死ぬ気になればなんでもできる!でも死ぬ気になれない。

「死ぬ気になればなんでもできる!」

「死ぬ気でやればなんでもできる!」

 

皆さん一度は耳にした言葉なんじゃないかと思います。

 

これって本当なんでしょうか?




本当です。死ぬ気になればなんでもできます。できないことなんてありません。

 

 

・・・すみません。

嘘です。

 

死ぬ気になっても自分の能力値以上のことはできません。

 

能力値というか自分のできる範囲内というのが正確でしょうか?

自分の限度を超えてはできません。

 

 

当たり前ですよね。死ぬ気でジャンプをしたからといって、宇宙空間まで跳べることはありません。せいぜい、地面から数十センチ跳べるだけです。身体能力の限界以上はできません。

 

死ぬ気になって好き放題して犯罪もする。できません。捕まるだけです。生きていたら自分は刑務所生活ですし、自殺をしても家族は世間から白い目で見られ続けます。リスクが高すぎることは死ぬ気になってもできません。ストッパーがかかります。

 

 

でもね、死ぬ気になればなんでもできるというのは本当なんです。上の文章と矛盾していますが、死ぬ気になれば本当になんでもできるんです。

 

 

自分のできる範囲内であれば。

 

 

人は皆、選択をしながら生きています。日常生活は選択の連続です。人生を左右するほどの大きな選択はそれほどないと思いますが、小さい選択は毎日、何百、何千、あるいはそれ以上の単位でしていると思います。

朝、目が覚めました。『すぐに起きようか?もう少し布団に入っていようか?』これも選択です。『テレビをつけようか?何の番組を見ようか?』これも選択です。『ごはんから食べようか?おかずから食べようか?』これも選択です。

 

こう考えると選択の量ってすごいと思いませんか?

 

 

歩きはじめるときに『右足から出そうか?左足から出そうか?』というのも選択なんですよ。ほとんどの方が無意識に行っていると思いますが、歩こうと脳に指令を出したときに瞬時に『よし、右足から出そう。』と判断しているんです。右足か左足かを無意識のうちに選択し、行動に移しているんです。

 

無意識レベルまで考えると、生きている間は選択をしない時間はないくらいになってきますよね。

でも、僕たちはその膨大な選択の数があるにも関わらず、それで疲れてしまうことはありません。

 

それは、自分のできる範囲内で当たり前にできる選択だから。

 

リスクもなく、簡単にできるレベルの選択だからです。

 

 

自分のできる範囲内でもリスクが高く、難しいことになると悩みが発生します。リスクが高いからやらない選択をすることも多いと思います。

 

死ぬ気になればそのリスクを緩めることができます。

 

 

自分のできる範囲内でもリスクが高くて『やらない』という選択をしていたものでも、死ぬ気になることができたら『やる!』という選択ができるようになります。

リミッター解除!

限界突破!

無限の可能性!

 

ですね。

まさに自分の限界を超えられます!!

 

 

ただね、この状態はおすすめしません。

良いことばかりではありません。

 

むしろ悪いことの方が多いです。

 

だってあきらかに無理をしている状態ですから。





死ぬ気になってすることは、今まであなたがしてこなかったことを気合を入れてするということです。

気合を入れないとできないことを、『もし死んでしまったとしたら?』と仮定して気合を入れ、無理にしている状態なんです。

 

『やらないと死んでしまうぞ!』と自分を脅している状態なんですね。

 

 

『死ぬ気になれば!』便利な言葉ですよね。リミッターを解除できる魔法の言葉です。でも意味合い的には悪魔の言葉のほうが近いと思います。

 

・・・

「俺も死ぬ気でやっているんだからお前も死ぬ気でやれ!」、「死ぬ気でやっても死なないから死ぬ気でやれ!」と人に強要してくる人もいますよね。ちゃんとしてもらおうと思って相手も言っているのでしょうが、ごめんなさい。

 

 

「死ぬ気でやれ!」と言ってくる人は、一度も本当に死ぬ気でやったことがない人です。

 

「あのとき、死ぬ気でやってなー、大変だった。」と語れる人は死ぬ気でやっていません。

 

 

本当に死ぬ気でやっている人は『自分は死ぬ気でやった。』と満足することはありません。

 

 

だって死んでいないのだから。

やってもやっても絶対足りないんです。

『今日も死ぬ気でやれなかった。なにをやっているんだ。』と自分を責めるだけです。

本当に死ぬ気レベルでやった人は、絶対に自分の行動に満足することはありません。

できたことが99あっても、できなかった1があったら絶対にできなかった1に目がいきます。

 

死ぬ気でやっていればできたことなのだから。

できなかった1は死ぬ気でやれなかったことの証明だから。

 

本当に死ぬ気でやったことがある人は、美談では絶対に語れません。

本当に死ぬ気でやったことがある人は、そのときのことを思い出したくもないです。

 

できなかったことばかりに目がいき、後悔しか残りません。満足なんて絶対しません。

だからもし、「お前は死ぬ気でやっていない。」、「もっと死ぬ気でやれ!」と責めてくる人がいたとしても、死ぬ気になれない自分を責めなくていいです。

 

 

だって、相手も死ぬ気でできていません。

 

 

得意気に言ってきたとしても、その人のほうがあなたより必ずしもがんばっているとは限りません。

むしろ、言われた人のほうが言った人よりもがんばっているケースも少なくありません。

 

でも、言ってくる相手と、言われるあなた、その違いはなんなのでしょうか??

 

自分の解釈の仕方、ようは思い込みです。

 

死ぬ気でがんばっていると思うか、もっと死ぬ気でやらないと思うかの違いです。

 

 

死ぬ気になれないと思っているあなた、自分を責める必要はありません。できないのが普通なんです。

死ぬ気になるのは本当に追い詰められてしまったときだけです。そこまでいかないと死ぬ気にはなれません。『よし、明日から死ぬ気でがんばろう!』・・・できるわけがありません。

 

 

あなたの命は一瞬の決意で賭けられるほど軽いものですか?

 

 

死ぬ気になっても、いいことはありません。

 

 

一時的なブーストアップにすぎません。無理をしているだけだから長くは続かないし、その無理をしている分のしわ寄せがどこかに行きます。

だから死ぬ気になるのは本当に追い詰められたときの最後の手段にとっておきましょう。

 

死ぬ気になれないと嘆いているあなたは、自分に厳しい人じゃないですか?

死ぬ気になれないと思っているかもしれませんが、他の人の『死ぬ気になって』をもう既に実行しているかもしれませんよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

関連記事(一部広告):



自分を責めてくる相手には

心が弱いのは甘えているだけ?本当は誰よりも自分に厳しいあなたに・・・

自分の実力以上の結果を求められたら?死ぬ気で頑張ればいい?

お前はよくやった。十分がんばったと言われても・・・

自分を責めてしまうことをやめられる魔法の言葉

限界?それとも甘えているだけ?

限界を超えてがんばりたいときは

どうしても譲れないものを譲るには?たった一つの方法とは?

もうこれ以上がんばれない。無気力で動けなくなってしまったとき。

助けたいのに助けることができない自分は②