恐怖政治の会社。威張り散らしてくる上司への接し方。

皆さんは威張り散らしてくる上司と一緒に仕事をしたことがありますか?

自分は偉いんだぞオーラで命令口調、王様気取り見下してくる。

お山の大将にすぎないのにと思ってしまいますよね。

 

常に仕事ができているかをチェックされ、些細なことでもダメ出しをしてきます。仕事のチェックというより、どうやってダメ出しするかを考えてチェックしているんじゃと思うときすらあります。

あれってなかなかしんどいものですよね。仕事に行くのも憂鬱になってしまうことがあります。




こちらの仕事ができていないので、しっかりしないとという意味合いで厳しくしてくれるのはまだありがたいですが、ほとんど揚げ足取りだろと思ってしまえる場合は、本当にモチベーションが下がります。

 

 

部下に怒鳴り散らしてばかりで全くほめようとしない上司もいますが、あれってどうなんですかね?

上司としては仕事だから厳しくして当たり前だとか、少しでもいい仕事をしてもらいたいという思いもあるのでしょうが、あれって逆効果ですよね?

 

 

恐怖政治って部下の能力を半減させてしまうんです。

 

 

アメとムチという言葉はよく使われますが、最近はアメだけのほうが仕事の効率はいいと言われていますよね。ムチを使うにしてもアメ9、ムチ1ぐらいがいいらしいです。

上司としては『なんでこいつは言うことを聞かないで手間ばかりかけるんだ。』状態ですし、部下としてはそんな怒ってばかりの上司の役に立ちたいとも思いません。

 

 

怒れば怒るほど非効率なんです。

 

 

部下としては怒られてばかりだとうんざりします。『よくやっているという言葉も言わずに偉そうにしている。こっちのことなんか見下してばかり。本当、器が小さいよなー。』って思ってしまいます。自分のために厳しく言ってくれているんだとは思えません。

 

 

それにね、この上司が完璧に仕事をこなせる人間ならいいんですけど・・・ねぇ?

 

自分のことを棚にあげて言ってくる人も多いんですよね。やることもやらないでこっちにばかりやれと言ってくる、部下としては『こちらを注意するよりも、自分はどうなんだ!』と言いたくなります。

不満は溜まってしまいます。

 

これは僕の偏見かもしれませんが、部下にすごく威張り散らしてくる態度をとる上司って、さらに上の上司にはすごくヘコヘコしていませんか?

自分より弱い立場、自分たちには偉そうに言ってくるのに、自分より上の立場には何も言えずにご機嫌とりばかりしていませんか?

 

そりゃー、部下からしてみたら『こんな上司は嫌だ!』って思ってしまっても仕方ないですよね。

 

 

部下は上司を選べません。どうすればいいんでしょう??

 

・・・

・・・

あきらめてください。

 

その上司はなかなか変わりません。

なにかきっかけがあれば違いますが、自分は正しいんだと思っているうちは変わりません。

疲れるとは思いますけど、上手に付き合ってあげましょう。




まずね、上司の立場になって考えましょうか。上司はなぜ、こんなにも威張り散らしているのか。こんなにも厳しく言ってくるのか。

 

自分の保身のため

会社の利益のため

あなたの成長のため

 

大別するとこの3つになると思います。

 

あなたの上司はどれに該当しますか?

 

・・・
選んだら次のステップです。

 

その上司はどうして厳しく叱るという方法を選んだのでしょうか?

 

①叱るのが一番楽だから

 

②叱る以外の方法を知らない

 

③自分に自信がなく、威嚇している

 

・・・

・・・
どれでしょう??

 

①叱るのが一番楽だから

この行動をとる人って、結構多いと思うんですよね。部下に言動を改善してもらおうと思ったら、叱るのが一番簡単な方法なんです。『自分は正しいんだ!お前は間違っている!』と指摘すればいいだけなんですから、簡単なんです。ほめて伸ばす方が手間がかかるんです。考えないといけないから。どうほめて、どういう方向にもっていこうかよく考えて発言しないといけないから。面倒だし、ある程度のテクニックがいるんですね。

 

②叱る以外の方法を知らない

この行動をとる人は、自分もそうやって教育されてきたからという人が多いです。自分がされたことだから、人にしてもいいという大義名分が成り立ちます。それに、その方法で育てられたので、叱るのが当たり前だと思っているんです。違う方法があるとは思ってもいないんです。だから部下の言動が自分からずれたところにあると、『なんでこっちに合わせないんだ!なんて使えない奴なんだ!』と憤ってしまいます。自分にも原因があるんじゃないかと考えることはありません。

 

③自分に自信がなく、威嚇している

これが一番厄介かもしれませんね。自分に自信がなくて、自信があるように見せかけるために威張ってしまう。小学生かって感じですが、役職を与えられたときに『自分に務まるのだろうか?』と考えてしまうと、わかりやすい手段として選んでしまうことがあります。劣等感の強い人や、若くして出世した人、男性ばかりの職場での女性の管理職といった人が陥りやすいです。『なめられたら困る!!』状態で牙をむきだしているんです。とても怖がりな臆病な人なんですよ。

 

・・・

・・・

どうですか?

 

上司といっても所詮あなたと同じ人間なんですね。完璧じゃないんです。

上司なのにとか、自分よりできて当然なのにといった思いがあるから、威張り散らす嫌なやつに見えてしまっているんです。

 

自分と同じ人間なんだと思えば、、、かわいく見えませんか?なんか、必死にがんばっているんだなってわかって。『憎い』、『嫌い』と思っていた上司が少しかわいらしく見えませんか?

『上司もいっぱいいっぱいなんだなー』って思ってみましょう。上司があなたの気持ちをわかってくれないのなら、あなたが上司の気持ちをわかってあげましょう。

 

あなたが大人になってあげましょう。

 

あなたが上司への態度を少しずつ変えていけば、上司の部下に対する態度も変わってきます。上司にあなたがコントロールされるのではなく、あなたが上司をコントロールしてあげましょう。

上司を育ててみるのも良い経験になると思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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自分軸と他人軸って言葉を聞いたことはありますか?

簡単に言えば自分中心で行動、思考しているかと、他者中心で行動、思考しているかの違いですね。




自分軸で生きている人は自己肯定感が高く、周囲からの影響に流されません。自分のやりたいことをやり、やりたくないことはやらないというシンプルな生活ができます。自分に興味のある人はついてきたらいいし、興味がない人は離れていったらいい、といった感じですね。少々の悩みなら吹きとばしてしまえます。悩み事が少なく生き生きと生活できますし、バイタリティーや行動力も備わっています。

 

他人軸で生きている人は自己肯定感が低く、周囲からの影響も大きいです。自分のやりたくないことでも周囲が望んでいるのならやり、自分がやりたいことでも周囲が望んでいないのならやりません。自分の気持ちだけでなく、相手の気持ちも考えて生活しなければいけません。複雑です。人にどう思われているかが気になり、嫌われることを恐れている。些細なことでも悩んでしまうこともあります。行動力には欠け、慎重派です。

 

 

自分軸の人はしっかりとした自分を持っていますが、協調性はありません。

 

他人軸の人は協調性はありますが、しっかりとした自分が見えません。

 

 

お互いが対になる関係なのですが、実はこの二つの関係、相性がいいんです。お互いが持っていないものを持っているので惹かれあいます。磁石のN極とS極のようにくっついてしまいます。

 

 

自分軸の人は、他人軸の人を振り回してしまいます。

 

他人軸の人は、自分軸の人に振り回されてしまいます。

 

 

これがお互いに丁度いいバランスでとれていると、一緒にいて楽しい相手になります。バランスがとれているうちは自分軸と自分軸の人、他人軸と他人軸の人よりも相性がいいんです。親友や恋人関係になる人も多いです。

 

ですが、バランスが崩れてくるとそこに問題が発生します。

 

 

一緒にいて楽しかったはずの相手なのに、一緒にいても楽しめなくなった。相手に会うときにワクワクしていた気持ちが薄れていき、『今日会わないといけないのかー』とだるくなってきます。

『この人と会うと楽しいなー。』→『なんか、あまり楽しくなくなってきたなー。』→『会わないといけないのか、面倒くさいなー』→『この人苦手。会いたくないなー。』と変化していきます。

その人と関わることが負担、重荷になってしまうんですね。

 

ここで自分軸で行動している人は『会いたくないから会わない!』という行動をとれます。

ですが他人軸で行動している人だと『わたしは会いたくないんだけど、相手が会いたいって言ってくるし、断るのも相手に悪いし・・・』という行動をしてしまいます。

 

 

自分軸の人はやりたくないからやらないという選択をしています。

心へのダメージもありません。

 

他人軸の人はやりたくないけどやるという選択をしています。

本当はやりたくないことをやらなければいけないと決めつけて、無理やりやっているんです。心にビシバシとムチを打っている状態です。心へのダメージは残ります。

 

 

どちらが心に負担なのかは一目瞭然ですよね。

 

 

こうやって悩んでいるのも他人軸の人が大半だと思います。

他人軸で生きると疲れてしまうことがあります。人に合わせすぎてヘトヘトになり、心が弱ってしまうことがあります。

 

どうせなら楽しく生きたいですよね?

 

そのためには

他人軸ではなく、自分軸で生きることです。





自分軸で生きる方法なんですが、簡単です。

もう少しわがままになってください。

これだけです。

 

わがままというと語弊があるかもしれませんが、自分の心に素直になって生きてみましょう。

それだけを続けるだけで、あなたは他人軸から自分軸に変われます。

 

・・・
理論だとこれで終わりなんですけどね、試してみたことがある人はわかると思いますが、これって結構難しいんですよね。

 

まずね、『自分の素直な気持ちがわからない!!』こういったことがよくあります。

自分軸で生きている人には信じられないことですが、他人軸でずっと生き続けていると自分の気持ちがわからなくなってしまうことがあります。

 

自分のやりたいことをやり、やりたくないことは拒否するだけでいいのですが、他人軸で生きている人はそもそも、

自分が無理をしているという自覚がないんです。

 

 

親が希望する進路へ進むことが自分のやりたいことだし、恋人の理想像に近づくことが自分のやりたいことなんです。

・・・
この文を見ると「自分のやりたいことはないのか!」とツッコミたくなりますが、他人の願望と自分の願望を混同させてしまっていることも多いです。

 

「やりたいことをやってるよ。」と答える人もいると思います。でもね、やりたいことをやれていません。

やりたいことをやれていたら、こんなにも悩みません。

 

こんなにも疲れません。

仮に今の3倍忙しかったとしても、やりたいことをやっていたら、疲れなんて感じません。バイタリティーが勝ちます。

 

こんなにも疲れているのは、あなたがやりたいことをできていないからです。

 

 

自分の心の声をもう一度よく聞いてみましょう。

使命じゃなく、義務でもない。あなたのやりたいことを。

 

嫌なことでもやらないといけないということはないんですよ?嫌なことはやらなくてもいいんです。(ある程度は生きていくためにやらないといけないことはありますが・・・)

他人と自分、意見がわかれてしまうことなんて当たり前です。というか一致することの方が少ないかもしれませんね。

 

 

今のあなたは、自分の心を押し殺して、相手の心を想像して言動しているのではないですか?

 

 

人間関係を円滑にするにはそれも大切なことなのですが、心が悲鳴をあげるほどやっているあなたはやりすぎです。

 

慣れるまでは自分軸で生きるというのも難しいです。自分軸のほうが心にとっては楽なのですが、あなたは心に負担がかかる他人軸に慣れてしまっています。それを変えるのにもパワーが必要です。

楽なほうに変えるのにパワーがいるっておかしな話ですが、あなたはそこまでがんばる生活をしてきたのではないですか?

 

あなたが疲れたと思っていないのなら、そのままでいいと思うんです。でも、『もう無理だ。』とか『なんでこんなにしんどいんだろう?』と感じるようになったときは、もう少し自分軸で生きてみてもいいのではないですか?

 

自分軸で生きるコツは、他人ことを気にしない。自分に好きなようにする。

いわゆる『わがまま』です。

あなたの人生です。楽に生きてもいいのではないですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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これって結構問題になっていますよね。勝手に携帯電話を見て浮気メールやラインを発見し、問いつめる。「これは一体だれ!?」、「なんで勝手に人の携帯を見るんだ!」と再現ドラマ、よくありますよね。

これね、してはいけないことだとはわかっているんですが、やってしまう人の気持ちもわかります。




最近よそよそしく感じる。スマホをさわっている時間、あんなに長かったっけ?デート中なのに、相手はなにか上の空。スマホばかり気にしている。深夜に電話。友だちからだと外に出て行ってしまった。

・・・怪しいですよね?

 

いや、まあ、普通に疑いすぎかもしれませんけど、それが回数重なったら、どうですかね?

で、無造作に置かれているスマホをつい・・・

 

気持ちはわからなくもないです。

 

 

でも、やめましょう。それは。相手にも失礼ですし、

それを見てしまったら、元の関係にも戻れません。

 

 

浮気をされていたらもちろん傷つきますし、そういった怪しい内容はなく潔白だったとわかっても、あなたの心には疑ってしまったという罪悪感が残ります。

『よかったー。勘違いだったんだー。』と安心感だけを味わうことができません。

 

結果はどうあれ、関係にひびが入ります。

あなたにとって大切な人なら、関係を壊さないためにも真っ向勝負でいきましょう。

 

こういった行動をしてしまうのは、不安があるからです。『最近急に冷たくなった。』、『自分には魅力がないから。』、『他に好きな人ができたんじゃないか?』といった不安があるからです。

 

本当はわたしのこと愛していないんじゃないか・・・?

 

この不安に襲われるといいことよりも、悪いことばかり考えてしまうようになります。

 

彼氏が知らない女の子と仲良さそうに話しているのを見てしまいました。
彼女が職場の飲み会に行くことになりました。人数がいると思っていたのに、相手は男性の上司一人だけということでした。

 

・・・
どうですか?

ちょっと嫌な気持ちになりません?

 

『なんでそんな女と楽しそうにしてるの?わたしといるときはほとんど笑わないくせに・・・』

『いくら仕事だからって異性と二人きりはダメだろ?そんなの仕事でもなんでもなく、お前を狙ってるだけだろ!?』

 

みたいな気持ち、湧いてきません?

 

 

これが1回や2回じゃなく、何回も重なる。

不安な気持ちにもなりますよね。





相手にね、思い当たる節があるなら「もうやめて!」と言うことはできると思います。相手もあなたを傷つけていたとわかり、気をつけてくれるかもしれません。

 

でも、相手に思い当たる節がなければ「もうやめて!」と言うことは逆効果になるんです。

 

相手はあなたのことが好きで、他の異性のことなんか全然気にしていないのに、「なんで自分の気持ちを察してくれないんだ。」と問いつめても、『なんで行動を制限されないといけないんだ。信じてないの?』となってしまいます。

この状態ってお互い気持ちよくないんですよね。お互いにモヤモヤしてしまいます。

 

あなたは相手に『なんでそんな状態になってるの?もう少しこっちの気持ちを考えてよ!』状態です。

相手はあなたに『別に楽しそうにしてなかっただろ。普通だったろ。そんなことぐらいでイチイチ嫉妬するなよ。』、『仕事なんだから仕方ないでしょ。断るわけにはいかないじゃない!』状態です。

 

 

お互いに『なんでわかってくれないの?』状態です。

 

 

相手を信じることができたら、自分に自信があったら、こんな事態にならなくてすむんですけどね・・・

 

相手を信じてみるって意外と難しいんですよね。

 

「友だちと旅行に行く。」と言って異性と二人きりで泊りがけの旅行に行ってしまいました。これを素直に「楽しんでおいで。」と言える人、少ないのではないかと思います。恋人ならやめさせる権利もあるのではとも思いますが、本当にお互いを異性としてではなく、友だちとしてしかみていない場合もあるわけです。一番仲のいい友だちが、同性とは限りません。異性の場合もありえるんです。それを頭ごなしに「何考えているんだ。やめとけ!」というのも、どうなんでしょうか?

どちらが正しいんでしょうね?

 

相手のことを考えたら、相手の一番の友だちなら「旅行楽しんでおいで。」と見送るのがいいのかと思いますが、自分としてはやはり異性と二人きりで旅行なんて行ってほしくない。

不安にもなると思いますし、気が気でないと思います。疑いたくもないけど、疑ってしまうと思います。この状態を信じるって、並大抵のことではありません。頭では信じないといけないと思っていても、心のどこかでは疑いの気持ちがでてきます。

 

なぜ、純粋に信じることができないのでしょうか?

 

 

あなたが、その恋人のことを好きだからです。

 

どうでもいい存在なら、気にもしません。

 

大切な人だから、気になってしまうんです。

 

 

疑いたくはないですよね?

でも、仕方ないんじゃないですか?人間なんだから。

好きなんだから。

上の例は9割以上の人がありえないと言うと思います。ただ、相手の価値観が残りの1割になってしまうこともあるんですよね。

 

疑ってしまう自分に嫌悪感とか、相手に罪悪感を感じてしまうものなんですが、その疑い自体をなくしてしまうのは難しいです。

 

疑ってしまってはいけないと思ってしまっては、自分はそんなこともできないダメな人間なんだと思い込んでしまいます。

 

あなたはダメな人間じゃないですよ。

 

相手のことが好きなら普通の反応です。

 

というか、あなただから信じようと思えているのであって、客観的には真っ黒だろってことも多々あると思います。

 

そんな状況で相手を信じることって体力と精神力を使うんですよね。そこまでしてでも相手を信じたいと思えていること自体がすごいことだと思います。

執着もはいっているとは思いますが、愛がなければそんなことできないですよ。

 

いきなりすべてを信じることは難しいとは思います。

でも、焦らず、少しずつ相手のことを信じてみませんか?

相手を信じることができたとき、きっと今よりもっと相手のことを愛せるようになると思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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・・・

あれってどうして悲しくなってしまうんですかね?

 

わかってもらいたいから

ですよね?




価値観は人によって様々です。生きていくうえで色々な経験をし、自分なりの価値観を築いていきます。

一人ひとりバラバラで全く同じ価値観は一つもありません。

 

自分の常識が相手の非常識だったり、相手の常識が自分の非常識だったりってことはよくあります。

本当に正反対だと思える価値観で生きている相手もいます。

 

普通はね、価値観の違いなんてそれほど問題にならないんです。まあ、『なんなの、この人?』と少し不快な気分になるかもしれませんが、『そんな考え方、そんな価値観じゃダメだ!』と思うことは少ないです。

 

他人だから。

 

人それぞれの価値観で生きていることがわかっているから。

 

相手の価値観を変えることは難しいことだと、小さいころから理解していますし、他人の価値観を変える資格が自分にはないこともわかっています。

 

仕事の取引先の担当が新しい人に変わり、お互い挨拶をしました。初対面なのに「あなた性格暗そうですね。もう少し明るくなってくださいよ。僕まで暗い気持ちになってしまう。」・・・失礼ですよね。まさに余計なお世話です。こういったことを言ってしまうと場の空気が凍ってしまいます。

それが親友ならどうですか?「お前、性格暗いよなー。もう少し明るくなったらモテるのに。もったいない。」・・・こういった会話したことありませんか?

この二つの違いはなんでしょう?(ともに暗い性格はダメという価値観です)

 

あなたとの関係性ですよね。あなたから遠い人には、あなたの価値観をわかってもらおうとは思わないんですね。相手があなたの態度に大激怒しているなら話は別ですが、通常の状態では遠い他人に価値観をわかってもらおうとは思いません。

わかってもらうほうが大変だし、手間だから。相手があなたを誤解していたとしても『別にそれでいいや。』と思ってしまいます。

 

でも、あなたから近い人なら話が違います。

 

 

家族、恋人、友人、といった近い関係の人にはあなたは、

 

相手にあなたの価値観を知っていてほしいんです。

それなのに、相手があなたの価値観をわかってくれないから悲しいんです。

 

 

どうしてもわかってもらいたいのに、どうしてもわかってくれないから許せなくなってしまうんです。

 

『話せばわかってくれるはず』、『きっと真剣に話せば理解してくれるはずだ
』と信じているんですね。

 

・・・
けど、ごめんなさい。理解してくれることはありません。それは幻想です。

 

少なくとも『わかってくれるはず』とか『理解してくれるはず』と思っている間は、わかりあえることはありません。

だって、あなたが相手を理解しようとしていないから。





『あいつならきっとわかってくれる。』・・・そうですね、期待してしまいますよね。

あなたの価値観をちゃんとわかってほしいほど大切な人なのですから。価値観を認めてもらえたときは心が安らぎますよね。満たされますよね。

でも無理です。

この状態ではわかりあえないです。

 

 

あなたが相手が自分の価値観をわかってくれないと思っているときは、相手もあなたが私の価値観をわかってくれないと思っています。

お互いに譲れない部分なんです。

 

それなのに自分の正当性だけを主張して、相手に歩み寄ってもらおうとする。自分は一歩もその場から動かずに「早くこっちにこい!」と手招きしている。

横暴な人ですよね?「俺は変わらないから、お前が変われ!」と押し付けてくる人なんですから。

 

そんな状態で、あなたのなにを知ってもらおうというんですか?

 

無理ですよね?

 

本当にあなたの価値観を相手にわかってもらおうと思ったら、相手が自分を理解してくれないと責めるより、まずは自分から相手の価値観を理解しようとしましょう。

むこうから歩み寄ってくれるのを待つのではなく、こちらから歩み寄っていきましょう。

 

言うは易く行うは難しですが、それでも意識はしてみましょう。その意識に相手が気づいてくれることもあります。

 

価値観の違いが許せないというのはね、相手のことをもったいないと感じているんです。そこを改善してくれたらもっと好きになれるのにという意思表示です。

 

相手のことをもっと好きになりたいんですよ。

 

本当に大切な存在だから。

 

だけどそれだけに、どうしても譲れないことができてしまうときもあります。

自分の価値観の中でどうしても許せないことを相手がしていることもあります。『そんなことをするなんて、わたしの大切なあなたじゃない!』と否定したくなるのもわかります。

『なんで僕の大切な人なのに、こんなことをしてしまったんだろう。』、『どうしてわたしの大切な人が、こんな思考回路をもっているの?』と情けなくて泣きたくなるときもあるかと思います。

 

でもそれは、あなたの価値観に照らしての判断なんです。

 

相手の価値観を無視して、「わたしの近くにいるのならそんな最低なことはしないでよ!はずかしい!」と言っているんです。

 

そんな大切な相手を、本当の意味では認めていない。

 

相手のありのままではなく、自分の都合のいいような人になってほしいという願望です。

 

 

価値観なんてね、違っていて当たり前なんです。

 

 

拒絶したくなるような価値観もなかにはあります。近しい人がそんな価値観を持っていたら、悲しくなってしまうこともあります。

でもそれは、自分の価値観で正誤を判断しているにすぎないんです。

 

価値観に正誤はありません。

 

お互いに分かり合えない価値観も確かに存在します。だけど、その理解できない価値観をわかろうと、歩み寄ろうとすることが、その大切な人との関りでなによりも大切なことではないですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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弱者には厳しい世界。どうしてこんなに生きづらい・・・

世界は厳しいと感じたこと、皆さんはありますか?

もっと世界は優しいものだと思っていたのに、思っていたよりも残酷だと感じたことはないですか?

 

今までの人生がなんだったんだって思うくらいやるせなくて、それ以上に寂しくて悲しい気持ちになってしまったことってありませんか?

これを感じてしまうと、本当に絶望感が湧いてくるんですよね。人生に対して。生きていることに対して。




望みがないというわけではなく、ただただやるせなく思う。ただただ世界を恨む。ただただ相手を妬む。

暗黒思想です。書いていてちょっとどす黒い気分になりました。

 

暗黒思想とまとめてしまいましたが、これって気持ちのいいものではありません。

受け止める相手ももちろんいい気分にはなりませんし、発する自分もいい気分にはなりません。というか疲れます

 

暗ーい空気を自分から周囲に出しておいて、勝手に疲れてしまうなんて、周囲から見たら相当嫌な人でしょうけど、疲れます。

 

暗黒思想はためておくのにも、外に放出するのにも、すごく力が必要なんです。

この思想にとらわれている間は、本当に呪われているようなものです。なにに対してもマイナスイメージで受け取ってしまいますし、なにをやっても楽しめないです。楽しくないです。

 

 

たしかに現実は、弱者には厳しい世界になっています。

 

 

1億円を元手に100万円稼ぐのと、1万円を元手に100万円稼ぐのどちらのほうが簡単ですか?

美人で性格もいい人と、不細工で性格の悪い人、どちらのほうがモテますか?

才能があり努力できる人と、才能もなく怠けてばかりの人、どちらのほうが好かれますか?

年収3000万円と年収300万、どちらのほうが贅沢できますか?

政治家の発言と、一般市民の発言、どちらのほうが強制力がありますか?

 

 

「人と比べる必要はない、自分のままでいい。」という言葉はよく使われます。

「完璧な人なんていないんだから、自分にないものを見たって疲れてしまうだけ。人は人。自分は自分。」といった言葉、よく使われます。(このブログでもよく使っていますが・・・)

 

でもね、

これって結局持っている人の理屈だとも思うんですよ。

ある程度満足できる環境で生活できている人の理屈だと。

 

きれいごとでは終われない、というか世界ってこんなに濁っているんだと感じてしまったことがある人は、なかなかそう思うのも難しいんですよね。

 

 

自分のペースで生きることができたら幸せですが、ときに競争社会の現実を突きつけられてしまうこともあります。

 

大学で勉強をしたいと思っていた息子。家計が厳しいのを感じとり、大学進学をあきらめてしまいました。進学してほしかったのに。親の自分たちが不甲斐ないから子どもにつらい選択をさせてしまった・・・

長く交際していた相手の両親に結婚の許可を求めました。社会的地位、年収を理由に猛反対されてしまいました。愛し合っているのにどうして?今までサボってきたわけじゃないのに・・・

就職試験の面接に行きました。「中卒なんだー?たしかに学歴不問とは書いたけども・・・」中卒は働いたらいけないのか?学歴不問って言葉は嘘っぱち?中卒ってだけでそんなにも評価が落ちるの・・・

 

なんか、どれもお金や地位といった生々しい話になってしまいましたが、これってどうなんですかね?

 

実際に社会が自分たちを拒否するから、暗黒思想になってしまうんです。

 

意味もなく最初から暗黒思想って人は少ないと思います。

 

 

性別、国籍、学歴、身分、年齢、疾病、障害、などなど、自分はたいして意識していなかったことにでも、社会が厳しく指摘をしてくることがあります。

 

最初の拒絶は自分からではなく、社会からです。

 

 

うまくいかないことを体験して、その結果として、こんな感情を抱くようになってしまったんです。

好きでこんな感情を抱いてはいません。持たなくていいのなら持ちたくなかったし、手放せるのなら手放してしまいたいです。

 

この感情の怖いところは、理解してくれる人がすごく少ないところです。





周りからしてみても嫉妬や妬みばかり言ってくる人とは、一緒にいても楽しくないんですよね。自分たちの気持ちもまいってしまうというか。皆が楽しい雰囲気を出しているのに、一人だけ負のオーラをまき散らしてしまうと、どうしても印象が悪くなってしまいます。

 

「世界なんてクソくらえ!みんな不幸になっちまえ!」と街中で叫んでも誰も共感なんてしてくれません。『あの人頭おかしんじゃないか?気持ち悪い。関わらないでおこう。』と思われるだけです。

『自分だけ不幸ぶって、妬みばっかりで、みっともない人。』と思われてしまします。

 

やるせないですけど、受け入れる以外方法はないんですよね。

 

現実問題として、世界は弱肉強食の部分も多くあります。弱者は理不尽を受け入れないといけない部分があります。平等とうたいながら区別という名の差別をしてくることは多々あります。

弱者だと感じてしまうと生きづらいです。自己肯定感なんてものはそれこそチリとなって消えてしまいます。

 

『自分に自信をもてばいい!』たしかにそうです。ありのままの自分に自信を持てたら、こんな歪んだ思考になることもありません。

ただそれが、どれだけ難しいか・・・

 

弱者だと感じてしまうスタート地点は、自分ではなく、外部です。外部から「あなたではダメです。」と拒絶をされます。その拒絶が大きければ多きいほど、自己否定感としてあなたに残ってしまいます。

 

それはね、簡単には打ち消せません。コンプレックスや劣等感にまでいってしまうと、本当に年数がかかります。

 

それでも、あなたなら打ち消せる可能性があると思います。こういったサイトを見たり、本を読んだり、誰かに相談したりして、悩んでいるあなたなら。

 

悩んでいるのはあなたの心が折れていないから。

あなたが強い心を持っているからです。

 

 

そんなあなたなら、世界なんかに負けない、魅力に満ちた人間になれると信じています。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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器の大きい人と器の小さい人の違い。器が大きいと疲れる?

器が大きいなーって人と出会ったことはありますか?

もし自分が相手の立場だったら、到底許せないことをされても引きずらずにあっさり許してあげたり、大失敗をして迷惑をかけ、怒っているだろうなとビクビク話しかけると、そんなそぶりも見せずにこちらを気遣ってくれる。

そんな人に出会ったことはありますか?

 

器が大きい人って単純にすごいなーと思います。

細かいことを気にせず、相手の立場に立って自然と考えることができる人は、純粋に尊敬できます。




器が大きい人は周囲への影響力も持っています。接していると安心感が湧いてきて『あいつがいるから大丈夫。』『あいつとならできる。』といったように、周囲にも希望を与えられるんですよね。

 

器が大きい人は、周囲から見れば憧れの対象にもなります。

 

理想の上司や理想の恋人として、器の大きい人が人気上位に来るのがよくわかります。

 

 

逆に器が小さい人は、細かいことをいちいち指摘し、自分の都合だけで言ってくる相手として、あまり人気はないようです。

器が小さい人と接していると、許せる範囲が少ないので何気ないことでも指摘されることがあります。顔色をうかがいながら交流しないといけないので、一緒にいると気疲れによる疲労感がでてきます。

 

 

器が大きい人と器が小さい人、あなたはどちらになりたいですか?

・・・

・・・

器が大きくなりたいと答える人がほとんどではないかと思います。

 

 

周りから頼られて、好かれて、人望があり中心人物です。うらやましいですよね?

 

 

でも、落とし穴です。

いいことばかりではありません。

 

器が大きい人は、人に合わせすぎてしまう可能性があります。

 

器が大きい人は、人に期待されすぎてしまう危険性があります。

 

 

器が大きい人は、他人からの評価も高いです。

当たり前です。

 

人が望んでいる答えを答えているのだから。

 

相手の立場に立って、相手の心を軽くする答えをしているのだから。

 

 

なかには内心では全然許せていないのに、許したように行動してしまうこともあります。相手のことを思ってのことや、自分がよく思ってもらいたいといった理由でしてしまうことがあるのですが、この行動が要注意なんです。

 

実は他人を労わって、自分をないがしろにしているんです。

 

自分自身をひどく傷つけているんです。

 

 

器が大きい人って、我慢の人でもあるんです。

 

 

まあ、そりゃそうですよね。そうじゃないと器が大きいとは言われませんから。相手から見て自分の立場がもしあなただったら、こんな風に許すことができないと思われて初めて、器が大きいという評価につながるんですから。

 

相手が『できないなー。』と思っていることを何気なくやらないと、器が大きいという評価にはなりません。自分と同等の人を器が大きいと評価する人は少ないですし、自分より下だと思ったら『器が小さいなー。』という印象になります。

 

器が大きいとは、自分以上だとあなたが認められたときに使われます。

 

 

器が大きいって響きはいいと思うんです。

 

ですが注意しないとそれは、ただの貧乏くじに変身してしまいます。





さっきも書きましたが器が大きい人は、他人からの評価も高いんです。

 

不自然なくらいに。

 

 

『この人なら大丈夫。』というのは、かなり評価が高いと思います。評価、言い換えれば期待値ですかね。『この人なら大丈夫。』というのは安心感からくるもので期待値も高いです。

 

期待値が高いということは用意されるハードルも高いんですよね。それをがんばってこなしていくうちに、『この人なら大丈夫。』が『この人ならこれぐらいやっても大丈夫。』というように変わっていきます。

 

 

余計な言葉を勝手に足されます。『これぐらいやっても。』

 

 

これぐらいやっても受け入れてくれるってことなんですが、実際はどうですかね?

自分に不都合なことを簡単に受け入れられる人って、ほとんどいないと思うんです。

 

器が大きい人でもこんなことが続くと、【喜んで】ではなく、【妥協して】で受け入れてくれるようになってしまいます。

全く不満もなく受け入れるのは、感情がある人間には無理です。

 

頼られる人からただの便利屋さんになってしまったとき、器が大きくても疲れてしまいます。

 

なのに、前提として『この人はこれぐらいなら受け入れてくれる。』と思われている。

対応を変えると『えっ・・・!?』って顔をされます。

 

 

・・・しんどいですよね。

 

器の大きい人ほど悩んでしまうことが多いです。

器の小さい人ほど悩みは少ないです。

 

譲れない部分は自分の中で決まっているから。相手に合わせる必要がないから。

 

 

器が大きい人は他人基準で動いているんです。器が小さい人は自分基準で動いています。

器が大きい人は気疲れをします。器が小さい人は気疲れも少ないです。

器が大きい人は他人に優しいです。器が小さい人は他人に厳しいです。

器が大きい人は自分に厳しいです。器が小さい人は自分に優しいです。

器が大きい人は自分を傷つけています。器が小さい人は自分を守っています。

 

 

器の大きい人と器の小さい人、あなたはどちらになりたいですか?

 

器が小さいというのも意外と悪くないですよね。

 

可能ならば他人にも自分にも優しい人を目指してみてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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満足感を得られない。いつまでたっても満たされない心。

やってもやっても満たされない。がんばってもがんばっても満たされない。なにをやっても達成感がなく、満たされない気持ちになったことはありますか?

 

この満たされない気持ちっていうのは、結構厄介なもので、冷静な判断ができていない状態なんです。なにをやっても満足感が得られることはなく、もっともっとと要求をしてしまいます。

得られた結果には決して満足することなく、もっと上の結果を求めます。




満足感を得られないって、実は大変なことなんですよ?

 

満足感があるから人生を楽しめるといっても過言ではないと思います。それが得られないとなると人生の楽しみが半減します。ストレスの発散も思うようにできず、疲ればかりが溜まってしまいます。

 

普通なら、なにかを成し遂げたときは達成感を得られます。

そのことに打ち込めば打ち込むほど、がんばればがんばったほど、達成感、充実感は大きくなります。

達成感と充実感があるから、次はなにをしようかと意欲が湧いてきます。

 

達成感と充実感が大きい人は本当に楽しそうに人生を送っています。はたから見ていてもすごく楽しそうですし、周りにも楽しい雰囲気をまき散らしています。

一緒にいて楽しい人ですね。

達成感や充実感が人生を楽しむコツです。

 

だけど、、、

満足感を得られないと、この達成感や充実感まで打ち消してしまいます。

 

 

なにをやっていても満たされない。

 

 

なにをやっていても楽しくない。

 

 

そんな状態になってしまいます。

どうせなら楽しく生きていきたいものですね。

 

 

そうするにはどうすればいいか・・・

 

満足してください。

 

これだけです。

満足をするだけで人生は楽しいものに変わります。

 

 

・・・

・・・

それができれば苦労しませんよね。

 

具体的な方法です。

 

今の自分を見つめなおしてください。

 

自分は今、なにをもっているのか。

 

自分は今、なにができているのか。

 

もう一度、胸に手を当てて考えてみてください。

 

 

このとき注意しなければいけないのは、自分がもっているもの、できていることだけを考えることです。

自分がもっていないもの、できていないことを考えてはいけません。頭に思い浮かんでもすぐに外に追い出してください。

どんな小さいことでも構いません。『こんなごとぐらい』とあなたが投げ捨ててしまっているものを、投げ捨てずに手元に持ってきてください。

 

よく考えてくださいね。

・・・
・・・

考えられましたか?

・・・
・・・

考えられたのなら、もう一度思い浮かんだもの一つ一つに目を向けてください。

・・・
・・・

あれっ!?

全然ダメだと思っていた自分なのに、思っていたよりもたくさんのものを持っていませんか?

 

新しい気づきもたくさんあったと思います。





でも、これは数分前のあなたが持っていなかったものを新しく手に入れた、ということではないんですよ。もともと、あなたが持っていたものです。

あなたが持っていたのに気づいていなかったものです。

 

気づく前のあなたと、気づいた後のあなた、あなたのできることは何も変わっていません。成長したというわけでもありません。

だけど・・・

 

心が少し軽くなっていませんか?

 

 

あなたの能力自体は全然変わっていません。できないことは今まで通りできないままです。

 

『もっとやらないと!』と思っていたのが、『あれ?ひょっとしてわたしがんばってる?』と思うようになっただけです。

 

意識を変えただけなんですね。

 

 

今までは足りないものばかり見ていて、手元にあるものを見ようとしていなかった。それを足りないものはとりあえず置いといて、手元にあるものに注目しただけ。

 

『自分って結構できでるじゃん!』と前よりほんの少し、自分のことを認めてあげただけ。

 

でも、一瞬、心がホッと温かくなりませんでしか?

この気持ちが満たされるという気持ちです。

 

満たされない心って、自分が認めてあげるとすごく喜ぶんです。満たされるんです。

 

もちろんね、人から認められても満たされはするんですが、それを素直に受け入れられない場合もあるんです。自己否定感が強いと人から認められたとしても素直に受け取れません。『まだ、足りない。もっとやらないと!』となってしまいます。

周りは、あなたが自分を認めることができるように協力はしてくれます。でも協力しかできないんです。

 

最終的には自分が認めてあげるしかないんです。

 

 

今あるものをしっかり見ることができず、認められないから心が満たされないんです。

 

今あるものをしっかり見ることができたら、認めることができたら心は満たされます。

 

 

どうすればそうなれるのかなのですが、毎日今あるものを確認するだけです。できていないことには目をつぶり、できていることだけありったけ思い浮かべるだけです。

これを習慣にすること。

これをすることができたら、ゆっくりと心は満たされるようになります。

 

1回したからといって、すぐに心は満たされません。

何回も何回も繰り返し、少しずつ心は満たされるようになっていきます。

だから焦らずに少しずつやっていきましょう。

 

しばらくすると、あなたに小さな変化がでてくると思います。その小さな変化は弱々しいものですが、今後のあなたの土台になってくれるはずです。

まずは小さな変化を感じられるようにがんばってみませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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自分ではどうにもならない現実・・・皆さんは遭遇したことがあるでしょうか?気づかずに素通りできたら楽なのですが、そうもいかないときもあります。

現実の理不尽さを感じるときって、本当に心はいろんなことを考えてしまうんですよね。

 

無力感絶望感無価値観、自己嫌悪感、自己否定感罪悪感、嫉妬心など様々な感情が心の中をグルグル渦巻いてしまいます。




コップに絵の具を入れてかき混ぜているところを想像してみてください。

それも黄色や白色などの明るい色は一切なく、黒色とか茶色とか、自分の中で暗いイメージの色を入れているのを想像してください。何種類もの暗いイメージの色を入れ、しっかりとかき混ぜます。

さて、できた色はどんな色でしたか?

 

暗く濁った色を想像しましたよね。

 

どうにもならない現実に遭遇したとき、あなたの心はそんな色をしています。

 

 

現実の理不尽さって本当に怖いです。

 

きれいごとなんか一切通用せず、ただただ現実を突きつけてきます。

努力でどうこうできるものではなく、あなたを救ってくれる救世主が現れるわけでもありません。

希望なんてものは全く見えず、ただ見えるのは絶望の現実だけ。

 

 

こういうときってどうすればいいんでしょうか??

 

 

受け入れるしかありません。

 

 

あなたがいくらどうにかしたいと悩んでも、どうにもできないことなんです。

受け入れるしか方法はありません

 

絶対に譲れないもの、譲ってしまいましょう。

 

絶対に妥協できないこと、妥協しちゃいましょう。

 

 

どうにもならないとわかっていることで悩むのっていいことないんです。

 

いくら悩んでも、答えはどうにもならないんだから。

 

 

1+1=2ですよね?これをあなたが「2じゃダメだ!3のほうがいい!」と主張しても誰も受け入れてくれないですよね。それこそ命がけで、3だと主張しても、「明日から1+1=3にしよう!」とはなりません。いくら本気で主張しても頭がおかしい人で終わってしまいます。

大げさな例えを書きましたが、これと同じではないですか?結局は。

 

 

結局はどうにもならないことなのに、あなたは受け入れることができないのだから。

 

 

これのね、最終結論はどうにもならないことは、どうにもならないってことなんです。夢も希望もない話ですが、どんなに夢や希望を持ってもどうにもなりません。

 

あきらめましょう。自分ではどうにもならないことなのだから。

このままずっと受け入れられずに苦しみ続けていたら、あなたが壊れてしまいます。

 

まだね、ほんの少しでも望みがあればがんばれるんです。『負けたくないー!』と心を奮い立たせることもできます。モチベーションも大変ですが、維持することができます。その結果、少しの可能性でも実現できることがあります。

 

けど、可能性がまったくないと思っているときは、心を奮い立たせるのも難しいです。その心を作るのに膨大なエネルギーを使ってしまいますし、その心を維持しようとするのにも膨大なエネルギーを消失します。

 

浴槽いっぱいに水を張るのって時間がかかりますよね?でも水を抜くときって簡単じゃないですか?栓を外したらあっという間に水が抜けてしまうでしょう?あれと同じです。時間をかけて心を奮い立たせても、すぐに抜けていきます。

 

 

あなたは今、そんな状態なのではないですか?

 

そんな状態なのにまだ、受け入れずに闘っているのではないですか?

 

何度水がなくなってしまっても、何度も一から水を張りなおしているのではないですか?





簡単には受け入れられないですよね。

簡単にはあきらめられないですよね。

簡単には認められないですよね。

・・・

・・・

でも、できないんですよ?

でも、どうにもならないんですよ?

あなたがどれだけムキになっても、どうにもならないという事実は変わらないんですよ?

 

 

現実は理不尽です。

 

 

ムキになってもあなたが疲労してしまうだけで、どうにもならない結果には変わりありません。

・・・

・・・

あなたが今悩んでいるのは、そのことをあなたも理解しているからじゃないですか?

 

 

このまま足掻き続けても結果が変わることはないけど、あきらめてしまったら受け入れなければならないから、悩んでいるのではないですか?

 

なんとかなる可能性があり、それを信じることができれば一心不乱に向かっていけます。悩みも当然ありますが、それに勝る希望があるため、思い悩むよりも希望に向かって行動できます。

 

でも、可能性がゼロのことだったらどうでしょうか?

可能性がゼロ。
もう既に過去に起こった出来事で、結果として現在がある。

 

過去に起こってしまった出来事自体をなかったことには絶対にできません。いくら後悔しても絶対に変えることはできません。『過去に戻りたい!』と真剣にタイムマシンを作ろうとしますか?

 

あなたにできるのは、その過去の出来事をどう受け取るか。

 

そして過去の出来事を受けて、これからどう生活していくかだけです。

 

 

いくら足掻いていもどうにもならないことは、この世界には存在します。どんなに受け入れたくないことでも、受け入れなくてはいけないときというのが存在します。

映画ならバッドエンドを迎えて終わりですが、あなたの人生はバッドエンド後でも続きます。終わりません。

 

 

あなたができるのはバッドエンドをハッピーエンドに撮影しなおすことではありません。

 

バッドエンドを受け入れて、バッドエンド後をどう生きていくかです。

 

 

もちろん、すぐに受け入れることは無理だと思います。簡単に受け入れられることなら、そもそもこんなにも悩みませんし。あなたにとってどうしても譲れない部分でもあるのでしょう。

でも、いつまでも拒絶していたらあなたが壊れてしまいます。壊れてしまう前に少しずつ、少しずつでいいんで、受け入れる心を作っていただけたらと思います。

 

受け入れることによって、今まで見えていなかった部分が見えてくるかもしれませんよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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責任感が強いと損をする?人手不足を解消するには。

仕事をしていて人手不足に悩んだ経験はありませんか?

大企業では人手不足というのもあまり起こらないのかもしれませんが、中小企業で人手不足って深刻な問題ですよね。

入社時点で人手不足なら『考えていたよりも大変な仕事だな。がんばろう!』と意欲が湧くこともありますし、『この人数でこの仕事量をこなしているの!?僕には無理だ。』と心が折れてしまうこともあります。




でもね、入社時点で人手不足だとわかっているのはまだラッキーなんです。

すごく努力してやっと入れた会社で、採用試験に合格できたのは運がよかったと感じている場合は別ですが、退職するのにもさほど抵抗はないと思います。家族の目は気になるかもしれませんが、無理だと思っているところに居座り続けてもしんどいだけというのもあります。

結論は早いほうが次に進めますし、会社側も新入社員が辞めたところでさほど痛手ではないでしょう。

なかには新入社員はやめることを前提として多めに採用しているところもかなりあるみたいです。

 

入社時点で人手不足なら、それほど問題はないんです。

がんばる結論を出すのか、辞める結論を出すのかを冷静に判断できます。

 

入って20年になる社員と、入って3週間の社員、どちらのほうが辞めやすいですかね?

おそらく20年働いている社員のほうが辞めづらい状況でしょう?

 

 

だから入社時点で人手不足なら、まだラッキーなんです。辞めやすさもありますし、なにより、この仕事量が当たり前になるからです。

この賃金をもらうためには、これだけの仕事をしていかないともらえないという基準ができるからです。

逆に人が補充され、少し楽ができるようになると『働いていないのにもらっていいんだろうか?』と思う人もいるようです。

 

 

問題は初めのうちは楽や普通だったのに、徐々に人手不足に陥ってしまった場合です。

 

 

普通は1年目より2年目、2年目より3年目と仕事でできることが増えるにつれ、仕事量も多くなります。ずっと1年目と同じ仕事量だけをこなしていたらいいというところの方が少ないと思います。

それで自分の仕事が増えてしまうのは『まあ、仕方がないんじゃないか。』と納得できると思います。

 

でもね、社員が辞めたのに補充がないとか、新しい事業をするのに今の社員数でこなすといった場合には不満が溜まると思います。

 

 

元々が少人数であれば更に問題がでてきます。

 

 

10人中3人が辞めてしまいました。100人中3人が辞めてしまいました。
大変なのはどちらでしょう?

10人で新しい事業に着手します。100人で新しい事業に着手します。
大変なのはどちらでしょう?

 

どちらも元々が適量な仕事量だったと考えてくださいね。

 

一人当たりの負担は間違いなく少人数のほうが増えます。

 

 

10人を例に出しましたが、元々2人だったのに1人辞めてしまったらどうですか?辞める前と同じ仕事をこなそうと思ったら、単純に仕事量が2倍になります。

それで給料は同じ、どうですか?

 

モチベーション維持できますか?

 

 

結構ありえることとして、

5人で仕事をしています。5人でこなさないといけない仕事量があります。1人退職することになりました。ただでさえ仕事量があったので、4人では無理ということになり、1人新たに雇ってもらうことになりました。

上司の思うような人が来ず、採用には至りません。1カ月が経過しました。4人で仕事を回していますが、いっぱいいっぱいです。さらに1カ月が経過し、もう限界だと1人辞めることになりました。残り3人です。仕事なのでちゃんとこなさないといけないと思い、全力で仕事にあたります。残業をすると怒られるので家に持ち帰って仕事をこなします。

さらに1カ月が経過しました。なんとか仕事量を消化していましたが、もう限界です。上司に人手が足りないので、とにかく補充してほしいと再度お願いします。上司は「わかってる。大変だと思うけどもう少しがんばってくれ。」で終わりました。

また1カ月が経過しました。「がんばってくれてありがとう。本当によくやってくれた。」と採用が決まりました。

1人。

 

上司に再度補充の話をしに行くと「補充?もうしただろ?3人でも十分こなせるんだから4人なら問題ないだろ。今思えば5人なんて入れすぎてた。今まで楽をしていたんだから、これからはがんばってもらうぞ!」と聞き入れてもらえませんでした。

 

こういう経験ってありません?ちなみに上司は5人には入っていないものと思ってください。だから上司の仕事量は変わりません。自分たちの仕事量が多くなっただけです。

 

もともと5人でなんとかこなしていたのに、それが4人になってしまいました。仕事をこなさないと仕事場の外部からの評価が下がると思い、4人が責任感を持ってがんばったんです。全力疾走したんです。それでなんとかこなせていたんです。だけど、とうとう1人が耐えきれなくなり、脱落してしまいました。3人。

それでも仕事だからこなさないといけないと思い、全力疾走を続けています。限界が近いのがわかります。それでも迷惑をかけてはいけないと思い、がんばりました。上司の評価は『なんだ。今までサボっていただけか。3人でもできるんだ。』です。




どうしてこんな状況になってしまったかわかりますか?

 

無理をして必死でこなしてしまったからです。

 

心と身体をボロボロにしてこなせてしまったからです。

 

できないということをアピールできなかったからです。

 

 

責任感を持って真面目に取り組みすぎたがために、それが当たり前にできることと思われてしまったんです。

がんばっていることに気づいてもらえないんです。

最悪の場合は『今まで楽をしていたんだな。』と思われてしまうんです。

 

責任感って一般的には長所として使われる言葉ですが、この場合はあなたの邪魔をします。

 

だって、責任感を持ってなんとかしてしまったため、それが上司の標準になってしまったんですから。ずっと4人、あるいは3人で仕事をこなしていかないといけません。「5人にしてください。」と直訴してそれが通ったとしても、『できることをやっていない。不真面目な奴らだ。』と思われてしまいます。

 

できるところを見せてしまっただけに。

 

 

『人を補充しない上司が悪いんだ。会社の評判なんか知るか!自分は絶対に仕事量を増やさないぞ!』と今までと同じ仕事量だけやっていたら、こんなことにはならなかったんです。

外部からの苦情は来るでしょうが、それで上司も本当に手一杯なんだなと気づくんです。早く補充しないと評判に関わると。

その際は5人になるように補充してくれるでしょうし、もしかしたら、『そんなにきついんだな。今までがんばってくれたし、もう1人補充してやろう。』ってこともあるかもしれません。

 

なんか、真面目だと馬鹿を見るといった話ですが、実際にこういう例はよくあります。

 

真面目過ぎると損をしてしまうことがあります。

 

 

対応方法はもうわかりますよね。

 

責任感、少し緩めてみませんか?

 

強すぎる責任感は、ときに自分の首を絞めてしまうこともありますよ。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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仕事を辞めたいのに

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責任感が強いのは長所?責任感が強すぎると短所に変わる。

わたしって気楽なの?「お前は気楽でいいよなー。」と言われたら。

「お前は気楽でいいよなー。」って言葉、言われたことありますか?相手が疲れている状態のときに口をついてでたり、自分のことを見下している相手が嫌味たらしく言ってくるときがあります。

・・・

・・・

この言葉って、めちゃくちゃむかつきませんか?

嫌味たらしく言われたときはもちろんですが、口をついてでてしまった場合もいい気分はしません。『けんか売ってる?』状態になります。




親から「いい歳して働きもせずにネットやゲームばかりして。あんたは気楽でいいねー。将来どうやって生活するつもり?」

友人から「お前の仕事簡単でいいよなー。誰でもできるし。俺なんてもう毎日めちゃくちゃ大変だよ。俺もお前みたいな仕事だったら気楽でよかったのに。」

夫から「お前は専業主婦で家事だけしていたらいいんだから気楽でいいよなー。俺は仕事で疲れてるんだよ。休みの日ぐらいゆっくりさせてくれ。」

同級生から「あ、まだ結婚していないんだ。そうだよねー。結婚したら自分の時間なんてなくなるし、絶対、一人のほうが気楽でいいよ。あぁ、独身時代に戻りたいなー。」

男性から「子どもができたら退職できるんだから、女は気楽でいいよ。適当に言い寄ったら男なんていくらでもついてくるだろうし、楽勝だろ?俺も女で産まれたかったー。」

 

・・・どうですか?

 

イラっとしませんか??

 

まずね、『なに、この上から目線。』って思いませんでしたか?

こちらの都合や気持ちを考えずに、一方的に自分の意見を言ってきているんですね。

 

まさにけんか売られています。

 

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女で産まれたら楽勝・・・
女のほうが絶対男より大変。男なんてただ長く仕事を続けただけで、年功序列で給料が上がっていくんだから。世の中男尊女卑だし。

 

みたいな感じで言い返したいですよね?

 

「そう言われるほど自分は気楽じゃない!」と否定したいですよね。

 

 

実際そうだと思います。

相手が思っているほど気楽ではないと思います。

 

むしろ、そんなことを言ってくる相手のほうがよっぽど気楽だろと思います。こちらのことを全然考えもせずに、自分の価値観だけで知ったかぶって発言ができるのだから。こちらが不快な思いをするかもしれないと考えもせずに、発言ができるのですから。

 

 

そんなことを言ってくる相手のほうが、よっぽど気楽な人です。





なんか、ただの愚痴みたいになってしまいましたが、『あなたは気楽でいいね。』って言葉って見下しが入っていると思うんですよね。

『自分はこんなに色々と考えているのに、あなたはなにも悩みがなくていいね。』と言ってくるのと同じことだと思うんですよね。

 

 

でも、そんなことないでしょう?

 

悩みが少ない人はいるとは思いますが、悩みがまったくない人なんていないでしょう?

 

 

生きていたら少なからず悩みはあるんです。悩みというか不安ですかね。誰でも少なからずは持っています。

 

それをむやみに相手に見せていないだけでしょう?

 

 

言われたときって、ムカッとすると同時に相手の言葉を吸収しようとも考えてしまうんですね。

『本当に自分は気楽なんだろうか?』とか、『そんなこと言われるまでもなくわかっている。』とか、『こんなに悩んでいるのに気楽なはずがない!』といった具合に、言われたことを検証すると思うんです。

まだね、1人や2人ならいいですが、10人、20人から言われてしまうと、その言葉を信用してしまうんですね。

 

間違っているのは自分だと思ってしまうんです。

 

でもね、気楽なのか気楽じゃないのかは、他人が決められるものではないんです。本人がどう感じているかでしか決められないんです。

1万人があなたを気楽だと言っても、あなたが気楽じゃないと思っていたら、正解はあなたなんです。1万人のほうが間違った答えなんです。

 

 

だって、あなたしかわからないことだから。

答えを知っているのはあなただけ。

 

 

それなのに周りは、あたかも自分のほうが正しい答えだと思って言ってくるんです。

 

 

ほんと、いい迷惑ですよね。

 

こういった相手目線だけの言葉への対処法なんですが、簡単です。

 

無視してください。

気にする必要はまったくないです。

 

 

心が弱っているときほど、外からの影響は大きいものですが、気にしないでください。

 

相手がただ言いたいことを勝手に言ってるだけです。

 

でたらめです。

 

 

相手の判断と自分の判断が違うときは、感情に関しては自分の判断が正しいんです。相手の判断は的外れです。

世界中で本当に正しい答えを知っているのはあなただけです。

 

他人の言葉に流されないようになりたいものですね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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