闘い続けることに疲れてしまったら

このサイトを読まれている方は全員、なにかと現在進行形で闘っている方だと思います。

理不尽な出来事、受け入れがたい出来事に対して闘っているのだと思います。

そして今もなにかいい方法はないかと闘いながら模索しているのではないでしょうか?

未来に希望を持てたらいいのですが、やればやるほどドツボにはまり解決の糸口さえみつからない。もっとがんばらないといけないとわかっているのに、思うようにがんばれない。




余計なお世話かもしれませんが・・・

 

あなた、大丈夫ですか?

 

疲れていませんか?

 

・・・
・・・

大丈夫じゃないでしょう?

疲れているでしょう?

 

 

心が疲れてしまっているでしょう?

 

 

心が疲れてしまったら気力が低下します。

気力が低下すると何もやる気がしません。

何もやる気がしないと「なにをやっているんだ!」と自分を攻撃します。

完全に悪循環です。

 

あなたはそんな状態になっていませんか?

 

 

心が疲れたと感じている時点であなたは限界を超えているんです。

しかも目標に向かっていい方向に限界を超えているのならいいのですが、残念ながら苦しい、しんどいと悪い方向への限を超えています。

 

 

そんなこと言われなくても本当は気づいていますよね?

 

けど、気づきたくなくてがんばっている。

 

 

気づいてしまったらがんばれないから。

 

闘えなくなってしまうから。

 

 

そもそもなぜ闘うことになったのでしょう?

 

 

理不尽に負けたくないから。

 

受け入れたくなんかないから。

 

 

そうですよね。

 

 

・・・でも、理不尽に負けてもいいんですよ?受け入れてもいいんですよ?

 

・・・

・・・

そうなりたくないから闘っているのにふざけるなですよね。

 

でも、いいんですよ。負けてしまっても。受け入れてしまっても。

 

 

だって、

受け入れたくないと必死でがんばっているあなた、つらそうですよ?

 

 

これが本当に難しいんですよね。

 

理不尽に負けてしまった方が楽になれる。

 

受け入れたくないけど受け入れることができたら楽になれる。

 

 

そんなこと誰に言われなくてもあなたはわかっています。

 

 

あなたが誰よりも一番わかっています。

 

 

楽になれる選択は目の前にぶら下がっているんです。

馬が目の前に大好物の人参を垂らされているんです。もうよだれダラダラです。今にも人参に飛びかかりたいという欲求があります。

 

でも、それをあなたは選べないんです。

選んでしまったら終わってしまうから。

この理不尽に負けて受け入れてしまったら終わってしまうから。




受け入れられるはずがないですよね?

・・・そうですね。無理です。

 

受け入れたくなんかないですよね?

・・・わかります。

 

受け入れられないですよね?

・・・でもしんどいですね。

 

 

受け入れなくちゃいけないんですかね?

・・・受け入れないといけないんです。

 

終わってしまうんですよ?

・・・終わってしまいますね。

 

受け入れられるわけがない!

・・・でも受け入れないと心が壊れてしまいますよ?

 

 

謎の文章が続きましたが、こんな感じであなたがあなたに自問自答をしてください。いつもやっていることだとは思いますが、あなたは今まで、受け入れるよりもがんばる方向で自問自答をしていたのではないですか?

 

もう無理かな?

・・・無理じゃない。まだできる。

 

今度こそ無理なんじゃ?

・・・まだあきらめる段階じゃない。

 

どうにもならないのかな?

・・・がんばればどうにかなる。

 

 

といった感じで。

 

受け入れるというのはあなたにとって苦しい選択なのだと思います。

 

そうならないように今苦しんで必死で闘っているのに、

ここで受け入れてしまったら、今まで必死で受け入れまいと闘ってきた自分はなんだったんだってなりますよね。

 

 

やるせない気持ちになります。がんばっていたらがんばっていた分だけ反動が大きくなります。

世界を憎むこともあるでしょう。

無力自分が許せないこともあるでしょう。

 

でも、

・・・無駄にはならないんですよ?

 

 

だって、必死で必死でがんばっても、あなたにはどうしようもないことだってわかったんですから。あなたでは今回のことにどんなにがんばっても敵わないとわかったんですから。

 

だから・・・

闘うことはもうやめませんか?

 

疲れ果てていますよ。もう休みませんか?

あなたはもう十分がんばったのではないですか?

がんばりが足りなかったですか?そこまでボロボロになっているのに。

 

まだ自分を許せませんか?

 

・・・

・・・

 

ここで、『そうだな。よくがんばったよな。』と少しでも思った方は闘うことやめてしまいましょう。限界をとっくに超えています。『でも、・・・』と反論が続くかもしれませんが、その反論に強い意志で打ち勝ってください。

 

あなたはがんばったんです。

 

 

今の時点でがんばったという感情が全くない方は、もう少しがんばってみてもいいと思います。やれるだけやったと自分を納得させる段階ではまだないのかもしれません。この時点でやめてしまったら後悔が残るかもしれません。

ただ、そこから先の道を歩くのは今まで以上に厳しい道が待っていると思ってください。

 

心が病気になるまでしてはいけないと人は言いますが、病気になるまでやらないと気が済まないこともあるかと思うんです。

 

そのときがまた厄介なんですよね。自分でも『あ、ヤバイ。』とわかるから。それでもまだその選択を貫きたいときは後ろめたいんです。破滅に向かっている感覚がでてきます。そこが本当に最後のボーダーラインですね。

 

それ以上踏み込んだら心が一度完全に壊れます。

 

 

可能であればその選択はしてほしくはないのですが、それでも闘う選択しかないという方は貫き通してもいいかと思います。貫き通した結果、報われることもありますし、たとえ、心が壊れてしまったとしても、今まで闘ってきたあなたの強い心ならきっと完全復活することができます。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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皆さんは依存症にかかったことはありますか?

薬物依存症、恋愛依存症、アルコール依存症、仕事依存症、ギャンブル依存症、ゲーム依存症などなど、いくつ種類があるのかわからないくらいありますよね?




・・・ところで依存症ってなんですかね?

それを【することが好き】ってことですよね?

 

でも、そんなの誰もが持っている感情でしょう。

 

運動するのが好き。

食べるのが好き。

寝るのが好き。

 

たくさんの好きがあると思います。【マニア】、【オタク】ですね。

 

でも、【マニア】や【オタク】いった表現より【依存】という言葉がつくと悪いことのように感じるのはなぜでしょう?

【依存】に危険なイメージを持っていませんか??

 

【依存】=【中毒】と表現されることもあります。

薬物中毒、恋愛中毒、アルコール中毒、仕事中毒、ギャンブル中毒、ゲーム中毒、・・・

・・・そう、【毒】なんです。

 

好きすぎて【毒】になっているんです。

 

依存症にかかっている方は身体や精神に【毒】が回っている状態なんですね。排除した方がいいでしょう?

 

でも、どうすれば【毒】を取り除けるんでしょうか?

 

そもそもあなたはなぜ依存症になってしまったのでしょうか?

 

そう、、、

好きすぎたからです。

 

尋常じゃないほどそれをすることが好きだったからです。

 

 

【マニア】や【オタク】と書きましたが、その人たちは自分ができる範囲でそのことが好きなんです。

 

勉強マニアは倒れるほど勉強しません。ちゃんと食事や休息をとります。

アニメオタクはアニメのDVDを買うお金がなかったらお金が貯まるまで我慢します。

 

そう自制ができるんです。

自分を客観的に分析し、しっかりした判断ができるんです。

 

 

ですが【依存】はどうでしょう?

 

勉強依存症は周りが止めに入らない限り、食事や休息もとらずにノンストップです。本当に何日も不眠不休でやろうと思えばできます。

アニメ依存症はDVDを買うお金がなかったら万引きを考えます。場合によってはリスク度外視で実行します。

 

 

超えてはいけないレベルを完全に超えています。

 

 

『それがないと生きていけない。』

『なにを犠牲にしてもそれさえあればいい。』

 

これが依存症だと思います。【中毒】ですよね?

 

だから依存症はなるべく治していった方がいいと思います。

 

アルコール依存症になって家庭内暴力をふるっている。お子さん、泣いていませんか?

ギャンブル依存症になって多額の借金。奥さん、必死になって働いていませんか?

仕事依存症になって家に帰らない。あなたを家で待っている人、いませんか?

などなど。

あなたが依存症になってしまって悲しんでいる人を思い浮かべてください。

 

 

そんな人、一人もいないという方は別に無理してやめなくてもいいと思いますよ?

治すのは大変なことですし、それをしている間は自分はすごく幸せなんですから。ただ、続けるのなら、その結果からは何があろうと目をそらさないでくださいね。自分が選んだことに責任を持ってください。(なにかあるように書きましたが、なにも起こらず幸せに人生を謳歌できることも多々あります。)

 

さて、、、もう一度

あなたが依存症になってしまって悲しんでいる人を思い浮かべてください。

・・・

・・・

一人でも思い浮かびましたか?

 

一人でも思い浮かんだのなら治す努力してみませんか?





突然ですが、、、

依存症にかかるのと治すのどちらが難しいでしょうか??

 

・・・

・・・

そう、依存症を治すことの方がはるかに難しいです。

 

『嫌いなものを好きになる』より『好きなものを嫌いになる』ことのほうが難しいでしょう?

 

 

なんでなんでしょうかね??

 

『嫌いなものを好きになる』ことはさほど抵抗なく受け入れられると思うんです。でも『好きなものを嫌いになる』のは少し抵抗があるんですよね。

『嫌いになりたくない。好きなままでいたい。』と。この少しの抵抗が依存症を治すうえでは大きな壁として立ちはだかります。

 

依存症を治そう、治そうとがんばっても語りかけてきます。『嫌いになんかなりたくない!』と邪魔をしてきます。

 

 

そんなときは『別にお前のこと嫌いにならないよ。ただ、もう少しだけ冷静になれる時間を増やしたいんだ。』と自分に語りかけてください。

そう、皆さん、依存症を治そうとして嫌いになろう、嫌いになろうとされますが、別に嫌いになる必要はないんですよ?(本当に害悪しかないものは別ですが…)

 

 

世界で一番好きから世界で一番嫌いにならなくていいんです。

まずは世界で一番好きから世界で三番目に好きを目指しましょう。それができたら五番目、十番目と好きの順位を落としていきましょう。

徐々に。

徐々に。

 

これなら少しできそうな気がしませんか?

順番に順番に落としていって、自分が正確な判断ができているか、周りに迷惑がかかっていないか、悲しんでいる人はいないかを確認していきましょう。そしてそれがクリアできたのなら、そこでストップをしてみましょう。

そこが【中毒】と【マニア】の境界線です。

 

 

まずはそこを目指してみませんか?

嫌いになるのは難しいことだと思いますけど、この状態までならなんとか行けそうな気がしませんか?

 

 

もちろん、この状態にもっていくのにもすごく苦労が伴います。

どんどんどんどん誘惑が押し寄せてきます。

負けそうになってしまうことも多々あると思います。

そんなときは、あなたが依存症を克服しようと思ったきっかけを思い出してください。

 

 

依存症を治そうと思えることって実はすごいことなんですよ。

 

 

依存をしていた方があなた自身は楽なんです。依存をすることによって心のバランスをとっているんです。

依存症だと気づかないふりをしている人も多いのですが、あなたは気づくことができました。

あなたは向き合うことに決めました。

 

きっと大丈夫です。

悲しんでいる人をもう悲しませたくないと思った優しいあなたなら、きっと、依存症から脱出することができます。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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教わるほうは『こいつ、何度も注意してきて面倒くせー。』と感じているかもしれませんが、教えるほうにも悩みはあるんですよね。『どうすれば伝わるんだろう?』『教え方が悪いのかな?』と色々と悩まれている方もいるのではないでしょうか?




はっきり言って・・・

「しんどいです!!」

 

自分のことではなく、人のことで頭を抱え悩んでいるのですから。

自分にゆとりがあればいいですが、自分に余裕がないときは『人のことで悩むほどしんどいことはない』のではないでしょうか?

仕事をしてくれないと自分がしないといけないことが増える(自分にも迷惑がかかる)というのもあるかもしれませんが、それでも自分の余裕がないときに、他人のことで悩むことができるあなたは優しい人だと思いますよ?

 

 

注意をしている相手も真剣に悩んでくれていたら、どうすればよいかお互いに考えあえます。

この場合はこちらもさほど不満はなく、『あいつもがんばっているんだから。』と気持ちを落ち着かせることができます。お互いに提案・検討し、より良い方法を模索していきましょう。

相手も真剣に悩んでいるので、意外とちょっとした助言だけで驚くほど変化することもあるかもしれませんよ?それこそ、周りから見たら【変化】というより【進化】と感じるほどに。

 

そうなってくれたら嬉しいですよね。

でも、うかうかしているとあなた、相手に抜かれちゃうかもしれませんよ?意地を見せてやりましょうね!

 

さて、
ここで終われたらいい話なのですが、世の中そんなに甘くないこともあります。

 

それは・・・

『こっちは真剣に悩んでいるのに、向こうは全然気にもしていない!』といった場合です。

 

この場合が大変ですし、『どうやって仕事を教えればいいんだ。』と悩まれている対象は、こっちの方が多いのではないでしょうか?

そもそも、話し合っても全然変わらなかったから『どうすればいいんだ。』と悩まれているのだと思いますし。まあ、能力的に本当にどうしようもないときもあるのかもしれませんが、大抵の場合は本人の意識の持ちよう、やる気である程度はどうにかなると思います。

 

小学生のピッチャーに「150キロの剛速球を投げろ!」と言っているわけではないでしょう?

できもしないと思っていることで真剣に悩むことはないでしょう?

 

相手ならこのくらいのことはできると思っているのに、それができない(してくれない)から悩んでいるのでしょう?

 

 

してくれない人に少しでもマシになってもらおうと真剣に注意しても「すみません。次から気を付けます。」で右から左に流され、後日同じことを注意するハメになったり。

「ここはこうして、こうやって・・・」と丁寧に教えて「はい。わかりました。」と返事があったのに、いざ実践してもらおうとしたら第一歩から全然違う見当はずれのことをされる。

 

何度かなら許せると思いますがそれが10回、20回、100回、200回となってきたらどうでしょう?

 

 

相手のやる気が見えないですよね?

本人はがんばっているのかもしれませんけど、あなたから見たらがんばっているようには感じませんよね。こちらが変わってもらおうと思って、真剣に悩んで注意をしても、『相手は気にもしていない』『あっけらかんとしている』と感じることもあります。

・・・

そんなときはこう思ってしまうのではないでしょうか?

 

『お前のことなんだぞ!!』と。

 

なんで本人は悩んでなくて、自分は悩まなくてはいけないんだと馬鹿馬鹿しくなると思います。

 

これが悩み、苛立ちの原因だと思います。

 

・・・

・・・

この場合はどうすればいいんでしょう??

 

 

100回言ってもダメなら1000回言ってみる?

ダメです。1000回言っても変わりません。あなたの苛立ちが募るだけです。だって、相手が変わろうと思っていなから。

 

残念ながら相手にとってあなたは『私のことを気にかけてくれる優しい人』ではなく、『調子にのって仕切りたがるお節介野郎』だからです。

あなたの忠告も余計なお世話と感じているからです。

 

 

だからそんなときは・・・

 

あきらめてしまいましょう!





仕事なんだからしっかり働いてもらわないといけませんか?

 

でも残念ながらこの人は、あなたがこれぐらいならできて当然と思っていることでもできない人なんです。

やる気じゃないんです。意識の持ちようではありません。

 

『能力的に無理なんです!』

 

・・・と、思い込んでください。

 

 

だからその人ができない部分は、他の職員でフォローして補ってあげましょう。助けてあげましょう。

だってその人はその仕事に、自分が変わるほどの価値を見出せていないのですから。

相手に変わってくれと望むことはやめましょう。

 

 

相手次第なんです。自分ではどうしようもできません。

 

 

相手が変わろうとしてくるのなら協力してあげたらいいと思います。だけど相手が変わることを望んでいないのに、「いや、お前は変わらないといけないんだ!!」は、干渉しすぎじゃないでしょうか?

相手の人生なんです。あなたが決めることではありません。

 

 

あなたは、相手が心の底から変わりたいと思えるような説得ができますか?

 

相手を変えることは、自分が変わることよりもはるかに難しいことです。相手を変えるよりも自分を変える方がはるかに簡単です。

 

だから相手に変わってもらうことを願うよりも、あなたが変わりましょう。

この人はできない人だとあきらめてしまいましょう。身体的には負担が増えると思いますが、精神的にはかなり負担が軽減されますよ。

 

仕事ができなくてクビになろうが、周りから使えない職員とハブられようが、あなたではないんです。その人が自分で決めたことなのだから、それ以上の干渉は余計なお世話ですよ?

 

タイトル詐欺の内容になってしまいましたが、その人が変わろうと思わない限り、あなたがいくらがんばっても無理です。無駄です。

あなたの方が先にギブアップしてしまいます。

 

他人のためにそこまでやることはないですよ?

 

あなた自身を守るためにもあきらめてしまいましょう。

 

 

それでもどうしてもしっかり働いてもらわないといけないときは、覚悟してください。

 

長期戦です。すぐに変化を期待してはいけません。少しずつ、少しずつ、相手の意識を変えることに目を向けてください。マシになったかなーと思えば、また同じことで注意をしての繰り返しです。

目に見えるような大きな変化ではないかもしれませんが、小さな変化は起こるかもしれません。その小さな変化に気づいたのなら、当たり前のことと思わず、相手に伝えてみてください。「よくやっているね。」と相手に声を掛けてください。

相手は今、しんどい思いをしています。たったそれだけの言葉ですが、その言葉は相手に響くはずです。

 

ただ、あなたが『その人を変えなければいけないんだ。』と気を張り詰めすぎないでくださいね。使命感は持たないでください。

あなたは他人なんですから相手の人生を勝手に背負ってはいけません。『変わってくれたらいいなー。』『変わってくれればラッキー!』ぐらいの気持ちで臨んでください。

あなたは『他人の人生を背負えるほどできた人間ではない』ですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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こんなときってありませんか?

頭ではやらないといけないとわかっているのにできない。やり始めても3分で集中力が途絶え、スマホをイジイジ。あげくには普段はやらない部屋の大掃除へ現実逃避。

なぜなんでしょう??



やりたくないからです。

 

やりたくもないことをやらないといけないからです。

 

大掃除へ現実逃避と書きましたが、あなたの中では答えがでているんですよね。

そんなことをするぐらいなら

 

「大っ嫌いな大掃除でもしているほうがマシだ!!」

・・・

・・・

いや、ほんとにこれなんですよね。

 

 

なんでやらないといけないのに後回しにしてしまうか、やり始めても全然集中できないかは

やりたくないから

なんですよ。

 

だからそんなやりたくないことはやらなくていいですよ。めでたしめでたし。

・・・で終われたら楽なんですけどね。世の中。

 

 

めでたしめでたしで終われないときもあります。

特にプライベートではなく、仕事や学校など社会の一員となっているときは自分の『やりたくないからやらない』を実践するのは難しいことだと思います。

 

やりたくないからといって宿題をしないと、先生に怒られます。

やりたくないからといって受験勉強しないと、志望校に合格できません。

やりたくないからといって練習しないと、試合に勝てません。

やりたくないからといって会議の資料を作成しないと、上司のお叱りを受けます。

やりたくないからといって働かないと、お金は入ってきません。

・・・などなど。

 

 

やりたくないからといって○○しないと、結局あとで自分がひどい目に遭うんですね。

 

 

ある種の強制だと思います。

 

『したくないならしなくてもいいぞ。だけどあとで困るのはお前だぞ。』ってことです。ある意味おどしです。

なら、

やるしかないでしょう。

後で自分が困るのだから。

 

後で自分が困るとわかっているから今、悩んでいるのでしょうね。現在やりたくないけど、そうしないと未来の自分にツケが回ると。

自分が困らないことなら皆さん悩まずにやらないと思いますし。

 

 

でも、なんでやりたくないんでしょうかね?

 

・・・楽しくないから。

 

 

では、なぜ楽しくないのでしょう?

 

・・・『やれ』と強制されるから。

 

 

自分の自発的な行動ではないからやりたくないし、やっても楽しくないんです。

 

 

子どものしつけで教育熱心な親と、のびのび好きなことをさせる親を比べると、のびのび好きなことをさせる親の方が子どもの成績がよく、勉強時間が多いということもあるそうです。

 

なぜだかわかりますか?

 

 

人間って結構、『あまのじゃく』だと思いませんか?

 

「このボタンを押すな!」と命令されたら、ボタンを押してみたくなる自分、いませんか?

逆に「このボタンを押せ!」と命令されたら、ボタンを押したい気持ち遠退きませんか?「なんで俺に言うんだよ。」みたいな感じで。

 

それと同じことが子どもの教育にも言えるんですね。

「勉強しろ」「勉強しろ」で育てたら、反抗力が強く、あまり勉強しない。逆に何も言わないと、自分でやらないといけないことだとわかっているから自主的に勉強する。

そして、イヤイヤやっている状態じゃなく自分がやりたくてやっているから、吸収力が桁違いってことにもなるらしいです。

 

そんなのびのびできる環境だったらいいんですけど、今の皆さんは違いますよね?『これをするのは楽しいなー。』と思ってできる状態じゃないですよね?

自分にとっては嫌いなこと、嫌なことと認識してしまったんですし、強制されずに楽しく取り組んだらいいとはいきません。

 

 

なら、どうすればいいんでしょう??

 

はい。ここからはまたしんどい話です。

 

『しなくちゃいけないんだから、する!!』と覚悟を決めてください。





・・・なんか今、書いていてバンジージャンプを飛ぼうとして躊躇している芸人の映像が頭をかすめましたが、そうなんです。あなたがバンジージャンプを飛ぶところを映像に残したいのだから、あなたが飛ばない限り収録は終わらないんです。

飛ぶしかないでしょう?

あきらめちゃってください。あなたに拒否権はありません。

 

あとはどう飛ぶか、ですね?

決死の覚悟で飛んだのに、「面白くない、もう一度だ。」なんて言われたくないでしょう?

 

『やるからには成功させる!!』と自分を鼓舞してください。

 

 

やりたくもない受験勉強を無理して毎日何時間もしても、試験に合格できなかったら無駄になるでしょう?(がんばったという結果は残りますが。)

やりたいことをやってそれならまだしも、やりたくないことをやって結果がそれって最悪でしょう?

 

 

やりたくもないことをやってあげるんです。

 

 

どうせなら見返りは大きくいきましょう。不合格なんて考えない。受かることだけ考えましょう。受かってやりましょう!

そこがスタートラインです。

 

さて、そこで受かるためにはどうするか、なのですが、まずはやることを習慣づけましょう。

1日、無理をしてでも勉強をしてみましょう。『20時から21時は勉強をする』と時間を決めて取り組むのがより効果的です。そして、1日で終わらずに2日、3日、1週間、2週間、とがんばって続けてみましょう。

途中で何回か『もういいや』と投げ出したくなるときが来ると思いますが、そのときは自分を鼓舞してなんとか乗り切りましょう。

 

この時期は心が無理をしているので一番つらい時期かもしれません。

 

 

1か月まずは続けてみましょう。1か月すると少し変化が現れると思います。

なんと、、、

 

そんなに苦痛じゃないんですね。

 

もちろん、やりたくないことだから大変なんですけど、最初ほどしんどいと感じることがなくなるんです。自分がやることとして日常生活の習慣に入りつつあるんです。

それができたら3か月続けましょう。

 

最初の1か月が続いたら3か月続けるのはそんなに難しいことではありません。むしろ気がついたら3か月続いていたという感覚になるかと思います。

この時点になるとあなたの習慣に入っているはずです。朝起きて新聞を読むことと同じレベルになります。

それどころか、やめてしまうとムズムズします。やり続けるよりもやめてしまうことの方が苦痛になります。

 

ここまで来れたらチャンスです。

 

あなたにとってやりたくないことだったのが、あなたがやらないといけないことになり、あなたがやるべきことに変わります。(なかにはその過程で純粋に楽しみを見つけられることもあると思います。)

ここまで来ると集中力、結構あると思いますよ?

イヤイヤ状態ではないので、吸収力も比較的あると思います。

 

この状態を目指しましょう。この状態までなれると成功率、大幅に上がります。

 

 

やりたくないことを中途半端にがんばってもしんどいだけです。

 

やりたくないことだからこそ、どうせなら、徹底的にがんばってやりましょう!!

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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敷かれたレールの上しか歩くことができない臆病な自分は

敷かれたレールの上を歩いていると感じたことはありませんか?

僕も今ではそんなに感じることも少なくなったのですが、中学や高校、大学あたりではそんなことをよく思っていました。

普通に生活していても毎日毎日同じことの繰り返し。同じ時間に起きて、同じ時間に学校や会社に行って、似たり寄ったりの授業や業務をこなす。『5年後、自分はなにをしているんだろう?』と考えても、いいイメージは湧かず、暗い印象。

このままでいいのかと焦りもあるのに、自分にはどうしようもできないこととあきらめてもいる。今の生活に不満があるのに、その生活を変える勇気もない。




毎日毎日、モヤモヤ、モヤモヤと、なんとなく生活して時間が経っていく。

なにをやってもいまいちスッキリしない。

 

心のどこかがくすぶっている。

 

こんな感じになったことってありませんか?

 

なんでこんなことを感じるのでしょうか?

 

 

自分のやりたいことをやっていないから。

 

本当の自分を押し殺して、やりたくもないことをやっているから。

 

 

あなたは医者の両親に「お前は医者になって私の跡を継ぐんだ。」と言われ続けて育ちました。医学部に合格するために高校生活は勉強に費やしました。

周りの子はゲームセンターやカラオケなどで遊んでいるのに、誘いも断り勉強に打ち込んできました。断ってばかりいたので次第に誘いも少なくなり、付き合いの悪い奴と認識されてしまいました。

 

でもあなたは、本当は勉強なんかしたくなかったんです。

友達と楽しく遊びたかったんです。楽しそうに話をする周囲にあなたは憧れを抱いていました。でも誰もあなたに積極的に話しかけてくれる人はいません。

 

あなたは勉強を続けました。続けるしかなかったんですね。

友達との楽しい高校生活を犠牲にしてまで勉強に力を注いできたのだから、ここで勉強をやめて遊びに走ってしまったらそれこそ何をしてるんだになってしまいます。勉強しか残されていなかったあなたは今まで以上に勉学に力を入れるようになりました。

 

その甲斐もあってあなたは難関大学の名門医学部にストレート合格できました。

両親も「お前ならできると思っていた。」と普段は厳しく育てられてきましたが、そのときは今まで見たこともないくらい喜んでくれました。あなたは両親に褒められ、気持ちが満たされました。

 

さて、大学生活のスタートです。

そこであなたは現実を思い知ります。講義についていけないのです。

周りはそんなに必至に勉強しているようには見えないのに、あなたよりも試験でいい点をとります。自分の方が周りよりも一生懸命勉強していると思うのに、いわゆる『落ちこぼれ組』になってしまいました。

 

高校時代は学年で一番だったのに。

勉強ができない同級生をバカな奴と見下してきたのに。今度は自分がその立場になってしまいました。

あなたのプライドは粉々に打ち砕かれてしまいました。

 

両親に成績のことを打ち明けました。

報告するのは恐怖でしたが、励ましてくれることも心のどこかで期待していました。そこで両親の反応です。「なにをやってるんだお前は。私の子だからできるはずだ。こんな点をとって・・・恥ずかしい。遊んでばかりで努力が足りないんだ!」と言われたらどうでしょう?

 

したいことを我慢してまで頑張ってきたのに、それでもお前の頑張りが足りないと否定されたら?

したくないことだったけど、両親のためにと思って頑張ってきたのに、そんなことを言われたら?

 

そこであなたは自暴自棄にならず、さらに頑張るということを選んでしまいました。

それこそ死ぬほどの努力をしました。大学生活のすべてを勉強に捧げました。

その甲斐もあり卒業時には成績が上位とまではいきませんが、中の上ぐらいにまでなることができました。

違う職業にも興味があったのですが、あなたは医者になりました。

・・・

どうでしょうか?



あなたは幸せだったのでしょうか?

 

敷かれたレールから外れる機会はいくつかあったと思うんです。

 

 

高校時代に友達ともっと遊んでもよかったと思いますし、大学で勉強についていけなくなったときも勉強をやめてもよかったと思います。

卒業して医者になる必要もありませんよね?

 

上の例ではあなたがあきらかに不満がありますよね?もっと他にしたいことがたくさんあったのにできなかった。『両親のせいだ!』って。

 

でも、なんでそうしなかったんでしょう??

 

・・・

そう。う選択をすると『敷かれたレールではないから』です。

 

敷かれたレールに留まるために違う選択はできなかったんです。

 

 

矛盾していますかね?

でも要はこれなんだと思います。

 

敷かれたレールの上を歩くのは嫌だけど、敷かれたレールから外れるのも嫌だ!

 

そう、イヤイヤちゃんです。

 

『両親のせいだ』って書きましたけど、そうじゃないですよね?

ほんとに嫌だったのなら、敷かれたレールから一歩外れればよかったんですから。それをしなかったのはあなたでしょう?

 

あなたが敷かれたレールから出ないことを選んだからでしょう?

 

 

なぜ、敷かれたレールから出ないことを選んだのでしょう??

安全だから。

 

ではないですかね?

 

 

敷かれたレールの上って安全なんですよ。ここにレールがありますよって、この通りにすればあなたは安泰ですよと教えてくれるのですから。

レールから外れると道しるべがないんですね。教えてくれる人もなく、全部自分で切り開いていくしかないんです。

 

 

しんどいですよね?

 

怖いですよね?

 

 

確かにあなたは、敷かれたレールの上しか歩くことができない臆病な人なのかもしれません。冒険しようという精神が安定に負けているのかもしれません。

 

だけどそれがダメなんですか?

 

安定を求めるって賢い選択だと思うんです。冒険に冒険を重ね破滅した生活になってしまうよりは、よっぽど賢くはありませんか?

 

それに敷かれたレールの上しか歩くことができないことは、決して楽な道ではないと思います。つらい思いや困難な局面にも遭遇したでしょう。挫折も味わったかもしれませんね。

そんな楽ではない道を歩いてきたのですから、もう少しその道を誇ってみてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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しなくちゃいけない使命感とやることができなかった罪悪感

皆さんは使命感を抱いたことってありますか?

『私がしなくちゃいけない』、『僕がやらないと』といったものですね。

 

使命感によって自分の役割を認識することができます。




『親だから子どもをちゃんと育てないと』

『自分を選んでくれたのだから妻を幸せにしないと』

『給料をもらっているのだからしっかり働かないと』

『親に心配をかけたくないからテストで100点取らないと』

『チームのエースだから俺が点を取らないと』

 

などなど様々なことで使命感を感じることがあると思います。

 

 

この使命感というのは人生を充実させる重要な要素です。

 

使命感があるからやりがいが生まれ、人生を退屈だと感じることなく生きていけるのです。あるいは退屈だと感じている人生でも、使命感を果たさなくてはと感じるから生きていく力になるのです。

 

使命感、いいことずくめです。

皆さんも使命感を持ちましょう!!

 

 

・・・で終われたらよかったんですけどね。もちろんいいことずくめで終わりません。

落とし穴があります。

それは・・・

使命感を果たせなかったとき

 

自分の使命をやり遂げることができなかったとき。

 

自分の使命をやり遂げることができないとき。

 

 

子どもをちゃんと育てようとしていたのに会えなくなったとき、すててしまったとき、病気や事故で亡くなってしまったとき。

妻を幸せにしないとと思っていたのに、愛想を尽かされ別れを切りだされたとき。

しっかり働こうと思っていたのに、気分が悪くて早退したとき。

テストで100点をとろうとしたのに、90点しかとれなかったとき。

エースの自分が全然点を取れずに、試合に負けてしまったとき。

 

ことの大小はありますが、どれも共通して感じるものがあると思います。

 

自分がしなくてはいけなかったのに、できなかった。

 

自分は無力だ。

 

自分はなんて無力なんだ=無力感

無力の自分は価値がない=無価値観

 

といった感情が芽生えます。

 

無力感・・・自分はなにもできない無力な存在だ。

無価値観・・・自分にはなんの価値もないんだ。

 

思い込んでしまいます。

 

 

この状態はかなり心に厳しいです。心をビシバシ殴られている状態ですね。

 

だから

『無力な自分を許してください。』

『なんの価値もない自分でごめんなさい。』

 

といった感情が生まれます。

 

 

それが罪悪感

 

できなくてごめんなさい。

使命を果たせなくてごめんなさい。

期待に応えられなくてごめんなさい。

助けてあげられなくてごめんなさい。

 

・・・ごめんなさい。・・・ごめんなさい。・・・ごめんなさい。

・・・許してください。

 

 

文章に書くと相当病んでいる人ですが、実際こうじゃないですかね。

私がしなくてはいけなかったのにできなかった。ごめんなさい。・・・どうか私を許してください。

ではないですかね?

 

できなかったことが申し訳ないんですね。そして、無力感や無価値観にさいなまれ苦しい自分がいる。だから許してほしいと感じる。

これが罪悪感だと思います。

 

でもこれって誰に許してほしいんですかね?

 

もちろん相手です。

・・・

では、その相手はしてくれなかったあなたを恨んでいるのでしょうか??





両親にすてられた子ども?

両親がいないことをバネにして立派に成長できるのではないでしょうか?

 

病気や事故で亡くなってしまった子ども?

あなたのお子さんはあなたを恨むようなお子さんだったでしょうか?

 

妻を幸せにできなかった?

別にあなたに幸せにしてほしいと思っていなかったかもしれませんよ?

 

仕事を早退してしまった?

早退なんかするなんて、なんて人間なんだと思う人いるでしょうか?

 

テストで100点とれなくて親に心配をかけた?

100点がとれなくてあなたを嫌いになる親はいますか?

 

点が取れずに試合に負けてしまった?

あなたにはチームメイトはいないのですか?

 

 

もちろん、例外はあると思いますし、そんな簡単な話ではないかもしれません。

ですが、、、

 

罪悪感を持っているあなたに衝撃の事実です。

 

実は・・・

 

あなたが相手に期待していてほしいと思うほど、相手はあなたに期待なんかしていません!!

 

悲しいですけど、、、

 

あなたの気にしすぎです!

 

 

大抵の場合はこれで落ち着くのではないかと思います。

 

悲しいですけど、あなたが気にしているほど、相手はあなたのことを気にしていないと思います。

『もう少し気にしてくれよー。』、『恨んでいてくれよー。』とも思いますが、本気で真剣に恨まれるよりはマシだと思いますよ?

純粋な敵意ほど怖いものはありませんから。

 

しなくちゃいけないと思う使命感は責任感の表れです。

適度な使命感は人生にスパイスを与えてくれます。使命感を果たしていくうちは充実ややりがいも感じるでしょう。

ですが、そこでもし、果たせそうにない使命感を抱いてしまったとき、やろうと努力したけどそれでも届かなかったとき、無力な自分と向き合うことになります。相手の期待に応えられなかったとあなたはひどい罪悪感に襲われます。

 

 

できなかったという罪悪感は、あなたが相手に期待していてほしかったという願望の表れです。

 

 

ひどい言い方をするなら、ぶっちゃけあなたの思い込みにすぎません。

許してほしいし、自分を責めてほしいというあなたの想いです。あなたには期待していたのにと責めてほしいし、責められることによって自分を許してほしいというあなたの勝手な思い込みです。

 

使命感がでるのはその対象があなたにとって大切な人、大事な場所だからです。その大切さゆえに使命を果たせなかったときは、強い罪悪感をあなたは抱いてしまうことになると思います。本当に心が押し潰されそうになることもあると思います。

 

そんなときは、こんな言葉も頭の片隅で思い浮かべていただけたらと思います。

 

『相手はあなたが感じている罪悪感ほどには、あなたのことを恨んでいない。相手にとってはあなたが使命を果たそうが、できなかろうが別にどっちでもいい。気にしているのは自意識過剰なあなただけ。』

 

毒舌ですが。

 

相手があなたにとって大切な人と同じように、相手にとってのあなたは大切な人なんです。

使命を果たそうが、できなかろうが、そんなことは関係ないんです。

そんなことどうでもいいくらいにあなたのことが大切なんですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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・・・いたとしても少数だと思いますよね。




世界は自分の思うように回らないと嘆いている人が多いのではないでしょうか?

 

皆が思い通りにいかない理不尽さを感じ、挫折、失望している・・・

『もっとこうだったら』『あのときああしていれば』と仮定のことばかり考えている・・・

・・・

・・・

というわけではありません。

 

もちろん、うまくいかないことに対してはそういった感情を持つことはあります。

ですが、その感情をずっと継続して持ち続けている人は、あなたが思っているよりも少ないのです。そういった感情を抱くことはあっても、それが持続する人は少数だと思います。

 

なぜでしょう??

 

うまくいかないことを受け入れているから。

 

理不尽を受け入れているから。

 

 

そう。世の中理不尽です。あなたの思い通りにすべてうまくいくことはありません。それを知っているから『まあ、仕方ないか。』で終われるんです。あなたも普段はそれで終われていると思います。

 

財布を落としたとしても『まあ、仕方ないか。』で終われているんです。

 

ただ、今回のことは『まあ、仕方ないか。』で終われないところなんですね。

あなたにとっては『まあ、仕方ないか。』なんて言えないことだったんです。

 

財布を落とした話に戻りますが、その財布は買い物をした後でおつりの小銭しか入っていませんでした。免許証やカードといったものは財布とは別に持ち歩いています。このときはどうでしょう?

わりと皆さんスムーズに『まあ、仕方ないか。』と思うと思いませんか。翌日は引きずっている方もいるかもしれませんが、それが1週間、1か月となったらどうでしょう?1か月たった後でも「財布を落としてしまった。どこにあるんだ。」と必死で探しまわる人は少ないのではないでしょうか?

 

でも、このときの財布があなたの大切な人からのプレゼントだったならどうでしょう?普段プレゼントなんてしてくれない人が自分にくれた、ただ1つのプレゼントであった場合は?あるいはお金をおろしたてで自分にとっては大金が入っていた。免許証やカードなども一緒に紛失しました。

1か月たった後でも「財布を落としてしまった。どこにあるんだ。」と必死で探しまわる人はいるのではないでしょうか?逆に翌日に『まあ、仕方ないか。』で終われる人は少ないのではないでしょうか?

 

 

『まあ、仕方ないか。』という言葉で書きましたが、要はあきらめるんですよね。うまくいかなかった結果でも妥協するんです。

あきらめずにいても仕方がないことだから。ズルズル考えていても時間の無駄です。だから割り切ってあきらめるんです。

 

 

あきらめることによって前に進めるから。

 

 

実際、1か月以上毎日必死になって探しても見つからなかった財布が、落としたままの状態である日突然見つかるなんてことは稀ですよね。それなのに絶対見つかると思い探し続ける。不毛ですよね。

時間の無駄です。

 

・・・

・・・

でも、皆さんは時間を無駄にしているのではないですか?

なぜなんでしょう??

 

 

あきらめられていないから。

 

自分にとって譲れない部分だから、1か月探したところであきらめられるわけがないんです。

それこそ何年も何年も探すことをあきらめないんです。

 

だから苦しいんです。




どうにもならないこととわかっているのに、それでも可能性にかけているから苦しいんです。

 

あきらめたら楽になれるとわかっているのに、あきらめられないから苦しいんです。

 

 

なぜ、あきらめないのでしょうか?

 

負けず嫌いの性格だから?

執着心が強いから?

 

違います。

 

 

あなたにとって大切なことだからあきらめるのが嫌なんです。

 

嫌というか怖いんです。あきらめるのが怖いんです。

 

あきらめるのが怖いとはなんですかね?

 

あきらめる=受け入れる
ということです。

あきらめる希望していた状況にたどり着けなかったことを受け入れる
ということです。

 

受け入れたくないんですね。あきらめたくないんですね。

 

なぜなら

自分にとっては譲れないほど大切なことだから。

 

 

妥協なんかしたくないんです。

 

妥協をしてしまったら、その大切なものの価値が下がるから。

大切だから価値を下げたくないから。

 

 

だから苦しくてもあきらめずに足掻こうとして、もがき疲れます。

 

どうでもいいことだったらこんなにも苦しみません。

 

大切なことだからこんなにも苦しんでしまうんです。

 

苦しいですね。大切ですもんね。

 

 

苦しみに耐えられているうちは、耐えていてもいいと思うんです。そこまで大切なことがあるのは、ある意味幸せなことだと思いますから。

 

ですが、

苦しみに耐えられなくなったら、その大切なものを手放してしまいましょう。

 

大丈夫です。あなたにとって大切なものの価値はそんなことじゃ下がりません。

そんなことくらいで価値が下がる程度の大切さではありません。心配しなくてもレベルが違います。格が違います。

 

あなたの大切なものは、大切なまま価値が下がることはありません。

 

あなたにとって、無意味な存在には絶対になりません。

 

ですから、苦しみに耐えられなくなったときは自分を守るためにも、大切なものを手放すということも検討してみてください。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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才能がない自分は

皆さんは才能の違いってあると思いますか?

僕は悔しいけど才能の違いってあると思います。

新しいことを始めても覚えるのに個人差があったり、自分が何回やってもできないことを説明を聞いただけで一発成功する人もいます。




よく『才能の違いなんかない。微々たるもの。才能よりも努力の方が重要』ってことを耳にしますけど、きれいごとですよね?

才能の違いなんかあってほしくないけど、現実問題として才能の違いはあります。

 

努力で埋められる範囲の違いなら、悩むことなく努力をすればいいだけですが、問題はいくら努力しても埋まらない才能です。

 

人間それぞれ得意不得意って違いますよね?それは経験の違いであったり、それこそ生まれもっての才能の違いであったり。

 

プロ野球のイチロー選手と同じ時間練習すれば、皆がイチロー選手になれるかといったら違いますよね。同じ時間練習、あるいはそれ以上の時間練習してもイチロー選手みたいに活躍できる人って、それこそほんの一握りでしょう。

もちろんイチロー選手も常識を外れるほどの努力で、それこそ誰もマネできないほどの練習量で今の結果を残していると思います。

ですが、言ってしまえば、元々才能のあるイチロー選手が、才能におごることなく必死で努力を積み重ねたから今の地位までいけたわけで、他の人が努力をしたからってそこまで届かないと思うんです。イチロー選手だったからたどり着いた場所ですね。

 

・・・

これってやっぱり才能の違いでしょう??

 

 

少なくとも僕だったらイチロー選手の3倍練習をしたとしてもプロ野球選手にもなれないと思います。5倍、10倍の練習ができれば別ですが、現実として1日は皆24時間です。僕だけ1日100時間にするなんて無理なんです。

 

よく成功者が「努力をすれば誰でもできる!」、「自分もできたんだ。」、「才能の違いなんかない!努力の違いだ!」、「成功したいなら死ぬ気で努力をすればいい。」みたいなことを言いますよね?

「この世界は努力次第でどうにでもなるよ。素晴らしい世界だ。」と成功談を踏まえて教えてくれます。

 

このおかげで小さい子どもは夢を追いかけることができるし、大人でも望みを捨てずに生きていられるんです。絶望だけでは生きていけません。希望があるからこそ生きていけます。

『努力に勝るものなし!』です。

ありがたいことですよね。

 

・・・

でもこれって、ちょっと違いますよね?

たしかに成功した人は才能のことなんか考えずに、あるいは才能がない自分に気づかないふりをして一心不乱に努力をしたんでしょう。そしてその結果、その努力は報われたのでしょう。

 

そう、

 

結果として報われたから言えるんです。

 

成功したから言えるんです。





失敗していたら、それこそ自分のすべてをかけて努力したのに思い描いた場所にたどり着けなかったら、そんなことは言えません。自分ではどうにもならないんだと無力感や自己嫌悪に襲われます。

 

結果をだすことができた極一部の人だから、努力をすれば何でもできると言えるんです。同じ量の努力をしても失敗している人がたくさんいるのに。あるいは成功する人よりも失敗する人の方が多いかもしれないのに。

 

・・・なんか努力批判みたいな内容になってしまいましたが、努力することって大切だと思うんです。

 

自分には才能がないとわかる。

才能がないならあきらめてしまってもいいと思うんですよ。才能がない自分を受け入れるですね。受け入れられたら疲れることもなく、焦燥感もなく穏やかに生活できますし。

受け入れられずに足掻くからこそ、自分が持っていない才能を持っている人に妬みを感じるわけですし。

 

 

でもあなたは、才能がない自分をなかなか受け入れられないんでしょうね。

 

だから、なんとかしようとがんばって、疲れているのですよね。

 

 

そのがんばりは絶対に無駄じゃありませんよ。絶対にあなたの糧になります。

全てにおいて才能がない人なんて絶対いません。

あなたには今回の才能はなかったかもしれませんが、違う才能は絶対に持っています。

あなたの持っている才能に今回の努力が結びつくこともあるかもしれません。

 

 

たとえ才能がなくても、努力次第である一定ラインまでは必ずいけます。才能に胡坐をかいている人には絶対に負けません。

ですが、そこから上を目指すなら才能の壁は確かにあるのではないでしょうか?才能のある人に努力をされたら正直、凡人の僕らでは歯が立たないですよね。反則ですよ。

 

 

それでも、そこから上を目指すなら覚悟してくださいね。

 

お互い全力疾走だからこそドンドンドンドン引き離されます。

 

周回遅れになることもあります。自分に才能があればと嘆く機会も増えるでしょう。苦しい戦いになります。

それでも才能の壁に挑むなら、カナヅチでトントンじゃキリがないですよ。バズーカでも持っていって派手にいきましょう。才能の壁、ドカーンと破壊しちゃってください。

 

大丈夫。あなたならできますよ。

 

だってあなたは努力する才能が、普通の人よりもあるのですから。

 

努力が才能に勝ること、教えてください。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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泣きたいときは

生きていたらつらいとき、悲しいとき、泣きたいときってあるかなーと思います。

泣きたい理由が明白なときと、不意に泣きたくなるときもあるかと思います。

そんなときはどうすればいいんでしょう?




・・・

泣けばいいんですよ。

 

気が済むまで。

 

『泣いて泣いて泣きまくれ!!』です。

 

我慢しなくていいんですよ?

 

だってあなたは泣きたいと感じているのですから。

 

子どもの頃に泣くなと躾けられてきたと思いますが、泣くのは悪いことじゃありません。

そりゃー、30歳のいい大人が、転んですりむいてわんわんと子どものように泣くのはどうかと思いますが。

 

 

・・・

そんな状況ではないでしょう?

言い方は悪いですが、そんなくだらないことであなたは泣きたくなっていないでしょう?

あなたには、あなたの泣きたくなる理由があるでしょう?

 

なら、

泣きたいときは泣いてください。

 

 

これでもかってくらい。

もうこれ以上涙出ないよってくらい。

涙が枯れるまで。

 

 

実際、この泣くことってすごく大切なことだと思うんです。

泣くことによって『悲しい』、『つらい』、『痛い』、『苦しい』と自分の感情を知ることができるんですから。

泣かずに我慢してしまうと自分が悲しんでいるのか、つらいと思っているのかわからなくなることもあるんです。

 

そして自分がどう思っているかわからなくなるから迷いが生まれてしまいます。迷っているときは心が疲れてしまいます。

 

自分の感情に気づくだけでも少しスッキリします。

 

悲しい気持ちを『ああ、自分は悲しいんだ。』と思うだけでも心が軽くなるんです。

 

逆に泣かずに溜め込んでしまうと次にまわしてしまうんですね。

モヤモヤした気持ちがスッキリせず、次の機会に上積みとなって襲いかかってきます。そのときは今よりも泣きたい気分になって。

 

我慢をすればするほど後に溜まっていきます。

 

そのときは我慢できてもまたすぐに限界値になります。ストレスと同じでね。我慢すればするほど溜まってしまい、自分に悪影響を与えてしまいます。

心にゆとりがなくなってしまうんですね。周りに当たり散らしてしまうこともあるかもしれません。



だから無理に泣くのを我慢するよりは、泣いたほうがいいと思います。

 

 

別に泣きたくもないのに無理して泣く必要はありませんが、泣きたいなーと感じたら素直に泣いたほうが早く前に進めます。

よく『泣いてばかりじゃ前に進めない』という言葉を耳にしますが、あれって違うと思うんですよ。

 

 

本当につらいときって泣かないと前に進めません。

 

 

毎日、何回も何回も泣いて泣きまくって、泣くのにも疲れ果てて、それでもまだ涙がこぼれてくる。これを何回も繰り返すことでようやくほんの少し前が見えるんです。

 

泣いてばかりじゃダメという人は、本当の悲しみを知らないのではないかと思います。泣きたいときもあるけど我慢するという人は、言い方は悪いですけど、所詮そこまでの悲しみしか知らないんです。我慢できる範囲の悲しみしか。

 

心が弱って本当に泣きたいときは我慢できるものではありません。

 

 

ブクブクと沸騰したお湯に腕を突っ込んだまま「全然熱くないよ。」と笑顔で言える人いないでしょう?脳からすぐに警告が出て腕を引っこ抜くでしょう?考える間もなく反射してしまいますよね?そのまま入れてたら大やけどですしね。

それと同じなんですよ。

 

今泣くのを我慢している人は、沸騰したお湯に手を突っ込んで我慢している人たちなんです。常識で考えてあり得ない状況ですが、『それでも泣いてはダメだ。』、『我慢しなくてはいけないんだ。』とがんばっている人たちなんです。

 

がんばりすぎですよ?

 

あなたはもう十分がんばってきたのではないですか?

 

 

もう、泣いてもいいんですよ?

 

 

泣くことによって前に進むことができます。気持ちをリセットというか、整理ができます。

 

だから泣いてしまうことを恥ずかしがらないで。嫌わないで。

 

あなたは十分がんばってきましたよ。

 

だからどうか今だけは、また前に進むためにも気持ちに素直になって泣いてみてください。泣いてスッキリしたあなたなら幸せを掴みとることができます。

泣くことを恐れないでくださいね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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泣くのは恥ずかしいこと?すぐに泣いてしまう自分が情けない。

心が弱ってしまうのは弱い人間だから?

わたしって気楽なの?「お前は楽でいいよなー。」と言われたら。

もうダメだ。終わってしまったと思ったら。

大切な人を失ったとき

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しんどい恋愛をやめるには

しんどい恋愛を皆さんは経験したことがあるでしょうか?

恋愛とは本来、楽しいもの。わくわくするもの。相手のことを思いドキドキするもの。

 

なのになぜ、しんどいと感じてしまうのでしょうか?



あなたが無理をしているからです。

 

あなたが無理をして、がんばってしまっているからです。

 

・・・

どうして無理をしてしまうのでしょうか??

 

相手に好かれたいから。

相手のことが大切だから。

自分のことを気に入って欲しいから。

もっともっと好かれたいから

 

ですよね?

誰もが少なからず持っている感情でしょう。

 

好きな相手には、自分を好きになってほしい。

 

好きな相手には、自分を嫌わないでいてほしい。

 

 

誰もが持っている感情でしょう。あなたのことが大切だから嫌われたくない、好きでいてほしいと。

 

でも、

 

あなたの場合はこの感情が人より強いのかもしれません。

この感情がしんどい原因を作ります。

 

しんどい理由。

それは・・・

相手に合わせすぎているから。

 

 

嫌われたくないと相手の願うような言動をするんですよね。自分を押し殺してまで。

好かれたいと過剰な言動をするんですよね。疲れているのに。

 

一度や二度ではさほど心に影響を与えませんが、それが何度も何度も繰り返すうちに心が『しんどいなー。』と感じるようになります。

 

だって無理をしているから。

 

本当のあなたを出せていないから。

 

 

あなたの恋愛の相手は

生まれて初めて私が好きになった人

生まれて初めて私を好きになってくれた人

今までの彼女の中で一番かわいい人

付き合ってきた男の中で一番かっこいい人

 

などなど、あなたにとって特別な相手なのかもしれませんね。

 

あなたにとってはその恋愛相手は【特別】なんですよね。

 

落ち込んでいる電話をしたらすぐに駆けつけ慰めてくれた彼。
8人との交際経験がありましたが、今までの男は電話をしても鬱陶しがられて相手にしてくれませんでした。『私にこんなにやさしくしてくれる男はほかにいない!彼だけだ!!』彼は【特別】です。

35歳にして初めて彼女ができました。
生まれて初めて告白を受け入れてくれました。モテない自分とは裏腹に彼女は美人で男性からもよく声をかけられます。社交性もあり、よくモテます。『僕みたいな男が彼女と付き合えるなんて夢みたいだ。大切にしよう。彼女以上の女性は二度と現れない!』彼女は【特別】です。

 

そんな特別な恋人だから、つい力が入っちゃうんですよね。

『自分にとってこれ以上の相手はいない。だから嫌われるような真似は絶対できない。』と。

他の人と接しているように普通の状態で付き合えないんです。

 

 

あなたにとっては今の付き合っている状態が奇跡だから。幸せだから。少しでもこの奇跡を維持したいと考えるんですね。

 

だから相手に合わせて相手のいいように行動します。

 

相手を怒らせるような言葉を発しません。

相手が会いたいと言えば、こちらの大事な予定でもキャンセルをして相手を優先させます。

相手に嫌われないように逐一自分の言動に気を遣います。

相手が不機嫌になったら、自分の対応がまずかったんだと後悔し、落ち込みます

・・・

・・・
・・・

『もう少し肩の力を抜けよ。』

・・・
ですよね。




でもこれって他人だから言えることなんですよ。

僕も相談を受けたときは「他にもいい人はたくさんいるよ?」といったありきたりなことしか言えないんですが、これは僕が当事者ではなく、他人だから言えるんです。

 

実際にあなたの立場、当事者になってしまったら「なんだよ、あんな女。やめとけ、やめとけ。他にもっといい女がたくさんいるだろ?」とはなかなか言えません。だって彼女は特別だから。

自分にとっては彼女しかいないのです。いくら周りから反対されても、彼女は自分にとって特別だから。あっさり次の恋に進もうとは思えないんですね。

 

相談をしている時点であなたは、自分が疲れていることを自覚しています。このままじゃダメだということも意識しています。同じような状況の人から相談を受けたら「やめといたほうがいいよ。」と言うでしょう。

 

でも肝心の自分にはできないんです。

 

 

そもそもしんどい恋愛を続けるのはものすごくしんどいんですよ。

(アホな文章ですが。)

相談を受けた相手が考えている以上に悩み、葛藤し、もがき苦しんでいるんです。

 

『肩の力を抜け?』

そんな簡単に力が抜けるならこんなに悩んでねーよ!

 

『もっといい人が?』

彼(彼女)のことよく知りもしないのにほざくな!

 

 

ですよね。現実は。

『その選択を選ぶことができないから悩んでいるのに。』ですよね?

しんどい恋愛を続けるのは理屈じゃないんですよね。しんどいからやめようで終われていたら悩みなんかないでしょう?

 

しんどいからやめようで終われなかったからこそ、こんなに疲れているのに。

 

 

でもこれって愛情の大きさもあらわしていると思いませんか?自分がしんどい思いをして苦しんでいてもまだ、相手のことが嫌いになれないんですよ?好きなんですよ?

独占欲とか執着といった言葉で表現されがちですが、その状態は決して楽しい状態ではありません。むしろ苦しいです。

 

それなのに、そんな状態を続けられるほど、そこまで人を愛せることはあなたの立派な才能だと思います。

 

だからもう少しだけ自分に自信をもちましょう。

彼(彼女)のことをもう少しだけ信じてみましょう。

 

あなたも相手にとっての【特別】であることを。

 

 

しんどい恋愛は続きません。

 

仮に結婚できても待っているのは幸せな生活ではありません。あなたが窮屈な生活です。

悩んでいる今がチャンスです。まだ修正できます。

 

『肩の力を抜くことができない?』

あなたはそれ以上に大変なことをいくつも乗り越えてきたでしょう?肩の力を抜くくらいあなたにとっては朝飯前ですよ!

あなただからできないんじゃないんです。

あなただからできるんです!

 

 

肩の力を抜くことができないと、いずれは別れの選択をしないといけないと思います。そうじゃないとあなたが壊れてしまいます。

あなたを守れるのはあなただけです。別れの最終決断はあなたが覚悟をもってしてください。他人に任せては後悔しますよ?

 

別れたくないのなら、そうなる前に少し肩の力を抜きましょう。しんどい恋愛は続けてはいけないみたいな書き方をしましたが、その相手と幸せになりたいならしんどい恋愛じゃなくなればいいんです。

 

肩の力を抜くのは本当に難しいことですか?

 

別れを考えるよりも簡単ではないですか?

 

大丈夫。あなたは数々の試練に打ち勝ってきました。

好きな人の前で肩の力を抜くなんてあなたなら簡単です。あなたならできて当然です。あなたの大きな愛情で相手を幸せに包みこんでください。

 

あなたならできます。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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