心が弱ってしまうのは弱い人間だから?

皆さんは心が弱ってしまったことはありますか?

今では心の病も理解されるようになってきましたが、一昔前は『心が弱ってしまうのは弱い人間だから。』、『情けない奴だ。』、『恥だ。』という声もよく聞こえていました。

その風潮は現在も根深く残っている人もいます。




『心がしんどいときは誰にでもある。それを大げさに病気だと名前までつけて…。病気じゃなく甘えてるだけだ。自分に甘いだけ。』とみなす人も中にはいます。

僕もね、かつてはそういう思いもありました。

 

でも今はそうじゃないんだと思っています。

 

なかなかね、理解してもらうのは難しいことだとも思います。

心が弱っているときに『そんなことぐらいで・・・』とか『努力できない奴のただの言い訳だ。』といったように責めてくる人もいますが、それはどうか許してあげてほしいです。

あなたがそこまで苦しんでいることをわかってないんです。

 

だって、

 

自分がそこまで苦しんだ経験がないから。

 

そこまで苦しんだ経験がないからわからないんです。

 

スポーツや勉強にしてもそうですが、苦労せずできる人は、できない人の気持ちがわからないんですね。

運動神経の良い人は運動音痴の人を見て『なんでこんな簡単なこともできないんだろう?』と思ってしまいます。
数学ができる人はできない人を教えるのにあたって『なにがわからなくて悩んでいるんだろう?』と悩んでしまいます。

 

自分は最初からできたから。

できない手順を省略しているから、できない人が何故できないのかが本当にわからないんです。天才肌と言われる人に多いです。自分ではできるけど教えるのは下手くそなんですね。

できない過程を省略できた人だから、できない理由に気づけないんです。

 

 

「今から指の動かし方を説明してください。」と言われても説明って難しいでしょう?違うことを教えているときに「こういう風に指を動かして。」と説明することはありますが、その『こういう風に』を言葉で説明してくれと言われても難しいと思います。まず指を動かそうと意思を決定し、『今から指を動かしてくれ。』と脳に命令して、・・・と続きますかね?

もっと難しいものなら「甘いという味覚をどういう味なのか説明してください。」とかがありますかね?食事をしてどんな味かで『甘い』という表現をよく使いますが、その『甘い』を感じたことがない人にはどうやって説明します?ケーキやあんこを食べてもらってこれが『甘い』ってことだと教えますか?でもケーキやあんこを食べたときのどの感覚が『甘い』って味覚なんでしょう?

 

普段当たり前にできていることだからわからないんです。

 

 

その逆も同じです。

 

普段まったく経験したことがないから、そんな世界があるとは思ってもいないんです。

 

 

自分はつらいことがあっても病気にはならず、乗り越えてきたと思っているんです。

正確には思い込んでしまっているんですね。

 

あなたほどつらい思いをしたことがない人が。

自分の知らない世界があることをわかっていないんです。

 

 

僕もね、数十年生きていますが、心が病む体験をしたのはほんの数年前です。それまでも色々な経験をしてきましたし、苦境に陥ったことも数えきれないくらいあります。

それでも今思うことは『あの頃の僕は順風満帆だったなぁ。今だったらあんなの悩みのうちにも入らないわ。それで自分は打たれ強いと思っていたんだから狭い世界で生きてきたんだなー。』と思います。(もちろん、できることならあのまま狭い世界で知らないまま生きていたかったですが・・・でもあの頃の僕よりは自分が人間として成長できたと自信を持って言えます。)

・・・

脱線しましたので戻します。

 

要はなにが言いたいのかというと、

周りのことは気にしなくていいですよ。

心が弱ったときは思う存分病んでください。





また例えになりますが、皆で集まって息止めをすることになりました。
あなたは開始30秒で息が持たなくなり、呼吸をしてしまいました。1分間息止めをがんばった人が、あなたが息止めをやめてしまったことに注意してくるんです。「たった30秒で息止めをやめてしまうなんて根性がないんじゃないか?俺は1分間息を止めていたぞ。」といった感じで。

でも実際には、あなたはスタートの合図の前から一人で息止めをしており、リタイアした時点では5分が経過した後でした。

 

わかります??

心が弱ったときに責めてくる相手は、そんな感じの人なんです。自分ならできる、弱ったりしないと思い込んでいる人なんです。

一度でも心が弱ってしまった経験がある人は責めてきたりしません。

 

 

だって、どうしようもできないことだとわかっているから。

 

根性論じゃないことをわかってくれているから。

 

 

5分間息を止めていた人がいたら、『すごいなー。』とか『よくがんばったなー。』とか思うでしょう。『5分間なんて真面目にやってないだろ!最低でも10分間は息を止めておけ!』と思う人って少ないでしょう?

 

それと同じなんです。

 

知っている人はできないとわかっているから言ってきません。

 

知らない人はできないとわかっていないから言ってくるんです。

 

 

だからその言葉にイチイチへこまないでくださいね。そして彼らのことも悪く思わないでいてあげてほしいです。彼らには悪気はないんです。

「10分間息を止めて。」と言ってくる大人はまずいません。

でもそれが5歳とか6歳の子どもだったらどうでしょう?「お父さん!あの人テレビで10分間息を止めていたよ!お父さんも今からしてみて!」、あり得るかもしれませんね。

 

 

知らないから言えることなんです。

 

たとえ周りからなにか言われたとしても気にする必要はありません。

 

彼らはこの世界を知らないからいえるだけです。

この世界を知っている人はがんばっているあなたに「もっとがんばれ!」とは言ってきません。

 

心が弱るほどがんばってしまったあなた、休むことは決して悪いことではありません。

というか、限界を超えてしまったら一度休まないと再スタートできません。

再スタートができるようになるために今は、ゆっくりと、気兼ねすることなく、思う存分、心を休めてください。

 

あなたは心が弱るほどがんばった強い人なんですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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限界を超えてがんばりたいときは

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人から何かを期待されるときって嬉しくなりますよね。

相手が自分を頼ってくれていることがわかり、この人に認められているんだという安心感を得られます。

相手の期待が大きければ大きいほど、達成困難な期待をされればされるほど、自分のことを頼ってくれていることになります。相手の期待に応えてあげたいとやる気になります。




期待に応えると相手も「あなたに期待して正解だった。」と喜んでくれると思います。

好きな相手はもちろん嫌いな相手にもそういった風に喜んでもらえたのなら『ああ、よかったー。』と心が温かくなると思います。

相手の期待に応えることができた達成感は大きいものです。

 

期待してくれる相手がいる、相手から必要とされているというのは嬉しいものです。

自分のことを認めてくれている相手がいるのですから、『自分は一人ぼっちだ。』と孤独感に襲われることも少なくなります。

 

ただね、一つだけ注意してください。

 

それは・・・

 

期待に応えすぎないこと。

 

ここをしっかりと守らないと、相手の期待がプレッシャーに豹変します。

 

いくら期待をされても応えられないときはあります。

 

「君ならできる。任せた。」と言われても、能力的にできないこともあるでしょう?

「付き合ってほしい。」と告白されても、好きじゃない人とは付き合えないでしょう?

「お金を貸してほしい。」とねだられても、お金を持っていないと貸せないでしょう?

 

期待に応えるにしても限度・許容量があります。その許容量を超えてしまう期待に応えることが負担になります。

期待に応えるのにあなたが無理をしている状態になります。期待に応え続けること楽しいことではなく、しんどいことになってしまいます。

 

期待に応えることができない自分無力感を抱くかもしれませんし、そんな要求してくる相手に苛立ちを覚えるかもしれません。そして、そんなことを思う自分に嫌気がさすかもしれません。

 

 

・・・でもそれって当たり前じゃないですか?

 

だって無理をして期待に応えていたのだから。無理をしていたのだからいずれ限界が来ます。無理をしていたのだからそんな期待をしてくる相手に言いたいこともあるでしょう。自分に嫌気がすると思わなくていいです。

ごく普通のことです。

 

期待に応え続けていくのはとてもしんどいことです。

期待に応え続けていくうちに相手の要求も強くなっていきます。

できる人とみなされます。無茶振りも増えていきます。

 

無茶振りなのでもちろん、応えるのは難しいです。だけどあなたはがんばってその無茶振りに応えてしまいます。

 

 

一度無茶振りに応えてしまうと、それが相手の新たな判断基準になります。

 

 

できる人とみなされているので、このレベルの要求はあなたなら応えてくれて当然となっています。

できて当たり前、できなかったら何故しないんだと責められます。




仕事関係で多いですかね?

たくさん仕事を押し付けてくる上司の仕事をこなしていたら、どんどんどんどん「あれもしてくれ。これもしてくれ。」と渡してくる仕事が多くなり、どこから手をつければいいかわからないほど仕事が溜まってしまう。

 

あれも上司の期待に応え続けているってことなんですよ。こいつならこのぐらいのことはこなせると思って仕事を押し付けられて、一生懸命やっても「よくやった。」で終わり。できなければ「なにをさぼっているんだ。」と注意される。

 

できて当たり前だと思われています。

 

正直やってられないですよ。

 

 

期待をかけてくるなら、その期待に応えるためにこっちが一生懸命やっているということは理解しておいてほしいものです。

 

でもね、これになかなか気づいてくれないんです。

だって、誰もあなたがそこまで無理をしていると思っていないのだから。限界ギリギリだとは思っていないんですね。

本当に限界ならあなたのほうからなんらかのアクションがあると思っているから。自分ならそこまでやらないから、あなたがそこまでやってくれているとは思えないんです。

思えないというか思いもしないんです。

 

期待に応え続けていたら遅かれ早かれ、いずれはこの状態に陥ります。

そして、人の期待に応えてあげたいと思っている人は、この状態でも無理をして期待に応え続けようとします。

 

期待してくれたら応えてあげたいと思うのは当然です。友人に期待されたら、恋人に期待されたら、家族に期待されたら、・・・、期待されたら応えてあげたいと思うのは当然なんです。

期待してくれているのに期待に応えなかったら、相手を裏切ってしまった気分にもなってしまいます。

 

だからがんばりたいんですよね?

でもがんばれないから悩んでいる。

 

 

そんなあなたに一言・・・

あなた、もう十分がんばりすぎていますよ。

 

 

あなたができないんじゃありません。

 

あなたがやりすぎているんです。

 

 

他の人ならとっくに投げ出していることを、あなたは投げ出さずに今もがんばっているんです。

こんなにも悩んでいるのはその証拠です。

期待に応えられないと自分を責めないでください。

 

あなたが今悩んでいるのは、あなたがダメな人だから悩んでいるのではありません。

 

あなたがそこまでできるすごい人だからこんなにも悩んでいるんです。

 

期待に応えないというのは勇気が必要です。期待に応えてあげたいという思いが大きければ大きいほど、強い勇気が必要になります。

客観的にみると今のあなたはとっくに限界を超えています。

がんばる、あきらめるはあなたの自由ですが、どうか、あなたの心に優しい選択をしていただけたらと思います。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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新生活が不安なのはなぜ?悪いことが待っている?

4月になると新生活になる人も多いのではないでしょうか?

転勤族で転勤を繰り返していたら不安も少ないと思いますが、新しい生活につく習慣がない人や、初めて地元を離れたりする人にとっては今は大変な時期ですね。




『どんないいことがあるだろう!』、『新しい生活をがんばるぞ!』と期待に満ち、やる気満々の人もいると思います。

逆に、『今までの場所がよかったのに…』、『また一からやらないといけないのか。』と不満や不安を抱く人もいるでしょう。

 

新生活・・・良いことばかり起きればいいんですけどね、残念ながら良いことばかりは難しいでしょう。あなたにとって悪いことや納得いかないこと、思い通りにいかないことも待っていると思います。

 

でも、それを今考えても仕方ないでしょう?

まだそんな状況になっていないのだから。『もしかしたらそうなるかも・・・』と仮定、イフの話をしたって仕方ないんです。

 

今はまだあなたの妄想にすぎません。

 

 

ここで悪い妄想ばかり浮かんでしまうと、新生活への不安や恐怖が倍増します。『うまくやっていけるだろうか?』、『次にいく場所はどんなところなのだろうか?』とか『怖い人はいないかな?』、『予想していたところと全然違うところだったらどうしよう。』と色々なこと考えるようになってしまいます。

 

でもね、これ、

 

はっきり言って時間の無駄なんです。

 

全部あなたの妄想でしかないから。あなたは答えを知らないから。

いくらあれこれ悩んでも全くの無駄な時間で終わってしまいます。

 

ある程度は想定しておくことも必要だと思うんです。これからのことで起きそうなことの可能性を検討しておくことは。そうすることによって、その事態に直面したときの焦りは少なくなります。

 

ですが、必要以上に起こりうる可能性を考えること、妄想レベルまでいってしまうことはあなたに良い影響を与えません。妄想レベルまでいくと良いことはもちろん、悪いこともたくさん想像してしまいます。

悪い想像をたくさんしてしまうと、動くことができなくなります。

想像に現実が侵食されるとでも言うのでしょうか、悪い想像ばかりしてしまうと足がすくんでしまうんですね。現実にはまだ起こっていないのに。

 

単なる妄想にすぎないのに。

 

・・・

・・・

どうせなら良い方向に考えませんか?

今の時点では良くなるか、悪くなるかなんてわからないんです。やってみないとわからないけど、今の時点ではやることができない。

 

それなのに悪い想像ばかりして『怖い』、『嫌だ』と思っていてもどうしようもありません。そんな考えで身動きがとれなくなってしまうのならいっそ、自分に良い想像ばかりしてみませんか?

 

『新しい生活はきっとうまくいく。』

『運命の出会いが待っているかも。』

『そこで皆から好かれる人気者になれる。』

 

などなど、自分の都合のいいことだけ想像してみませんか?




不安をごまかすためのものですが、良いことも悪いこともどちらが起きるかわからないんです。

なら、楽しいほうに考えたほうが得でしょ?

 

 

今までの生活と一転する人もいると思います。初めて一人暮らしをするという人も多くいるでしょう。『ちゃんとできるかなー』という不安があるのは仕方ないことです。

 

だって、一度もやったことがないのだから。

 

初めてのことに挑戦するときできるかどうか不安になるのは当たり前です。

今までは家族がしていてくれたことも自分一人でしなくてはいけません。今まではあなたがしなかったことを家族がサポートしてくれていましたが、これからはあなたがしないといけません。

あなたがしないと誰もしてはくれません。

 

新しい生活になるということは覚えないといけないことがたくさんあります。今までの常識では通じないことも多いでしょう。知らないことを覚えていくこと、新しい環境に適応していくことはとても疲れます。

もちろん、環境に適応するのが速い人、遅い人と個人差はありますが、新しい生活に慣れるまでは大変なことに変わりありません。

今の自分ではできないことを一つ一つ学習していかないと疲れは溜まる一方です。

 

ある程度、今までの経験を生かせるのならいいのですが、全く畑違いの分野の場合は覚えるのは本当に大変です。『周りは適応しているのに自分だけが適応していない。』と感じることもあるかもしれません。

同じ場所を走っているのに自分だけ周回遅れとでも言いましょうか、自分だけ一人取り残されたと感じることもあるかもしれません。

 

そこで焦りが生じてしまうんですね。『早く追い付かなきゃ!』と。でもね、あなたは怠けていたわけでもないんです。気持ちの持ちようだけでなく、実際の技術や技能の問題でもあります。それがすぐに周りと同じようにできることはありません。

 

やってきた人とやってこなかった人との差は1か月や2か月で埋まる差ではありません。

 

でも、永遠にその差が埋まらないということはありません。あきらめずに続けていたらできるようになります。他の人にできてあなたにだけできないというこは少ないはずです。ただ、できるようになる前にあきらめてしまうこともあります。

それほどできないことをできるようになることは難しいことなんですね。

 

でもそれができるようになったとき、今のあなたではできなかったことが一つできるようになったということです。今のあなたより成長したあなたになれるということです。

新生活を怖いと思うよりも、新たに挑戦する機会を与えられたと捉え、ワクワクした気持ちで臨みたいものですね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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卒業を寂しいと感じるのは

3月、卒業シーズンですね。

春は出会いと別れの季節と言われています。時系列的には別れと出会いの季節のほうが正しいのでしょうか?3月に別れ、4月に出会いが待っています。

なかでも自分にとって一際大きい人生のターニングポイントが卒業でしょうか?

保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人になっての人事異動といった節目節目に卒業という言葉が付きまといます。




卒業とは巣立ちのことですよね。今までいた学び舎から新しい場所へ飛び立つための儀式です。

社会人になってからは別ですが、学生時代は同じ場所に留まることを許されていません。いつまでも慣れ親しんだ場所で、いつまでも同じ生活をすることはできないのです。

今の場所が嫌で卒業が待ち遠しいと望んでいる人、今の場所が好きで卒業が怖いと恐れている人、ただ単なる儀式として無感動の人、色々いると思います。

 

ただ、共通して言えることは

 

今までの生活との別れを意味します。

 

今までの生活には二度と戻れません。

 

 

一般的には中学校から高校への卒業が人生で一番初めにやってくる大きな別れでしょうか?幼いころから受験で戦ってきた人は別ですが。

小学校と中学校が同じだったのに高校で別れてしまった同級生はいませんか?

 

義務教育ではないので高校に行くには、まず高校に行くのか高校に行かないのかを選択する必要があります。そして高校に行くことを決めても自由に入学できるわけではありません。自分に合った高校を見つけ、入試に合格する必要があります。

 

自分で選択をしないといけないんです。

 

今までは同じ方向をみつめていたのに、それぞれの道を歩き出すんですね。

その選択で多くの人たちと別れを経験することになると思います。

 

高校、大学、就職も同じです。

自分でどこに行きたいか、どこなら行けるのかを選択し、自分の道を歩んでいくんです。

 

卒業は別れと言われていますが当たり前ですよね。

だってあなたは世界に一人しかいないんだから。あなたとずっと同じ選択をする人は少ないでしょう。

 

そこで別れが待っています。

 

 

出会いと別れ・・・

今まで出会った人とは必ず別れる運命にあります。





結婚式でも「死が二人をわかつまで。」と誓いを立てるカップルがいますが、永遠に一緒にいることはできません。

 

別れとは寂しいものです。ともにすごした人だけでなく、長くいた場所との別れも寂しい気持ちになります。

ですが生きているうちは別れから逃れることはできません。

 

卒業には期待と不安が混ざっていると思います。

何か新しいことに挑戦したいと思っている人は期待のほうが大きいでしょうし、今のこの生活が気に入っている人は不安のほうが大きいでしょう。

 

今までの生活が卒業することにより変わります。いつもの日常が変化するんですね。

今が幸せであればあるほど、安定していれば安定しているほど、日常が変化するのは怖いことです。

 

そして卒業して一番の変化は人間関係ではないでしょうか?

よく遊ぶ仲の良い相手なら別ですが、特にそれほど仲が良いとは言えない相手とは会う機会は減少するでしょう。

 

 

違う道を歩くことになった人とは簡単に会うことはできません。買い物をしていてバッタリ会うといったことはあるかもしれませんが、意図して会うことは難しくなります。お互いに会おうとする気持ちが必要になるのですが、道が違うようになるとその理由を作るのも難しいんですね。特に理由もなく会いに行くのも気が引けるというか。

 

今までは当然のように会えていた人にも、なにか理由をつけないと会いにくくなります。

親しい相手なら理由もまだ作りやすいですが、ただ同じ空間をすごしていただけの相手にはその理由を作るのも難しいです。

もう二度と会えない人もでてくるでしょう。

(余談ですが、好きな人や気になる人がいる場合は、卒業前に関係を築く努力をしたほうがいいですよ。卒業してからもチャンスがあると思っていては逃してしまいます。違う道に進む人とは卒業後にそんなチャンスはおとずれません。)

 

それは寂しいことですね。それが一人や二人ならまだしも、数十人単位になってくると喪失感もでてきます。

 

今まで慣れ親しんだ場所からの別れ、それはとても寂しいことです。

今後の自分を想像して不安にもなるかもしれません。今より良い生活になるかもしれませんが、今より悪い生活になるかもしれません。

自分のタイミングで卒業をできたら一番なのですが、時間制限があり、覚悟が決まっていないうちに強制的に卒業させられることもあります。

 

卒業をすると今と同じ空間には二度と戻れません。

 

でもこの卒業はあなたが生きていくうえで必要なことなんです。

同じ場所にとどまっていたら手に入らないものがあります。

 

 

あなたは、あなたたちはそれを手に入れるためにそれぞれの道を進んでいくのです。

あなたたちは今の場所では手に入らない何かを未来に手にすることができます。それの積み重ねが成長と呼べるものになるのではないでしょうか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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大切な人を失ったとき

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自信がなくなってしまったときは

自信がなくなってしまったことってありませんか?

自信がなくなる体験をすることはよくあるかと思いますが、実はこれってかなり危険なことなんです。

緊急事態です。



自信とは自分を信じることです。

 

この自分を信じることって生きていくうえで非常に重要なことだと思います。

 

自分を信じることができるから生きていけるんです。

 

自信が全くないと生きていけません。

 

 

極端な話ですが、今、この瞬間に、自分の頭の上に隕石が落ちてくると本気で思っている人はいないでしょう?

 

それはなぜか??

隕石が落ちてこないことに自信を持っているからです。

 

それって自分に自信があるんじゃなく、隕石が落ちてこないことに自信をもっているんじゃと考えるかもしれませんが、そうじゃありません。

今までの経験から、この瞬間に、自分の頭の上に、隕石が落ちてこないという自分の考え方に、自信を持っているんです。自分の考え方を信用しているんですね。実際には100%起こらないことではないでしょう?0.000・・・1%は今、この瞬間に、自分の頭の上に隕石が落ちてくる可能性はあるでしょう?0がいくつつくかはわかりませんが、それでも完全な0%ではないでしょう?

 

でも私たちは、この瞬間に自分の頭の上に隕石が落ちてくるなんて考えてもいません。

今まで生きてきた中で、一度も頭の上に隕石が落ちてくる体験をしたことがないからです。

 

 

この自信がなくなってしまうとどうでしょう??

 

・・・怖いでしょ?

いつも隕石が自分に落ちてくると思って生活をしているわけですから。一分、一秒たりとも気が抜けません。怖くて怖くて仕方ありません。

 

そんな状態じゃ生きていくことはできません。

 

 

ここまで極端ではないと思いますが、自信を失ってしまうということはこれに近い状態になってしまうということです。

自信を失ってしまうのはとても怖いことなんです。

 

 

自信って最初は誰もが持っているものですが、実は自信を維持することって、なかなか難しいことなんですよね。

 

周りは皆できているのに自分だけができなかったり、人から厳しくダメ出しや注意をされたり、自分ならできると思っていたことができなかったりと、生きていたら自信を失ってしまう場面に遭遇することがあります。

 

そのときに一時的な落ち込みだけですんだのならいいのですが、それが継続的になってしまうと心が弱ってしまい、最終的には今まで持っていた自信が砕け散ってしまいます。

 

そうなってしまうと大変なんです。

 

 

なにをするにしても不安と恐怖がつきまといます。

 

 

『これで正しいのだろうか?』、『間違ったことをしているんじゃ?』と疑心暗鬼におちいります。

今まで当たり前のように自信を持っていたことにも、自信を持てなくなってしまうんですね。

 

自信がないと平常心で生きていくことができません。

自信がないと心が疲れてしまいます。

自信がないと心が傷つきやすくなります。

自信がないと自分には価値がないと思ってしまいます。

 

 

自分を信じること。

自信があるときは当たり前にできていたことなのに、自信をなくしてしまった後はすごく難しいことに変貌してしまいます。





自信が勝手になくなっていくことはありません。自信がなくなっていくには必ずきっかけ、理由があります。

自信を再度つけるためにはそれを乗り越えていくしかありません。

 

ただ、それを乗り越えるのがかなり難しいことが問題なんですね。

今まで持っていたあなたの自信を打ち砕くほどの原因なんですから、すぐに乗り越えるのは難しいです。

 

自信を取り戻すには時間がかかります。

 

 

この自信を取り戻すのに時間がかかってしまうと、自信を取り戻すのはさらに難しくなってしまいます。自信がない状態に慣れてしまうんですね。

自信がない状態が当たり前の状態になってしまいます。

 

 

自信って自分の心を守る防具だと思うんです。

 

外部からの攻撃を受けても強い自信、分厚い防具を着ていたら心はびくともしません。ですが、自信が弱いと外部からの攻撃を防げません。防具を着ていない、あるいは薄い防具で砕けてしまう。

心に大きなダメージを与えてしまいます。

それが一時ではなく、常時続く。

 

 

例えるならヤドカリですかね?外敵から身を守るために貝殻を背負う。自信があるときはこの状態で、自信がないときは貝殻を背負っていない状態です。

 

ひどいときは防具自体に亀裂やヒビが入っており、動くたびに自分の身体を傷つけてしまいます。

 

 

自信って必要でしょう??

 

 

自信満々とはいかないまでも、少なくとも自分を責めないくらいの自信は欲しいですよね。

 

それにはどうすればいいんでしょう??

 

自己否定をやめましょう!

自信がないとどうしても自己否定をしてしまうものなんですが、がんばってやめましょう!

自己否定をしてもいいことないです。

 

否定するたびに心が傷ついてしまいます。自信がなくなっていきます。

 

 

本当は自己肯定をするのが一番なのですが、自信がないときに自己肯定ってすごく難しいです。だから、自分を肯定まではしなくてもいいです。まずは自分を否定することをやめましょう。

 

これも結構難しいと思います。

自分を否定することが癖になっているので、気を緩めるとすぐに自分を否定してしまいます。

 

 

この自己否定をやめるだけでも、少しずつですが自信が回復していきます。

一度に変わるのは難しいです。だから少しずつ、少しずつ、自信を回復させていきましょう。

 

 

焦らなければ必ず自信は取り戻せます。

 

 

だって、元々はあなたが持っていたものだから。今は持っていた頃の感覚を忘れてしまっているだけだから。

 

自信があるのも自信がないのも自分が思っているだけです。単なる思い込みです。どうせなら悪いほうではなく、良いほうに思い込みをしてみませんか?

折れない心を手に入れることができると思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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交際期間が長い相手との関係に疑問を感じたら

皆さんは誰かと交際したことはありますか?

短い期間で様々な異性と交際したり、一人の相手と交際し別れることなく結婚までいき、今も幸せな生活をしている方もいると思います。

今回は一人との交際期間が長期、5年、10年、あるいはそれ以上交際が続いた相手との別れをテーマにしたいと思います。




恋愛って素敵なことだと思うんですよね。

相手のことが好きになる。その気持ちに相手が応えてくれると心が温かくなります。

お互いのことが好きでお互い一緒にいたい。

交際を重ねれば重ねるほど相手を知ることができる。相手の良い部分はもちろん悪い部分も知ることができる。そしてこの相手がいいなーと交際を続けられる。

自分にはこの人しかいないと思うこともあるでしょう。

 

それで結婚できたらいいんですけどね。結婚できたら恐らく、お互いが幸せになれます。互いの良いとこ悪いとこを熟知したうえでの結婚ですから、知り合って数か月のスピード婚よりも離婚の可能性も低いのではないでしょうか?

 

結婚できたら幸せな家庭を築けると思います。もちろん、困難な状況も待ち構えていますが、二人なら乗り越えていけるでしょう。ハッピーエンドです。めでたし、めでたし。

 

 

さて、問題は、長期間交際してきたのに結婚できなかったとき、あるいは離婚や別れを考えるようになったときです。

 

これって意外と大変なんですよ?

 

好きじゃないなら別れればいいと簡単なことのように思いますが、なかなか決意をするのも難しいんです。

 

だって、

今までの積み重ねがあるから。

 

 

一般的には恋愛感情は3年間しか持続しないと言われています。

相手を異性として好きと思う感情ですかね?それの継続時間が3年間。本当に結婚したいなら交際して3年以内にしろ。それ以上になると熱が冷めたり、タイミングを逃すとも言われています。

 

でも交際期間が長くなると、とっくにこの期間を超えているんですね。

好きという感情はもちろんありますが、それが最初の頃のように情熱的というのは違った好きです。異性として好きではなく、人間として好きになっているのではないかと思います。人間として好きだからこそ、長い期間交際できているのですしね。

 

長い期間交際していると恋愛感情とは別にもう一つの感情が生まれます。それが『愛着』です。ペットや物に愛着という言葉をよく使いますが、人間に対してももちろん愛着がわきます。

長い期間交際していれば熟練の夫婦、あるいは倦怠期の夫婦のようなカップルも少なくありません。

結婚していなくてもお互いを家族のように感じることもよくあるのではないでしょうか?

 

 

この状態になってしまうと別れることに一際大きい決意が必要になります。

嫌いになったからすぐに別れるとはなかなか思えません。別れを決意するときはかなりの葛藤が必要です。

 

だって、

別れる=家族を失うということになってしまうから。

 

 

相手の良いところも悪いところも知っています。

 

それでも、今まで別れずに付き合ってきました。付き合いが長いとそのぶん思い出ももちろん増えます。いい思い出ばかりではなく、嫌な思い出もたくさんあるでしょう。

お互いのことが理解できなくなり、ケンカもしたでしょう。それでもお互いのことを想い、乗り越えてきました。『もう無理だ。』と別れを考える機会もあったかもしれませんね。

 

それでも互いにベストを尽くし、その壁を幾度となく乗り越えてきました。

 

でも、

乗り越えてきたからこそ、別れ難くなっているんです。

 

 

今までの自分たちが乗り越えてきたから。

 

今度も乗り越えられると可能性に賭けてしまいたくなるんです。





大体ね、5年、10年、あるいはそれ以上。短くないんですよね。いくら寿命が延びて人生80年時代と言われるようになっても、10年、決して短くないです。むしろ長いです。寿命からいっても人生の8分の1一緒にいるんですから。80歳で死ぬ計算ですが。

20歳から30歳まで一人の相手と10年間真剣に交際してきました。その場合って人生の3分の1をお互い一緒にいることになるんですよ。それを断ち切るのは決して簡単なことではありません。

 

本当に相手のことが嫌いでたまらなくなり、毎日別れたいと考えるようになるときは別ですが、そうじゃなかった場合はどうしても愛着があるために冷静な判断できなくなってしまうんですね。

そして別れを切り出せない自分にイライラや失望をしてしまうかもしれません。

 

でもそれは、当たり前のことなんですよ?

 

 

遠くの他人には冷静に冷たい判断ができても、近くの家族(大切な人)には冷静に冷たい判断ができない。そんなの当たり前です。そうじゃないと人間ではありません。全員に対して公平になんて人間には無理です。

 

別れるには強い意志が必要です。

 

 

長い期間交際して別れを考えるようなら、別れてしまってもいいんじゃないかと思います。だって、今まで積み上げてきたものがあっても別れたいと考えるほど、今がうまくいってないのだと思いますし。もし今が、長い期間交際しているのではなく、交際して3カ月の状態だったならとっくに別れているでしょう?

 

 

実はあなた、今、とっても無理をしているんですよ?

 

 

長い期間同じ相手と交際を続けるのって、簡単なようでいて難しいことだと思います。その相手とずっと一緒にいられたら一番なのでしょうが、あなたが無理をしてまで続けることではないと思います。

 

あなたにとって大切な人です。大嫌いと思うことも難しいでしょうし、好きじゃなくなったと認めることも難しいと思います。

 

仮に別れられたとしてもすぐに新しい恋をしようとは思えないかと思います。

新しい相手ができたとしてもどうしても比べてしまいます。相手があなたの判断基準になってしまっているんです。あなたの心に一生残ります。忘れ去ることなど不可能です。

 

本当にね、その相手と最後までうまくいけたら一番だったとは思いますが、思うようにはいかないもんですね。

 

別れを考えて、それでもまだ別れたくないと思うときは、もう一度考えてみてください。自分が本当に相手のことを好きなのか?たんなる意地になっているだけではないのか?執着しているだけなんじゃないか?を。

 

悩んでみてください。

悩んで悩んで、悩んでください。

悩むことに疲れ果ててしまうかもしれませんが、それだけ相手のことが大切だったってことです。

そこまで悩ましてくれる相手と出逢えたあなたは、周りが羨むほどの素敵な恋ができていた幸せな人なのかもしれません。

 

お互いが幸せになれる選択ができたらいいですね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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疲れてしまうのは完璧主義者だから?

突然ですが、皆さんは完璧主義者ですか?

「いや、そんなことはない。」とか「完璧主義とは正反対のいい加減な性格だ。」と否定される方も多いと思います。

 

ですが、、、

 

完璧主義の人ほど完璧主義者ではないと否定をされるんです。





なぜかって??

 

完璧主義なのに自分にはできないこと、不完全なことが多すぎるから。

 

できていないから完璧主義者ではないと思ってしまうんですね。完璧主義者なら完璧にこなせるはずだという思い込みがあります。

だけど、完璧主義者ってなにも完璧にできる人ばかりではないんですよ?

むしろ、不完全だからこそ完璧主義者になりやすいんですよ?

 

・・・

もしかしたらあなたは完璧主義者なのかもしれません。

 

だって、

 

できない自分に苛立っているのだから。

 

劣っている自分が許せないのだから。

 

 

皆さんが自分に対してあきらめていないから、心が弱ってしまうんです。そして心が弱ってしまった時点で完璧主義者の可能性があります。

 

 

心が弱ってしまうというのは、理由は色々あると思いますが、結局は、できない自分に失望してしまったからではないでしょうか?

うまくいかないできごとに対して、それでも自分ならなんとかできると思っていたのに、自分が自分の期待に応えることができなかったから落ち込んでいるのではないですか?

 

そのうえでまだあきらめずに闘っているのではないですか?

 

 

『自分はできないと認めたくない。」、『自分はまだできると信じている。』、『自分がしないといけない。』と思っている。

 

 

あなたは今は自信がないと落ち込んでいるかもしれませんが、もともとは自分に自信を持っていたのではないですか?

 

良くいえば、自分に自信を持っていた心の強い人。

悪くいえば、自分に過剰な自信をもっていたイタイ人。

 

だったのかもしれません。

 

 

完璧主義者には大きく分けて3つのタイプがあります。

 

① 自分にも人にも厳しく、完全を求めるタイプ。

② 自分には甘く、人にだけ完璧を求めるタイプ。

③ 人には甘く、自分にだけ厳しいタイプ。

 

① は完璧主義者とはと問われたときに、真っ先にイメージするタイプだと思います。

② は周りの人にはあまりいい印象を与えていないかもしれないですね。『人にばかり求めて自分はどうなんだ。』と愚痴をこぼされているかもしれません。

③ は人望がある人が多いと思います。器の大きい人と思われていると思います。

 

・・・で、このサイトを読まれている人は③の人が多いと思います。

 

あなたは実は人望があり、皆から慕われている人だと思います。





でも、だからこそ問題なんですよね?

 

人には甘く、自分にだけ厳しいというのは、いいことのようにも聞こえますが、実は人を頼っていないということなんです。

なにかうまくいかないことが起こっても人に助けを求めません。うまくいかないことの原因が自分にあると思っているんです。

自分がしっかりできていればうまくいくはずだ、自分がしっかりできていないからうまくいかないんだ、と心の奥底では考えているんですね。

 

 

いっそうまくいかないことの原因を人に押し付けられることができたら、こんなに離れ苦しまないんですけどね。

純粋に人のせいだと思うことはなかなか難しいですよね?

 

 

うまくいかない原因がAさんにあるとします。周りはAさんができないからうまくいかないとAさんのせいにします。あなたも表面上はAさんのせいだと思っています。でも心の奥底には『Aさんがうまく対応できるように育ててやれなかった。自分がAさんをしっかり指導できていたら今回のことはうまくいってたはずだ。Aさんにしっかり教えてあげることができなかった自分が悪い。』といった思いがあります。

 

③の完璧主義者は少なからず、この思考が入っていると思います。

疲れるでしょう?

普通にAさんが悪いと思えばいいのに、『Aさんが悪いのは自分がAさんにしっかり指導できていなかったから。しっかり指導できていたらAさんが失敗することはなかった。Aさんではなく、指導できていなかった自分が悪い。』と思ってしまう。

 

チーム一丸となって全力で取り組んだことに対しても『あなたたちはよくやった。あなたたちは悪くない。悪いのはもっとしっかりできなかった自分だ。(あるいはあなたたちをしっかり指揮することができなかった自分だ。)ごめんなさい。』と言われたらどうですか?

 

 

そんなことを言いながら落ち込んでいる人をみたらどうでしょう?

『なにっ?こいつ?』

 

って思いません。

 

人の責任まで勝手に横取りして、勝手に落ち込まんでいる。

鬱陶しくないですか?『お前はいつからそんなに偉くなったんだ?お前にそこまで期待してねーよ!!』って思いませんか?

 

・・・

あなたは周りから見たらもしかしたらそんな人に映っているかもしれませんよ?

しんどい思いをして悩んでいるのに、そんな風に思われるのって割に合わないでしょう?

 

損ばかりしているでしょう?

・・・

・・・

もう少し肩の力を抜いてみませんか?

 

 

こう書いてしまうとあなたはすぐに肩の力を全力で抜かないといけないと捉えてしまうかもしれませんが、焦らなくていいです。急に脱力しようとしても難しいです。失敗したら『やっぱり自分はダメなんだ。』と思ってしまうかもしれません。

だからほんの少しでいいんです。

今まで100の力を入れていたのを98にする。

まずはそこから始めてみませんか?

98にするのに慣れてきたら95を目指すといった具合で。

 

少しずつ、少しずつ、力を抜いていきましょう。

 

 

今は自覚はないかもしれませんが、脱力が慣れてくると『ああ、こんなにも力んでいたんだな。』と自覚することができると思います。

 

完璧主義者のあなた、『こうあらなければならない。』と理想をもつことも素敵だと思いますが、その理想に押しつぶされそうなときは、その理想を手放すという選択も視野に入れてみてはいかがですか?

 

今のあなたは、んばりすぎて視野が狭くなっているかもしれませんよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 



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相手から傷つくことを言われたときは

人から言われた言葉に傷ついた経験、誰もが一度はあると思います。

相手に悪意があるときはもちろんですが、相手はこちらを傷つけるつもりが全くなく、何気なくかけた言葉に傷つくこともあります。

相手の善意からくる言葉や注意に傷ついてしまうこともあります。




結構ね、人から言われる言葉って傷つきやすいんですよね。自分ではなく人から言われるので、言われた瞬間は心に『グサッと』突き刺さってしまいます。

 

自分が自覚していることだったら『ああ、やっぱり僕はダメなんだ・・・』と落ち込んでしまいますし、自分が全然自覚していないことだったら、『えっ、それっていけないことなの!?』と戸惑ってしまいます。

 

さらには自分の長所だと思っていたことを相手からダメ出しされてしまうこともあります。自分の好きなところを「そういうところがお前のダメなところなんだよ。」と指摘されてしまうことがあります。

 

 

そんなときはどうすればいいんでしょう??

 

 

気にしなくていいです。

 

 

あなたの人生なんだから、人からどう言われようが気にしなくていいです。好きなように生きましょう!

 

・・・言葉では簡単なんですけどね。なかなか割り切るのは難しいです。

 

 

相手が自分にとって関わりの薄い人や特に重要な人でない場合は、心も通常の状態なら跳ね返せるかと思います。

だけど、自分をよく知ってくれている人や尊敬している人から傷つくような言葉を言われたら、『なにを言ってるんだ!』と跳ね返すのは難しいですよね。

 

・・・で、これの怖いところって自分に自信が持てなくなってくるんですね。

相手からひどいことを言われて心にそれが突き刺さります。どうでもいい人からなら一時的で、すぐに突き刺さったものがとれて回復に向かいます。だけど、尊敬している人などからの言葉は簡単ではありません。突き刺さったものがなかなかとれないんですね。

とろう、とろうとしてあなたは心に刺さったものを前後左右に動かしてしまいます。

 

その結果、最悪です。心の傷口が広がります。

突き刺さっていただけのものがより深く突き刺さります。ときには貫通してしまいます。

 

自分で傷口を広げてしまうんですね。言われたショックは一過性のもので持続力はそれほどないとは思うのですが、自分でダメ出しが始まってしまうんです。

 

 

心の傷をつける役割を相手から引き受けてしまうんです。

 

 

ことあるごとに『ああいう風に言われたから私はダメな人間なんだ。』と考えるようになります。相手が言ったことを素直に受けとるだけならまだいいのですが、自分で拡大解釈が始まります。

相手が1のことをあなたに伝えただけなのに、それを2や3と言った具合に大きくしてしまいます。全然結びつきがないことでも『あの人にあんな風に言われた私は、こんなこともできないんだ。』と感じてしまうことがあります。

 

こうなってしまうと最悪です。

自分を信じることができなくなってしまいます。





そうなってしまうと必要以上に自分を責めてしまったり、自分の行動にも自信をもてなくなってしまいます。

 

 

この状態って負の感情を促進させるんですよね。

『自分はなんてダメなやつなんだ!』とか『このままではいけない。もっとちゃんとしないと!』と自分を否定してしまうようになります。この状態が続くと心が悲鳴をあげてしまいます。

 

100褒められても、1注意をされたら100のことには目がいかなくなるようになります。1ばかりに気をとられてしまい、そのことばかりを考えて落ち込んでしまいます

この状態が続くことによって心が弱くなってしまいます。心が弱くなってしまうと、誰に何を言われても傷ついてしまうようになってしまいます。

 

 

なにをしてもスッキリせず、ダメ出しばかりしてしまうようになってしまいます。

・・・

・・・

そうなってしまうと人生を楽しめないでしょう?どうせ生きるなら苦しまず、楽しく生きたいじゃないですか?

 

ですから、心が弱ってしまう前にわりきりましょう!

 

 

・・・で、それができるようになる肝心の方法なのですが、自己肯定感を高めることが一番かと思います。

自己肯定感とは自分のことを認める感情です。自分は自分のままでいいんだと感じる心です。

 

才能がない自分でもいいじゃないですか?

努力ができない自分でもいいじゃないですか?

 

そんなことができなくても自分は価値のある存在だと認識することだと思います。

 

 

もっと簡単に言えば、

 

自分のことを好きになるってことだと思います。

 

 

自分のことが好きだから誰から何を言われてもさほど動じないし、落ち込んだとしても回復するのが速いです。

 

この状態を目指しませんか?

 

 

心が弱ってしまったときは自己肯定感も低くなっている状態です。でも、最初から自己肯定感が低い人は少ないと思うんです。あなたにも自己肯定感が高い時期があったと思います。

過去を振り返り、その当時の気持ちを少し思い出してみませんか?

 

相手から傷つくようなことを言われても傷つかない、むしろそれをバネにするような心があなたの中にも眠っていると思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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自己肯定感とは

自分を責めてくる相手には

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外部の影響を受けすぎるのはHSP?生きづらいのは敏感で優しいから。

わたしって気楽なの?「お前は気楽でいいよなー。」と言われたら。

ありのままの自分でいいって本当?こんな自分認められない。

わかってくれていると思っていたのに、わかってくれていなかった

暴力をふるわれても構わない。私は必要とされている。

大切なものが二つ。どちらかを手放さなくてはいけないとき。

人生って選択に迷う場面が多々あると思います。

どちらを選ぶのが正解なのか、どちらを選べば未来の自分がより幸せになれるのか悩みますよね?




人生は常に選択肢の連続で、自分でより良い選択をして、それを積み重ねているとも言われています。選択をすることは日常でもよくあります。というか小さな選択は一日でも数え切れないほどしていると思います。

 

 

ですが、その慣れているはずの選択でさえ、ひどく疲れてしまうものがあります。

 

 

疲れてしまう選択はいくつかありますが、その中の一つに

大切なもののうち一つだけを選ばないといけないとき

があると思います。

 

 

残酷な選択です。両方とも選べたら一番良いのですが、それができないとき、どうしても二つの大切なものの中から、より自分にとっての大切なものを一つ選ばないといけないときがあります。

この選択は本当に苦しいです。

 

本当は両方とも選びたいのに、どちらか一方をあきらめなくてはならないのですから。

 

かといってどちらかを選択しないと、両方とも逃してしまいます。

 

 

兄と妹、父と母、息子と娘、あなたにとって大切な二人が溺れています。あなたが助けることができるのはどちらか一人だけだとします。

 

 

どちらを選びますか??

 

 

理不尽な二択です。

 

どちらかを選ぶことも難しいですが、どちらかを選ばないと、選択を迷っていると二人とも溺れ死んでしまいます。どちらかを選ばないと大切な人を二人とも失ってしまいます。

 

究極の二択ですよね。

 

どちらを選んでも正しいことはないですし、間違っていることもないです。答えのない二択です。

 

どちらかを選んだとしてもあなたは後悔をするでしょう。

 

 

こんな残酷な選択を迫られるときがくるかもしれません。どうすればいいのでしょうか?

 

そんな状況に陥ったとき、まずは確認をしましょう。

本当にどちらか一つしか手に入らないのか、どちらか一つをあきらめないといけないのか、を。

 

ここで両方とも手放さなくてもいい可能性が少しでもあるのなら、その可能性に賭けてみてもいいと思います。もちろん両方手に入れることは簡単ではないでしょうし、それには大きな苦悩が伴うとは思いますが。

まだ両方手放さなくていいと希望は残っています。

 

ただ、この場合も一つ注意が必要です。

 

それは・・・

ボーダーラインを見極めること。





両方とも手に入れることがもうできなくなってしまったのに、それでも両方を手に入れようとすることは良い結果にはならないと思います。

 

「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざがありますよね。

 

【二羽のうさぎを同時に捕まえようとする者は、結局は一羽もうさぎを捕まえられない。】=【欲を出して二つのことうまくやろうとすると、結局はどちらも失敗する。】という意味ですよね?

もうボーダーラインはとっくに超えているのに、希望にすがり両方とも手に入れることに執着してしまうと、両方とも手放さなくてはいけなくなるかもしれません。

 

どこまでなら大丈夫なのか、どこまで行ったらダメなのか、希望と現実の見極めが必要になります。

 

両方手に入れることが無理ならどちらかを選択しないといけません。

 

 

ただ、このことわざもちょっと注意が必要です。

二兎を追う者は一兎をも得ず・・・あたかも一兎だけを追っていたら必ず一兎は捕まえられるというニュアンスですが、現実はそんなに甘くありません。二兎のうち一兎にしぼって必死で追いかけても、その一兎でさえも捕まえられないこともあります。

 

ほんと詐欺ですよね。大切なものの中から一つを選んだのに、それさえ取りこぼしてしまうなんて。

 

そのときは後悔をしてしまうと思います。『自分の選択が間違っていたんじゃないか?』とか、『もう一つのほうを選んでいたらそっちだけでも手に入ったんじゃないか?』とか、あるいは『あっちを選んでいたら両方手に入っていたかもしれない。』と思ってしまいます。

あなたにとって重要なことであればあるほどその傾向は強くなります。

 

 

選択には苦痛や苦悩が伴います。

 

 

本当に大切なものだから。両方を手に入れたいと本音では思っているから。

選べない、選びたくない、比べたくないという気持ちもあるかもしれません。

両方とも自分にとってすごく大切なことで、優先順位なんかつけたくないもしれません。

 

 

どちらを選んでもつらいんです。

 

 

自分にとって最高の答えじゃないから。

それでも、このまま選ばずにいたら両方とも失ってしまいます。

本当に大切ならどちらか一つを選ばなくてはいけません。

 

 

その結果、選んだほうが手に入ればまだいいのですが、両方とも失ってしまう結果になることもあります。

苦しい選択をして、たった一つだけでもと希望にすがりついて、それでも天から見放される。本当に救われないです。

そのときあなたは、とてつもない後悔とそんな選択をした自分を責めてしまうと思います。『まだ可能性があったんじゃないか?』と考えると思います。

 

でもそれは、うまくいかなかったからこそ思うことなんです。

 

あなたはどちらか一つでも守りたい、手放したくないと必死に行動したんです。

今となってはあのときの選択が間違っていたと感じているかもしれませんが、あなたはそのときにできる最善の選択をしていたんです。

 

あなたは全力でがんばっていたんです。

 

 

理不尽なことや思い通りにいかないこと、生きていれば色々と経験すると思います。

挫折しそうになるときもあるでしょうし、全てが終わったと感じるときもあるかもしれません。

それでも人生を真剣に生きている、戦っているあなたを僕は尊敬しています。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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なにかをしようとする気持ちにもなれない。

でもこのままではいけないと焦燥感だけがつのってくる。

 

・・・なのに動けない。

 

こんな体験はありませんか?




しなくてはいけないと思っていても、行動できなくてモジモジ悩んでしまいます。

そんなときはどうすればいいのでしょうか??

 

 

・・・

なにもしなくていいです。

ゆっくりしましょう。

 

 

なにかしなくてはと焦る気持ちはわかりますが、あなたの心は休みたいと訴えています。

いま無理に行動しても余計に心を疲れさせるだけです。

 

あなたの心は休みたいと思っているのですから、身体を無理に動かしてもあなたが思うような結果にはなりません。中途半端なんです。

 

眠たいのを我慢して勉強してもあまり身につかないでしょう?それよりも眠たいときに寝て、スッキリしてから勉強したほうがはかどるでしょう?そのほうが効率がいいとも言われてますしね。

 

ですから、なにかしようとする気力がないときは、

 

なにもしないでください。

 

 

ただ、なにもしないと思っていると焦りが出てくると思うので、考え方を少し変えてください。

 

なにもしないことをがんばってしているんだと思ってください。

 

こじつけですが。

でもこのこじつけをすることが大切なんです。

 

 

焦るなと言われても焦りますよ。

心が弱っていない状態なら思う存分休めると思いますが、心が弱っている状態なら素直に休むことも難しいんですよね。『なにもしていないの休んでばかりなんて・・・』と休むことに罪悪感を感じてしまいます。

 

休むことも苦痛に感じるのに、なにかしようと行動することもできない。

 

ただ時間だけが過ぎて焦りだけは積もっていく。

 

 

こうなってしまうと悪循環なんですよね。

 

 

疲れをとるはずの休むことによって逆に疲れが溜まってしまうなんて、あなたの疲れは溜まってばかりで全然減らないじゃないですか?

一日や二日ならまだいいですが、一週間、一か月、一年とこの状態が続いたら大変ですよね?心も身体もヘトヘトになって倒れてしまいますよ?

 

・・・

でもどうすれば罪悪感を感じることもなく、思う存分休めるのでしょうか?

 

行動としてはなにもしていないので休めるはずなんです。

だけど、身体に気持ちが追い付いていないから、いくら休んでも休んだ気がしないし、純粋に心から休むこともできなくなっているんです。

 

この状態をなんとかしないといけません。

 

まず、『休んでばかりで・・・』と焦燥感を感じている人には、これだけは覚えておいていただきたいのですが、、、

 

「休むことは悪いことじゃない」

 

ということです。



心の調子が悪いときは、休むことが悪いことのように感じてしまいます。

 

『その悪いことをしている自分はさらに悪い人間だ!』と思い込んでしまいます。

 

 

ダメな方、ダメな方へと進んでいますよね?

このまま進んでしまうと今よりももっとしんどい状態になってしまいます。

 

 

だからそうなる前に思い出してみてください。

昔の自分を。

 

罪悪感を感じることもなく、思う存分休めていた自分を。

 

 

心の調子が悪くないときなら休むことによってモチベーションを回復させたり、気分転換になっていたはずです。『休んでしまった自分はダメなやつだ。』なんてイチイチ考えていなかったでしょう?

そのころの感覚を思い出してください。

そして休むことは悪いことじゃないともう一度思い出してください。

 

大体、休まずにいられる人なんかいないですよ??

少しも休まずにいたら死んでしまいますよ?

休むことは生きていくうえで絶対に必要なことなんです。人間だけでなくあらゆる生物が休まなければ生きていけません。

 

だから休むことを否定しないでください。

 

自分は休みすぎているからダメですか?

他の人よりもたくさん休んでいるのに、立ち上がれないからダメですか?

 

でもそれは休みすぎではないと僕は思いますよ。

 

 

だって休みたくないあなたが、
休むことが嫌なあなたが、

それでも休まないといけないほど、
それでも動けないほど、

疲れてしまっているってことですよね?

 

 

疲れているのなら休む。

 

当たり前のことです。

 

だから今は思いっきり休みましょう。

 

やりたいことをやりましょう。

 

 

休むと遅れてしまいますか?

 

大丈夫です。
しっかり休むことによって、あなたならすごい気力が湧いてくると思います。少しくらいの遅れなんか簡単に取り戻せます。

 

あなたは休まずにがんばってきたのですから、疲れたときぐらいはゆっくりしてもいいじゃないですか。休むことによって『こんなにも疲れてたんだなー。』と自覚できると思います。

巻き返しはその後ですればいいんです。あなたなら簡単です。

 

今までがんばってきたあなたにはすごい力が封印されています。休むことによってその封印を解いていきましょう。きっと今のあなたが思っている以上の力があなたの中に眠っていると思います。

 

気力が湧かないのなら、無理せずになにもしないでいましょう。

気力が湧いてきたときに動けばいいんです。

 

あなたなら休んでも必ず良い結果にできます。無駄な時間だったで終わりません。

未来のあなたを信用して、今は回復に専念してみてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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