重たい心を軽くするには

生きていたら思い通りにいかないこと、苦しいこと、つらいことに必ず遭遇します。

ひどく落ち込んでしまうこともありますし、『もう生きている意味がない。』『生きているのがつらい。』と思うこともあるでしょう。

そんなときは心の負担が大きくなりすぎている状態です。心に重しがたくさんのっかっている状態です。




組体操のピラミッドを想像していただいたらわかりやすいですかね?

6段ピラミッド。その一番下のど真ん中があなたの位置です。あなたは平均的な体重ですが、上にのってくる人は皆100キロオーバーの人たちです。一番下の段の人たちが一番体重が軽く、その上にお相撲さんが何人ものっているピラミッドを想像してください。

 

無理でしょう??

 

もう見た目からして無理ですよね。あきらかにすぐにつぶれるとわかります。

速く降りてもらわないとつぶれて怪我をするか、下手をしたら死んでしまいますよね?

 

そんな状況に今、あなたの心はいるのかもしれません。

 

そんな状況なのに今、あなたの心はまだ必死で重りを支えているのかもしれません。

 

 

ええ、あなたの心は今、必死に戦っているんです。

 

 

すごく勇敢ですよね。

 

 

心が重いときは『こんなことぐらいで落ち込むなんて・・・』とか『なんで自分は・・・』といった風に自分を責めている状態です。

『なんでもっとしないんだ!?』、『なんでもっとがんばれないんだ!?』ともっと心にがんばってほしいと思っています。

 

でも、

あなたの心はもう十分にがんばっていますよ?

 

 

ピラミッドの例え、無謀だと思ったでしょう??

でも、あなたの心はそんな無謀な状況でも、絶対にピラミッドを崩さないと決意し、必死に耐えているんですよ?

 

それを『悲鳴を上げるな!』、『腕が曲がってきてるぞ!もっとしっかり肘を伸ばせ!!』はやりすぎではないですか?

それどころか、『いつまで一番下で耐えている?もっと力を入れて立ち上がってピラミッドを崩してしまえ!』と心に命令しているのかもしれません。

 

だけど物理的に無理ですよね?

 

今でさえ必死で耐えている状態なのに、もっと力を入れて吹き飛ばせなんて。火事場のバカ力を起こせばできると勘違いしている人もいますが、違います。

必死に耐えている状態で既に火事場のバカ力を使っているんです。

その力を利用しても耐えることだけで精一杯なんです。

 

 

あなたは、

あなたの心は、

もう十分にがんばっています。

 

 

・・・

だからそれを認めてやってくれませんか?

 

 

『他の人はもっとやっている。できないのは自分だけだ。』、『自分だけこんなに心が弱くて情けない。』といった思いがあるかもしれませんが、それを考えるのはやめましょう。

だってあなたはあなた以外にいないんだから。

当たり前のことですけどね。

 

世界の人口が70億人とも言われていますけど、あなたと全く同じ容姿の人はあなた以外にいません。それと同じであなたと全く同じ性格の人もあなた以外に一人もいません。

みんな違うんです。

 

 

それなのに、『他の人は・・・』と考えるのは無駄でしょう?

 

 

あなたはあなたでしかないのだから。

 

 

他の人にはなれないのだから。

 

 

あなただからこんなことで心が重くなっているのかもしれないですし、あなただからここまでがんばれたのかもしれません。『他の人だったら・・・』と仮定をしても意味がありません。あなたは他の人ではないんです。

 

あなたはあなたです。





まずはそれを自覚してください。

 

他の人は関係ない、自分の気持ちがすべてということを意識してください。

 

それだけでも重く苦しんで強いる心は軽くなります。

 

 

意識を周囲から自分に向けるだけなんです。それだけで心は『あ、気づいてくれた。』と軽くなります。心はいつも不安で一人で戦っていたんですね。

わかってほしかったけど、誰も理解者がいなくて戦っていたんです。

 

あなたが心の理解者になってあげてください。

 

心がどれだけがんばってきたのかを知ろうとしてください。理解者がいるだけで精神的な負担は全然違いますよね?

心も同じなんです。心も理解者が欲しいと思っています。

 

あなたなら心の理解者になれます!

 

というか、

あなたしか心の理解者になれません。

 

 

あなたの心は重しをたくさん背負って、それでも潰れまいとがんばってきました。本当に気の毒に思えるほどがんばってきました。

だから、もう少し心に優しくしてあげてほしいんです。

 

できないと落ち込んでいる心がいたら「できなくてもいいんだよ。」と語り掛けてください。

情けないと泣いている心がいたら「情けなくないよ。」と伝えてあげてください。

 

 

あなたが認めてあげるだけでも心は救われるんです。

 

 

少しずつでいいんです。急にすべての重しを取り除こうとしたら大変ですし、力もいります。

重しを抱えた生活に慣れてしまい、重しがのっていないと不安になることもあります。

うまくできなくて途中で『もうどうでもいいや。』と自暴自棄になってしまうこともあります。

 

でもそれは当然のことなんですよ。

 

今までがんばってきたんですから。

 

 

ですから急にすべての重りをとろうと思わなくてもいいんです。少しずつ少しずつ、ひとつずつひとつずつ、徐々にとっていけばいいんです。

急に全部をとらないといけないと思ってしまうと、それがまた心の重みとしてのっかってきます。人間って生き物は複雑ですね。

 

心を一度に軽くすることは難しいです。だから慌てないでください。『心が重い。早く軽くしないと!』と気を張らないでください。気を張るとそれがプレッシャーになってしまいます。できなくてもいいと軽い気持ちでいてください。

 

『できなくてもいい。』『少しずつでいい。』という軽い気持ちが、将来あなたの心を軽くしてくれると思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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助けたいのに助けることができない自分は②

前回『助けたいのに助けることができない自分は』で書きましたが、今回は後半戦です。

前回の内容で納得して終われたらいいんですけどね。なかなか納得できるものでもないと思います。

そもそもあんなことは誰に言われるまでもなく、あなたは知っていますよね?




今悩んでいるのは『そんなことはわかってる!それでも、溺れてでも助けたいのに、助けられないから悩んでいるんだ!』といった方も多いのではないのでしょうか?

 

理屈ではない・・・というか理屈よりも感情が勝っているから困っているのではないですか?

 

あなたにとって大切な人であればあるほどその傾向は強くなります。

 

叔父や叔母より父や母のほうを助けたいと思うでしょう?
姪っ子や甥っ子よりも娘や息子のほうを助けたいと思うでしょう?

本当に自分が溺れて死んでも、相手が助かるならそれでいいと掛け値なしに思えることもあります。

 

この状態になってしまうと本当に苦しいです。自分の限界はもうとっくに超えているのに、それでも助けられる糸口さえ見つからない。ずっと暗闇の中で必死に明かりを探して模索しています。

 

この状態を続けると心が病んでしまうこともあります。

 

これの解決方法は人によって違うと思います。

 

 

①自分が泳げるようになって助ける。

これができたらあなたは大満足でしょうね。これを目指して皆さん動いていると思いますし。

ただ、これの致命的な欠点は、すぐには泳げるようにならないということです。

時間制限があるときもありますし、いくら必死に練習しても泳げないまま終わってしまうことも多々あります。少し練習したら泳げるようになるほど簡単なことなら、あなたなら既に相手を助けきっているはずですしね。

そんなあなたでも助けることができないほど、今回のことは難しいことなのでしょう。あなたじゃなかったらあきらめているというか、最初から無謀だからと挑戦すらしないことかもしれません。

 

②自分では助けられないとあきらめる。

いつもあなたがやっていることですね。

人類すべてを助けたいとは思っていないでしょう?助けられないのを無理してまで助けようとしていないでしょう?

ただそれを、大切な人を相手にしてするのが本当に難しいです。助けなくてもいいと思えれば一番ですが、罪悪感無力感はしばらく付きまとうかもしれません。

 

③一緒に溺れる。

一番ダメなやつです。

溺れている人を助けようとして隣で一緒に溺れてしまう。最終的には溺れ死んでしまうこともあります。二人仲良くの場合もあれば、あなたのほうが先に逝ってしまうこともあります。

あなたも相手も報われません。こんな状態は全員が避けようと思うはずです。

ですが、避けられないときが来るかもしれません。自分でも助けられないとわかっていても突き進みたいとき、行かなければいけないときが来るかもしれません。




最初からあなたが泳げるなら全然問題はないのですが、泳げなかった場合は①を皆が目指します。①で泳げない状態が続くと②か③を選ばなくてはいけなくなります。

あなたにとって特別の人でなかったら②を選ぶと思います。

でも、相手があなたにとって特別な人だったら③を選んでしまうこともあると思います。

 

人間は自分を一番大切にしないといけない、だから③を選んではいけないと言うのは簡単です。

でも理屈じゃないときもあります。自分がどうなっても相手さえ助かればいいと思うときが。

 

自己犠牲ですね。自分は聖人君子でもないけど、自己犠牲をしてでも助けたい相手、一人は思い浮かぶのではないでしょうか?

 

 

そのときはあなたの想いでは止まることができません。

 

心が頭を凌駕します。

この状態は危険です。

 

あなたは破滅に向かっていますし、それも覚悟しています。止まることはできません。

 

 

・・・ですから、相手の力を借りましょう!

 

 

相手はあなたと一緒に溺れたいと思っているでしょうか??

 

思っていないですよね?

 

それどころか『なんで一緒になって溺れてるの?泳げないのなら助けになんか来ないでよ!』とか『二人で溺れていたら救助が来たとき、私のほうが救助が後回しになるかもしれないじゃない!私のほうが先に溺れていたんだから邪魔しないで!』とも思っているかもしれませんよ?ちょっと性格が悪く思えるかもしれませんが、生きるか死ぬかの瀬戸際なら、こう思ってしまうこともあるのではないでしょうか?

 

さらに最悪なのは相手だけが助かってあなたが死んでしまうことです。

あなたは相手を助けることができて満足で力尽きたらいいかもしれませんが、助けられた相手はどうでしょう?

相手があなたにとって特別な人なら、あなたも相手にとって特別な人なのではないですか?

 

そんな特別な人が自分を助けた後で満足気に死んでいかれたら、、、困るでしょう?

 

 

相手は一生心に傷が残りますよ?

 

 

あなたが今感じている何倍もの罪悪感や無力感を、特別な人にずっと味あわせることになるんですよ?

 

 

助けるというよりそれはもはや復讐です。本末転倒です。誰も得しません。

幸せになるのは自己満足で逝ったあなただけ。

 

それも踏まえた上で②か③を選んでいただけたらと思います。ここまで来たら理屈じゃないことも多いですし、③を選ぶことも悪いことではありません。

ただ、③を選んだときは、相手を不幸にしてしまうかもしれないということは覚悟しておかなければいけません。

 

 

相手を不幸にしたくないのならまず、あなたが無事であることが絶対条件です。

 

 

助けたいと思うならまず、自分の安全を確保してください。自己満足で助けられても相手にとってはいい迷惑です。

相手の幸せを願えるあなたならきっと、お互いが不幸にならない道を見つけられるはずです。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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無力感から抜け出す方法

助けたいのに助けることができない自分は

誰かを助けたいと思ったことはありますか?

あなたにとって大切な人であったり、街で見かけた見ず知らずの困っている人であったり、はたまたテレビで見るだけの赤の他人であったりと、対象はまちまちです。

助けたいと思う精神は素晴らしいと思います。

助けたいと思うことができるあなたは、相手の痛みを理解することができる優しい人です。




助けたい人を助けてお互い幸せになる。素敵なことだと思います。助けるほうも満足しますし、助けられたほうも感謝すると思います。

 

でも現実はそんなに甘い話ばかりではありません。

 

助けたいを続けていくと必ず、自分では助けられない場面がでてきます。

 

 

完璧な人間なんていないので、自分の手には負えない状況というのにいつの日かでくわしてしまいます。

そのときに自分には無理だと簡単にあきらめられたらいいのですが、そうでなかったときは負の感情にとらわれてしまいます。

 

助けることができない自分に罪悪感、嫌悪感、無力感、といった感情がまとめてのしかかってきます。どれか一つだけでも苦しい感情が、束になってあなたにのしかかってきます。

心の負担になり、心が疲れてしまいます。

 

負の感情にとらわれてしまったときは、できていることに目がいきません。できていないこと、できなかったことにばかり目がいってしまい、自分の無力さに打ちのめされてしまいます。

この状態は自分に対する正当な評価もできなくなり、自分のことを過小評価してしまいます。自信をなくしてしまうんですね。

 

・・・

では、どうすればいいのでしょうか??

 

 

「助けなくていいです!!」

 

 

シンプルですよね。この一言です。

 

助けられないなら助ける必要はありません。

 

あなたが無理をしてまで、苦しんでまで、助けなくていいです。

 

 

助けられないのなら助けなくていい。当たり前のことですよね?そうやってあなたは今まで生活してきたでしょうし、なにも特別なことではないと思います。

 

テレビで海外の貧困にあえいでいる子どもの映像を見て、借金までして寄付をしましたか?『あの国の現状ではダメだ。私があの国を変えてやる!』と本気で思い、行動したことはありますか?

 

ないですよね??

それと同じです。

あなたにはその人を助ける使命も義務も責任もありません。

 

 

というか、そもそも、

 

あなたにその人を助ける力はありません。

 

 

その人を助けることができると思っているのならあなたの過信です。あなたにはそんな力はありません。

人を助けきるというのはそんなに簡単なことではありません。

それなのに助けられないと悩むのは傲慢です。




僕もこんなブログを書いていますが、本気であなたを助けられるとは思っていません。もちろん助けることができたら一番ですが、僕よりもずっと深い悩みを長年抱えている人もたくさんいますしね。僕が書いた内容に共感できた人の心をほんの一瞬だけでも軽くすることができればとは思っていますけど。

 

このブログを読んであなたは助かってくださいと言われても困るでしょ?

 

助けたいけど助けられないときはあきらめてください。

 

それしか方法はありません。

 

別にあなたが助ける必要もないし、助けなくても罪はありません。

 

溺れている人を泳げないあなたが助けに行っても一緒に溺れるだけ。要救助者が二人になるだけです。

 

 

気持ちだけでは助けられません。

夢のない話ですが。

 

助けるには力が必要です。

 

ですが、今のあなたには残念ながらその力はありません。

下手したら一緒に溺れて死んでしまいます。そんなことになったら悲しむ人もいるでしょう?

 

あなたが泳げないのなら泳げる人に任せましょう。

助けられる部分だけ無理せずに助けてあげたらいいです。

 

あなたにできることで助けてあげたらいいんです。

 

 

あなたにできないことは助けなくていいんです。

 

 

優しいあなた、助けたいと思うことは悪いことではありません。苦しい思いをしたかもしれませんが、それはあなたの心がとてもキレイだという証拠です。

あなたの助けられる範囲で助けて、あなたや周りを幸せにしてくださいね。

 

あなたにはその人を助けきることはできなかったかもしれませんが、あなたがいるおかげでその人が助かった部分は必ずあると思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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無力感から抜け出す方法②

挫折してしまったときは

お前はよくやった。十分がんばったと言われても・・・

なにかを成し遂げようとしてできなかったとき、行動しても期待していた結果が得られなかったとき、人はひどく落ち込んでしまいます

そんなとき周りから「お前はよくやったよ。もう十分がんばったよ。」と励まされた経験はありませんか?

 

そんなときあなたはどう思いましたか??




『そうだな。やれることはやったよ。よくやったよな。』と納得しましたか?

『よくやった?なにを言ってるの?もっとやっていたらよかったんだ。』と反論しましたか?

 

あなたはどちらでしょう??

 

 

心が疲れている人は反論型を選択する人がほとんどだと思います。

 

『いや、あのときの努力が足りなかったんだ。』、『自分があのときやっていたらこんなことにはならなかったのに。』、『私のせいで・・・』と気持ちを切り替えることができません。

周りから「よくやったよ。仕方なかったことだ。」と言われても、頭に入ってくるだけで、心には響いてこないんです。

 

優しい言葉をかけられているのに、なぜ心に響いてこないんでしょうか?

 

あなたに受け入れる体制が整っていないから。

 

あなたがそんな風には全く思っていないから。

 

 

『そんな慰めはいらない。』と感じることもあると思います。

 

・・・

でも慰めなんでしょうか?

周りの人はあなたに元気になってほしいから嘘をついているのでしょうか?

 

おそらく違いますよね。ほとんどの人が純粋に『あなたはよくやった。』と思っているパターンが多くないですか?

あなたもどうしようもなかったことでひどく落ち込んでいる人を見たら、「落ち込まなくていいよ。あなたは十分がんばったじゃない。」と伝えるのではないですか?

 

 

単に元気づけようとして「よくやった。」という言葉を伝えますか?

 

違いますよね?

 

心から『あなたはよくやったよ。あなたは悪くない!だからそんなに落ち込まないで。』と思うでしょう?

 

 

あなたは落ち込んでいます。そして周りが励ましてくれます。

 

それはあなたに元気になってほしいという思いもありますが、

単純にあなたが必要以上に落ち込んでいるからではないでしょうか?

 

 

慰めも多少はあるかもしれませんが、それよりも本心からあなたを励ましてくれているのではないでしょうか?

 

 

もしかしたらあなたは、落ち込む必要がないことで勝手に落ち込んでいるのかもしれません。

 

 

・・・
そんなことはないですか?

 

でも周りはあなたをけなすこともせず、よくやったと言ってくれていますよ?

あなたの反省が足りないと思っていたら、優しい言葉なんてかけてくれないですよね?

 

あなたが全然がんばりもせず、重大なミスをして、反省も全くみられない。こんな状況なら優しい言葉をかけてくれるよりも注意をされることのほうが多いでしょう?「反省が足りないだろ。わかっているのか?」と言われるでしょう?

 

それを周りがしてこない理由は2つだと思います。

 

1つは、あなたが本当に反省していると態度に表れているから。

そしてもう1つは、

そもそもあなたが悪いなんて誰も思ってない。

 

このどちらか、あるいは両方だと思います。



周りは皆納得しているのに、あなただけが納得していないだけではないですか??

 

 

なにに納得していないのでしょう?

 

あなたのせいじゃないということにです。

 

 

あなたは自分では意識していないかもしれませんが、あなたのせいだと言って欲しかったのではないですか?

 

「よくやった。」と言われたときは否定せず、純粋に『ああ、僕はよくやっていたんだ。』と受け入れることを考えていただけたらと思います。

そこで『いや、そんなことない。』と否定をしてしまうと余計に気落ちをしてしまいます。

 

だから周りから言われたことはすぐには反論せず、『本当にそうなのかな?』と一度確認の時間を設けてください。

 

この時間をしっかり作らないと、あなたはただ自分に原因があると思いたくて落ち込んでいるだけの人になってしまうかもしれません。

きつい言い方をするなら、できなかったのは自分だけが悪いんだと勝手に落ち込んで、勝手に自己満足しているだけなのかもしれません。

 

だけど落ち込むこと自体はしんどいですよね?

あなた自身は嘘で落ち込んでいるわけではないので、苦しいです。つらいです。その苦しみから解放されたいと思いますよね。

 

この苦しみから解放されるためにはあなたが『自分は十分がんばったんだ。』と自覚することなのですが、あなたが自分を認めるのは難しい状況なのだと思います。すんなりと認められる状況なら心が弱りませんしね。

 

 

ですから周りの人の力を借りましょう。

 

 

幸いなことにあなたには「よくがんばった。」と言ってくれる相手がいるのですから。そんなことを言ってくれる相手を信じてみましょう。

 

事実として受け入れるだけでもあなたの重たい心はスッと軽くなると思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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わかってくれていると思っていたのに、わかってくれていなかった

この人ならわかってくれているだろうと思っていたことが、全然理解してもらえていなかったって経験をしたことはありますか?

お互いにわかりあえてると思っていた場合や、無茶ばかり言ってくるけど内心は自分のことを大切にしてくれていると思っていた場合。

それが全然わかってくれていなかったことをわかったときってありませんか?




これね。。。

「物凄くショックなんですよ!!」

 

味わった直後は物凄い喪失感や疲労感、無気力感が襲ってきます。『今までやってきたことはなんだったんだ。』、『すべて嘘だったのか?』といった気持ちが湧いてきます。酷い場合には『ああ、もうこの人とはダメだ。』と思ってしまいます。

 

裏切られたという感覚が近いでしょうか。

この人なら大丈夫だと信用していたのに、それを根底から覆されたんですね。

 

あなたが信頼していた相手であればあるほど、その感情も大きくなり、今までの人生を全て否定されたくらいの衝撃を受けます。

 

 

わかってくれていると思っていたということは、あなたとかなりの信頼関係ができている相手だったのでしょうね。

もしくはあなたが認めてもらいたかった相手だったのではないでしょうか?

 

 

そんな相手だったのにこちらからの一方通行だった。

 

 

これはかなり堪えます。

 

信頼していた相手に裏切られてしまいました。

 

 

そう、あなたは相手に失望してしまったんです。

 

 

失望なんかしたくなかったのに。

 

 

あなたは相手に失望しました。

そして次に、

 

相手を信頼していた自分に失望しました。

 

 

『なんでこんな人を今まで信じていたんだろう』、『ここまでがんばってきたのに、結局、自分の想いは全然伝わっていなかったんだ。』と負の感情にとらわれてしまいます。

 

『信頼していた相手に裏切られること』、これって言葉にすればありきたりですが、実際にそんな目に遭った人にとっては、とんでもないことなんですよね。人間不信にもなります。本当に。

裏切られた瞬間に心の割れる音を聞きます。本当に効果音でもなんでもなく、実際に音がします。『あっ、いま、心が壊れた。』とわかります。

(裏切られたと書くとオーバーに感じるかもしれませんが、実際にあった直後はそう感じると思います。)

 

 

どうしてこんなことになってしまったんでしょう??

 

 

ただ、信頼していただけなのに。

 

ただ、わかってくれていると思っていただけなのに。

 

・・・ ・・・ ・・・

 

「相手に期待していたから。」

ですよね?

 

あなたは相手に期待していたけど、期待通りの結果ではなかったことがわかって傷ついた。

ですよね?

 

 

これのね、究極の予防法は相手を信頼しないことなんです。

期待していた、信頼していたから裏切られたと感じるのです。なら最初から期待しなければいい、信頼しなければいい。初めからなければ、ショックもありません。

 

相手が何気なく誉めてくれたことに対して『いや、あの人が自分を誉めてくれるなんてなにか裏があるに違いない。油断するな!だまされるぞ!?』と、常に警戒することが究極の予防法です。

ときどき、すごく疑り深い人と出会うことがありますが、それは信頼する怖さを知っている人だからではないかと思います。

 

 

ひどいときは本当にナイフで刺されたように心が痛みます。『ナイフで刺された方がまだマシだ!』と考える人もいるでしょう。それほど、信頼を裏切られることは怖いことなんです。

些細なことならまだいいですが、それがあなたの根幹に関わる裏切りだった場合は、本当に誰を信用していいのかわからないパニック状態になります。

 

 

怖いです。あの苦しみは思い出したくもありません。




それを予防する究極の方法が誰も信用しない、私は一人なんだと思い込むことです。

 

・・・

・・・

この文章、違和感ありませんか?

私は一人なんだと思い込む?なんで思い込むんでしょうか?普通に私は一人なんだと思えばいいじゃないですか?

なんで自分に言い聞かせようとするのでしょう??

 

 

本当は一人ではありたくないから。

 

つながりを感じていたいから。

 

信頼させてほしいから。

 

 

心の矛盾ですよね。信頼したくないと思いながらも、心の奥底では誰かを信頼したいと思っている。信頼させてくれる相手を待っている。

こういう状態って弱っている心にはよくある状態だと思います。まったく、人間ってややこしいですよね。

 

 

・・・

ちょっとタイトルからずれてきているので戻します。

 

わかってくれていると思っていた??

 

「あきらめましょう。わかってくれていなかったんです。あなたの勘違いでした。」

 

 

この状態を乗り越えるにはいくつかのステップが必要になりますが、まず最初のステップはここです。相手がわかってくれていなかったことを認めましょう。自分の勘違いだったと自覚しましょう。

まずはここを目指しましょう!

 

とはいえ、ここまでくるのがかなり大変です。最初のステップと書きましたが、最初のゴールと書いてもいいくらい道のりは険しいです。

 

 

相手があなたにとって大切な人であればあるほど、難しいです。近しい人であればあるほど、『今までの私たちの関係はなんだったんだ!?』と葛藤することになります。

でも現実としてわかってくれていなかった事実がある。

 

そうなると『わかりあえていると思っていたのは自分だけだったんだ。』と思うようになります。

 

今までのお互いの関係性を否定しようとするんです。

 

・・・

・・・

だけど、ちょっと待ってください。

 

今までのお互いの関係性まで否定する必要、本当にありますか?

 

たしかに今回はわかってくれていなかったことはショックだったと思います。『だまされていた。』とか『わかってくれていなかった。』と思う気持ちもわかります。

ですが、それは今現在の話でしょう?

 

過去にまで遡って否定する必要はありますか?

 

 

相手が悪意をもってあなたをだまそうとしていたのなら別ですが、相手に悪意がなかったら過去の否定までする必要はありません。やりすぎです。

 

わかってくれていなかったと落胆したときは、相手とのすべてを否定したくなる気持ちがでてきます。そしてその気持ちが心を暗くします。

そうなったときは感情に流されそうになると思います。

 

ですが、そこで一回冷静になろうと自分に言い聞かせてみてください。

 

今のあなたはショックすぎて冷静な判断ができていない状態かもしれません。

相手があなたにとって大切な人なのなら、一呼吸いれて、もう一度お互いの関係を振り返ってみてはいかがでしょう?

 

相手のすべてが嘘だったということは少ないと思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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やるだけやってダメならあきらめろ?

「やるだけやってダメならあきらめろ。」この言葉を時折耳にします。

これってかなり可能性が低いことに挑戦するときに使う言葉だと思います。似た言葉に「やらずに後悔するよりやって後悔しろ。」がありますかね?

低い可能性と向き合うときに挫折しないようになる魔法の言葉ですよね。

この言葉があるからどんなに可能性の低いことだってやってみようという気持ちになります。挑戦心を高める言葉だと思います。




・・・でもこの言葉ってちょっと注意が必要ですよね?

 

無理ならあきらめる?

 

やって後悔しろ?

 

失敗することを前提とした言葉ですよね?

 

まあ、本当にうまくいく可能性が低いことに挑戦しようと思っているのですから当然ですが。

 

 

では、皆さんはあきらめたいんでしょうか?後悔したいんでしょうか??

 

違いますよね。

 

やるからには成功させたいし、後悔なんかしたくないはずです。

 

 

たしかに可能性が低いことに挑戦しようと思ったら、失敗しても大丈夫だと思わないと挑戦もできません。やる前から足がすくんでしまい舞台に立つこともできません。

 

ですが失敗を前提に考えてしまうと、成功する可能性が大幅に下がってしまいます。

 

思いに結果が引きずられるんです。

 

 

だからこの言葉は挑戦をする前に自分を奮い立たせるために使ってください。そして挑戦が始まったらいつまでもこの言葉に執着するのではなく、卒業をしてください。

挑戦をする前は勇気を与えてくれる魔法の言葉ですが、挑戦中は別に失敗してもいいという誘惑の言葉に変わってしまいます。

 

本当に成功させたいのならこの言葉をいつまでも使っていてはいけません。

 

 

それにこの言葉って少し疑問なんですよね。「やるだけやってダメならあきらめろ?」簡単に言ってくれます。そうですね。やるだけやってダメだったならあきらめたらいいだけです。

 

だけど一つ注意してください。

 

それは・・・

 

やるだけやったら簡単にはあきらめられません!

 

 

悔いはないとあっさりあきらめられる人もいるとは思いますが、やるだけやってしまったからこそ、あきらめることができなくなったという人も多いのではないかと思います。

 

やめ時、あきらめ時を見失ってしまうんです。

 

 

そんなに苦労をしなかったら、自分にとってそんなに重要なことじゃなかったらあきらめることもできると思います。

ですが、なんとかしようと一生懸命努力をしていたら、自分にとってすごく重要なことだったら、やればやるほどあきらめにくくなります。

 

 

だって一生懸命がんばっているんだから。

 

 

・・・
なぜ一生懸命がんばるのか?

 

自分にとって一生懸命がんばらないといけないほど価値のあるものだから。すごく重要なものだから。

 

このやりとりがやればやるほどループしていきます。

 

 

いや、ループならまだいいですが、そうではありません。同じ場所ではないです。

例えるなら螺旋階段ですかね?似たような場所をぐるぐる回りますがどんどん上にあがっていくでしょう?それと同じで想いはどんどん強くなっていきます。

 

 

あきらめることが勿体なく感じるようになるんです。





簡単な例でいうと・・・
(ア)あなたはある資格が欲しくて講習会に参加しています。その講習会に10日間参加しないと資格は得られません。会場までは遠く、往復に5時間を要します。1日目受講しました。予想しているよりも難しく全然ついていけません。あなたは『もうこれは無理だ。』と講習会へ2日目からは行きませんでした。

 

よくあることですよね?

 

・・・よくはないかもしれませんが、普通にありえる話でしょう?

 

 

でも、こんなときならどうですか?・・・
(イ)講習会の10日間はすべて平日です。往復に5時間。内容もついていけません。平日はあなたは仕事をしているので仕事を休んでの参加です。人手が少なくなかなか休みづらい職場なのですが、上司や同僚に頭を下げて休みをとることができました。また、さらに講習会には5万円の教材費、10万円の参加費が必要ですでに支払っています。

1日目が終わりました。2日目はどうするでしょうか?

 

どうでしょう?(イ)の条件になると(ア)の条件よりも続ける人が多くなりませんか?

 

なぜなんでしょう??

 

(イ)のほうがあなたの負担が大きいからです。

(イ)のほうがあなたががんばってしまったからです。

 

 

あなたががんばってしまったので、やめることを勿体なく感じるようになってしまったんです。

(この場合は仕事先の人に頭を下げているのとお金を払っているです。)

 

もっとわかりやすく説明すると、

2日目でやめる人と10日目でやめる人、どちらが多いでしょうか?

 

2日目でやめる人のほうが多いですよね?

 

10日目でやめる人、少ないでしょう?

 

 

苦労して続けたのだから。もう少しで欲しかった資格が手に入るのだから。ゴールが見えているのにここでやめてしまうのは勿体ないですよね。

しんどい思いをして最終日までやってきたのに、その最終日にやめるなんてバカみたいでしょう?

どうせやめるなら最終日よりももっと前にやめるほうが得でしょう?

 

 

最終日にやめるとなんだか損した気分になりませんか?

 

 

これと同じだと思うんです。

 

やるだけやるということは、自分ができることは全てやるということですよね?

 

そこまでがんばってしまったら、無理だったら簡単にあきらめられますか?

 

 

あきらめるのにもすごく力がいると思います。

 

 

さらにここまでくると新たな問題がでてきます。

 

それは・・・

頭ではあきらめないといけないとわかっているのに、あきらめられない。

 

そして・・・

あきらめないとつらいのに、あきらめることができない。

 

という悲しい結果が待っています。

 

 

やるだけやるというのは悪いことではありません。実際にそこまでしないと手に入らないものあると思います。

ですが、やるだけやる前に覚悟は持つべきだと思います。『やるだけやってダメだったならそのときはあきらめたらいいだけ。』というように軽い気持ちで始めると後悔することになるかもしれません。

 

『やるだけやったら簡単にはあきらめられなくなる。それでもやってやる!』ぐらいの気持ちをもって挑んでいただけたらと思います。

 

結果として、その覚悟が成功確率を高めてくれると思いますよ。

 

しんどい思いなんてうんざりです。

やるだけやって成功させましょう!!

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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暴力をふるわれても構わない。私は必要とされている。

暴力をふるってくる相手との関係を続けている人はいませんか?

恋人であったり、配偶者であったり、両親であったり、友人であったりと対象相手はさまざまですが、なかなかその関係を断ち切るのは難しいことでもあります。

特に両親については、幼い子に、暴力をふるってくる両親から離れなさいと忠告しても、自力では不可能でしょう。周りの大人が動いて切り離さないと、その子が両親から逃れることは無理です。




では、あなたはどうでしょうか?

 

あなたは自力で抜け出すことが不可能なのでしょうか?

 

 

配偶者からの暴力で子どもが幼い時は、難しいかもしれませんね。『いま離婚してしまったらこの子が困る。』と。でも、その暴力の矛先があなただけでなく、あなたの大切なお子さんにまで向くかもしれませんよ?

 

恋人いない歴=年齢の自分にやっとできた恋人、『この恋を逃したら次なんて考えられない。これが最後のチャンスなんだ。』、暴力をふるってくる相手と本当に結婚したいですか?

 

付き合いの長い友人でこれまで何度もピンチを救ってもらいました。『今まで自分のことをこんなにもよくしてくれていたんだ。多少のことには目をつぶろう。』、本当ですか?

 

 

暴力って、どんな理由があっても許されないと思うんです。

 

 

相手を傷つけるんだから。身体の暴力もそうですし、心の暴力も。

気付かないうちに相手を傷つけるのは仕方ないと思うんです。

でも、それを相手を傷つけてやろうと意思をもって行う暴力は、絶対にしてはいけないことだと思うんです。

 

皆さん、その絶対にしてはいけないことを相手からされていませんか?

 

 

暴力をふるわれることは誰だって嫌なことだと思うんです。暴力をふるわれて『うれしい!今日も私に暴力をふるってくれた。』・・・と思える人は稀ですよね?

 

でも嫌だ嫌だと思っていたらやってられないですよね?

暴力から簡単に逃げられる環境なら別ですが、暴力から抜け出せない環境なら嫌だ嫌だと思っていたら苦しいです。心が壊れてしまいます。そこで心は心の救済手段に移ります。

 

それは・・・

 

『暴力をふるってくるのは私のことが必要だから。私しか受け入れてくれる相手がいないから甘えているんだ。』

 

暴力をふるわれることに正当な理由をつけます。

 

 

この状態が続いてしまうと正直ピンチです。

 

なぜかというと、、、

相手の行為がエスカレートしてくるから。

 

 

暴力をふるわれることに正当な理由を考えることで、その暴力に耐えることができます。

 

しかし、その耐えてしまうことも問題になるんです。

 

 

それは・・・
『あっ、このぐらいならやっても平気なんだ。』と相手が思ってしまいます。

実際はそんなことはないのですが、相手に勘違いをさせてしまうんです。

 

あなたは相手の怒りを発散させる格好の的になってしまうんです。そして相手の正常な判断も奪います。

行為がだんだんだんだんエスカレートします。その行為が行きついた先が【虐待死】です。ニュースで「殺す気はなかった。」とコメントを聞きますが、たまにおかしいときがありませんか?『いや、完全に殺しにいってるだろ。そんなことをしたら死ぬことくらいわかるだろ。』と思ったこと、一度はありませんか?

 

あなたは心の救済手段として暴力の正当化をするんですが、それをしてしまうと相手の判断基準を狂わせてしまいます。

このぐらいのことをしていい、ここまでしてはいけないの境界線が慣れによって歪んでしまうんです。

 

 

ここまでくるとお互いが正しい判断ができない状態なんです。

依存している状態です。

 

・・・

・・・

どちらが依存しているかわかりますか??

 

 

相手があなたに依存しているのでしょうか?
『むしゃくしゃする。お前を殴って憂さを晴らしてやる。』?

あなたが相手に依存しているのでしょうか?
『暴力をふるってくるのは、それだけ私が大切だから。』?

 

 

どちらだと思いますか??




ええ。両方ともです。お互いがお互いに依存しているんです。この状態を共依存と言います。

相手は暴力をふるう相手としてあなたがいないと困りますし、あなたは暴力をふるわれて相手に必要とされないと困るのです。

 

めっちゃ複雑ですね。昼ドラみたいにドロドロです。でもこの状態に陥ってしまう人、意外と多いんです。

 

普通の感覚なら暴力をふるわれることは許せないと思うと思います。

でも依存状態までくると『その人が暴力をふるってくるのが私の存在理由。存在価値。』となります。

 

やりがいに変わるんです。

 

 

そして相手の行為がエスカレートし、あなたが怪我をしました。相手は必至で謝ってきました。「ごめん。ここまでやるつもりはなかったんだ。もう二度としない。本当にごめん。」と泣きながらあなたに謝ってきました。

 

そのとき、あなたは相手を許すことができますか??

 

・・・

・・・

簡単に許すことができます。

 

それどころか

『ああ、この人はこんなにも私のことを心配してくれていたんだ。冷たい態度も多かったけど、やっぱり私のことが大切だったんだ。』と感動すら覚えます。

 

そして繰り返します。

 

相手もあなたもさらにエスカレートして。

 

 

この暴力共依存状態から脱出するには、今の自分を客観的に見つめなおす必要があります。

自分は本当に冷静な判断ができているか、依存状態になっていないかと自分に語りかける必要があります。

 

この状態で客観的に自分を見つめなおすというのはかなり難しいです。

 

 

だって客観的に見つめなおしてしまったら、今までがんばってきた自分がバカみたいに思えてしまうから。

 

 

がんばってきたのに報われないんですね。それを否定したくて意地になってしまうんです。

『あの人には私が必要なんだから。』、『暴力をふるってくるのはあの人なりの不器用な愛情表現なんだ。』と自分に言い聞かせる気持ちがでてきます。この気持ちが客観視を難しくしてしまいます。

 

ですが、それを踏まえ上でもう一度自分の立場を客観的に見つめなおしてください。

見つめなおした上で幸せだという人はそのまま関係を続けていったらいいと思いますが、少しでも疑問が残った人は暴力から抜け出すことも視野に入れていただけたらと思います。

 

あなたが暴力を受ける必要はどこにもありません。価値のある人なんです。

自分の安売り、やめてみませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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「もうダメだ。全てが終わってしまった。」・・・第三者から見たら『なにを大袈裟なことを言ってるんだこいつは。弱音ばっかり吐いて。』状態ですが、感じている本人はいたって真面目です。

本当に全てが終わってしまった感覚になります。

大袈裟でもなんでもなく、生きていてももう意味がないと思ってしまいます。

 

 

この状態はどうすればいいんでしょう??

 

周りから見たらあなたはため息をついてばかりで無気力。なにをするにもやる気がなくボーっとしている。さぞや鬱陶しい奴状態ですよね。近くにずっとこんな人がいたら、こちらも気が滅入ってしまいますよね?

あなたはその負のオーラを周りに盛大に発散中です。

周りは迷惑をしているかもしれませんね。

・・・

さて、どうしましょう??

 

 

なにもしなくていいです。

 

負のオーラ、どうぞ周りに盛大に撒き散らしてください。

 

 

我慢をする必要はありません。

 

 

思いっきり鬱陶しいオーラ全開にしてください。

 

 

周りの人はしっかりしているのに?

周りの人は小さな悩み事しかないのでしょう。

 

周りに迷惑をかけるかもしれない?

もう周りに迷惑はかかってます。だから気にしなくていいです。

 

周りから嫌われるかもしれない?

いいんですよ。そのぐらいであなたのことを嫌いになる人なんか気にする必要ないです。

 

周りが・・・
周りが・・・

 

関係ないです。

 

あなたはどうなんですか?

 

 

あなたは『もう全てが終わった。』と感じるほど、落ち込んでしまうことがあったのでしょう?

 

なのに、『周りが・・・』ですか?

全てが終わったのなら『周り』なんて気にしなくていいでしょう?

 

 

実際、あなたの中では全てが終わったんです。

 

残っているものに目を向けろ??

 

 

向けられるはずないでしょう。残っているものよりも失ってしまったものが大きすぎて。

失いたくなかったからなんとかしようとしていたのに、そんなに簡単に「あぁ、なくしてしまったなー。」で終われるはずがないです。

 

 

そうでしょう??

 

あなたは今、すべてを失ってしまったんです。

 

 

だから人目なんか気にしなくていいです。
周りにも迷惑をかけていいんです。




励ましに来てくれた人に、感情をむき出しにして怒りをぶつけてしまったかもしれませんね。心配してきてくれた人に、なんであんなことを言ってしまったんだろうと自己嫌悪と罪悪感を抱いているかもしれませんね。

 

 

・・・あなたは優しい人ですね。

 

自分がいっぱいいっぱいのときに、人のことで心を痛めることができるのだから。

 

ですが、ここは図々しくいきましょう。

人のことにかまっていられるほど、今のあなたに余裕はないはずです。自分のことで精一杯。まずは自分を守りましょう。

他人なんか気にする必要ないです。

 

あなたがあなたを守らないと誰があなたを守ってくれるのですか?

 

 

迷惑をかけてしまったのなら、あとで返せばいいんです。

迷惑をかけてしまったなーと感じる相手に、元気になってからほんの少しいつもより優しくなればいいだけです。

 

あなたは自分で気づいていないかもしれませんが、今は緊急事態です。

 

あなたが壊れるか、壊れないかの瀬戸際です。

 

そこでこのぐらいならとがんばってしまっては、壊れてしまいますよ?

 

 

もう少し気楽な状態でいてください。周りなんか気にせず、あなたのやりたいことをやりたいときに思う存分やってください。あなたはこの世界の王様です。好きなことをやってどんどんわがままになってください。

 

最初はそのことにあなたの性格ならひどい嫌悪感を抱くと思います。

やりたいことをやりたいままやるとなんだかムズムズすると思います。そこまであなたは病んでいると思います。

 

でも、それを無理して続けてください。

 

そうすると恐らく、『あっ、俺、こんなにも疲れていたんだ。』『わたし、悲しいんだ。』と感じる瞬間がくると思います。

まずはあなたの中に隠れているその思いに気づいてあげましょう。

 

その思いに気づいてあげられるのはあなただけです。

あなたの心と向き合ってください。

本当はどうしたかったのか。本当はあなたはなにを思っていたのか。あなたの心に少しずつ尋ねてみてください。

 

あなたの心は人見知りが激しいとても恥ずかしがり屋さんです。

こちらが問いかけても「ありがとうございます。私は大丈夫です。」と軽くかわされるかもしれません。

 

あなたの心はあなたに失望されたくないんですね。臆病者なんです。

 

だからどうか、あなたの心を安心させてやってください。

軽くかわされるかもしれませんし、ときには逃げられることもあるかもしれませんが、『自分はお前に失望なんかしないよ。』『どんなときでもお前の味方だよ。』とあなたの心に優しく語りかけてください。

 

あなたの心には強力な味方がついていることを教えてあげてください。

 

自分が自分の心の味方であること、ただそれだけで救われることもあるんです。自分の心にとってこれほど頼もしい味方って他にいないと思います。

 

 

全て終わってしまいましたね。生きていたっていいことなんて何もないですよね。なんで自分ばかりがこんな目にあってしまうんですかね。ただ普通でありたかっただけなのに、どうしてこんなに零れてしまうんでしょう。

 

人にどう言われようが、どう思われようが関係ありません。

 

あなたにとっての事実は『全てが終わってしまった』ただ一つです。まずはその思いにあなた自身が気づいてあげてくださいね。

泣いている心がどこかにいると思います。

 

どうかその心に寄り添ってあげてください。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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不幸は束になって襲い掛かってくる?

『不幸は束になって襲い掛かってくる』こう感じたことはありませんか?

今『しんどいなー。』とギリギリ状態にいるのに、とどめを刺すようにさらに自分にとって悪いことが起こる。

限界ギリギリで片手で崖にぶら下がっていたのに、『さっさと落ちろ!』とその手を踏みつけてくる奴がいるんですね。




本当、不幸ってやつは束になって襲い掛かってきます。

なんでなんでしょうかね??

 

 

あなたが片手で崖にぶら下がっているからです。

 

 

不幸が束になって襲い掛かってくる理由はこの一言です。

 

あなたが崖にぶら下がっている状態ではなく、平地に立っている状態だったらどうでしょう?あなたの足を踏みつけようとしてくる奴がいても、かわすことができます。「なにをするんだ!」と押し返すことができます。

崖に片手で必死にぶら下がっているから、あなたは手を踏みつけようとしてくる相手から逃げることはできないし、ましてやその存在に反撃することもできないんです。

 

【不幸】ってね、がんばっている人が大好きなんです。

がんばっている人を見たら悪さをしてみたくなるんですね。あなたが必死でがんばって崖にぶら下がっているから抵抗できないのをいいことに。

 

【不幸】ってね、無抵抗の人間には嬉々として襲い掛かってくるんです。

反撃してくる人間には『あ、こいつはダメだ!』と危険を察知し、寄ってこないんです。

 

 

典型的ないじめっ子体質なんです。『不幸』って。

 

卑怯ですよね?

 

 

殴り返してくる相手には大人しくしているのに、殴り返すことができない無抵抗な相手には、調子に乗ってどんどんどんどん暴力をふるってくるんです。

 

 

そんな卑怯な奴に負けたくないでしょう??

 

 

渾身のパンチを【不幸】の顔のど真ん中に叩き込んでやりましょう!

「調子に乗るな!」って自分を【不幸】の対象に選んだこと、後悔させてやりましょう!!

 

・・・で、肝心のその方法なんですが、

・・・崖に片手でぶら下がるのはやめましょう。

 

・・・

・・・

・・・いや、ほんとにこれだけなんです。

その方法が知りたいと皆さん感じていると思いますが、他人じゃわからないんです。

自分自身じゃないとわからないんです

 

手を放して崖下に落ちていいものなのか、放してしまったら完全にアウトなのか。片手でも崖をよじ登るほど余力があるのか、今の状態を維持することで精一杯なのか。



客観的に言ったら心が弱ってしまう人は、頑張り屋さんで優しい人が多いと思います。

 

『いや、そんなことはない』と否定されるのもあなたが頑張り屋さんの証拠です。

 

 

だから他人ならほとんどの方が「崖から降りろよ。」とあなたに忠告してくると思います。だけどあなたはそれがなかなかできないんですね。

『いや、でもまだもう少しなら大丈夫だし・・・』『ここで手を放してしまったら・・・』と考えてなかなか降りる選択をできないんです。

 

自分の頑張りが足りないと思っているんですね。

 

他人から見たら精一杯できることを一生懸命やっているのに、自分だけが納得できていない。

意外と頑固なんですよ?あなたは。

 

 

そんなあなただから「もう手を放していいよ。」と許可を与えるのは自分じゃないといけないんですね。言い方は悪いですが、他人に言われたことを聞き入れることができない頑固者なんですから。

 

他人の判断で手を放しても悔いは残ると思います。

 

 

結局は自分を許せるかどうかなんですが、

 

あなたは人一倍自分に厳しい人なんでしょうね。

 

 

そんなあなたがいつか自分を許せるようになれればと思います。

 

 

大体悔しいじゃないですか。【不幸】なんかにあなたの人生を好き放題されて。

 

卑怯な【不幸】になんか負けないでやりましょう!

殴られっぱなしじゃ腹が立つでしょう?

だからしっかりと両足で立って、今までの分を返すぐらいしっかりした一撃をみまってやりましょう!

 

【不幸】なんか打ち負かして【幸福】を手に入れてみてはいかがですか?

あなたは【幸福】になることができるのですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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前回、『変わってほしいと願うのは』で選択をAとBにわけましたが、今回は幻のCバージョンです。本当はA.B.Cでひとつにまとめたかったのですが、Cについてはたくさん語りたかったのでわけました。

変わってほしいと願うのは相手のことが大切だからです。

自分も幸せになりたいし、相手にも幸せになってほしいから変わってほしいと願うのです。これを願うことは悪いことではありません。




娘さんが結婚したい人がいると男を連れてきました。娘さんは19歳でした。相手の男は56歳です。自分よりも年上です。そんなときあなたは「あなたなら娘を任せられます。どうかよろしくお願いします。」と初対面の男に言えますか?

おそらく、大抵の人が『ちょっと待ってくれ!』と心で思うのではないでしょうか。

 

『なんでこの男なんだ。』『いくつ離れていると思ってる。』『娘を説得しなければ。』と思ってしまうでしょう?

それを思うなというのは無理でしょう?

 

なんでこんなことを思うかといったら娘さんが大切だからです。

テレビで芸能人の歳の差婚に真剣に「その相手じゃダメだ!」と反対する人いないでしょう?(よっぽどのファンならともかく。)

その大切な娘さんが険しい道を歩こうとしているから、安全な道はあるのにわざわざ険しい道を歩くことになるから『ちょっと待ってくれ!』と思ってしまいますし、場合によっては『結婚は許さない!』と反対してしまうのです。

 

 

大切だからこそ、どうしても変わってほしいと思うことはあります。

 

変わってほしいと願うことは悪くありません。

 

 

さて、話が変わりますが幻の選択Cです。

 

それは・・・

・・・

・・・

その変わってほしいと願う部分を好きになる。愛するようになる。

 

 

これが一番いい方法ではないかと思います。

 

相手に変わってくれではなく、自分が変わるわけですね。

 

 

この【自分が変わる】ですが、変に意識してはいけません。

『自分が変わるんだ!』と決意して臨んでもなかなか変われないと思います。

 

だって、はっきり言って相手の数少ない嫌いな部分だから。

『好きになろう、好きになろう』と意識をしたら、余計に遠ざかります。

 

 

特に意識することなく関わっていたら、変わってほしいと思っていたところが、

『この人はこのままでいいんだ。これがこの人の魅力なんだ。』

と自然と思うようになるということです。

 

 

難しいですよね?

 

人を好きになることと似ているので本当に運次第です。

『好きになろう、好きになろう。』『嫌いになろう、嫌いになろう。』と思ってもなかなかその通りにいかないですよね。『気がついたらその人のことを好きになっていた。』『自然と苦手意識ができた。』といった感じで。

 

はっきり言ってできる確証はありません。

ぶっちゃけ運です。

だから幻の選択C。




でもね、あなたはこのCバージョンになる可能性、他の人よりかなり高いんです。

なぜなら、、、

 

その相手のことが大切だから。好きだから。

 

好きだから、相手の嫌いなところも好きになりたいと思うんです。

 

 

相手の嫌いで許せなかったところが許せるところに変わり、それどころか、嫌いで許せなかったところが相手の最大の魅力に変身することもあります。

できないところが好き。常識はずれなところが好き。といった具合ですね。

 

 

普通の人からしたら欠点と思えるようなところでも、あなたにとっては相手の魅力になるんです。

 

この状態になれたら変わってほしいという悩みはなくなります。

 

ありのままのあなたが好き。

 

そのままのあなたでいてほしい。

 

この状態が理想の状態だと思います。

 

 

自分より年上の男を娘さんから紹介されてもいいじゃないですか?当人同士がお互い結婚したいと思っているんでしょう?

 

娘さんはなぜ、あなたにその男性を紹介したのでしょうね?大賛成してくれると思っていたのでしょうか?喜んでくれると思っていたのでしょうか?

長い付き合いの知人ならともかく、初めて会う人にこの条件ですんなり賛成してくれる人は少ないと思います。そんなことも娘さんはわからなかったのでしょうか?

 

おそらく違いますよね。娘さんも反対されることはわかっていたと思います。

ではなぜ、娘さんはあなたに紹介したのでしょう?

ケンカがしたかった?駆け落ちして家を出たかった?相手の男と別れたかった?

 

全部違いますよね?

 

 

それでもあなたに結婚を認めてほしかった。

 

それでもあなたに祝福されたかった。

 

 

これだけだったと思います。

 

あなたに認められること、祝福されることが娘さんの幸せだったんです。あなたが認めるだけで娘さんは幸せになれたんです。

 

たしかにその後には平坦ではない人生が待っていますが、娘さんもそんなことは覚悟した上でしょう?それでもその相手と歩んでいきたいと思ったのでしょう?

娘さんの幸せを願うなら娘さんのことをもう少し信用してあげましょう。相手はあなたの娘さんが選んだ男性ですよ?素晴らしい男性に決まっているじゃないですか。

 

そんな選択ができるようになりたいですね。娘さんもあなたも幸せになれる選択を選べるように。

 

大丈夫ですよ。

 

そこまで真剣に相手のことを思い悩んでいるあなたならいつか、幻のCを自然と選べるようになっていると思いますよ。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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