんはなにか人に負けないものを持っていますか?

これだけは他の人に負けない自信がある、他の人より優れている、といったものがありますか?挫折を味わってしまったときに、取り柄があるのとないのとでは精神的負担が全然違います。

なにか取り柄があると自分の自信、支えになります。取り柄があるのとないのとでは自己肯定感が違ってきます。

「人間なにか一つは取り柄があるもんだ。」という言葉はよく耳にしますが、これって本当なのでしょうか?




人が当たり前にできていることができなかったり、できるようになるまで人の何倍もの時間がかかってしまう。要領が悪いというレベルではなく、あきらかにおかしいレベル。自分の中でこれには自信があると思っていたものでさえ、人並み以下。手を抜いているわけではないのに「真剣にしろ!」と指摘される。

気がつけば自信なんてものはどこかに消え去ってしまって、残っているのは劣等感ばかり。

 

こういう人もいると思うんですよね。(僕もこのタイプです。)

 

本当に誰にでも取り柄はあるのでしょうか??

・・・
・・・

誰にでも一つは取り柄があります。必ず。

 

ただ使用頻度ですよね。

毎日取り柄を発揮できる使い勝手のいい取り柄か、五年に一度しか使用することができない使い勝手の悪い取り柄かの違いはあります。

テレビのリモコンのように手を伸ばせばすぐに使える取り柄か、金庫に入れて土に埋めたタイムカプセルのような取り柄かの違いなんです。

 

何の取り柄もないと悩まれている方は、使い勝手の悪い取り柄なんです。普段は奥深くに隠れているため、探し出すのも一苦労な取り柄なんです。

 

『いや、それはないのと一緒なんじゃ・・・』と思う人もいると思いますが、違います。ゼロではありません。必ずプラスです。

 

あなたにも取り柄は必ずあります。あなたの場合はそれが人よりもわかりにくいところにあるだけです。

 

一目でわかるような目立つ取り柄だったらよかったのに、カメレオンのように周囲の色と同調してわかりにくくなっているだけです。

それを探しているうちに疲れてあきらめてしまう人もいます。『自分は何の取り柄もない。』と思い込んでしまい、自信がなくなり、自己肯定感が弱まります。そして自己否定感が強くなり、劣等感を抱いてしまいます。

 

 

この劣等感って、心を暗くする効果があるんです。

 

 

『自分は人と比べて劣っている。』、『こんなこともできない。』、『それなのにあいつは・・・』といった思いを感じてしまいます。

 

うれしくないですよね?

でもね、このうれしくない劣等感なんですが、ある一つのことを教えてくれるんです。

それは・・・

 

 

あなたが真面目に、真剣に、努力して、一生懸命生きているってことです。

 

劣等感を抱いてしまうのは、あなたが普段がんばっているからなんです。





部活動でレギュラーから外されてしまいました。『誰よりも練習をしていたのに・・・』

自分は独り身なのに周りは次々結婚していきます。『あいつでさえ結婚できてるのに・・・』

後輩だけがどんどん出世していきます。『私のほうが先にこの仕事についているのに・・・』

がんばっているのに。努力しているのに。練習しているのに。

 

~のにって劣等感にはつくんです。

 

 

あなたがやっているのに、あなたの願う場所にたどり着けていない状態なんです。報われていない状態なんです。

レギュラーから外されても、もともと幽霊部員であったのなら劣等感は抱きません。誰よりも一生懸命練習してきたのに、人並み以下だったから劣等感を抱いてしまうんです。

 

劣等感ってあなたががんばってきた証なんですよ。がんばってきたというか、今もがんばっているから劣等感を抱いているんです。

 

がんばってきたのに何の取り柄もないと思っているから、劣等感を抱いているんです。

 

・・・

でも僕は、あなたの取り柄、ひとつ見つけましたよ?

 

普通の人よりも真面目ながんばり屋さんだという取り柄を。

 

努力家で真面目、これって取り柄じゃありませんか?

 

努力は誰にでもできることって思っていませんか?

 

真面目なことは当たり前だと思っていませんか?

 

普段あなたができているから、これって大したことないって思っていません?

 

 

実はこれって、あなたが考えているよりもはるかにすごいことなんだと思います。

 

 

努力をせずに結果だけを求める人間、たくさんいます。

劣等感から目をそらし見ないようにしている人間、たくさんいます。

 

あなたのように努力して、それでも報われなくて葛藤している人って、実は少数派なんじゃないでしょうか?

 

劣等感と向き合うことってつらいことなんですよね。でもあなたはそれを正面から向き合おうとしています。

 

すごく素敵な人だと思います。あなたは自分で気づいていないかもしれませんが、周りから見たらあなたは誠実で努力家のように映っているのではないでしょうか?あなたの周りには、あなたのようになりたいと思ってくれている人もいるかもしれません。

あなたには素晴らしい取り柄があります。劣等感なんて本当は抱く必要ないんですよ。誇ってもいいことだと思います。

 

あなたはすごい努力家で、真面目すぎるんです。一般的には長所と言われるものなんですが、あなたの場合はそれが大きすぎるんです。それが今回あなたの首を絞めているわけです。

努力家で真面目、いまのあなたにはそれが短所になります。

 

長所を短所にしてしまえるのが、あなたのすごいところで、めんどくさいところです。

何の取り柄もないと思っているかもしれませんが、少なくとも長所が短所になるほどの努力家で真面目というしっかりした自分の芯がある人だと思います。

劣等感で悩まされているのは、劣等感から逃げずに向き合っているからですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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こっちがよかれと思ってやったことが相手にとって迷惑であったり、このぐらいやらなくていいだろうと思ってやらなかったことが後から大問題。

甘く考えていたせいで取り返しのつかない事態になってしまうこともあります。

自分の選んだことがすべて不正解のように、全てが悪い方向に流れていく。




まるでなにかに呪われているんじゃないかというほど、試練ばかりが襲い掛かる。

なんとか乗り越えたと思って一休みしようと思ったら、さらに大きな試練がやってくる。

いままでと特に生活を変えたつもりはないのに、外れクジばかり。

 

『運?』

 

『たまたま?』

 

何か悪いことした?

 

底なし沼にはまってしまったかのように動けば動くほど沈んでいく。『なら動かなければいい。』とじっとしていても、お前の選択は間違いだと言わんばかりにどんどん沈んでいく。

 

一体どうしろと??

 

これね、原因がわからないことも多いと思うんです。

『自分の心が弱っているから受け取り方の問題か?』とも思うんですけど、『普通に心が万全の状態であったとしても同じだ。そもそも心の問題じゃない。』と思うこともあります。

 

世界から嫌われてしまったのかと思うほど、次々に試練が襲い掛かり、自分にとってよくないことばかりがおこる。昨日がどん底だと思っていたのに、今日はそれを超えてくる。

原因がわかれば対策も立てられるけど、大事な歯車がどこかに飛んで行ってしまったんじゃないかと思うほど噛み合わず、崩れていく。

『これが原因かも!?』と対策を立て実行するも、それをあざ笑うかのように違う角度から攻めてきます。まるで誰かが「明後日の方の努力ご苦労さん。」と言ってきているよう。

 

「そんなにわたしが嫌いか!!」

と叫びたくなってしまいます。

 

『いままでどうやって生きてこれたんだろう?』と思えてしまうほど、生き方がわからなくなってしまう。

いままで道を歩いてきたと思っていたのに突然なくなり、自分がどこにいるのかわからなくなってしまいます。迷子になってしまいます。

 

どうやって生きていましたっけ?





こうなってしまうとなにもかもに不安になってしまうんですね。テレビのドッキリ番組ではないですけど、次になにが起こるのかビクビクしてしまいます。

 

いままではある程度予想ができていたんです。

自分にとって都合が悪いことが起こりそうだったら、それを回避するように歩いてこれたんです。

段差があるからこのままだとつまづく。『足を高く上げよう。』と調整して生活してきたんです。

 

それが急に真っ暗になってしまうんですね。

なにも見えません。段差がどこにあるのかわかりません。

地面がひび割れているところもわかりません。溝も見えません。

 

目を閉じて何歩か歩いていただいたらわかると思うんですが、なにも見えない状態で歩くことってすごく怖いんですね。

前が見えない不安、障害物がどこにあるのか見えない恐怖、ちゃんと前に進んでいるのかわからない疑心、、、心を容赦なくいじめてきます。

 

 

これの解決方法って至ってシンプルです。

 

『いちいち気にしない。なるようになれ!』です。

 

 

悪いことばかり起こる?

まあ、そういうこともあるんでしょう。

 

いままではうまくいっていたのに・・・

いままでが運がよかっただけでしょう。

 

 

なんか投げやりと思えるかもしれませんが、わりと真面目です。

 

『こんなもんだ。』と思いましょう。

 

 

どうしようもならないこと、世界にはあります。

不条理なこと、世界にはあります。

どうにかしようと思ったって無理なときは無理なんです。

 

そんなもんなんです。

 

 

これにムキになってしまい、『次はなにが起こるんだ!』、『対策をしっかり立てないと!』と考えてしまうと、心がずっと緊張している状態になるんです。

 

 

あなたは外を歩いているとします。

曲がり角があります。その角で誰かが自分を「わっ!!」と驚かそうとしていると考えてしまいます。

犬を散歩している人が向かいから歩いてきます。飼い主のヒモから抜け出し、噛みついてくるんじゃないかと想像してしまいます。

看板の下を歩いています。この瞬間に看板が落ちてくるんじゃないかと上ばかり注視してしまいます。

 

 

結局はこれと同じなんですよね。

上に書いた3つってほとんどが可能性が低いことなんです。でも絶対に起こりえないことでもないんです。

曲がり角を歩く機会も、散歩中の犬とすれ違う機会も、看板の下を通る機会もめちゃくちゃあります。数えきれないんです。

なのに、その一回一回に『もしかしたら』を考えて、頭を使う、身体をこわばらせる。

 

 

めちゃくちゃ効率悪いでしょ?

 

 

石橋を叩いて渡ると言えばまだいいですが、これはあきらかにやりすぎです。

石橋を徹底的に叩いて壊している状態です。

 

余計な力を入れすぎです。

 

一度心の力を抜いてみましょう。

あれこれ考えるのやめてみましょう。

 

悪いことばかり起きて八方塞がり状態になってしまうこと、あります。

未然に防ごうとしても防げません。

 

こういった状態で考えすぎても意味はありません。疲れるだけです。

『運命』なのか『偶然』なのか『バチ』なのかはわかりませんが、

 

なるようにしかなりません。

 

深く考えずに流れに身を任せるのもありだと思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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強かったあの頃に戻りたい!弱った自己肯定感を高める方法。

なにかに思い悩んでいるとき、心が弱くなったと感じるとき、最終的にたどり着くワードはこの自己肯定感だと思います。

『自分はこのままでいい。』、『このままが自分なんだ。』と今の自分を肯定する気持ちですね。

心を軽くする手段として自己肯定感を高めればいいとよく書かれています。

弱っている心の切り札ともよべるものです。




どんな悩み事も、この自己肯定感さえ高ければ解決します。

逆に今悩んでいるのは、この自己肯定感が低くなっているから悩んでいるんです。

 

この自己肯定感を高めることができれば心の負担は軽くなるのですが、、、

 

自己肯定感を高めることはめちゃくちゃ難しい!!

 

深く思い悩んで、心が弱っているときには一番難しいことだと思います。

 

 

本などを見ると簡単そうに書いているけど、書いている内容を実践するのは、今のあなたには何よりも難しいことなんですね。

だって、

それができていたら心がここまで弱っていないから。

 

それができなくなってしまったからこそ、こんなにも疲れているのだから。

 

自己肯定感を高めようとして日々奮闘している人や、思うような結果がでず挫折してしまう人も多いと思います。

教えられたとおりにがんばっていても、些細なことで自己肯定感が崩れていきます。

 

 

自己肯定感を高める方法は積み木を一つ一つ積み上げていく作業のようなものですが、それがかなり難しいです。

まずね、安定した台の上に積み上げることができないんですね。自己肯定感が低くなっているときは土台から不安定なんです。プールに浮き輪を浮かべて、その浮き輪の上に積み上げていくようなものなんです。少ししか積み上げらないし、積み上げてもすぐに崩れてしまいます。

難易度マックスです。

 

それでもがんばって積み上げていきます。

何回も、何十回も、何百回も積み上げることをしていくうちに、コツのようなものがつかめてきます。いままでにない高さにまで積み上げることに成功します。

そこで浮かべ続けられていたらいいのですが、自己肯定感って厄介なんですよね。

 

プールに悪ガキが飛び込むんです。ドバーン!!

外部から邪魔をされるんです。

せっかく苦労して高く積み上げられたのに、波が来て崩れてしまうんですね。

一瞬で。

無残にも。

あんなにも苦労して積み上げたのに。

 

ここでもう無理だと投げ出してしまう人も多いんです。

 

ドミノのほうが想像つきやすいですかね?何時間も時間をかけて1000個のドミノを並べていきます。神経をすり減らして作業します。970個目を置きました。作業中にドミノにあたってしまい、倒れてしまいます。

全部。

何時間もかけて作ったのに。

あと30個で完成だったのに。

 

それでもあなたは、また一から並べることができますか?

 

この『ふりだしに戻る』って結構えげつなく心をえぐるんですよね。すごろくにも必ずと言っていいほどついていますが、現実だとダメージは大きいです。1回や2回なら『またやろう!』と自分に活を入れることもできますが、10回目、あなたは『またやろう!』という気持ちを保てますか?



自己肯定感って一度なくしてしまうと取り戻すのはかなり難しいです。

 

 

「簡単にできる」とうたっている人もいますが、そういう人はそもそも自己肯定感が崩れていなかっただけです。

100個あった積み木の上から2個がチョロット落ちただけです。安定している土台から少し落ちてしまっただけです。98個の土台がしっかりしているのですぐに積みなおせます。

根元部分から崩れてしまった人はなかなか取り戻せません。積み上げるのには時間がかかるし、作業中に何回も崩れてしまいます。

 

あなたがいくらやっても効果がないと感じているのは、そういうことだと思います。

『転んで膝から血が出た。バンドエイドを貼っとけば治る。』と解決策を提示してくれるのですが、あなたの場合は『車にひかれた。バンドエイドで治そう!』状態なんです。

 

どれだけ難しくて時間がかかるかわかるでしょう?

 

心が弱った状態で自己肯定感を高めようと思っても、なかなかうまくいかないんです。

それどころか『自己肯定感でさえ高めることができないのか。』と自分が情けなくなるんです。自己否定感が高くなってしまいます。

 

心が弱った状態でさらに自分を痛めつけてしまうんです。

 

『自己肯定感を持つなんて自分には無理だ。』と落ち込んでしまうんです。『自己肯定感なんて一生持てない。』と思ってしまいます。

 

 

これは共感してくれる人が多いと思うのですが、

自己肯定感を高めようと悩んでいる人は『強かったころの自分に戻りたい。』、『あの頃の自分を取り戻したい。』と思っていませんか?

『昔の強かった自分に戻りたい!!』

 

・・・
どうしてなんでしょうか??

 

自己肯定感を持っていたからなんです。

 

人は誰もが自己肯定感を生まれてきます。自己肯定感の高い低いは個人差がありますが、最初は誰もが自己肯定感を持って生まれます。

そのまま自己肯定感が崩れることがなく生きていけたら幸せなのですが、なんらかのきっかけで自己肯定感が崩れてしまうことがあります。

 

今の自分ではダメだ。

もっと自分がしっかりしていたら。

こんなことになってしまったのは自分のせいだ。

 

などを考えてしまったとき、自己肯定感が弱くなってしまいます。

 

 

昔の強かった自分は、自己肯定感が今ほど弱っていなかった自分なんですね。

では、昔の強かったあなたに質問です。

 

自己肯定感、意識したことあったでしょうか??

自己肯定感なんて言葉使ったことあったでしょうか??

 

・・・

・・・
自分は自分でいいなんて、肯定するまでもない当たり前のことだったんですよね。持っているものを理解し、ないものを理解していた。

持っているのが当たり前で、ないのが当たり前。ただの事実として認識していたと思います。

 

心が弱る前の自分は、自己肯定感なんて意識するまでもなかった当たり前のことなんですね。

昔のあなたは自己肯定感なんて当たり前に持っていたんです。

 

それを思い出してみましょう?

 

 

今から一から自己肯定感を作っていくのは大変です。神経を使って取り組んでもなかなか効果は表れません。

『自己肯定感?なにそれ?おいしいの?』状態では、なかなか自己肯定感を高めることはできません。

土台から作っていきましょう。水の上ではなく、安定した机の上で積み木を並べていきましょう。

 

 

強かったころの自分、思い出してみてください。昔の自分ならどんな反応をしていたか、想像してみてください。

じっくり、ゆっくり、具体的に、しっかりと、想像してみてください。

・・・
・・・
できましたか?

 

今のあなたの反応と結構違っていませんか?

周りのこと、そんなに気にしていましたか?

世界なんてあなたのモノではありませんでしたか?

 

 

能力的には今のあなたのほうが、むかしのあなたより優れているかもしれません。ですが自己肯定感だけは、昔のあなたのほうが今のあなたより優れていたはずです。

昔のあなたでさえ自己肯定感を持っていたんです。

 

今のあなたは悩んで、苦しんで、もがいて、あの頃と比べて信じられないくらい人間として成長していませんか?

 

少しずつ、少しずつ、思い出していきましょう。

昔の強かったあなたを。

 

心が弱った状態で自己肯定感を高めるのは難しくて当たり前です。そんなにすぐ治るほど簡単な症状ではありません。

 

ですが、昔のあなたでさえ自己肯定感は持てていました。

今のあなたなら、自暴自棄にならなければ必ず、自己肯定感を取り戻すことができます。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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苦しくて切ない恋愛依存症。どうして抜け出せない?

恋愛依存症・・・数ある依存症の中でも最も治しにくく、また本人が期待している効果が得られない依存症ではないでしょうか?この恋愛依存症って言葉はよく耳にしますが、重度になるとかなり厄介です。

 

だって相手が必要になるから。

 

一人では恋愛依存症になれないんです。





まあ、当たり前ですよね。一人では恋愛ができません。対象となる相手が必要となります。

そこが他の依存症と比べて恋愛依存症の厄介なところなんです。

 

アルコール依存症は一人でお酒を飲めばいい。

ギャンブル依存症は一人でギャンブルをすればいい。

 

でも恋愛依存症は一人で恋愛をすればいいとはならないんですね。必ず対象相手、パートナーが必要になります。いつでもどこでも気軽にできないんです。

 

この恋愛依存症なのですが、初めは純粋な愛から入ると思います。

恋愛依存症にならないと落ち着かないからパートナーを探すという人は少ないでしょう。(無意識でそうなっている人はいますが。)

 

自分を認めてもらいたいという願望が恋愛依存症を育てますが、恋愛依存症の入り口は相手のことが好きだからです。依存は愛ではないとよく耳にしますが、愛の一種だと僕は思います。

 

相手のことが好きになり、好きで好きでたまらなくなり、恋愛依存症へとたどり着いてしまいます。

相手のことが好きでたまらないのはいいことのように思いますが、違います。

 

 

恋愛依存症の人は、ほとんどの人が自分の満足のいく恋愛ができていません。

 

恋愛依存症の人の多くはつらい恋愛をしています。

 

 

恋愛依存症の人は自分が我慢していませんか?

相手に合わせた人生を過ごしていませんか?

 

 

大半の人が『そうだな。』と納得できるんじゃないでしょうか?

 

 

恋愛依存症になってしまうのは、大半が苦しい恋愛のときです。

 

 

「苦しい恋愛になってしまったから恋愛依存症になってしまった。」と言っても過言ではないと思います。

 

「今日のデート楽しかった。」とラインをしたのに既読スルー。『あれっ!?楽しかったのはわたしだけ・・・』悲しい気持ちになり相手のことを考えます。なにも長文を期待していたわけじゃないのに。ただ「俺も楽しかったよ。」と言ってほしかっただけなのに。

こんな些細なことは誰でも経験があると思うんですが、それが何回も何回も重なったらどうでしょう?

 

『自分の対応がどこかいけなかったんだ。』、『あのときあんなことを言ってしまったからだ。次からはそんなことをしないようにしないと。』と反省してしまいます。

反省自体は別にいいとは思うんですが、やりすぎは注意です。反省ってしようと思ったら100個以上簡単にできるんですよね。というか、自分の望んだ結果になってないのは自分がうまくできなかったからなのだから、彼(彼女)と関わっていた時間の全てが反省材料になってしまいます。

 

 

恋愛依存症になっている人は、相手に合わせすぎています。

 

恋愛依存症になっている人は、恋愛の主導権を相手が握っています。





恋愛ってバランスをとれないとうまくいかないと思います。バランスがとれて釣り合わないと付き合っていけないからです。

 

あなたと相手もバランスはとれているんです。

・・・

・・・

なんとか。

・・・

・・・

あなたが相手より無理をして。

 

 

9:1で無理をしている割合はあなたのほうが大きいんです。あなたが相手の9倍無理をすることによってバランスがとれているんです。

 

恋愛依存症の人はがんばっている人が多いと思います。だってがんばらないと相手に捨てられてしまうから。自分はこんなにも執着しているのに、相手は全然執着していない。こっちを見てくれていない。9倍無理をしていることに気がついていない。

 

あなたが無理をする割合を相手と同じ1:1にしてしまうと、相手は思います。

『あなたの愛情がなくなった。』

 

まあ、当たり前ですね。あなたの態度が9分の1になるんですから。食卓に並ぶ食事が急に9分の1になります。9000円の小遣いが1000円になります。

 

 

相手は9:1で無理をしているあなただからこそ価値があるんです。

 

9分の1になるあなたに価値はありません。

 

 

あなたが無理をするのをやめると、去ってしまう相手もいます。あなたががんばっているからこそ、今の関係を維持できているんです。

 

 

あなたはそれを自覚していませんか?

 

それを否定したくて、もっと無理を重ねていませんか?

 

 

暴力をふるわれてもひどい言葉を言われても、邪険に扱われ続けても。何度も何度も傷つけられても無理を続けていませんか?

 

 

それを受け入れることが愛の証明だと思って。

 

 

本当にそれは愛の証明なのでしょうか?

 

 

あなたはこんなにも苦しんでいるのですよ?

 

そんな思いをしてまで今の関係を維持しないといけないものですか?

 

 

あなたのままでいいと言ってくれない相手に、必死に合わせる必要ありますか?

 

 

 

恋愛依存症で悩んでいるときは、自分が疲れてしまっているときです。このままだといけないと思っているから悩んでいるんです。

 

その原因はあなたと相手との関係性ではないですか?

こっちは相手中心の生活をしているのに、相手の一番になれない。仕事を優先される。友達のほうが大事。

雑に扱われていると思っているから疲れてしまうんです。あなたが相手を大切にし、相手もあなたを大切にしてくれていたのなら、恋愛依存症でも疲れません。俗に言うバカップルですが、幸せな恋愛ができるでしょう。

 

 

少しだけ冷静に考える時間を作ってみてください。願望や希望は排除して、事実だけを見つめる時間を作ってください。

 

あなたの愛が重すぎるのか、相手の愛が軽すぎるのか考えてみてください。

 

あなたの愛が重すぎるのなら、意識的に自分のことだけに集中する時間を作ってください。

相手の愛が軽すぎるのなら、その相手と結ばれることは難しいかもしれません。あなたのパートナーは別にいるのかもしれません。

 

恋愛依存症のときは、相手の愛が軽すぎるとは思いたくないと思います。認めたくない思いが強いと思います。

苦しい恋愛をしているからこそ、たまに相手が自分を大切にしてくれたときの喜びは普通よりも強いものです。アドレナリンが出ます。『この人しかいない!』と実感するはずです。そのときは幸せいっぱいになります。

 

 

でも、たまにでいいんですか?

 

 

普段はしんどくて、つらくて、苦しくて。

 

たまに幸せになれたらそれでいいんですか?

 

 

恋愛依存症になる人は自分が尽くすだけではなく、相手への要望も強い人が多いです。こうしてほしい、ああしてほしいと。

あなたもそうではないですか?

 

たまに幸せになるだけであなたは本当に満足ですか??

一時的な幸せで本当に満足ですか??

 

あなたは本当は、ずっと幸せでいたいと思う欲張りな人なのではないですか?

もっと欲張ってもいいんじゃないですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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結婚する前は協力的だと思っていたのに、いざ結婚して子どもができるとほったらかし。

子どものことで悩みがあり相談をしても「いいのいいの。子どもは親がいなくても勝手に育つんだから。」とまともに相手にしてもらえないという経験をしたことはありませんか?




幸せな結婚生活を夢見て結婚したはずが、忙しい毎日にただただ追われ、ヘトヘトで一日が終わる。目が覚めると『また一日が始まるんだ。』と思わずため息が出てしまう。『こんなはずでは・・・』と毎日思いながら生活している。

つらいですよね?

 

ある程度子どもが大きくなれば別ですが、特に乳児や幼児のときには協力者が必要になります。その段階の子どもには世界はとても危険なものです。大人がしっかりと守らないといけません。

ちょっとした気の緩みで、ちょっと目を離したすきに子どもが大怪我をしてしまうこともあります。大人が思いもよらないことをしてしまうのが子どもです。子どもを無事に育てるのは本当に大変なんです。

 

いまでは少しずつ意識が変わっていますが、『男は仕事、女は家庭』という価値観が日本にはありました。

 

いまでこそ夫婦共働きが当たり前のようになっていますが、一昔前は『女が働くなんて。子どもをほったらかしにして。』という考えの人も多くいました。保育園に子どもを預けることも『母親がしないといけない役割なのに。育児を放棄している!』と悪い印象を与えることもありました。

 

家事や育児に協力的な男性ももちろんいますが、『男は仕事、女は家庭』で育てられてきている男性も多いんですね。

男性からこういう発言を聞いたことありませんか?

 

「俺は結婚したら育児も手伝うよ。」

「僕は家事が得意だから協力するね。」

 

いい男性ですよね。

 

「俺は仕事があるから育児は任せた。」

「僕は家事が全然できないからよろしくねー。」

 

という人も多い中で、すごく協力的な素敵な男性だと思います。

 

・・・

・・・
男性の場合は上の文章、気になることもなく普通に読めると思うんですよ。でも、女性目線からしたら上の文章って結構気になるものだと思います。

 

手伝う?

協力する?

 

なんであなたが主体にならないの?

そもそも二人の子どもなのに、なんで第三者目線なの!?

 

 

女性の方、ごめんなさい。

男性って無意識に家事は女性がするもの。子育ては母親の役目って思っているんです。もちろんお互い力を合わせてと思っている男性もたくさんいます。ですが心の奥底で育児は女性がするものと思ってしまうんです。

だからサポート止まりなんです。フォローで終わりなんです。





こういう喧嘩したことありませんか?

女性「どうして私ばかりであなたは協力してくれないの!?」
男性「そんなことないだろ?俺も手伝ってるよ。風呂だって毎日入れてるじゃないか?」

 

女性目線からしたら『お風呂に入れているだけで子育てをしているツラをするな!』ですし、男性目線からしたら『疲れているのにお風呂に入れてやってるんだぞ。手伝ってやっているのに、一体何が不満なんだ!』なんです。

 

分かり合えるわけないでしょう?

 

 

最初のスタート地点から全然違うのに、お互い同じ地点から相手もスタートしていると思っているのですから。

そりゃー喧嘩にもなります。

 

 

これがヒートアップすると「○○さんとこの旦那さんはあんなことやこんなこともしてくれるそうよ!」、「お前は専業主婦だろ!あそこは奥さんが仕事してるんだ。お前も仕事をしていたら、俺もそのぐらいのことはするよ!」なんて感じでお互いけなしあってしまうわけです。

女性はくれくれ状態ですし、男性はしているだろ状態です。

 

つまりはこういうことだと思うんですよね。

子育てを全くしてくれないとあなたが感じているのは。男性からしたら十分やっていると思っているんです。協力者だから。当事者ではないから。

 

この認識の違いがあなたの心を追いつめてしまうんです。

 

 

実際に子育ての負担は女性のほうが大きいと言われています。お母さんはお父さんの何倍もの時間を子どもに費やします。

遊びに行きたくても気軽に外出できません。子どもが泣いていたら自分の用事を中断して駆けつけます。寝かしつけてようやく一休みできると思ったらすぐに起きてしまったり。なかなか気を休めることはできません。

 

夫に話を聞いてもらおうと思っても、「仕事で疲れてるんだ。またにして。」、「そんなのお前だけじゃないんだ。みんな一緒なんだから。」と流されてしまいます。

そのくせ、子どもが怪我をしてしまうと「お前はなにをやっているんだ!怪我をしたのはお前のせいだ!!」と責めてきます。

 

 

お母さんの大変さを、お父さんは知らないんですよね。

 

 

もちろん大変なのは理解していますし、お母さんが普段していることもわかってはいます。

知識として。

 

実際の大変さ、知りません。

追いつめられている葛藤、知りません。

 

教科書で習ったことしか知らないんです。本当の大変さ、どれほどのつらさかをわかっていないんです。

 

どうして私ばかりと思ってしまいますよね。口だけは一人前なのに非協力的。イライラしてしまうのわかります。

一緒に育ててるという感覚も薄れてしまうので、『私がしっかり育てないと!』と抱え込みすぎてしまうこともあるかと思います。育児ノイローゼにかかってしまうこともあります。

つらいですね。

 

ただ、ここでヒステリックになってしまったら、味方であるはずのお父さんが敵になってしまいます。

 

「○○さんのとこと、○○さんのお父さんは・・・なのにあなたは・・・」

これね、一番男性が聞きたくない言葉だと思うんです。『俺だってやってるだろ!』とか『俺を選んだのはお前だろ?』と言いたくなってしまうんです。

 

家庭での父親の役割は大きいものです。敵に回してもデメリットしかありません。

 

 

お母さん、子育てで大変だとは思うのですが、

もう少しだけお父さんのできているところを見てあげてくれませんか?

 

 

子育てなのだから二人でするのは当たり前なのかもしれませんが、お父さんがしてくれたことに「ありがとう。」とお礼を言ってあげてください。

なんでお礼なんか言わないといけないんだと思うかもしれませんが、この一言を伝えるだけで、お父さん、ものすごく協力的になりますよ。

 

男性はどうしても子育てを手伝っているという考えが頭の中にあります。それなのにお礼も言われずに当たり前のように扱われ、よその家と比較される。これでは積極的に子育てに関わろうという気になりません。

 

お母さんの「ありがとう。」でお父さんは救われます。

 

その一言でお父さんのやる気が違ってきます。

 

 

なんでこの人と結婚したんだろう?』と嘆いてもあなたにいいことはなにもありません。

お父さんをやる気にさせるほうが何倍も有益です。一人で苦しまず、巻き込んでしまいましょう。子育てをしているお父さんを見て『やっぱりこの人でよかった!』と思えるようになるかもしれませんよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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心が壊れてしまう不安と恐怖。取り返しのつかないことになる前に。

心が壊れてしまいそうと感じたことはありますか?

あまりにも理不尽な目にあってしまい、頭がおかしくなってしまいそうな経験はありますか?

 

あれって怖いんですよね。

 

おかしな動作をしている自分と、もう一人正常な自分がいて、おかしなことをしているとわかっている自分がいる。

いっそ壊れてくれたら楽なのにとも思うのに、なかなか壊れてくれない。足掻こうとしている自分がいる。




『心が壊れていないのは、それほどのことではないからだ。自分はなんとか心を保てているから大丈夫だ。大げさになっているだけだ。大丈夫だ。本当に耐えられないことならとっくに心が壊れている。だから大丈夫。甘えているだけだ。』

こんな合言葉を使っていた時期があります。

 

壊れるくらいのことでもないのに、勝手に壊れそうになっているバカなヤツだと自分に言い聞かせていました。

 

 

通常の状態では考えられないような思考に至ったり、普通の状態からはありえないミスをしていたり、認知症かと疑うぐらい記憶があいまいで。昨日のことが一カ月前のように思えるし、一週間前のことを半年、一年前のように思える。

あきらかにいつもとは違う異常さがある。心というより頭が壊れたのかと思ってしまう。

今までの自分じゃない恐怖。ほんとに怖いです。

 

 

これは個人差があるかもしれませんけど、僕は壊れてしまった後よりも壊れる直前のほうが苦しかったように思います。

 

ちょうど今の皆さんのような段階ですね。

 

誰かに少しでも話を聞いてもらいたくて。

本屋で心が軽くなるという本を買って。

それでも期待した効果がでなくてネットで調べて。

苦しくて、つらくて、かなしくて、でもこのままではいけないと思っていたときが、一番苦しかったように思います。

 

 

陸上で酸素を吸って生きているはずなのに、水中で空気ではなく水を飲んで生きているんじゃないかと思うほど、苦しかったです。エラ呼吸ができたら楽になるのでしょうが、それもできなくて。

打ち上げられた魚のように陸で溺れていました。

 

壊れてしまうことってすごく怖いんですよね。壊れてしまったらもう二度とここには戻れないような気がして。

だから壊れないように必死で闘って、しがみついて、また傷だらけになってを繰り返していました。

 

なんでこんなことに?

あの頃の自分はこんなんじゃなかった。強い自分に戻りたい。

 

あらがっているはずなのに全然脱出できなくて。

 

水中から息をしに顔を出すのが精一杯で、少し空気が吸えたと思ったらまた同じ場所に沈んでいく。

溺れていたんですよね。

そのことに気づかず、自分は泳げるものだと思っていただけなんです。




心配を掛けたくなくて、壊れかけていることを気づかれたくなくて、無理して生活していました。自分ではうまく誤魔化せているように思っても「どうしたの?疲れてるんじゃない?」、「顔色悪いよ?大丈夫?」と全然隠し切れなくて、それでも「大丈夫。大したことないよ。」と意地を張る。

 

『大丈夫。まだいつも通り振る舞える。』と思い生活する。でもふと鏡を見ると『これが自分の顔か!?』と思うくらいひどい顔なんですよね。かっこいい、かわいいではなく、全体的に暗いというか、悲愴感があふれているというか。どこか身体が悪いんじゃないかというくらい人相が悪いんですよね。実年齢よりもかなり老けて見えます。

 

 

僕の場合は心が壊れかけている原因はわかっていたんです。疲れているのも自覚していたし、精神が前に比べてすごく不安定になっているのもわかりました。

ただ、それでもその原因から目をそらすことができなかったんですね。その原因から目をそらせたら、逃げることができたら回復できると頭ではわかっていたのですが、それを実行することがどうしてもできなかったんです。だから壊れてしまわないように綱渡りを続けていました。

 

身体と心が疲弊していきます。限界なんて何度も超えてきたと思います。

 

自分は水の中で生活していると思っていたのですが、気がついたら水に流れがあることがわかりました。同じ場所で溺れかけているだけだと思っていたのに、川に流されていることがわかりました。同じ場所で息継ぎをしているのではないことに気づきました。

川に流され溺れながらも、気を失う前になんとか息継ぎだけはすることができました。でも本当の限界は迫っています。息継ぎどうこうの問題じゃなく、滝が見えるんですね。本当にそこを超えてしまったら終わるというほんとの限界が。

そのときになって気づくんです。「誰か助けて!!」とそのときになってやっと声を出すんです。

 

でもね、そのときになってしまったら誰も助けてはくれないんです。滝があまりにも目の前に迫っていて。声に気づいて手を差し伸べてくれた人も間に合わないんです。

もっとね、前の段階で助けを求めていたら、滝から落ちることもなかったんです。

 

その前の段階で救いの手がなかったかといったらそんなことはありません。「大丈夫か!?」ともっと上流で声を掛けてくれる人がいたんです。「流されてるぞ!ロープにつかまれ!!」と助けようとしてくれた人、いるんです。

でもそこで「大丈夫!!泳いでいるだけだから。」と助けを拒絶したのは、自分なんですね。

本当はそのときにはとっくに大丈夫じゃなかったんです。そのことに気づいていたら、まだなんとかなったかもしれません。

 

責任感、見栄、プライド、意地、いろんな思いが交差して判断力が低下していたんです。判断力が低下というか、見えないようにフタをしていたんです。

それを捨てていたら心を守ることができたかもしれないのに、心が壊れてしまうことよりもそっちを守ってしまったんです。「助けてくれー!!」と叫びながら滝から落ちてしまいました。僕の場合は幸いなことに滝の高さが低かったのでなんとかなりましたが、高層ビルのような高さから落ちてしまうこともあります。

 

 

 

実はこの川なんですが、わりと浅瀬のことも多いんです。流れはあるので焦ってしまうのですが、実は自分で立ち上がることができるんです。流れも思っていたより緩やかで、歩いて川から脱出できるんです。

溺れながら流されるよりも、「助けてー!」と叫ぶよりも、自分で立ち上がりさえすれば助かることも多いんです。

 

いま心が壊れそうと思っている人は、いまが一番しんどい時だと思います。川に流されないように必死で溺れている状態です。(泳げていません。)いまのままではいつか滝から落ちてしまいます。

 

 

本当にそれはあなたの心を壊す価値のあることなんでしょうか?

 

 

あなたが自分で立とうとするだけで、あなたは助かることができるんです。あなたがいま直面している問題は、あなたが心を壊してまで譲れないものですか?

 

「誰か助けてくれ!!」と叫ぶのはもちろんですが、あなたはいざとなれば立つこともできるんです。滝から落ちてしまう前に自分で立つ、それを選ぶのはあなたにとってつらい選択かもしれません。

譲れないものを譲ってしまうことになるかもしれません。自分で立つことによってしばらくは別の痛みが襲い掛かってくるかもしれません。

 

それでも心を守るためには、その選択をしてもいいのではないでしょうか?

 

 

壊れてしまった心を癒すには何年も何十年もかかります。体感時間はそれの何倍もの時間になります。気が遠くなるほどの、自分にとっては永遠と言ってもいいほどの時間です。トラウマとして一生抱え続けることもあります。そのたびに強烈な感情が押し寄せてきます。これからの人生で100や1000ではきかないほど、つらい思いを繰り返すかもしれません。

 

まだ壊れていないのなら、いまはまだ引き返せるチャンスです。

 

あなたの大事な大事な心なんです。もう少し心を大切に扱ってもいいのではないですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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見下してくる嫌な人との関わり方。あなたまで落ちてやる必要はない。

見下してくる人と関わるのってすごく疲れますよね?

なのになかなか離れられる環境にいなくて、よく顔を合わせてヘトヘトになってしまうこともあります。今回はそんな困った相手への対処法を書いていきます。

世の中のどのくらいの人が見下す心理をもっているのかはわかりませんが、いつも見下す癖がある人は注意してください。



あなた、その見下している相手から見下されてしまいます。

 

 

見下す人は『能力のない人間だなお前。』と見下している相手から、『見下すことでしか物事を見れないなんてかわいそうな人だなー。』と哀れに思われてます。

 

見下す相手に見下されています。

 

 

僕自身は多分、能力的には見下される位置にいます。人並みにできることも少なく、人より劣っていることを実感することが多々あります。そのことで手痛い体験をしたこともあります。

だから基本は僕は見下しはしないんです。自分のほうが下だなってわかってるから。

でも、多分唯一だと思います。そんな僕でも見下してしまう人がいます。

 

それは
人を見下す人です。

 

平均以下の能力しか持っていない僕ですが、この人たちには勝ってる自信があるんでしょうね。

現実的な能力じゃないです。

 

『心で。』

 

人間性は見下すような人には絶対負けないと思っているんだと思います。
(まあ、その人たちを見下している時点で同じレベルなんですが。)

見下してくる相手を見下し返してしまいます。

 

 

以前は見下してくる人に対して『ああ、そういう人もいるんだ。』と別に気にしてなかったので、見下されることが続いて多分コンプレックスになっているんでしょうね。

 

以前は別に相手にしていなかったのに、相手をしてしまうようになっているんですよね。『見下しているなー。』と相手にしていなかったのに、『そんなことを言うお前のほうが格下だ!』とわざわざ土俵まで行って相手と相撲をとっているんです。

 

距離が近くなっています。

 

あまり好きじゃない人から苦手な人にグレードアップしたのに、わざわざ自分から距離を縮めに行っているんです。おかしな話ですよね。

 

でもそうなるのも仕方がないと思うんですよね。なにかにつけて否定したり、見下したりしてくる人がいたら、そりゃ気分が悪いです。自分の中でのその人の評価が下がることは無理ないと思います。

見下す人、見下しちゃいますよ。

 

 

見下すことって気分的にいい気がしないと思います。なにか心が汚れてしまったような気がして嫌な気分になってしまいます。




人との関りは鏡の反射だとも言われています。

自分に好意を持ってくれている相手には自分も好意を持つし、自分を嫌っている相手には自分も苦手な相手になる。

自分を嫌っている相手にずっと好意を持ち続けるのは大変だし、自分に好意を持ってくれている人に全くの無関心というのも難しいです。

だから見下してくる相手を見下してしまうのは仕方のないことなのかもしれませんが、その環境からすぐに抜け出せる位置にいますか?

 

見下してくる相手と簡単に縁を切れる位置にいないのなら、見下してしまうことって心によくないです。

だって、

常に臨戦態勢だから。

 

 

相手が先に殴りかかってきたのかもしれません。そしてこちらも反撃してしまった。その反撃で相手が逃げていったらいいのですが、相手も負けじと応戦してきた。殴り合いです。

相手がしてきたんだから。
ここで引き下がったら負けだ。

お互いボロボロになりながら、相手を攻撃することをゆるめません。

 

吹っ掛けられた方からしたら、『向こうから先に仕掛けてきたんだから、自分には理がある。』と思っているかもしれませんが、第三者からしたらこの一言に尽きます。

 

「どっちもどっち。」

 

 

吹っ掛けてくる相手にも小さい人間だとあきれるし、応戦しているあなたにも『そんなことしなくても・・・』と思うんです。

第三者からしたら、あなたと相手、同じレベルなんです。
(第三者は当事者じゃないから言えるんですけどね。)

 

 

ぞっ!?としませんか・・・

相手と同じレベルなんですよ?あなたが・・・

嫌ですよね?

 

 

見下すことによってあなたまでくだらない人間になっちゃいますよ?

 

 

・・・で、そうならないための方法なんですが、

見下してくる相手がいても気にしないでいましょう。『へー、見下してるの?ふーん。』で終わりましょう。

あなたはすごくいい人なのだから、ムキになって相手のレベルにまで落ちてやる必要はありません。

 

・・・

・・・

すごくいい人ではありませんか?

僕はあなたがすごくいい人だと思いますよ?

 

だって、

見下してくる相手を一人の人間として尊重できているから。

 

見下してくる相手に嫌な気分になってしまうのは、その人を一人の人間として認めているからです。

 

幼稚園ぐらいの子に「おばちゃん、そんなこともできないの~。」、「おじちゃんはなにも知らないんだね~。」と言われて、「何言ってんだ!!このクソガキが!!俺はお前の何倍も生きているんだぞ!!お前より世の中のことを知っているんだ!!礼儀がなってない!!目上の人は敬え!!」とはならないでしょう?「あ~、ごめんね、おばちゃん不器用だから・・・」、「へ~、そんなことも知ってるんだ。くわしいね。もっと教えてよ。」といった受け答えになるでしょう?

 

いちいちイライラしないですよね?

ムキにならないですよね?

 

これはなぜなのか??

 

 

同格と認めてないからです。

幼稚園の子に勝っている自信があるからです。

 

本当に悪いことをしたときは別にして、幼稚園児に真剣に敵意を向ける人はいないんです。

仮に幼稚園ぐらいの子に全力で説教をしている大人がいたら、大人げないと止めに入るでしょう?

 

誰がどう見ても勝ち負けがはっきりしているから。同格じゃないから。

だから幼稚園児に、くだらないことで真剣な怒りを向ける大人はいないんです。

 

 

見下す人は『自分のほうがお前より上なんだぞ!』と言いたいんでしょうね。口でしか自分は上だと伝える手段がない小さい人なんです。

 

そして、

あなたのことが目障りなんです。怖いんです。

 

 

幼稚園児を見下す大人はいません。比べるまでもないから。

だけどあなたは、恐怖なんです。自分と近い位置にいるから。

 

『まだ上にいたい!』、『私はこれ以上上には行けないから、あなたが離れて!』とおびえているんです。

 

 

見下してくる人の指摘は、真実ではありません。というか、半分言いがかりみたいなものです。

「怖い!」、「離れて!」と必死に叫んでいるだけなんです。

 

だから流せるところは流してしまいましょう。

 

許せないと噛みついても相手はこう思うだけです。『本当のこと言われて、腹を立ててる。改善しようともせず言い返すことしかできないダメなやつ。』と相手を増長させてしまうだけです。

軽く流せるようになって『あなたなんて別に相手にしてないよ。』アピールしてみませんか?ちょっとひどいかもしれませんが、一人の大人としてみるのではなくて、幼稚園児を相手にしているんだと思って。

 

あなたは相手と分かり合いたいと考えているのかもしれませんが、見下してくる相手と分かり合うのは難しいです。

 

一旦距離をあけましょう。

 

 

距離があき、お互いが冷静になれたら分かり合うこともきっとできます。

お互い距離が近すぎると、相手のことがよく見えずに殴り合いになってしまいます。距離をあけ全体が見えるようになると、新しい発見もあるかもしれません。

 

困った相手との付き合いを続けるのならば、適度な受け流しは必須テクニックですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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