心が壊れてしまう不安と恐怖。取り返しのつかないことになる前に。

心が壊れてしまいそうと感じたことはありますか?

あまりにも理不尽な目にあってしまい、頭がおかしくなってしまいそうな経験はありますか?

 

あれって怖いんですよね。

 

おかしな動作をしている自分と、もう一人正常な自分がいて、おかしなことをしているとわかっている自分がいる。

いっそ壊れてくれたら楽なのにとも思うのに、なかなか壊れてくれない。足掻こうとしている自分がいる。




『心が壊れていないのは、それほどのことではないからだ。自分はなんとか心を保てているから大丈夫だ。大げさになっているだけだ。大丈夫だ。本当に耐えられないことならとっくに心が壊れている。だから大丈夫。甘えているだけだ。』

こんな合言葉を使っていた時期があります。

 

壊れるくらいのことでもないのに、勝手に壊れそうになっているバカなヤツだと自分に言い聞かせていました。

 

 

通常の状態では考えられないような思考に至ったり、普通の状態からはありえないミスをしていたり、認知症かと疑うぐらい記憶があいまいで。昨日のことが一カ月前のように思えるし、一週間前のことを半年、一年前のように思える。

あきらかにいつもとは違う異常さがある。心というより頭が壊れたのかと思ってしまう。

今までの自分じゃない恐怖。ほんとに怖いです。

 

 

これは個人差があるかもしれませんけど、僕は壊れてしまった後よりも壊れる直前のほうが苦しかったように思います。

 

ちょうど今の皆さんのような段階ですね。

 

誰かに少しでも話を聞いてもらいたくて。

本屋で心が軽くなるという本を買って。

それでも期待した効果がでなくてネットで調べて。

苦しくて、つらくて、かなしくて、でもこのままではいけないと思っていたときが、一番苦しかったように思います。

 

 

陸上で酸素を吸って生きているはずなのに、水中で空気ではなく水を飲んで生きているんじゃないかと思うほど、苦しかったです。エラ呼吸ができたら楽になるのでしょうが、それもできなくて。

打ち上げられた魚のように陸で溺れていました。

 

壊れてしまうことってすごく怖いんですよね。壊れてしまったらもう二度とここには戻れないような気がして。

だから壊れないように必死で闘って、しがみついて、また傷だらけになってを繰り返していました。

 

なんでこんなことに?

あの頃の自分はこんなんじゃなかった。強い自分に戻りたい。

 

あらがっているはずなのに全然脱出できなくて。

 

水中から息をしに顔を出すのが精一杯で、少し空気が吸えたと思ったらまた同じ場所に沈んでいく。

溺れていたんですよね。

そのことに気づかず、自分は泳げるものだと思っていただけなんです。




心配を掛けたくなくて、壊れかけていることを気づかれたくなくて、無理して生活していました。自分ではうまく誤魔化せているように思っても「どうしたの?疲れてるんじゃない?」、「顔色悪いよ?大丈夫?」と全然隠し切れなくて、それでも「大丈夫。大したことないよ。」と意地を張る。

 

『大丈夫。まだいつも通り振る舞える。』と思い生活する。でもふと鏡を見ると『これが自分の顔か!?』と思うくらいひどい顔なんですよね。かっこいい、かわいいではなく、全体的に暗いというか、悲愴感があふれているというか。どこか身体が悪いんじゃないかというくらい人相が悪いんですよね。実年齢よりもかなり老けて見えます。

 

 

僕の場合は心が壊れかけている原因はわかっていたんです。疲れているのも自覚していたし、精神が前に比べてすごく不安定になっているのもわかりました。

ただ、それでもその原因から目をそらすことができなかったんですね。その原因から目をそらせたら、逃げることができたら回復できると頭ではわかっていたのですが、それを実行することがどうしてもできなかったんです。だから壊れてしまわないように綱渡りを続けていました。

 

身体と心が疲弊していきます。限界なんて何度も超えてきたと思います。

 

自分は水の中で生活していると思っていたのですが、気がついたら水に流れがあることがわかりました。同じ場所で溺れかけているだけだと思っていたのに、川に流されていることがわかりました。同じ場所で息継ぎをしているのではないことに気づきました。

川に流され溺れながらも、気を失う前になんとか息継ぎだけはすることができました。でも本当の限界は迫っています。息継ぎどうこうの問題じゃなく、滝が見えるんですね。本当にそこを超えてしまったら終わるというほんとの限界が。

そのときになって気づくんです。「誰か助けて!!」とそのときになってやっと声を出すんです。

 

でもね、そのときになってしまったら誰も助けてはくれないんです。滝があまりにも目の前に迫っていて。声に気づいて手を差し伸べてくれた人も間に合わないんです。

もっとね、前の段階で助けを求めていたら、滝から落ちることもなかったんです。

 

その前の段階で救いの手がなかったかといったらそんなことはありません。「大丈夫か!?」ともっと上流で声を掛けてくれる人がいたんです。「流されてるぞ!ロープにつかまれ!!」と助けようとしてくれた人、いるんです。

でもそこで「大丈夫!!泳いでいるだけだから。」と助けを拒絶したのは、自分なんですね。

本当はそのときにはとっくに大丈夫じゃなかったんです。そのことに気づいていたら、まだなんとかなったかもしれません。

 

責任感、見栄、プライド、意地、いろんな思いが交差して判断力が低下していたんです。判断力が低下というか、見えないようにフタをしていたんです。

それを捨てていたら心を守ることができたかもしれないのに、心が壊れてしまうことよりもそっちを守ってしまったんです。「助けてくれー!!」と叫びながら滝から落ちてしまいました。僕の場合は幸いなことに滝の高さが低かったのでなんとかなりましたが、高層ビルのような高さから落ちてしまうこともあります。

 

 

 

実はこの川なんですが、わりと浅瀬のことも多いんです。流れはあるので焦ってしまうのですが、実は自分で立ち上がることができるんです。流れも思っていたより緩やかで、歩いて川から脱出できるんです。

溺れながら流されるよりも、「助けてー!」と叫ぶよりも、自分で立ち上がりさえすれば助かることも多いんです。

 

いま心が壊れそうと思っている人は、いまが一番しんどい時だと思います。川に流されないように必死で溺れている状態です。(泳げていません。)いまのままではいつか滝から落ちてしまいます。

 

 

本当にそれはあなたの心を壊す価値のあることなんでしょうか?

 

 

あなたが自分で立とうとするだけで、あなたは助かることができるんです。あなたがいま直面している問題は、あなたが心を壊してまで譲れないものですか?

 

「誰か助けてくれ!!」と叫ぶのはもちろんですが、あなたはいざとなれば立つこともできるんです。滝から落ちてしまう前に自分で立つ、それを選ぶのはあなたにとってつらい選択かもしれません。

譲れないものを譲ってしまうことになるかもしれません。自分で立つことによってしばらくは別の痛みが襲い掛かってくるかもしれません。

 

それでも心を守るためには、その選択をしてもいいのではないでしょうか?

 

 

壊れてしまった心を癒すには何年も何十年もかかります。体感時間はそれの何倍もの時間になります。気が遠くなるほどの、自分にとっては永遠と言ってもいいほどの時間です。トラウマとして一生抱え続けることもあります。そのたびに強烈な感情が押し寄せてきます。これからの人生で100や1000ではきかないほど、つらい思いを繰り返すかもしれません。

 

まだ壊れていないのなら、いまはまだ引き返せるチャンスです。

 

あなたの大事な大事な心なんです。もう少し心を大切に扱ってもいいのではないですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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なのになかなか離れられる環境にいなくて、よく顔を合わせてヘトヘトになってしまうこともあります。今回はそんな困った相手への対処法を書いていきます。

世の中のどのくらいの人が見下す心理をもっているのかはわかりませんが、いつも見下す癖がある人は注意してください。



あなた、その見下している相手から見下されてしまいます。

 

 

見下す人は『能力のない人間だなお前。』と見下している相手から、『見下すことでしか物事を見れないなんてかわいそうな人だなー。』と哀れに思われてます。

 

見下す相手に見下されています。

 

 

僕自身は多分、能力的には見下される位置にいます。人並みにできることも少なく、人より劣っていることを実感することが多々あります。そのことで手痛い体験をしたこともあります。

だから基本は僕は見下しはしないんです。自分のほうが下だなってわかってるから。

でも、多分唯一だと思います。そんな僕でも見下してしまう人がいます。

 

それは
人を見下す人です。

 

平均以下の能力しか持っていない僕ですが、この人たちには勝ってる自信があるんでしょうね。

現実的な能力じゃないです。

 

『心で。』

 

人間性は見下すような人には絶対負けないと思っているんだと思います。
(まあ、その人たちを見下している時点で同じレベルなんですが。)

見下してくる相手を見下し返してしまいます。

 

 

以前は見下してくる人に対して『ああ、そういう人もいるんだ。』と別に気にしてなかったので、見下されることが続いて多分コンプレックスになっているんでしょうね。

 

以前は別に相手にしていなかったのに、相手をしてしまうようになっているんですよね。『見下しているなー。』と相手にしていなかったのに、『そんなことを言うお前のほうが格下だ!』とわざわざ土俵まで行って相手と相撲をとっているんです。

 

距離が近くなっています。

 

あまり好きじゃない人から苦手な人にグレードアップしたのに、わざわざ自分から距離を縮めに行っているんです。おかしな話ですよね。

 

でもそうなるのも仕方がないと思うんですよね。なにかにつけて否定したり、見下したりしてくる人がいたら、そりゃ気分が悪いです。自分の中でのその人の評価が下がることは無理ないと思います。

見下す人、見下しちゃいますよ。

 

 

見下すことって気分的にいい気がしないと思います。なにか心が汚れてしまったような気がして嫌な気分になってしまいます。




人との関りは鏡の反射だとも言われています。

自分に好意を持ってくれている相手には自分も好意を持つし、自分を嫌っている相手には自分も苦手な相手になる。

自分を嫌っている相手にずっと好意を持ち続けるのは大変だし、自分に好意を持ってくれている人に全くの無関心というのも難しいです。

だから見下してくる相手を見下してしまうのは仕方のないことなのかもしれませんが、その環境からすぐに抜け出せる位置にいますか?

 

見下してくる相手と簡単に縁を切れる位置にいないのなら、見下してしまうことって心によくないです。

だって、

常に臨戦態勢だから。

 

 

相手が先に殴りかかってきたのかもしれません。そしてこちらも反撃してしまった。その反撃で相手が逃げていったらいいのですが、相手も負けじと応戦してきた。殴り合いです。

相手がしてきたんだから。
ここで引き下がったら負けだ。

お互いボロボロになりながら、相手を攻撃することをゆるめません。

 

吹っ掛けられた方からしたら、『向こうから先に仕掛けてきたんだから、自分には理がある。』と思っているかもしれませんが、第三者からしたらこの一言に尽きます。

 

「どっちもどっち。」

 

 

吹っ掛けてくる相手にも小さい人間だとあきれるし、応戦しているあなたにも『そんなことしなくても・・・』と思うんです。

第三者からしたら、あなたと相手、同じレベルなんです。
(第三者は当事者じゃないから言えるんですけどね。)

 

 

ぞっ!?としませんか・・・

相手と同じレベルなんですよ?あなたが・・・

嫌ですよね?

 

 

見下すことによってあなたまでくだらない人間になっちゃいますよ?

 

 

・・・で、そうならないための方法なんですが、

見下してくる相手がいても気にしないでいましょう。『へー、見下してるの?ふーん。』で終わりましょう。

あなたはすごくいい人なのだから、ムキになって相手のレベルにまで落ちてやる必要はありません。

 

・・・

・・・

すごくいい人ではありませんか?

僕はあなたがすごくいい人だと思いますよ?

 

だって、

見下してくる相手を一人の人間として尊重できているから。

 

見下してくる相手に嫌な気分になってしまうのは、その人を一人の人間として認めているからです。

 

幼稚園ぐらいの子に「おばちゃん、そんなこともできないの~。」、「おじちゃんはなにも知らないんだね~。」と言われて、「何言ってんだ!!このクソガキが!!俺はお前の何倍も生きているんだぞ!!お前より世の中のことを知っているんだ!!礼儀がなってない!!目上の人は敬え!!」とはならないでしょう?「あ~、ごめんね、おばちゃん不器用だから・・・」、「へ~、そんなことも知ってるんだ。くわしいね。もっと教えてよ。」といった受け答えになるでしょう?

 

いちいちイライラしないですよね?

ムキにならないですよね?

 

これはなぜなのか??

 

 

同格と認めてないからです。

幼稚園の子に勝っている自信があるからです。

 

本当に悪いことをしたときは別にして、幼稚園児に真剣に敵意を向ける人はいないんです。

仮に幼稚園ぐらいの子に全力で説教をしている大人がいたら、大人げないと止めに入るでしょう?

 

誰がどう見ても勝ち負けがはっきりしているから。同格じゃないから。

だから幼稚園児に、くだらないことで真剣な怒りを向ける大人はいないんです。

 

 

見下す人は『自分のほうがお前より上なんだぞ!』と言いたいんでしょうね。口でしか自分は上だと伝える手段がない小さい人なんです。

 

そして、

あなたのことが目障りなんです。怖いんです。

 

 

幼稚園児を見下す大人はいません。比べるまでもないから。

だけどあなたは、恐怖なんです。自分と近い位置にいるから。

 

『まだ上にいたい!』、『私はこれ以上上には行けないから、あなたが離れて!』とおびえているんです。

 

 

見下してくる人の指摘は、真実ではありません。というか、半分言いがかりみたいなものです。

「怖い!」、「離れて!」と必死に叫んでいるだけなんです。

 

だから流せるところは流してしまいましょう。

 

許せないと噛みついても相手はこう思うだけです。『本当のこと言われて、腹を立ててる。改善しようともせず言い返すことしかできないダメなやつ。』と相手を増長させてしまうだけです。

軽く流せるようになって『あなたなんて別に相手にしてないよ。』アピールしてみませんか?ちょっとひどいかもしれませんが、一人の大人としてみるのではなくて、幼稚園児を相手にしているんだと思って。

 

あなたは相手と分かり合いたいと考えているのかもしれませんが、見下してくる相手と分かり合うのは難しいです。

 

一旦距離をあけましょう。

 

 

距離があき、お互いが冷静になれたら分かり合うこともきっとできます。

お互い距離が近すぎると、相手のことがよく見えずに殴り合いになってしまいます。距離をあけ全体が見えるようになると、新しい発見もあるかもしれません。

 

困った相手との付き合いを続けるのならば、適度な受け流しは必須テクニックですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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苦しい時こそ笑えは間違い!本当に苦しかったら笑わなくていい。

笑うことっていいことですよね。笑うことによって気分も晴れるし、リラックス効果もある。落ち込んでいるときにもちょっとしたことで笑えると心が軽くなります。

笑う門には福来るということわざもあるように、「苦しい時こそ笑え!」、「辛い時こそ笑え!」という声もよく聞きます。

 

でも、違います。

 

本当に苦しかったら笑えません。





苦しいときに泣くのは前に進もうとせず立ち止まっている悪いことで、苦しいときに笑うことこそが前に進む正しい姿勢だと世の中は訴えかけてきます。

泣いてばかりなのは悪いことで、苦しくても我慢して笑うことが大切なんだという認識の人がほとんどなのではないでしょうか?

映画、ドラマ、小説、漫画、などもそういう作りの物が多いですしね。

 

「いつまでも落ち込んでいたって仕方ないんだから。」、「クヨクヨするな!そんな態度だと不幸を呼び込んでしまうぞ!」と幼少のころからそうやって育てられてきた人も多いのではないですか?

 

言っていることは正しいんです。たしかに、じっと立ち止まって泣いていたって状況は変わりません。だから無理に笑顔を作ってでも、その場所から動くことが大事だというのもわかります。

苦しいときほど『まだ大丈夫だ。笑える。』、『笑えるからわたしは大丈夫!まだやれる。』と自分に言い聞かせる人もいます。それが正しい姿なんだと信じて、苦しいときほど笑おうとする人たちがいます。

 

そんな人たちに一言いいたいのは

「あなた、全然大丈夫ではないですよ?危険な状態ですよ?」

ってことです。

 

 

まだ笑えるってなんですかね?

 

いつ笑えなくなるのでしょう?自分でも予期してますよね?もう少しで笑えなくなると。

今はまだ、大丈夫かもしれません。でもいつか大丈夫ではなくなります。

というか、本当に今は大丈夫なのでしょうか?今の時点で大丈夫ではないのではないですか?

 

 

歯を食いしばって笑っていませんか?

 

たしかに、苦しいときは笑うことによって気分が晴れます。ほんの少し心が軽くなり、ほんの少しだけ前が見えるようになります。

でもね、

苦しすぎるときは笑わなくていいんですよ?

 

 

心を痛めている方は、苦しい状態ではないんです。

苦しすぎる状態なんです。

 

重たい荷物を背負って登山します。山頂までもう少しです。ですが苦しいです。このときは笑ったらいいと思うんです。

でも、あなたはいま、成人男性に力いっぱい首を絞められています。そんな状態で笑えますか?笑っている間に殺されちゃいますよ?

そもそも映画とかアニメでは首を絞められて笑いながら最期を迎える人がいますが、あれって可能なんでしょうか?苦しんでいる顔で笑うことって、実は一番筋力を使うんじゃないですかね?

そんなことに力を使うよりも、首を絞めている手をふりほどこうとする方が大事ですよね。



まだ笑えるというのは我慢をしている状態です。

 

笑うことによってその瞬間だけは気持ちが少し楽になるんです。ですが、時間が経つと我慢していた反動で心にダメージが残るんです。

 

苦しいときに笑うことって実は、その場しのぎの効果しかなく、持続できないんです。持続できないというか、それをしてしまうことによって、かえって後で、よりつらい思いをしてしまうことになるんです。

 

 

お葬式で泣けなくて、気丈にふるまって、何日か後になって一人で壊れるほど泣き続けるといったパターンよくあります。

あれってお葬式の時に泣いていたら、そこまで泣かなかったんじゃないですかね?無理に我慢をしてしまったからその反動で、より感情が揺さぶられてしまったんだと思います。

 

無理をしてまで笑うメリット、ありますか?

 

 

そもそも笑顔って楽しいから自然と笑顔になるんです。

 

 

笑顔になると楽しい気分になるから笑えというのはなにか違う気がします。

『僕は楽しいんだ!』、『わたしはつらくない!』、『俺は嬉しい!』

違います。

そう思い込もうとしているだけです。本当は

「あなたは楽しくない」、「あなたはつらい」、「あなたは悲しい」

そんな自分の気持ちに蓋をして、誤魔化してしまうんです。

 

あなたの心にしてみれば、「助けてー!!」とあなたにSOSを出したのに、あなたは「大丈夫。大丈夫。」と助けることなく見捨てている状態です。

心からしてみたらあなたは『鬼』や『悪魔』のように見えているかもしれませんね。

 

今の若い人は知らないかもしれませんけど、熱湯コマーシャルってテレビが昔あったんですよね。熱々のお風呂にどれだけ我慢して入っていられるか、入っていた秒数だけテレビで宣伝できるっていう番組が。
よく芸人さんもチャレンジしていたのですが、お風呂に入る人からしたら熱いからすぐに出たいわけです。だけどそれだとテレビ的に面白くないんですよね。だから周りがお風呂から出ようとする人の肩を抑えて出るのを妨害するわけです。一刻も早く脱出したいのに上から悪魔が押さえつけてくるわけです。

あなたの心からすれば、あなたはそんな妨害をしてくる人に見えているかもしれません。

 

 

もう少し自分に素直になってもいいのではないですか?

 

たしかに笑うことってすごくいいことだと思います。笑うことによって寿命が延びるとまで言われていますしね。

まったく笑わずにいたら心もどんどん沈んでいきます。気力もなくなってきます。ネガティブ思考が増え、暗い感情に支配されてしまいます。

ですが、

 

無理をしてまでも笑う必要はないんですよ?

 

そこまであなたが我慢をする必要はどこにもないんですよ?

 

 

人間なんです。どうしても笑えないときはあります。絶望に沈んでしまうこともあるかと思います。

そんなときは反抗せず、絶望に沈んだらいいと思うんです。

 

本当に苦しいときに笑うのは逆効果です。

 

『まだ大丈夫!』は実際には大丈夫ではありません。

限界を超えているのにそれに気づかないふりをしているだけです。

あなたの心の声を無視して、意志の力で自分を動かそうとしているだけです。

 

そもそも笑うことって難しいことじゃないんです。気がついたら自然に笑っているんです。無意識なんです。

笑うのが難しいと感じるようになっているのは危険な状態です。

 

そうなってしまったのは、あなたががんばりすぎてしまったから。我慢しすぎてしまったから。

 

もう、がんばるの、やめませんか?

もう、我慢するの、やめませんか?

 

いままでオーバーワークにも必死で耐えてきたんです。がんばってきたんです。そろそろ休むという選択をしてもいいのではないですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

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泣いてばかりの自分が嫌だ。泣いたらダメってわかっているのに。

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外部の影響を受けすぎるのはHSP?生きづらいのは敏感で優しいから。

『どうして自分はこんなにも周りのことが気になるんだろう?』、『もっと自由に生きたいのにどうしても制限されてしまう。』と感じたことはありますか?

もう少し自分軸で生きないといけないとわかっているのに、どうしても他人の影響を受けてしまう。




他人が笑っている姿を見ると自分もうれしい気持ちになるし、他人が怒られている場面にいるとまるで自分が叱られているように感じる。

他人が泣いていると悲しくなるし、他人が恥をかくと自分が失敗したように感じてしまう。

 

感受性や共感力が高すぎるんですね。

 

 

他人のことでも自分のことのように感じてしまうんです。自分と他人の境界線があやふやなんです。

それどころか、当の本人よりも自分のほうが刺激を受けてしまうことも少なくありません。相手の痛みや感情を誇張して共感してしまうこともあります。

 

空気を読みすぎてしまうんです。

 

 

でもこれって、あなただけが特別だというわけではないんです。普通じゃない、おかしいことではありません。

こういった状態のことを【HSP】と言うのですが、5人に1人はこのHSPらしいです。

 

10人いれば2人がHSP
1万人いれば2千人がHSP
1億人いれば2千万人がHSP

こう考えてみたら全然特殊でもなんでもないですよね。むしろ多いなあとさえ思います。

だから外部の影響を受けてしまうのは普通のことなんです。自分軸で生きることができないから自分はダメなんだと思わないでください。

 

HSPにも軽い重いはありますが、このHSPってものすごくストレスを溜めてしまいやすいんです。

 

 

図書館で勉強をしていたら、小声でずっと話をしている2人組がいる。モヤモヤ。

レストランで食事がでてくるのを待っている男性。ずっと貧乏ゆすりをしている。イライラ。

仕事場で上司に怒鳴られている同僚。メソメソ。

静まり返った飲み会。ハラハラ。

 

些細なことにも心が動いてしまうんですね。

 

喜び、悲しみ、怒り、痛み、苦しみ、そういったものを人よりも多く感じてしまうようになります。

周りの影響を受けてしまい、疲れやすいんです。

 

 

人混みが苦手という人はHSPの傾向が高いそうです。

面と向かって会話をしていなくても、横をすれ違うだけでも、相手の歩くスピードや顔の表情などから無意識に相手の感情を受信してしまうんです。怒っている、楽しい、悲しいなどを自動受信してしまいます。

 

そりゃー疲れます。





人が少ないところでは集中できるのに、人が多くなると集中力が極端に落ちる人はHSPを疑ったほうがいいかもしれません。

 

このHSPなんですが、病気のように書いてしまいましたが、別に病気ではありません。悪いことではありません。

 

 

HSPは思いやりのある人に多い特徴です。

 

自分がされたら嫌なことがわかるから、相手にはしない。
相手が苦しんでいるのがわかるから、手を差し伸べる。
相手が喜んでいるのがわかるから、一緒に心から喜べる。

 

人の喜びと痛みが、人一倍わかる人です。

 

素敵な人じゃないですか?

 

 

ただもし、あなたが外部のノイズに悩まされて困っているのなら、一度一人になる時間をとることをお勧めします。

 

飲み会に参加するのを断ったり、恋人とのデートを延期したり、子どもを親に預けたりと、一人だけになれる時間を作ってみてください。

趣味に没頭できる時間、一人でなにも考えずボーっとする時間を作ってみてください。

 

今ね、あなたはすごく疲れているんですよ。

特に何かをしたわけでなくても。

ただ生きているだけでも。

 

HSPはすごく疲れやすいんです。

普通に生きているだけでも、ただ生活をしているだけでも人一倍疲れます。

 

HSPの症状が強い人はテレビやラジオにも反応します。

二時間サスペンスで人が刺されるシーンを見ました。『うわっ!?痛そう!!』その瞬間にあなたも同じ箇所を刺されるんですね。

クイズ番組で全然見当違いの答えを言ってしまい、笑われている出演者を見ました。『そんなに笑わないでよぉ。』あなたも恥ずかしい思いをしてしまいます。

ラジオでクラシックを聴いていたら、次の曲が激しいロックンロールに。『おわっ!?』あなたは驚いてしまいます。

 

今の世界は情報にあふれています。発信があまりにも多すぎます。

普通の人はその発信があまり気にならないんです。受信せずにスルーすることができるんです。

 

ただ、あなたの場合は受信感度がすごすぎるんですよね。

普通の人が受信できない小さい音まで無意識に受信してしまうんです。

 

いい音や映像を人よりも多く受信できるのなら得なのですが、同時に雑音や見たくもないものまで受信してしまいます。

そりゃー疲れてしまいます。

 

 

このHSPなんですが、疲れていることを認められない人も多いんです。

普通に生活しているだけなのに。

なにもがんばっていないのに。

 

それなのに疲れていることを認めてしまったら、これからどうしろと?

こんなにも疲れやすいというハンデを背負って、これから生きないといけないということなの?

 

そうですね。

 

一般的にはHSPは治らないと言われています。

 

疲れやすい自分とこれからも付き合っていくしかありません。

 

 

でもね、これは別に特別なことではないんです。5人に1人です。何万分の一ということでもありません。

 

普通に生活しているだけでも疲れてしまうことがあるんです。

普通に生活しているだけで疲れてしまう人を許してあげましょう?

 

普通に生活しているだけで疲れてしまうあなたを許してあげましょう?

 

外からの刺激で疲れているのに、そのうえ内からあなたまで刺激を与えてしまうと身が持ちません。

HSPを否定しても仕方ありません。あなたの特徴なんです。それも含めてあなたなんです。短所でもあり、長所でもあります。

 

受け入れてみましょう。まずはそこからです。

 

 

外に出ると疲れる、周りの音がすごく気になるといった人は、定期的に一人になる時間を作ってください。

 

孤独に生きろというわけではありません。

孤独に生きないためにも一人になる時間は必要なんです。

 

なにもしなくても疲れる自分を許してください。罪悪感をもたずに休んでください。

 

人間は『食う』、『寝る』がないと生きていけません。

あなたにはそれに『一人になる時間をもつ』が加わっただけです。

生きていくために必要なことです。堂々としていてください。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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心が疲れるのは他人を気にしてがんばってきたから。

自分軸で行動すると人生が変わる!他人軸で疲れたときは。

自分らしく生きられないのはなぜ?自分らしく生きたい。

どうしてこんなに被害妄想が強いの?惨めな自分が嫌だ。

自分の芯がない!流されてばかり!意思がない!ブレない軸がほしい!!

弱者には厳しい世界。どうしてこんなに生きづらい・・・

社会に適応できないのは何故?環境を変えれば劇的に変わる!

優しい人、いい人だと損をする?世の中不公平だと感じたら?

生きているだけでしんどいのは何故?楽な生活には戻れない?

人の言葉に過剰反応してしまう。傷つきやすい性格が嫌い。

自分さえ我慢すればうまくいったのに。我慢が足りなかったと後悔する前に。

自分にとって悪い結果になった際に『私が我慢できてたらよかったのに・・・』、『どうして僕は我慢できなかったんだ・・・』と後悔した経験ってありますか?

『自分がもっとできていたら、こんなことにはならなかったんだ・・・』、『どうしてあのときちゃんとやらなかったんだ・・・』と後悔や過去の自分に怒りを覚えたことはありますか?



これね、誤解なんです。

 

・・・
あなたはしなかったんじゃないんです。

 

あなたはできなかったんです。

 

 

悪いことが起こってしまったので、それを防ぐのには『あのとき、ああしていればよかったー。』といまになって思うだけで、過去のあなたにはそれができないことだったんです。

過去のあなたは怠け者ではありません。いまにして思えば『回り道ばかりしていた。回り道をせずに一直線にやればできていたのに・・・』と思ってしまうだけです。

 

 

過去の自分を過大評価しています。

 

過去の自分は所詮あなたです。今のあなたと似たような性格、能力です。

 

 

本当にあのときのあなたにできたことなんでしょうか?
そのときのあなたも、今と同じく一生懸命生きていたんじゃないですか?

 

・・・
それでも当時のあなたにはできないことだったんじゃないですか?

 

我慢も同じなんですよ。

 

たしかにあなたが我慢をしていたら、うまくいくこともあったかもしれません。
あなたが我慢をしなかったから、うまくいかなかったのかもしれません。

 

我慢ってできないことではないと思います。やろうと思えば誰でもできます。100メートルを10秒で走れと言われているわけじゃないし、3日で中国語をマスターしろと言われているわけでもありません。

ただ、嫌な思いをしても耐えろと言われているだけです。

誰でもできるでしょう??

・・・

・・・

でもね、よくよく考えてみてください。

 

 

あなたが我慢をする必要はあるのですか?





『自分さえしていれば、~できていた。』

そうですよね?今、そう思っていますよね?

 

では聞きますが、

「当時のあなたは、そんなこともわからないぐらいバカだったのですか?」

 

 

今は賢くあれこれ考えて、自分のせいだと思っているあなたが、当時はそんなことになることもわからないぐらいバカだったのでしょうか?

 

ちょっと毒舌入りましたが、そうじゃないですよね。

 

 

当時のあなたも自分さえしていれば、こんな結果にならないことを理解していました。

それでもできなかったんです。

 

 

『もっと我慢していたら~』、『もっと努力していたら~』と思ってしまうのは無理はありません。それができていたのなら、こんな結果にならなかったのですから。後悔もしてしまいますよね。

 

でも、実は後悔する必要もないんです。

 

あなたは最善を尽くしていた。それでも防ぐことができなかった。ただそれだけです。

もともと無理なことだった。それだけです。

 

 

我慢や努力っていうと根性論になってしまいますが、本当にまったく我慢もせず、努力もせず、あなたは過ごしてきたのでしょうか?

・・・
違いますよね??

 

本当にそうだったのなら、こんなにも自分を責めていないです。

 

あのときのあなたは、精一杯既に我慢していたんです。

あのときのあなたは、目一杯既に努力していたんです。

 

そのことをあなたは忘れていませんか?

 

 

結果だけ見て、あんなにがんばっていたあなたを責めていませんか?

『もっとしていれば・・・』

 

 

それができないほどあなたは追い込まれていたんでしょう?

 

 

そこまでがんばっていたのだから、『よくがんばったよな・・・』とたまには自分をいたわってみてはどうですか?

 

あなたのがんばりは、他ならぬあなた自身が一番知っているでしょう?

 

 

苦しいのにがんばってきた自分、『しんどかったな。』とねぎらってあげませんか?

 

つらいのにもっとつらい目にあおうとしている自分、『もうがんばらなくていいんだよ。』と声をかけてあげませんか?

 

 

他の人はね、別に結果だけで判断をしてもいいと思うんです。3点足らずに試験に落ちたのなら、3点分の努力が足りないからだと判断してもいいと思うんです。

 

でも、

 

あなただけは、そんな判断をしたらいけないと思います。

 

 

結果だけで判断をしてはいけません。あなたが少しでもがんばったという気持ちがあるのなら、そのがんばりをみてやらないといけないと思います。

 

他の人は、あなたのがんばりを知らないんですよ?

 

あなただけが、あなたのがんばりを知っているんです。

なのにあなたまでそこから目をそらしてしまったら、報われないですよ?

 

 

あんなにもがんばってきたのに。

こんなにもがんばっているのに。

 

 

我慢しなくちゃいけない場面というのもたしかにあります。葬式の席でゲラゲラ笑うわけにはいきませんし、上司からの注意を鼻くそをほじりながら聞くわけにもいきません。

場面場面で我慢が求められることはあります。

 

ですが、ずっと我慢をして生きていかないといけないわけではありません。

 

あなたが我慢をしなくてはいけない場面は、あなたが想定しているよりはるかに少ないかもしれません。

 

 

我慢をして生活してきた辛抱強いあなた、意外と我慢って正しくないかもしれませんよ?

いつか我慢してきた自分をいたわることができたらいいですね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

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自分を安売りすると、とんでもない赤字になる。借金地獄で苦しむ前に。

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八つ当たりでいつも人を傷つけてばかり。なんで我慢できないの?

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どうしてこうなった?こんなはずじゃなかったのに・・・

罪悪感が消えない。自分は幸せになってはいけないと思ったら?

何もできない落ちこぼれ。無能な自分との付き合い方。

強い喪失感の克服法。失ってしまったものが大きすぎて・・・

自分を安売りすると、とんでもない赤字になる。借金地獄で苦しむ前に。

自分の価値、皆さんは正しく見極められていますか?

 

ちゃんと自分の価値を見極められ、正当な価格で販売できていますか?

自分の価値を見極められず、とんでもない値段で安売りをしてはいませんか?




たまにバーゲンセールをするのなら購買意欲も上がり、売り上げも上がるかもしれませんが、ずっとバーゲンセール状態だったらどうでしょう?

閉店セールを何カ月もやっているところもありますが、それを知っていたら『閉店セールだ!チャンスだ!買いに行こう!!』となりますか?『まだやっているのか?』、『いつまでそれで粘るつもりだ?』ってなりませんか?

 

 

安売りって期間限定だからこそ、ありがたみがあるんです。

 

期間が長くなるとありがたみがなくなり、当たり前になるんです。

 

 

「一年限定大安売り!!」と「三日間限定大安売り!!」

どちらのほうがお得感ありますか??(どちらも同じ値段だとします。)

 

三日間だけのほうが『今すぐ買いに行かないと!』となってしまいますよね?長い期間していると『今買わないと損をする。』とは思いませんよね。『別にいつでもいいや。』と思うでしょ?

 

どっちも同じ値段で販売しているにも関わらず、需要は全然違ってきますよね。この需要の差ってありがたみがあるか、当たり前になっているかの違いです。

 

ずっとバーゲンセール状態だと、それが通常価格の安物ってことになってしまいます。

 

自分の価格はしっかり見極めましょう。

 

自己評価が低くあまりにも安く売りすぎると、他人の評価まで下がりすぎてしまいます。

 

 

全く同じ車種、年式で共に新車の2つの車が売っているとします。片方は150万円で売っているとします。もう一方は3万円です。

・・・

皆さんはどちらの車を買いますか?

・・・

150万円を選ぶ人のほうが多くないでしょうか?

 

3万円の車、怪しすぎます。新車だと言われているのに事故車や欠陥車じゃないかと疑ったり、『これには絶対になにか裏がある!だまされたらいけない!!』とか思いませんか?

 

価格が安すぎると怪しんだり、敬遠するようになるんですよね。なにか裏があるようで気持ち悪いんです。



価値があるものを安く売ったって、思うように売れないんです。

むしろ価格を上げることによって売れるケースさえあります。

 

 

ブランド品なんてまさにそれじゃないですか?

ブランド品かそうじゃないかで同種類の物でも、数倍から数十倍違ってくることありますよね?あれって本当に商品自体にそんなにも値段の価値が違ってきますか?

むしろブランド品には敵わないからと、ほとんど同性能でかなり安く販売しているケースもありますよね?

それでもブランド品のほうがよく売れるんです。

 

理由は

 

ブランド品のほうが信用ができるから。

 

ブランド品のほうが高い値段で売っているから。

 

 

値段が高いからこそ、よく売れるんです。

 

 

安すぎると売れなくなるんです。
(消耗品は安くても売れますが。)

 

でもあなたは消耗品ではありません。

 

価格は自分の価値を見極めてしっかり決めましょう!

 

本来の価値よりも少し上乗せした価格がベストです。

 

 

そんな値段じゃ誰も買ってはくれませんか?

 

大金持ちは絵画を飾っているイメージがあるのですが、あれって、本当に何百万円、何千万円、あるいはそれ以上の価値ってあるんですかね?

美術を学んできた人にとっては価値のあるものなんでしょうけど、美術のことが全然わからない人間からしたら『えぇっ!?』って思ってしまうんですよね。

 

よくいわれるピカソの絵ですが、あれが仮に路上販売で10万円で売っていたとしても誰も買わないと思うんですね。美術に興味がない人は『絵に10万円なんて。』と思ってしまいますし、何千万円の絵を買っている人からしたら『10万円の絵なんてくだらない。』となってしまいます。

 

 

価値があるから高いんじゃないんです。

 

 

高いから価値があるんです。

 

 

人間って見栄っ張りなんですよ。

 

前にテレビで何千万円もするペルシャ絨毯を浴室の出口に敷いている人を見たことがあります。インタビュアーに「ああ、たしか〇千万ぐらいしたかな。別に絨毯なんかどれでも一緒だし、大切に保管するものでもないでしょ?使わないと。」みたいな感じで答えていたと思うんですよね。

これって違いますよね?

 

『何千万円もする絨毯を汚れやすい空間に敷くことができる俺ってすごいでしょ?』、『あんたらなら厳重に保管してこんな使い方できないでしょ?』って言っているように聞こえませんか?

絨毯なんてどれも一緒だと思っているのなら、そんな値段のする絨毯、わざわざ買わないです。その辺のホームセンターで買うでしょう?

 

でも、人間、見栄を張れば張るほど価値が上がるんです。

 

絵画や絨毯にしてもそうだし、壺とかもそうじゃないですかね?

絨毯や壺として使用するなら何千万円なんていらないんです。千円あれば十分機能します。

なのに、なんでそんなに高い値段で売っているにも関わらず、売れるんでしょうか?

 

 

どれだけ貴重なものか、どれほどの手間をかけられて作っているか、誰が作ったものか。品物そのものの価値を大きく超えて、価格が上がります。

価格が上がるから需要も上がります。

価値あるものになります。

価値あるものを持っていると自分の価値があがるんです。

 

一般人は数千万もする壺、買おうとしないでしょう?

そんなもったいない使い方できないでしょう?

そんなにするのなら家とか車とかって思うでしょう?

だからそれを実行できる人はすごいんです。

 

 

絨毯とは別の人なんですけど、テレビの横に謎の物体が置いてあったんですね。(見たのはかなり前なのでどんなものかは忘れてしまいましたが。)・・・で、「これはなんですか?」と家主に尋ねるんですよね。そしたら家主がこう答えるんです。

「さあ?」

「なにに使うかしらないんだけど、だからこそいいんだ。意味のわからないもので値が張るからこそ、余計に無造作に置いていることに価値がある。」

みたいな感じだったと思います。

金持ちの思考回路は貧乏人には理解できないなーって思ったんですが、これって実際にあるんじゃないですか?

 

 

こんなにも大安売りしているのに誰も買ってくれないのは、大安売りをしているからじゃないですか?

 

「土地代込みで50万円で家を建てられます!!」

 

あなたは周りにこういって自分を売っているのかもしれませんよ?そんな家、怪しすぎます。

そんな家よりも5億で販売している豪邸のほうが、買う人はいるのではないですか?

 

 

あなたの値段はあなたが自由に決めたらいいんですよ?

 

その辺に落ちている石ころのような値段にしてもいいですし、世界で一つしかない宝石の値段にしてもいいんです。

石ころで蹴り飛ばされるか、宝石で大切に保管されるか、あなた次第です。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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やりたいことだけやって生きるのは無理?やらないといけない時は?

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ブラック企業に尽くす誇り?

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嫌われたくないから無理をする。無理をするから恩着せがましくなる。

認めてもらいたい人に認めてもらえない。承認欲求の制御法。

恋人に振り回されてしまう。好きなのに疲れてしまうのは。

タイムリミットに間に合わない。焦燥感をコントロールする方法。

タイムリミットもなくのんびりと、自分のペースでゆっくりとできればいいのですが、『いつまでに』という期限付きの条件も多いんですよね。

そのタイムリミットに余裕があるのなら、いつにあれをして、これをしてと計画が立てられ、それにそってすればいいし、多少計画とズレても修正ができます。

でも、タイムリミットに余裕がないと、ある感情が襲い掛かってくるんですね。

 

それが焦燥感です。





焦りが常に頭の中にあり、なにをやっても『もっとしなければ』、『こんなことをしている場合じゃないのに』と心を圧迫します。

 

有名なものでは太宰治の『走れメロス』ですかね?
ざっくり言いますが、メロスの親友のセリヌンティウスがある日、王様に処刑されることになったんですね。それを防ぐ方法はただ一つ!メロスが制限時間以内にゴール地点まで到達することなんです。そのために、親友を救うためにメロスは走り続けるという物語です。(セリヌンティウスの処刑の原因はメロスにあるんですが)

物語は当然のようにメロスに試練を与えます。体力も限界になり、タイムリミットも迫っている。あきらめてしまおうと考えてしまうこともあるのですが、そこから立ち上がり、タイムリミットギリギリにゴールに到着し、見事親友を救い出せます。めでたしめでたしです。

 

 

でも、間に合わなかったら??

 

間に合わない状態も結構あるんですよね。人生。

 

 

なにかに挑戦しているときに『ダメだ!間に合わない!』と思ってしまうことがあります。

そんなときはどうすればいいのでしょうか?

 

 

考えすぎるの、やめましょう!

 

思考停止です。

 

 

真面目な話、あれこれ考えていると余計に間に合わなくなってしまいます。『考える暇があるなら手を動かせ!行動しろ!』です。『時間よ止まれ!!巻き戻れ!!』と念じても、そうしている間にも時間は過ぎていきます。

考えすぎると思考にばかり意識がいってしまい、手が止まってしまい、余計に余裕がなくなってしまいます。そうなると焦燥感がふくらんでしまいます。

 

小学校の頃の夏休みの宿題なんて、まさにこれだと思うんです。

夏休みって期間が長いので宿題も大量に出されるんですよね。で、7月中は『まだ夏休みに入ったばかりだし8月になってからすればいいや。』と思っていたら、カレンダーを見ると『あれっ!?もう8月10日?うそ!?』なんてことありませんでした?いざ宿題にとりかかってみると、自分が想定していたよりもはるかに量が多かったり、片付けるのが面倒なものがあったりしませんでしたか?『このままじゃ間に合わないー!!』って半べそをかきながら最後の一週間を過ごした記憶、ありませんか?そのときに感じた感情が焦燥感です。

 

この焦燥感はある程度は持っておかないといけないものです。焦燥感がないと「あと1分で爆弾が爆発するぞー!!」という場面でゆっくりと友人とベラベラ話しながら歩いて避難する、なんてことになってしまいます。ボカンですよね。

 

焦燥感は危機感に並ぶ、自分を守るための感情だと思います。

 

ただ、この焦燥感と危機感は、自分を守るための緊急の感情なんです。一時的な、短期間の感情で持続力はありません。それだけ自分に強い刺激を与える感情なのですが、まれに長期間続いてしまうことがあります。

 

焦燥感を常時感じてしまうようになると、心に悪影響を及ぼします。

 

心が病んでしまいます。





焦燥感の一番怖いところは、休みを阻害することです。

 

焦燥感を感じると身体的にも間に合わせるために休憩が減りますし、精神的にも『早くしなければ。』と常に心を駆り立てられ、満足に休むことができなくなってしまいます。

こんな状態になっているのなら休んだ方が効率がいいと頭でわかっていても、それをしてしまうことによりさらにタイムリミットまでの時間がなくなってしまいます。その恐怖があるため、なかなかすべてを忘れて休むということもできません。

 

焦燥感ってものすごくエネルギーを消費するんですが、エネルギーの回復をも遅らせる働きがあるんです。

疲れているときには最悪の感情です。

 

焦燥感が付きまとっている状態で休んでも、休むことに罪悪感を感じてしまい満足に休めません。というか、休む前より疲れてしまうなんてこともあります。

 

休むと疲れてしまうから、休まずに走り続ける選択をしてしまうこともありますが、絶対にいつかどこかで力尽き、動けなくなってしまいます。

休まずに走り続けることができるのは物語の中だけです。フィクションです。生身の人間がそんなことはできません。

 

ウルトラマンでさえ、3分しか戦えないんですよ?

 

 

焦燥感をなくすには時間に余裕があると思うことです。

 

夏休みの宿題の話に戻りますが、あれって毎日コツコツしていたら焦燥感を感じないんですよ。もしくは7月中にほとんど宿題を終わらせてしまって、あとはほんの仕上げだけって状態で8月を迎えると、焦燥感なんて感じません。

 

焦燥感を感じるのは、自分が『このままでは間に合わない!』と思っているからです。『まだまだ時間に余裕があるから大丈夫。』という状態にすれば焦燥感なんて感じません。

 

だから心にゆとりをもちましょう!

 

 

心にゆとりをもてたら、焦燥感なんてしんどい感情とさよならできます。

・・・
・・・
矛盾していますよね?

 

実際に余裕がないから焦燥感が出現したのに、ですよね?

実際に余裕だったら焦燥感なんて感じていないのに、心にゆとりをもて?

そんなこと、なかなかできないですよね?

 

だからあなたの想像力で補いましょう。

あなたの想像力で現実を超えてやりましょう。

 

あなたはすごい人間なんだと想像してみましょう!

自分はもっとできる人間なんだと想像してみましょう!!

・・・

間に合わない?

・・・

本当にそうですか?

 

あなたなら、間に合うんじゃないですか?

あなたなら、楽勝なんじゃないですか?

間に合うことをイメージしてみてください。

 

あなたならできる。

あなたしかできない。

 

イメージしてください。

 

想像している途中で『なにをやっているんだろ。』とか『こんなことをしても無駄だ。』とか『間に合うはずないだろ。』と思うかもしれませんが、真面目に想像してみてください。

自分が間に合っている光景を。

 

間に合ったときに自分がどう感じているかも想像してみてください。あなたの周りが、間に合ったことに対してどんな反応をしているかも想像してみてください。声、匂い、空気、できる限りリアルに思い描いてください。

 

真剣に。

 

真剣に。

 

・・・できましたか?

 

・・・
・・・
あれっ!?

 

・・・

少しだけ焦燥感とれていませんか?

 

現実はね、はっきり言って想像してみたところでなにも変わってないです。

時間が経過するのがゆっくりになったわけでもないし、タイムリミットが延びたわけでもありません。

あなたの心がほんの少しだけ落ち着きを取り戻しただけ。

それだけです。

 

でも、その小さな変化が、あなたには大きな力になるんです。

 

今までのあなたは緊張のし過ぎで、能力の60%しか出せる状態ではありませんでした。それが落ち着きを取り戻し80%の能力を出せるようになりました。

まだ本調子ではありませんが、この違いはあなたが想像しているよりもはるかに大きいです。

 

焦燥感に駆られてしまうと、焦りばかりで効率が落ち、間に合わない可能性が増大します。間に合わせるためには効率を上げる必要があります。焦燥感を意識的にコントロールできたら、成功確率は格段に上がります。初めは難しいかもしれませんが、徐々に慣らしていきませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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世界で一番不幸でかわいそうで惨めな自分は

皆さんは自分が世界で一番不幸だって感じたことはありますか?

こう思ってしまったこと、僕はあります。あるというか、一時期本当にそう思っていました。

もちろんね、冷静に考えて自分が世界で一番不幸だということはあり得ないとわかっています。僕もそれなりの経験をしてきましたが、僕よりもっともっと不幸な人、たくさんいます。不幸を数値で表すことができたなら、不幸ではなくて幸福なほうにランクインされるかもしれません。

でもね、絶望感を抱いていると、世界で一番不幸な人になってしまうんです。




どうして私がこんな目に・・・
『なんで僕だけ・・・』
『俺が一体なにをしたって言うんだ!!』
『神様なんかこの世にいない。』

こんなこと思ったことありませんか?

 

『なんで自分なんだ!!』
『なにも悪いことしてないのに・・・』
『ただ一生懸命生きてきただけなのに!』

 

ねぇ?
どうして?

 

 

「自分より不幸になるべき人間はほかにたくさんいるだろ!!!!」

 

 

本当にそうなんですよ。

 

どうしてあなたなんでしょうか?

どうしてあなたじゃなきゃいけなかったんでしょうか?

罰が当たるようなこと、そんなにたくさんしてきたのでしょうか?

 

 

これね、

あなたがあなたを世界で一番不幸だと思っているからです。

あなたが自分で、あなたを世界で一番不幸な人間にしているんです。

 

あなたの勘違いでも、気のせいでもありません。

 

あなたは世界で一番不幸な人間です。

 

もし、自分が世界で一番不幸なんじゃないかと考えてしまったときは自信を持ってください。

間違いなく、その時点、その瞬間だけは、あなたが世界で一番不幸な人間です。ナンバーワンです。

 

 

世界で一番不幸とまでは思っていなくても、「自分は不幸な人間だ!」と自信をもって言える人、結構多いんじゃないでしょうか?

あなたも今、自信をもって「自分は不幸だ!!」と言えるんじゃないですか?

・・・

・・・

はい。あなたは今、不幸になりました。




イラっとする文章になってしまいましたが、結局は不幸かどうかを決めるのは自分なんですね。不幸が起こった数とか具体的な数値ではないんです。あなたの気持ちなんです。

 

あなたがあなたを不幸と認識したときから、あなたは不幸になってしまいます。

 

嫌な出来事があり、世界から「お前は不幸だと誇っていいぞ。」と言われます。そしてそれを誇りに思えた人だけが、不幸な人間になれます。

 

あなたは選んで不幸な人間になっています。

 

 

・・・
・・・
なんか、不幸を選ぶのが悪いことのようになってしまいましたが、別にそうではないんです。

どうしてもそうなってしまうこと、選びたくないのに引きずられてしまうこともあると思います。

 

世界で一番不幸になりたいわけじゃないのに、世界で一番不幸になってしまうことがあります。

 

『長年育てていた子どもが、自分の子どもではないことがわかりました。』
『この人しかいないと思っていた人が、ある日事件に巻き込まれ殺されてしまいました。』
『たった一人の親友に裏切られ、多額の借金だけが残りました。』

 

ドラマや映画の中だけですか?
自分にはこんなこと起こりませんか?

 

・・・
でも実際、こういう人、結構多いんですよ?
あなたにもいつふりかかってくるかわかりません。

他人事じゃないんです。

 

こんな状況になってしまったら、不幸をはねのけること、できますか?

こんな状況になってしまったら、不幸を選んでしまうのは仕方のないことなのではないですか?

・・・
少なくともその出来事を受け入れるのには時間が必要でしょう。

 

 

こんなわかりやすい不幸が、わざわざ自分にふってこなくてもいいじゃないですか?

 

もっと不幸になるのにふさわしい人間はたくさんいるのに・・・

 

 

不幸が私を選ぶメリットって全然ない!

 

 

なのになんで、自分が不幸に選ばらないといけないんでしょう?

 

・・・
理由なんてないですよね。ただの偶然。たまたま。

・・・
そんなことわかってます。

 

でも理屈ではないこともあるんです。

 

・・・
お利口にならなくてもいいんじゃないですか?

世界の理不尽さ、憎んでもいいんじゃないですか?

こういったことに遭遇したのにあなたは、素直に世の中を憎めていないんじゃないですか?

 

『世界を憎んでも仕方がない。』、『そんな小さい人間にはなりたくない。』と心にブレーキをかけていませんか?

素直に世界に向けて絶叫しましたか?海辺の夕日に向かって「バカヤロー!!」ではないですが、世界に向けて怒りをおもいっきりぶちまけてみてもいいんじゃないでしょうか?

 

・・・

実際に人に危害がでるようなやり方でなければ、おもいっきり世界を憎んでもいいと思います。

 

誰にだってつらいことはある?

 

みんなそれでもがんばっている?

 

つらいのはあなただけじゃない?

 

 

正論ですよね。実際にそうだと思います。

 

でもあなたは、それを認めなくちゃいけないことはないんです。

世界で一番不幸になって、すべてを憎んでいいと思うんです。

 

お行儀よくいようとするから、あなたは今フラフラなんです。

自分の中では抱えきれないものを溜め込んでしまって過労状態なんです。

 

 

抱え込んでいるもの、吐き出してしまいましょう?

 

 

今のあなたは『もうお腹いっぱい。これ以上食べれません!』状態です。それなのに我慢して食べ続けています。限界は目前です。

 

一度、吐いちゃいませんか?

「オエー」って。ゲロゲロと中のもの、出しちゃいませんか?

 

溜まっているものをスッキリ出してから、その後で考えましょう。世界を憎むか、愛するか。

お腹がいっぱいの状態で食べているから、味がわからなくなっているんです。満腹状態じゃなくなると『これってこんなにおいしかったのか!?』と感動することがあるかもしれませんよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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わかってくれていると思っていたのに、わかってくれていなかった

自傷行為をする人を救うには。一人で抱え込みすぎないで。

自傷行為をする人と出会ったことはありますか?

リストカットといった身体的な自傷行為はもちろん、精神的な自傷行為を繰り返す相手と深く関わったことはありますか?

幸せになってもいいはずなのに、どう見ても不幸になる道しか進んでいない。罪を償うために自分を犠牲にして周りを幸せにしようとしている。




こんな人をどうすれば救えるのでしょうか?

・・・

・・・

救えません。

救おうと思っても救うことはできません。

 

そういった自傷行為をする人って意味もなくするわけじゃないんです。『自傷行為をするのが大好き!』と悦に入れる人なんかいません。よく誤解されるのですが、したくてしているんじゃありません。

しないとおかしくなってしまうからするんです。

 

 

自傷行為をする人は、そうしないと悩みに押しつぶされ、自分を保つことができなくなるからするんです。

やりたくてやっているわけじゃありません。

 

数十年生きてきた上で、自傷行為をしないといけないほどの環境になっているんです。

 

そんな人、救えますか?

 

あなた一人でなにができますか?

 

愛さえあれば?時間さえかければ?根気さえあれば?

 

 

そんな簡単な話ではないですよ。

愛があっても、時間をかけても、根気よく続けても、救えないこともよくあります。

 

救う=自傷行為をしなくていい状態にする

です。

 

自傷行為や破滅願望を相手の中から消し去るということです。

 

簡単なことではありません。

 

 

生半可な覚悟で踏み込んではいけません。

生半可な覚悟で踏み込むと、助けるどころか、あなたが引きずられてしまいます。

 

数カ月もあれば自傷行為をしなくなる?
こちらが誠心誠意をもって接すればわかってくれる?

 

・・・

甘いです。

その程度の覚悟では踏み込んではいけません。





僕はね、最初はそんな中途半端な覚悟で踏み込んでしまいました。

 

今までね、ある程度は人の手助けをしてきたし、今回もそれでなんとかなると思ってました。こちらが本当に相手を思って行動できたら、相手を闇の中から救い出せると思っていました。

でも、現実は違いました。女性だったんですけどね、彼女は僕が今までの人生であった人の中で一番暗い闇の中にいました。彼女の不幸なところは人の何倍もの闇の中にいるのに、それを周囲には気取らせないように隠し通せる精神力の強さも持ち合わせていたところでした。

周りから見たら彼女は人生を謳歌している光の中にいる人のように見えるのですが、その人たちが想像もつかないほどの自傷行為を繰り返していました。その自傷行為がリストカットなどの周囲からわかりやすい行為ではないため、誰も彼女が自傷行為をしていると気づかないんですね。

だれにも助けを求めず、リストカットをした方がまだマシだろって感じの自傷行為をし続ける。ひどく歪に見えました。『こんなにいい子なのにどうして?誰も救わないのなら僕が救ってやる!』みたいな感じで踏み込んでしまいました。

 

そこからはもう、挫折の連続ですね。どれだけ強い言葉を使っても彼女には響かないし、口先だけの奴にならないよう行動しても、全然望んだ成果なんて出ない。

数か月どころか数年たっても、自傷行為を止めることさえできない日々が続きました。

 

自分がこんなにも無力だったのかと思い知り、今までもっていた自信なんてきれいさっぱり吹き飛んでしまいました。

 

 

本当に人を救ったことなんて一度もないんですよ。悩みのある人の話を聞いて、アドバイスもせず傾聴するだけ。それで表情が柔らかくなってくる人を見て、勝手に救った気になっていただけ。その人の闇の外部にさらされている部分だけを取り除くだけで、闇の中心部には決して手を出さなかったんですね。自分にはそこまでその人の人生に介入する資格はないと思っていたし、その人の生き方を変えられるとも思っていなかったので。

 

今思えば無謀ですよね。今までは闇から漏れでた灰汁だけを取り除いていたのに、同じ要領で闇そのものを取り除けると思っていたんですから。

でも、彼女を救うには闇そのものに手を出すしかなかったんですね。灰汁を出さずに闇を抱え込める人だったので、他に方法がないと思ったんです。

 

実際にできることって、ほとんどなかったんですよね。関われば関わるほど、彼女の闇や歪さが自分が想定していたものよりはるかに大きいことがわかりました。危うい精神状態を自傷行為をすることによってなんとかバランスをとることができている。綱渡りができている。自傷行為をやめてしまうと綱から落ちてしまうことがわかりました。

 

僕自身ね、わからなくなってしまったというのもあるんです。理屈では自傷行為をとめないといけないのはわかります。だけど、その自傷行為がもう彼女の人生の一つになっていて、簡単にはとめられない、急にとめてしまうと彼女が壊れる可能性があると感じました。

病院で治療を受けさせるのが一番正しい選択だったのだとは思いますが、彼女がそれをひどく拒否したため、それもできませんでした。(家族でも恋人でもなかったので、そこまで介入したら邪魔者として切り離されると思っていました。)

 

こうしている間にも彼女は自傷行為を繰り返しています。それで満足感を得られているのなら僕もほっといたと思うんです。でも、彼女は自傷行為のたびに深く傷ついて疲弊して、ギリギリの精神力をさらに削っていました。

 

だから救うために、自分のできることを全力でやりました。自分の能力以上のものを求め、手にし、それでも結果がでませんでした。

自分のできることは全てやったと言い切れます。それでも彼女は変わりません。

僕の残された選択といえば、ただ彼女の負担を少しでも解消すること、そばにいて「一人じゃないよ。」と伝えることでした。

 

だけどそのころには、僕の中で彼女の存在が大きくなっているんですね。元々はちょっとした知り合い程度だったんですが、僕の中では大切な人に変わっていたんです。

そこからはさらに自分の無力さとの戦いでした。彼女が苦しんでいる姿を見ると、自分が苦しんでいる以上に苦しいです。ですが、自分には何かを変える力もない。『支えてあげないと。』と誓いながら、何度も心が折れそうになりました。

誰かに相談したら「それはやりすぎている!」とか「お前のその行為が自傷行為だろ!」と言われるのはわかっていたので、誰にも相談しませんでした。あきらかにやりすぎでしたし、依存もしてました。『どうしてできないんだ!!』と意地にもなっていましたし、『ここで僕が見捨ててしまったら彼女は・・・』という思いもありました。

 

当時を振り返っても『あの頃以上のことは絶対できない。むしろあそこまでよくできたな。』と自分でも思うくらいなので、たぶん過去に戻れたとしてもあれ以上の結果はでなかったのでしょう。だけど後悔はしています。

結局、当時生きてきた人生の4分の1を費やしてわかったことは、『僕には彼女は救えない。』ということでした。僕の彼女との物語はハッピーエンドを迎えることがないということだけでした。

 

・・・

なんか、めちゃくちゃ長くなってすみません。書いていたら止まらなくなっちゃって。もう少し軽くふれるつもりだったのですが、完全に僕の話になっちゃいました。こういったことを文章で書くことも彼女を裏切るようで当時はできなかったので、ちょっとは気持ちの整理ができたということにしときましょうか。

・・・話しを戻しますね。

 

とにかく僕が言いたいのは、自傷行為を続ける人をあなた一人で救うことは難しいということです。『自分には幸せになる資格はない。』、『自分は幸せになってはいけないんだ。』と思っている人を、変わろうとする意志のない人を変えるのは難しいんです。

 

あなた一人の力では救えません。

 

本当にその人を救いたいのなら、協力を求めてください。

 

結果を求めるのなら、一人でも多くの人と一緒にやってください。

 

あなた一人で使命感をもってやってしまうと、それは破滅に向かいます。一緒に闇に吸収されてしまいます。

 

今まで生きてきた過程で自傷行為をするようになってしまったんです。

急に意味もなく、興味本位でしているわけではありません。

あなた一人で抱え込んでしまうと、相手を救うことができないことがあなたの自傷行為になってしまいます。

 

本当に救いたい相手がいるのなら、自分の無力さを受け入れてください。意地にならないでください。そこからです。

 

本当に相手のことを思うなら、使命感、責任感、プライド、捨ててください。もう少し気軽に。もっと気長に。

 

相手の自傷行為をとめることができないからといって、あなたは相手になにも残せていないわけではありません。

そこまで相手のことを思っているあなたは、絶対に相手の力になれているはずです。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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約束を守れなかった罪悪感。誓いを果たせなかった無力感。

なにもしてあげられなかった無力な自分。後悔と罪悪感。

心が壊れてしまう不安と恐怖。取り返しのつかないことになる前に。

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誰にも相談できない悩み。一人で抱え込むのは悪いこと?

中間管理職の恐怖。周りは敵だらけ。誰も味方がいない。

中間管理職って経験されたことはありますか?

上司がいて、部下がいて、中途半端な立ち位置なんですよね。僕も何年か経験したことがありますが、上手に立ち振る舞わないと孤独感に襲われます。

中間管理職、司からは指示を出される立場であり、部下には指示を出す立場です。仕事に関しては中間管理職が一番悩みを抱えている、ストレスの多い役職だとも言われてますよね。




数字しか見てこない上司、教えたこともできない部下偉そうに指示を出すしか能がない上司、指示を全然聞かない使えない部下、上の責任逃れの手段としての現場担当者という地位、下の責任をかぶるための現場責任者という地位。

 

悪いところばかりです。

 

おいしいところがありませんよね。(給料面ではアップするでしょうが。)

 

 

中間管理職の最大の恐怖って、なにより、理解者が少ないんですよね。中間管理職ってその部署をまとめることが仕事だと思います。その部署を任されているのは、あなた一人だけ。違う部署の中間管理職と愚痴をこぼしても、あなたの具体的な苦悩は相手にはわからないし、相手の具体的な苦悩もあなたにはわかりません。孤独です。

 

上司みたいにふんぞり返って報告を受ければいいだけじゃないし、部下みたいに能天気にさぼりながら仕事をすればいいわけでもない。部下に方向性を示し、結果を出して上司に報告をしなければいけない。

 

求められるのは結果です。

 

 

上司みたいに部下の報告をふんぞり返って待っているだけだと、部下が思いもよらない方向に走り出し、取り返しのつかないことになるかもしれません。

部下みたいに能天気にさぼっていると、無能のレッテルを貼られます。降格して窓際族行きです。

 

 

良い結果が出たら、皆のおかげ。皆ががんばったからだ。

 

悪い結果が出たら、あなたのせい。あなたが無能だからだ。

 

 

損な役回りです。胃が痛くなります。

 

 

上司からのバカみたいな過剰な要求を部下に納得させないといけないし、考えもなしにバラバラに動く部下たちを一つにまとめないといけません。

 

上と下との間、中途半端な立ち位置なんですが、

 

求められるのは上と下の両方の能力です。

 

 

部下に指示を出す能力と、指示をした内容を自分でもできることが求められます。自分ではできないけど指示を出せばいいだけのトップとは違い、部下の見本、手本になることも求められます。自分の仕事だけこなしていけばいい部下とは違い、全体の進捗状況の把握と管理をしないといけません。

 

中間管理職に求められるのは、優秀で万能であることです。

 

そして上と下とのバランスをしっかりと調整する能力が必要になります。

 

 

実際にしっかりした中間管理職がいるところって、業績も高く安定しているんですよね。極端に言えば、トップがダメでも、部下がダメでも、中間管理職さえしっかりしていたら仕事は機能するんです。

 

 

中間管理職は船長さんです。上司(依頼人)から「何時までにあそこへ到着させろ!」と指令がきます。部下(乗組員)にしっかりと指示を出さないと明後日の方向へ船は流れてしまいます。

 

最重要ポストです。

 

上と下とがお互いに同じ目的地へ船で行こうとしているときは、中もそれほど気苦労はしないんです。下が上の指示に納得していたら、下と協力し合って航路から大きく外れないようにすればいいのだから。大変は大変ですが、とりあえず船は出航できます。

 

大変なのは上と下の意見が食い違っているときです。上は「すぐに北海道にむかえ!」と言っているのに、下が「北海道?いいえ、沖縄にむかいます。」といったことになれば大変なんです。

 

中間管理職としての意見を求められます。

「船長!あなたは一体どっちの味方なんだ!!」となってしまいます。





上からは「下が不平をもらしている?馬鹿か!お前は!?それをしっかり統制するのがお前の仕事だろ!!」と言われてしまいます。

下からは「あなたは上の意見ばかり聞いて、全然こちらの意見を反映させてくれない。上の意見を聞くだけなら、そのポジションって空席でいいんじゃないですか?実際に現場で働いてしんどいのは私たちなんですよ!」と言われてしまいます。

 

味方がいないです。敵だけです。

 

これって難しいですよね?

 

どちらかの肩を持ちすぎても、反対からは不満がたまります。

 

 

上司の言うことだけを聞いて「仕事なんだから文句を言わずにやれ!ごちゃごちゃ言うな!!」と言うのは簡単ですし、会社としてはそれが正しいのだとは思います。

上が方針を練って、それについてこれなければ下が辞めればいいんです。入社して3ヶ月の新入社員が社長に対して「お前のやり方ではこの会社に未来はない!俺が社長になってやるから、お前は便所掃除でもしてろ!!」なんてことは通じません。

その会社にはその会社のやり方があって、それをよく知っているのは上司です。
それを働いた年月の浅い社員が変えようとしたらクーデターです。

 

上の考えに適応できない人はそこを去るしかありません。

そういった人が去って、残った社員と一致団結!!

・・・できたらいいんですけどね。

 

 

そもそも下の人間は、上の命令には逆らえないということは理解しています。考えなしに反発して『クビにしたけりゃすればいい。』と思う人だけじゃないんです。『仕事なんだからやらないと。』と思う人も多いんです。

そんな真面目な人たちでさえ、「これはおかしい!」と異を唱えることなら、上の考えが横暴すぎることもあると思います。

そんな状態で中間管理職のあなたが、上司の手下としてあれもしろこれもしろとうるさく言ってくる。上司のイヌとしてやってきて、現場の都合は全然汲んでくれない。

 

皆やめちゃいますよ?

全滅です。会社も機能しなくなります。

 

目線の違う相手同士をうまく結びつけるのが中間管理職の役割です。自分の仕事内容よりも人間関係に気を遣い疲れてしまうこともあります。

 

だけどあなたの苦悩は職場では理解してもらえません。

 

上に気を遣い、下に気を遣う。両方の味方になれればいいのですが、両方の敵になってしまうこともあります。どっちつかずで中途半端で孤独。

 

しんどいですね。

いつもお疲れさまです。

 

職場でのあなたの理解者が少ないことに、心が疲れてしまうこともあるかもしれませんが、でも、そんな真面目なあなたが中間管理職になっているからこそ、あなたの職場はうまく機能しているのかもしれませんね。

ただ、それに耐えられなくなったのなら、遠慮なく不真面目になってくださいね。心を壊してまでやるべきことなのかどうか、考えていただけたらと思います。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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