問題が難しすぎて頭が痛い!わからない時の勉強に集中力は邪魔!

皆さんは考え事をしていて頭が痛くなったことってありませんか?

勉強中に必死に覚えようとして頭が痛くなってしまったことってありませんか?

 

これってどうして頭が痛くなるのでしょうか?

 

 

わからないことだからです。




難しくて今のあなたでは答えにたどり着けない内容だからです。

 

 

今の自分で理解できる範囲外のことを理解しようと必死だからです。

 

 

ヤカンに水を入れてストーブの上にずっと置いていたらどうなりますか?

 

ピューっと音がなり、蒸気を大量に発生させますよね。

 

中の水も沸騰してグツグツです。

 

いつまでもそのままの状態で放置をしていると大変なことになってしまいます。

 

 

今のあなたもそんな感じです。

 

考えすぎて頭がオーバーヒートしてしまったんです。

 

脳を酷使しすぎたんです。

 

 

だから勉強をしているときや、何かを学んでいるとき、すごい悩み事を抱えているときに頭が痛くなるのは、別におかしくもありません。

というか、

 

 

その頭痛はあなたが真剣にそれを学ぼう、記憶しようという姿勢の表れです。

 

 

集中力を発揮しているからなんです。

 

 

集中力と聞くと頭が痛くなることとは無縁で、むしろ時間が経過するのも忘れるくらいにのめりこむもの。というように考えている人も多いのではないかと思いますが、それはあなたの興味があること、好きなこと、比較的簡単に解ける問題のときはそれに入ります。

 

夢中になっていて電話があったことに気づかなかった。

ちょっと休憩して昼ごはんでも食べようかと思ったら、時計を見ると15時を過ぎていた。

 

 

こういった状態のときだけ集中力が発揮されていると思っていませんか?

 

 

集中力はかなり高めのハードルであったり、それほど気のりがしないときにも発揮してしまうことがあるんです。

 

 

それが難しい問題集を解こうとしてわけがわからなくなったり、先輩から教えてもらったことをその場で全て完璧に覚えてしまおうと意識したり、自分では解決できないような悩み事をどうすれば解決できるか頭を悩ませているときなどです。

 

 

そのときに集中力を発揮してしまうと、悪い影響が出てきます。

 

頭痛やめまい、吐き気、発汗などといった症状です。

 

 

難しすぎる問題には集中力を100%発揮してはダメなんです。

 

 

普通ならそこまで集中する前に考えることをやめてしまうのですが、あなたの場合は『やらなきゃいけない!』という思いが強すぎるのでしょうね。



その『やらなきゃいけない!』という思いがめまいや頭痛の原因を作り出してしまうんです。

 

 

勉強をしていても頭が痛くならない方法は簡単です。

 

 

わからない問題は答えを考えようとするのではなく、問題文と解答を流し読みしてください。

 

『正解はどれなんだろう?』、『こことここはどうしてこんな解答に結びつくんだろう?』とか考えることもしなくていいです。

 

 

疑問にさえ思わなくていいです。

 

 

資格試験などの専門分野なら問題文の専門用語の意味さえわからない、何をたずねれられている質問かすらわからない、なんてこともあるかと思いますが、最初はスルーしましょう。

 

わからない専門用語を調べたりするのはね、興味があることならいいのですが、興味がないことに関してしてしまうとそれがストレスになってしまいます。

 

しかも専門用語を調べている最中にそのワードの中に、さらにわからない専門用語が入っていてそれを調べて、また知らない専門用語が出てきてなんて無限ループになってしまうことも少なくありません。

 

テスト範囲外のことばかり詳しくなって、肝心のテスト範囲内の知識がほとんどないなんてことになってしまう恐れもあります。

 

 

最初は覚えようとするのではなく、目を通すという気楽な感じでしてください。

 

 

初めて見る分厚い本や資料を一回ですべて把握できる人なんてほとんどいません。

 

最初の一回は大まかな雰囲気さえつかめれば十分です。

 

 

そう。最初の一回です。

 

 

もちろん一周しただけでは終わりません。

 

二周、三周、あるいは十周、二十周としていきます。

 

何周もサイクルをして学習をしていくことが大事なんです。

 

 

反復しているうちに頭痛の頻度も減っていきます。

 

 

最初の時点では知らなかった知識が、反復を繰り返すことによって知っている知識に変わっているからです。

 

最初は難しくて意味も分からなかった問題でも理解することができ、思考で解けるようにもなっていきます。

 

 

記憶として残そうとするインプットと、それを情報として引き出す力のアウトプットが、問題集では同時に行えます。

 

 

知恵としてただ理解して終わりではなく、知識として応用ができるようにもなってきます。

 

参考書売り場であれだけ過去問や予想問題が幅をきかせているのはそのためです。

「過去問を何度も繰り返せ。」、「理解できなくてもいいからとりあえず過去問を見ろ。」と指導するところも多いです。

 

問題集は記憶を自分の知識として残すには最適なアイテムなんです。

 

繰り返すことによって頭痛も少なくなり、良い集中力を発揮することができるようにもなります。

 

 

最初から全部を完璧にしようと思わなくていいです。

 

 

どうせそんなことできません。

 

 

気軽に。気楽に。

 

頭が痛くなるほど難しい問題だからこそ、適当さも大切です。

 

頭が痛くなってしまうと思考が鈍くもなるので、わからない問題や悩み事を無駄に増やしてしまうことになるかもしれませんよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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コンプレックスに悩まされる。他人と比較をしてしまうと疲れやすい。

皆さんはなにかコンプレックスを持っていますか?

 

コンプレックスってあまり気持ちがいいものではないですよね。

コンプレックスをバネに生活している人もたくさんいますが、コンプレックスが強すぎると生活が不便になります。



しかもコンプレックスって拡大していきます。

 

 

最初は小さいゾーンのコンプレックスだったものが、周りの類似したものまで取り込み大きくなっていくんです。

長い年月コンプレックスで悩まされていると、コンプレックスが広く大きくなります。

 

最初は輪投げの輪くらいの大きさだった範囲が、年月を重ねることでフラフープみたいな広さに範囲が広がります。

 

 

そしてこのコンプレックス、日頃の生活の積み重ねでできるだけじゃなく、ある日突然できてしまうこともあるんです。

 

 

昨日まではこんなコンプレックスなんてなかったのに、今日からコンプレックスができたということもよくあります。

 

 

コンプレックスができるってどんなときだと思いますか?

 

 

自分で意識をしてしまったときにコンプレックスはできます。

 

 

反対に無意識状態だとコンプレックスは誕生しません。

 

 

昨日までなかったものが今日突然できてコンプレックスになることももちろんありますが、それよりも昨日まで意識をしていなかったことを自分が意識するようになって、新たにコンプレックスが生まれることの方が多いです。

 

コンプレックスは自分が苦手意識を感じて初めて誕生するんです。

 

 

この苦手意識なんですが、あることをすることによってでてきます。

 

それは・・・

 

 

人と比べることです。

 

 

人と比べて『自分は並以下だ。』、『ものすごく劣っている。』と自覚することです。

 

 

そう、コンプレックスを誕生させているのはなんとあなた自身なんです。

 

(もちろん親や友だちや上司や恋人、先生などからダメ出しをされてそれを意識してしまうことがありますが、最終的にはそれをあなた自身が受け入れて思ってしまった時点で誕生します。拒絶をしている時点ではまだコンプレックスになっていません。)

 

 

コンプレックスって本当に嫌ですよね。

 

自分が情けなく思えてくるし、努力で補えるのならいいのですが努力ではどうにもならないものもあります。

 

コンプレックスのことを考えてしまうと嫌な気持ちになるし、悲しい気持ちにもなります。

 

それすらも超えてしまい、ただ悔しさや怒りに耐えないといけない状態になるときもあります。

 

 

コンプレックスを持つことは、自分の価値を低く見積もってしまうことになります。

 

 

ずっと人と比べられる生活をしてきてダメ出しをされ続けてきたのなら、コンプレックスは大量にあると思います。

 

自分の中でたった一つだけのどうしても許せないところがコンプレックスなこともあります。



コンプレックスが多かったり大きかったりすると、あなたの生き方にまで影響を与えてきます。

 

 

とにかくね、コンプレックスがあるとそのことについて冷静な判断ができないんです。

 

かたよった判断になってしまうんです。

 

あなたの偏見で間違った判断をしてしまうことも少なくありません。

 

おまけにすごく悩まされるし、苦しめられます。

 

 

コンプレックスがない方が人生は自由に生きられます。

 

 

でも、そんなコンプレックスの生みの親があなた自身なんです。

 

 

自分にコンプレックスを見つけたとき、まずは二つの判断をします。

 

①コンプレックスを克服しようと努力する。

②コンプレックスそのものから目を背けるようにして、見ないようにする。

 

簡単に言うと修理するか、隠して見えないようにするかの判断をします。

 

 

そしてそれでも解決しないときに新たな選択が浮かんできます。

 

③コンプレックスそのものも自分の一つだと認識して受け入れる。

④一生コンプレックスから逃げながら、怯えながら窮屈な生活する。

 

僕的には③が一番おすすめなんですが、なかなかそこまでたどり着くのが大変なんですね。

 

 

コンプレックスだと思っている部分は、どうしても人と比べてしまいがちになります。

 

 

そもそも比べることがなかったらあなたのそのコンプレックスは誕生しなかったわけですから。

 

無意識状態から人と比べるようになって意識をするようになってしまったのに、意識をしてしまっている今、人と比べないようにするというのはかなり無理があります。

 

 

皆さんに一つこれだけは伝えときたいことがあるんですけど・・・

 

あのね・・・

 

 

コンプレックスってあなたの誤解なんですよ?

 

 

『いやいやいや何言ってるの?』状態かもしれませんが、本当なんです。

 

コンプレックスなんてあなたの勘違いから始まっているんです。

 

 

あなたの周りの人たちの価値観に影響されて、その価値観で判断してしまったものにすぎないんです。

 

 

コンプレックスで毎日真剣に悩んでいる人にはひどい話ですが・・・

 

あなたがコンプレックスだと思っていることが、他の価値観のグループの中ではすごくうらやましいと思えることだっていうのもよくあります。

 

 

あなたの大嫌いなコンプレックスの部分を大好きに思ってくれる人もいるんです。

 

あなたのコンプレックスの部分を憧れとしてみてくれる人もいるんです。

 

あなたがコンプレックスだと思っているところが、あなたの長所であるところであることも少なくありません。

 

 

だからまずはあなたのコンプレックスを疑ってみてください。

 

 

本当にそのコンプレックスは存在しているだけであなたの邪魔になっているのかを、もう一度考えてみてください。

 

コンプレックスによってあなたは自分の評価を不当に下げていませんか?

 

あなたのコンプレックスは、ただあなたが勘違いしているだけなのかもしれませんよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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また、今現在もひどいいじめにあって苦しんでいませんか?

 

『学校なんて行きたくない!』、『仕事になんて行きたくない!』って思ったことはありませんか?




僕もね、小中学校のときはいじめにあってました。

社会人になってからも一つの職場でありました。

 

僕の場合は小中学校のときはストレートなものが多かったです。殴る蹴る、無視される、暴言をはかれるといった感じの。

自分を反撃してきている相手が誰かわかるやつでした。

 

いじめてくる相手がわかっていたからそのグループにだけ注意していたらなんと、いじめてくる人間が増えました。

 

「お前もやれ!」と他の人にいじめを進める人も多いですしね。

 

 

その人は自分がいじめられたくない恐怖から、最初は仕方なく参加します。

 

 

それがね、どんどん自分から積極的に参加するようになるんです。

 

 

最初はいじめることに罪悪感を感じていた子も、慣れによって罪悪感なんて感じなくなります。なかにはそれで、いじめる快感に目覚めてしまう子もいます。

 

 

いじめることによっていじめる側は仲間意識を持ちます。

 

 

多くの人数でいじめることによって『みんなやっていることだから。』、『僕だけじゃないから。』と罪の分散をしたつもりになります。

 

僕をいじめている時間はいじめる側にとっては、仲間意識を共有できる楽しい時間になりました。

 

 

就職してからは陰湿ないじめでした。資料をぶりぶりに破られていたり、仕事を真面目にやっていたのに、「お前がさぼっているという話を聞いた。」と上司に呼び出されたり。

自分のことをおとしめているのが誰かわからないやつが多かったです。

 

 

そうなってしまうと仕事場の人全員が敵になるんですよね。

 

 

それまでは普通に話をしていた人たちも、自分が巻き込まれないようにと僕との距離をあけ逃げるようになります。

 

こっちとしては誰がやっているのかわからないから、全員の様子を観察します。

するとどの人も怪しく見えるんですよね。

僕と目が合うとみんな急いで目をそらします。

 

 

周囲は誰も助けてくれず、誰がやっているのかさえわからない。

 

 

こっちを見てコソコソと笑っている。

 

日に日に行為はエスカレートしていく。

 

 

上司に相談して助けを求められたらよかったのですが、僕の性格上、よっぽどのことがない限り人には頼らないんですね。(そもそも僕の上司は相談したところで・・・の部類の人でした。)

 

一人で『こんなものに負けてたまるか!』とむしろ燃え上がるんです。

 

 

一番やってはいけない対応をとっていました。




いじめってね、対応をしないとどんどんひどくなるんです。

 

 

内容はもちろん、いじめてくる人数も。

それを黙認している人たちも。

 

こっちが黙っていることをいいことに爆発的に増えていきます。

 

ある日突然なにもしてないのにいじめられなくなったなんてことはありません。

 

 

いじめの一番の対応はね、自分はいじめられているんだということを第三者に知らせることです。

 

 

いじめられている立場からしたらこれってすごく勇気がいることですよね。

 

人に話したくないひどいことをされたかもしれないし、迷惑や心配をかけたくないという気持ちも強いでしょう。

 

助けを求めて大騒動にされたくないという気持ちもあるかと思います。

 

 

第三者にいじめられていることを報告したからって、絶対にいじめがなくなるという保証はありません。

 

「告げ口しやがって!」と前より激しくいじめてくることもあります。

「お前に原因があるからいじめられるんだ!」と相談相手によっては追い打ちをかけてくることがあります。

「面倒ごとに巻き込むな。お前の問題なんだからお前が解決しろ!」なんて投げやりなことを言ってくる人もいると思います。

 

第三者があなたの味方になってくれるとは限らないし、味方になってくれたとしてもヒーローみたいに解決できるとは限りません。

 

 

すごく勇気を出したのに結果はそのまま。最悪の場合悪化していることだってありえます。

 

 

あなたはそれでさらに追い込まれることになるかもしれません。

 

今よりもつらい状態になるかもしれません。

 

それでもがんばって学校や仕事に行って泣いて帰ってくるかもしれません。

 

学校や仕事に行くのが怖くて仕方ないようになるかもしれません。

 

 

そのときはね、行かなくていいんですよ。

 

 

不登校になってもいいし、仕事を辞めてもいいんです。

 

 

一番最悪なのは、あなたがそんな状態なのにそれでも我慢をして、それでもがんばってしまうことなんです。

 

そんな状態になるくらいなら不登校なんてどうってことないです。

 

それになるのに比べたら仕事を辞めることなんてなんでもありません。

 

 

それぐらいのことをしただけであなたの健康状態が保てるのなら、それほど安い買い物はありません。

 

 

皆さんは支払う代償の大きさに不安になっていませんか?怖くなっていませんか?

 

そんなの大したことないですよ。

 

 

あなたの健康を崩すことの方がよっぽど大変で、取り返しのつかないことです。

 

 

『なんであそこまで我慢をしてしまったんだろう。』と後悔している人は、あなたが想像している何倍もいるはずです。

 

健康を崩してから嘆くよりも、健康を壊さないように守ることも大事なことですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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皆さんはがんばることは好きですか?

 

なにかに対してやる気を出して実際にそこを目指して行動する。

目標地点にたどり着けたときの充実感や達成感は言葉では言い表せないですよね。

 

それはいい方向でのがんばりだと思います。




でもね、悪い方向でのがんばりもこの世界にはあります。

 

それはがんばるという行為が自分の首をしめているときです。

 

 

がんばるという行為をやり続けて上にのぼっていくのではなく、下におりていくような場合です。

 

 

がんばることってね、呪いでもあるんですよ。

 

 

今の自分のままではいけないから。

 

無理をした自分でいないといけないから。

 

 

あまりにも目標や理想が現実とかけ離れていると、がんばり続けなくては生きていけないような呪いに変わります。

 

 

無理をしすぎてがんばりすぎてしまうんです。

 

人生を充実させるものになるか、人生を苦しめるものになるかは紙一重なんです。

 

そこの線引きが上手にできる人はどんどん成長もできるし、人生も楽しくなります。

 

自分に合った目標を設定することができ、それを目指した生活をすることで楽しい生活ができます。刺激や活気に満ちた生活です。

 

 

でもね、そこの線引きを誤ってしまうと、がんばるという行為はなによりも残酷なものに変わります。

 

 

がんばることってありのままの自分ではないんですよね。

 

自分をもっと進化させないといけないんです。

 

ありのままの自分よりも無理をした自分になります。

 

短期間や少しの無理ならまだいいと思いますが、がんばることって上限がないんです。

 

 

自分の意志次第でいくらでもできてしまうんです。

 

 

倒れるまで。

 

倒れた後でも。

 

完全に復活していなくても。

 

自分で『もうがんばることはやめよう。』と決心するまで。

 

 

根性論で動いてしまうと、致命傷になるまでがんばることは続けられます。

 

 

今の自分のままではダメだというダメ出しをしながら。

 

もっと良い自分にならないといけないというプレッシャーを感じながら。

 

より理想の自分に近づくように手を伸ばしながら。

 

 

満たされることは決してなく、追い求めるだけの人生になります。

 

 

この人生って正直言ってすごく生きづらいです。

 

満足感も得られないのに一生懸命がんばるだけの人生なんて。

 

 

がんばるからには何か報酬や満足がないといけないと思います。

 

 

そうじゃないと割に合いません。疲れてばっかりの人生で報われることがないなんて、そんなのはきつすぎます。

 

 

どうして満足できないんでしょう??

 

決まっています。

 

まだまだ目標地点に届いていないからです。

 

 

どうして充実感がないんでしょう??

 

決まっています。

 

がんばりすぎて疲れの方を多く感じるからです。



目標地点が遠すぎて、毎日それに向かって一生懸命に生きているから、疲れ果ててしまい気持ちを感じるセンサーが弱っているんです。

 

 

現在地のくだらない報酬なんていらないんですね。

 

いるのは目標地点にある宝箱だけです。

 

それまでの道のりにあるものはあなたにとっては、別にいらないものだと思ってしまっているんですね。

 

目標地点までいかないとそんなのはゴミなんです。

 

 

過程よりも結果を重視しすぎてしまっているんです。

 

 

そして遠くにある結果だけを求めてヘトヘトになりながらもがんばり続けます。

 

 

なかでも責任感や使命感でがんばるようになってしまったら最悪です。

 

 

自分の意志で『もうやめよう。』とはなかなか思えません。

 

より一層結果だけを求めるようになります。

 

過程がどんなによくても結果がアウトだったらいけないんです。

 

反対にどんな過程を通ろうが結果さえ出ればそれでオッケーなんです。

 

そのための手段に真っ先に思い浮かぶことは、自分がもっともっとがんばることなんです。

 

 

楽しいからがんばるのではなく、がんばらなくてはいけないからがんばるになってしまうんです。

 

 

がんばらなくてはいけないから、がんばっていない時間の自分はさぼっているように感じます。

 

 

常にがんばっていないといけないと思うようになってしまいます。

 

 

達成感なんてものはなく、ずっと『やらなければ。』という焦燥感だけです。

 

常に気をはっている状態になりリラックスすることもできません。

 

精神的には追いつめられている状態がずっと続きます。

 

 

報酬もないのに身体と心を酷使していたら、いつか限界がやってきます。

 

 

がんばっても充実感や満足感が得られないのは、目標地点までが遠すぎるからです。

 

その遠すぎる目標地点に少しでも早く到着しようとして、がんばりすぎているからです。

 

 

そこまでがんばらなくていいんですよ?

 

 

目標地点をもっと近くに設定してください。

 

目標地点までの休憩所をこまめに作ってください。

 

 

いきなり遠くの目標地点に休みもなしに行くのは大変なことです。

 

最初から大きなものを求めてはいけません。

 

休憩地点までたどり着いたら、まずは自分を盛大にほめてあげてください。

 

 

充実感や満足感もないままがんばり続けるのは、あなたの精神力を大きく削ってしまいます。

 

 

がんばることの最大の原動力となるのは楽しさと喜びです。

 

楽しさと喜びもなくがんばり続けると、しんどくてつらい生活が待っています。

 

まだできていないところを見るよりも、これまでにできたところを確認するほうが大切なことだと思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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ありのままの自分を受け入れられないのは何故?受け入れる方法は?

満足感を得られない。いつまでたっても満たされない心。

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努力と頑張りを積み重ねて無理をして。それでもどうにもならない時は?

辛いのは闘っているから。苦しいのは頑張っているから。譲れないから。

自分さえ頑張っていればこんなことには・・・全部自分が悪い!!

どんなに頑張っても絶対に勝てない相手。それでも負けたくない!!

努力が足りない?頑張っているつもりなのに責められるときは。

忙しすぎて心に余裕がない。人に対して冷たい態度になってしまう。

忙しすぎて心に余裕がないときってありますよね?

 

普段のゆとりのある状態ならしっかりとした態度で相手と関わることができるのに、忙しすぎて心に余裕がなくなるとそれも難しくなりますよね。

 

 

普段より冷たい態度をとってしまったり、言葉にもトゲがあるようになってしまいます。





それを当たり前のように周囲に向けて発散してなにも思わない人ならまだいいのですが、(周囲は迷惑ですが・・・)優しい人ほどその言動をした直後に心にダメージがくるんですよね。

 

『今の態度は相手を不快にさせてしまったんじゃないかな?あの人は何も悪くないのに。』、『八つ当たりをして泣かせてしまった。かわいそうなことをしてしまった。なんで自分はこんなにひどい人間なんだろ。』、『笑って気にしないようにしてくれていたけど、気を遣わせてしまったな。ごめんなさい。』といったように罪悪感が襲ってくるんです。

 

 

自分が冷たい態度をとってしまったことに後悔し、申し訳ないことをしたと相手への謝罪の気持ちでいっぱいになります。

 

多少は仕方ないんですけどね。

 

 

人間誰だって、自分に余裕がないときに他人に優しくなんてなれません。

 

 

本当に自分に余裕がなくて崖から落ちそうなときに「あせらないで。あなたが怪我をするかもしれないから、ゆっくり、安全に、少しずつ引き上げてくれたらいいですよ。」なんて言える人なんていますか?

 

 

「早く助けて!!もう腕が限界!早く引き上げて!!」ってなるでしょう?

 

これでもまだいい方ですよね。

 

 

「なにをしてるんだ、このノロマ!!さっさと助けろ!!もたもたするなグズ!!」となる人も多いと思います。

 

あなたもそうなのではないですか?

 

 

でもあなたはそんな自分を許せないのかもしれませんね。

 

 

だから罪悪感やモヤモヤに支配されてしまうのだと思います。

 

 

本当に優しすぎますね。

 

そして不器用です。

 

 

『人に冷たい態度をとってストレス発散!!』、『八つ当たりをしてスッキリ!!』という思考ができればあなたにとってはいいのでしょうが、あなたの場合はそれをするとかえってストレスが溜まってしまうんですね。

 

八つ当たりをされた相手からすれば、自分は冷たい態度をとられて不快な思いをしたのに、しかもその上それが原因でさらにストレスを溜められるなんていい迷惑です(笑)

「八つ当たりをしたのならスッキリしろ!!」と相手は言いたくなっているかもしれませんね。

 

 

でも皆さんはそういうことができないんですよね。

 

 

そしてそんな態度をとってしまう自分を改めたいと思い、今、この文章を読まれているんですよね。

 

 

それだけでも皆さんが、本当に他人を思いやれることができる人だとわかります。





皆さんは相手に非がないのに、こちらがそのときの気分で冷たい態度をとってしまうのは悪いことだと思っているのかもしれませんが、案外そうでもないかもしれませんよ?

 

 

本来ならばこれは罪悪感を感じる必要がないことなのかもしれません。

 

 

今まで出会った人を思い返してみてください。

 

その中に『とんでもなくわがまま!』、『すごく自己中だ!』、『思いやりが欠片もない!』って思い浮かんだ人が何人かいませんか?

 

 

その人たちの考え方とあなたの考え方は同じでしょうか?

 

 

全然違いますよね。

 

むしろ『一緒にするなよ!』と思った人もいるのではないですか?

 

 

あなたが思い浮かべたその人たちなんですが、どうしてその人たちのことを思い浮かべたんですかね?

 

 

冷たい態度や言葉をあなたや周りに遠慮なくとっていたからですよね。

 

それも一時的なものではなく、継続的に続いていたのではないですか?

 

 

さて、そんな人が、相手に冷たい態度をとったからといって、イチイチ気にしますか?

 

罪悪感で一人ですごく悩んでいると思いますか?

 

 

別に相手に冷たい態度をとったからって、罪悪感を感じなくてもいいんです。

 

 

『人に冷たい態度をとってはいけない!』と思っているかもしれませんが、それはあなたの価値観であるだけです。

 

別に他人に冷たい態度をとってもいいんです。(それが常時続くとあなたにとって損なことは増えてしまいますが、冷たい態度をとってはいけないなんてことにはなりません。)

 

 

しかも今はあなたは普通の状態ではなく、心に余裕がなく追いつめられているときです。

 

少しばかり冷たい態度をとろうが、きつい発言をしようがバチは当たりません。

 

 

あなたは普段は相手に冷たい態度をとることが少ない人なんでしょうね。

 

 

だからたまに相手に冷たい態度をとってしまったときは、必要以上に罪悪感を抱えてしまうのでしょうね。

 

 

そこまで気にしなくてもいいと思いますよ?

 

 

あなたが普段からできていない人なら少し考えなくてはいけないかもしれませんが、あなたは普通の状態ならできている人だと思います。

 

心に余裕がないときくらいは、他人に冷たくなってもいいじゃないですか。

 

あなたの場合は罪悪感によって自分にまで冷たい態度になっていますよ?

 

 

反省をするのも大事ですし、次にいかすのも大事です。

 

でも、自分を責める必要はどこにもありません。

 

 

あなたは人間なんです。追いつめられたら対応も雑になります。

 

 

ロボットのようにいつも同じようになんてできません。

 

あなたは普段から人のことを気遣える人なんです。

 

たまにひどい態度をとってしまう自分ぐらいは許してあげてもいいのではないですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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社会と自分の時間軸のズレに絶望してはいませんか?

 

人間って社会での役割の期間というのがある程度決められているんですよね。




この世界に誕生して毎日成長していく期間。

 

学校に行って勉強を学ぶ期間。

 

仕事に行って自立をする期間。

 

結婚をして新しい家族を作る期間。

 

子どもを産んで子育てに励む期間。

 

子どもが自立し、その旅立ちを喜ぶ期間。

 

仕事と家庭が落ち着き余生を楽しむ期間。

 

自分の人生が終わることを受け入れ、あとの人にたくす期間。

 

 

こういった期間、年代がある程度決まっています。

 

 

皆さんはこの期間を世間一般とずれずに順調に生活できていますか?

 

 

置き去りにされてしまい、嘆いて生活をしてはいませんか?

 

途中でトラブルに遭いはじかれ、憎んで生活をしてはいませんか?

 

 

世間は当たり前の価値観を持っています。あなた自身は比べるつもりがなくても、他人から比べられ指摘されることもあります。

 

 

「高校はどこにするの?大学はもう決めてるの?」と親戚のおばさんが言ってきます。「勉強が嫌いだから受験はしない。中学を卒業したら働く。」と言うと、「え!?中卒?大学はあれでもせめて高校はでておいた方がいいんじゃない?」と遠慮気味にひかれます。

 

30歳の男性です。大学を中退し、働いたことが一度もありません。家事もすることなく遊んでばかりいます。近所では「○○さんの家の○○くん。働きもせずに遊んでばかりらしいよ。親御さんも大変ねぇ。育て方が悪かったんじゃないの?○○くんにこの前挨拶をしたけど無視された。将来ああいう人が犯罪を起こすんじゃないの?」と陰口合戦のネタにされてしまいます。

 

周りの人間が次々に結婚していく中、結婚することができませんでした。親から「あんたもいい歳なんだからもう結婚して自分の家庭を持ちなさい。いつまでふらふらして一人でいるつもり?結婚する気はないの?子どもは?自分が歳をとったときのことを考えてる?あんたには兄弟もいないんだから一人だけだよ?面倒みてくれる相手もいなくてどうやって老後を生活するの?」と不安をかきたてられます。

 

40歳の女性です。結婚はしていないし恋人もいません。職場の人間が育児についての話で盛り上がっていました。黙って聞いていると、30歳で2児の母親とふと目があいました。その人は慌ててあなたから目をそらします。周りもその空気を察知し『あっ・・・!』、『しまった!』というような沈黙ができます。あれだけ子どものことで盛り上がっていた職場は一瞬でピリピリしたムードになります。気が利いた(?)誰かがその空気に耐えられずに話題を急に違うものに変えます。他の人もその話題にのろうと必死でぎこちなくて怖い空間ができあがります。その後はあなたがいるときは、子どもの話はNGにしようという暗黙の了解が勝手にできあがってしまいました。

 

子どもが全然言うことを聞いてくれず学校からの呼び出しが絶えません。完全に親のことを見下し、こちらがなにか言おうとすると暴力をふるってきます。家の中は鬱陶しいと言わんばかりの態度でまともに最後に会話をしたのももう何年も前。自分の子どものことながら何を考えているのか全く理解できません。「育て方がいけなかったんだ!」と夫婦間でも互いのせいにしています。思い描いていた理想の家族とは程遠い家族になってしまいました。



世間一般の価値観から外れたところで人生を過ごすようになってはいませんか?

 

 

『どうしてこんなことに・・・』と、すごく後悔をしながら。

 

『どうしてわたしが・・・』と、すごく妬みながら。

 

 

世間一般の幸せを求めていただけなのに、それさえ遠くにある生活をしていませんか?

 

 

比較せずに生きるってなかなか難しいですよね。

幸せなときは周りと比較しなくても、不幸なことや嫌なことが起こるとどうしても比べてしまうんですよね。

 

こんな体験をせずに人生を終えられる人が大半の中で、どうして自分たちだけがこんな体験をしなければいけないんだと。

 

幸せな体験ならどんどんウエルカムなんですが、そうじゃない体験なら『他の人にしろ!』ってなってしまいます。

 

でもね、もう一度考えてみてください。

 

 

世間一般の幸せから外れることは、あなたを不幸にしていますか?

 

 

これが実際にその人を不幸にしている場合も多くあります。

 

本当に気の毒になるような人生になってしまった人も多数います。

 

『自分だったら耐えられないだろうな。』と思う人生を過ごしている人もたくさんいます。

 

 

でもね、

 

世間一般の幸せからは外れても、それでも幸せな人、たくさんいるんです。

 

 

その人たちは周りに流されることが少なく、自分の人生を自分の判断で楽しんでいます。

 

周りに合わせようと必死になることはなく、自分のペースで人生を満喫しています。

 

 

つらい気持ちになった時に周りと比較をするなというのは難しいですが、周りにあなたの幸せを決めつけられるのも悔しくはありませんか?

 

ぶれることもあるし、大きな感情が襲ってくるときもあります。

 

でも、

 

自分が幸せか不幸なのかは自分で判断したくはありませんか?

 

あなたのペースで生きることが必ずしも不幸への道につながっているわけではありませんよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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スランプは頑張っている人ほど大きな波で押し寄せる。克服法は?

皆さんはスランプというものを経験したことはありますか?

 

今までは当たり前のようにできていたことがあるときできないようになっていたり、順調に成長できていたのにあるときを境に成長がストップしてしまった。

特にさぼっていたわけでもなく、同じように努力して、同じようにがんばっていたのに、これまでと同じような変化が起こらなくなるんですね。




ストップならまだいい方で、マイナスの方向への成長をしてしまうことすらあります。

 

それでも結果を残さないといけない。

 

 

そんなとき、あなたならどうしますか?

 

 

もっともっと努力をするんですよね。

 

もっともっとがんばってしまうんです。

 

 

投げ出すわけにはいかないから、結果を出すためにもっとがんばるんです。

 

 

それでも結果はついてきません。

 

 

努力をしても思っていた効果が出ません。

 

前よりもずっとがんばっているのに、結果は悪くなるばかりです。

 

 

いままでよりも努力している、がんばっている自負はあるのに、それでも結果は無情です。

 

 

何度『あきらめようか。』と思ったかわかりません。

 

何度『自分はここまでなんだ。』と思ったかわかりません。

 

 

それでもあなたはめげることなくスランプを克服しようと無理をしてきました。

 

 

自分自身に対してどんどんストイックになって。

 

疲労が蓄積されても無視をして。

 

ただひたすらにがむしゃらになって生活を続けてきました。

 

 

それでもスランプは克服できません。

 

 

もうね、どうしたらいいのかわからなくなるんですよね。

 

 

『もっとがんばれば!』という思いはあるものの、既にそれができないくらいがんばっています。

『考えるよりも行動だ!』と自分に鞭を打っても、『こんなことをしても無駄なんじゃないか?』という考えがよぎります。

 

 

もうどうしたらいいのかわからないのに、なんとかしないといけない。

 

もう何をしたらいいのかもわからないのに、投げ出してはいけない。

 

 

無理をしすぎているからなによりも結果がほしいときなのに、結果につながりません。

 

 

ただただ結果だけを求めてあなたは生きていきます。

この状態は本当に苦しいです。

 

どうやったらこの状態から抜けられるのかわからないから。

『これ以上はもう無理!』というくらい努力をしているから。

 

それでもゴールまでの道がまったく見えないから。



がんばっていればがんばっているほど、苦しい期間になります。

 

 

あなたがそれに対して真剣に取り組んでいればいるほど、つらい期間になります。

 

 

気を張りつめ過ぎてしまって精神がどんどん疲れていきます。

休んでしまったらその時点で終わってしまうと思い、重症の身体と心に鞭を打って立ち向かいます。

 

『せめてここまででもいいから。』、『高望みはしないからお願い。』と妥協した結果を求めるようになり、その妥協の結果すら手に入りません。

 

最終的には『自分はここまでなんだ。』、『これ以上先には進めないんだ。』という思考に侵略されます。

『これからどうすればいいんだ。』という未来への不安と恐怖があなたを襲ってきます。

 

自分の不甲斐なさと無能さに、苛立ちと悲しみ、そして絶望が訪れます。

 

 

スランプの一番厄介なところはすぐに克服できないところです。

 

 

原因が不明のことも多いです。

 

原因がわかっていればそれを克服するために対策をすることができますが、原因がわからなければひたすらにそれを繰り返すしかないんですね。

 

 

精神面が原因のことも多いです。

 

精神面が原因のときはたとえ原因がわかっていたとしても簡単には直りません。対策も慎重に取り組まないとますます悪くなってしまいます。

 

 

スランプに入ってしまったときは、とにかく焦ってはいけないんです。

 

 

時間に追われてはいけません。

 

周りから文句を言われるかもしれませんが、それに付き合ってはいけません。

 

身近な人が心配してくれるかもしれませんが、その心配を受け入れましょう。

 

自分にイライラが溜まりすぎてしまうかもしれませんが、自分への期待を落としてください。

 

 

全速力で走っても最後までもちません。

50メートル走ったら失速して息もあがります。

 

最後には前に進むこともできなくなり、スランプから抜け出すことができずに終わってしまいます。

 

 

スランプを克服するには

 

 

①長期間闘っていく覚悟を決めること

 

②絶対に無理をしないこと

 

 

この二つの姿勢で挑めて初めてスランプ克服への道につながります。

 

 

『短期間で修正しよう。』、『もっと無理をしてでもがんばろう。』というのは実はスランプの克服への道を歩いていません。自滅への道を歩いています。

 

 

でもそれが一番難しいことなんですよね。

 

 

そもそもね、スランプを短期間で克服したいと思っていなかったら、ここまで皆さんは読まれていないんですよね。

 

この記事を発見することもなく、ネットで調べることもなく、スランプを自分の限界として受け入れているか、あっさりとあきらめて、こんなにも苦しい思いをしていません。

 

 

あなたは現在進行形でスランプと闘っているから、毎日苦しい思いをしているんです。

 

そしてその苦しさから少しでも早く解放されたいと思っているんです。

 

 

スランプ中はね、少し視点を変えてあげることが大事なんです。

 

 

スランプになるとできていることよりも、できなくなってしまったことに注目していませんでしたか?

 

その視点を反転させてあげるんです。

 

スランプ中でも自分は前に進んでいると考え、できなくなってしまったものを見るのではなく、まだできていることに注目します。

 

 

自分にまだ残された武器があることを自覚するんです。

 

 

できなくなってしまったことばかりに意識を割いてしまうと心はどんどん疲れます。無能さに嫌気がさします。

 

今はなくしてしまった武器より、まだ持っている武器でどう戦うかを考えたほうがいいと思います。

スランプになってしまった今だからこそ、おろそかになっていた足元の確認もでき、より強いあなたへと進化させるきっかけになるかもしれません。

 

焦らないことが一番難しいことですが、焦らないことが一番の近道ですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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努力と頑張りを積み重ねて無理をして。それでもどうにもならない時は?

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恋人が雑に扱ってくるのは甘え?私以外の人には礼儀正しいのに・・・

皆さんは恋人が雑に扱ってくると感じたことはありますか?

 

他の人に対しては雑になることはなく、むしろ礼儀正しいとさえ思えるのに、自分に対してだけは扱いがおかしいと感じたことはありませんか?

 

このときあなたはどこまで許せていますか?




ほんの小さなことでも許すことができずにそのときに怒っていますか?

すごく理不尽な目にあったのに怒ることができずに許していますか?

 

恋人があなたに対して雑な態度をとってくるなら、あなたの選択肢は上のどちらかになります。

 

 

どちらを選んでもあなたに問題はありません。

 

 

ただ、どちらを選ぶにしても疲れるんですよね。

 

 

些細なことでも許せなくなって怒るようになったら、自分の小ささにイライラしてしまいます。

 

もちろん相手側もあなたの印象は悪くなります。

相手にとってあなたは怒ってばかりの一緒にいても楽しくない人間です。

 

 

すごく理不尽な目にあっても怒ることができずに許せるようになったら、あなたは傷つくことに慣れてしまいます。

 

もちろん相手側もあなたのことを誤解してしまいます。

相手にとってあなたは何をしてもいい都合のいい人間です。

 

 

どちらを選んでも相手とあなたは一波乱ありそうです。

 

 

そんな選択をしないといけないようになるのはつらいことですね。

 

 

そんな選択をしなければしないにこしたことはないのに、幸せなままでいたいのに、どちらかを選ばないといけなくなっているんです。

 

そもそもどうして相手はあなたにだけ雑な扱いをしてくるのでしょう?

 

 

相手があなたに心を開いているからです。

 

 

相手があなたに甘えているからです。

 

 

親しくない人には最初は自分を隠しますよね?

多少の猫をかぶってしまうでしょう?

 

どうでもいい相手なら最初から雑な態度や自分の本当の部分を出すこともありますが、そうではない相手には最初はいい印象を持ってもらうために少し背伸びをした、ちょっといい自分を相手に見せます。

 

 

恋人が自分にだけ雑な扱いをしてくるということは、恋人にとっては猫をかぶる期間が卒業したということです。

 

この卒業の時期は二種類あると思います。

 

 

一つは、あなたのことが猫をかぶるのも面倒くさいどうでもいい存在になっている。

 

 

もう一つは、あなたには本当の自分を見せてもいい、それでもあなたなら受け入れてくれる、と信頼している。

 

 

そのどちらかです。

 

その猫かぶりが大したことなかったらいいのですが、とんでもないものをかぶっている人がいます。

 

 

それを外したらまったくの別人さんになることだってあります。

 

 

すごく優しくて穏やかな人だと思っていたのに、実はすごく神経質で怒りっぽい人だった。

 

自立した大人の人に見えていたのに、すぐに暴力をふるってくるような弱い人間だった。

 

何を言っても全然気にしないような人だと思っていたのに、すごく繊細で傷つきやすい人だった。

 

 

最悪あなたが好きになった人の本当の姿は、あなたが一番嫌いなタイプの人間だったということもあります。




あなたが恋人が雑に扱ってくると思うようになったのは、以前のその人と比べてあなた自身の不満が溜まっているからです。

 

 

以前はあなたのことをしっかりと考えてくれていることが伝わってきたのに、今ではあなたという存在自体が鬱陶しいと思うような態度になってしまった。

 

 

この状況にあなたが不満を持っているから、雑に扱われているという思考になってしまいます。

 

 

実際に最初から一貫してあなたを雑に扱ってくるような恋人なら、あなたはここまでの不満を溜めていません。

最初からそういう人だとわかった上で、そこの部分が好きになって交際へと発展していくのだから。

 

 

途中からあなたの望まない方向へと変貌してしまったから、あなたは不満に思っているんです。

 

 

ところでそのあなたのことを雑に扱ってくる恋人なんですが、あなた以外に対しては異様に礼儀正しいなんてことはありませんか?

 

それがますますあなたの不満を増幅させていませんか?

 

 

人を雑に扱ってくる人って自分に自信がない人が多いです。

 

 

自分に自信がないから雑に扱っても許してくれる人を見つけて、その人を雑に扱って自分の自尊心を保ちます。『自分はこの人を雑に扱ってもいいんだ。』、『この人を雑に扱えるくらい自分には価値があるんだ。』と、自分の価値を再確認するんです。

 

 

自分に自信がなければないほど、許してくれる人には徹底的に雑に扱います。

 

 

これの厄介なところは、あなたに対しては『自分は雑に扱ってもいいほど価値がある!』という自信を持ってしまうのですが、他人に対してはそんな自信は影響しないんです。

 

自分に自信がない人たちは他人に対してどんな態度になると思いますか?

 

 

そう。謙虚になるんです。

 

あなたに対しての扱いがウソのように他の人に対しては丁寧な対応をします。

 

あなたには全然気を遣わずにやりたい放題していても、他の人に対しては人一倍気遣い上手な態度になります。

 

 

あなたはその人にとって特別な人間です。

 

 

良い意味でも悪い意味でも。

 

相手があなた以上に心を開いている人間もいないし、相手があなた以上に雑に扱う人間もいません。

それをどうとらえるかはあなた次第です。

 

 

ただ、人間慣れてくれば雑に扱うのはいくらでも雑に扱えます。

いじめや虐待などもその延長線上ですしね。

 

相手はそのことに気づきません。

 

そうなったときに相手に教えてあげることができるのもあなただけですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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皆さんは無職になった期間はありますか?

なにか理由があって働けなくなったり、働く気がしなくて何もせずに家にいた期間はありますか?

 

履歴書に空白の期間ができてしまったことはありませんか?

 

これって意外と大変なんですよね。



無職の期間が長ければ長いほど、後になってひびいてくるんです。

 

 

どこも雇ってくれなくなるんです。

 

書類選考があるところでは一番に落とされます。

 

 

知人に大手企業の人事部にいた人がいるんですけど、「履歴書に空白の期間があるやつから弾いていけと言われた。」と言ってました。

 

年号だけを見て少しでもブランクがある人を撤去していく作業から始めるらしいです。その人たちのことで書類選考をする時間は無駄遣いらしいです。

 

 

どんなに丁寧な時で書いていても。

 

どんなに写真が印象よく撮れていても。

 

どんなに役に立つ資格を持っていても。

 

どんなに経歴がすごくても。

 

 

なんか、すごくもったいないですよね。

 

 

履歴書に空白の期間があってもいい人はたくさんいるはずなのに。

 

仕事が優秀な人材もたくさんいるはずなのに。

 

 

履歴書の空白期間は何もしていなかった期間、さぼっていた期間に他人の目からはうつります。

 

 

空白期間があったら、丁寧に1時間かかって書いた履歴書でも、空白期間がない人が10分で適当に書いた履歴書に負けるんです。

 

それほどね、空白期間、つまりなにもしていない期間は(実際にはなにもしていなくても、選考の際になにもしていないと思われます。)大きなハンデなんです。

 

 

もちろん、一枚一枚真剣にチェックしてくれるところもありますし、人柄重視で雇ってくれるところもたくさんあります。

 

あなたの本質を見ようと真剣になってくれるところもたくさんあります。

 

 

でも、空白期間というだけで拒絶するところがあるのも現実です。

 

 

面接でもほとんどの場合こう聞かれます。

「その期間あなたは一体何をしていたの?」、「どうしてその期間働いていなかったの?」って。

 

なにか空白期間を作らなければいけないほどの正当な理由があるのか、精神的な面や身体的な面で働けなくなったのか、それともただ単に働きたくなかったからなのか。

 

それを相手側は知りたがります。

 

 

そしてどれを選んだとしても、『うちに来てもまた同じようなことにならないか?』が焦点になります。

 

 

少しの空白期間があるだけでも、空白期間がない人よりよっぽど不利なんです。

 

 

就職の採用ってまずは採用する人よりも、落とす人から考えるってことはよくあります。

 

その人のなにができるかよりも、その人がなにをできなかったかを見るんです。

 

空白期間ができてしまうと就職できる職場が狭くなってしまいます。

そもそも転職者は雇わないって企業もあります。




いけるところを考えて就職活動をし、真剣に履歴書を書いたり面接の練習をする。

 

それでも合格できない。

 

『今回はいい印象だったはずだ!絶対受かってる!』と思っていても届くのは不合格という結果だけ。

 

 

こんなことが続いていくとね、思考が暗くなっていくんです。

 

 

『自分はなにもできないんじゃないか?』とか、『自分を必要としてくれる場所はどこにもないんじゃないか?』といった感じに。

 

それが就職活動の場面だけでなく、日常生活にも表れてきます。

 

就職活動の場って、あなたが必要なのか、不要なのかをわかりやすく教えてくれるんですよね。

 

 

合格、不合格の二つの言葉だけで。

 

 

これがどうでもいいところの一つや二つなら『くそー。』、『まーいいや、次々!』といった考えができるんですが、そうじゃない場合はけっこうダメージがきます。

 

かなりの専門職で試験に合格できずに空白期間ができてしまった。でもやっと今回の試験で合格できてその職業で働く権限をえた。雇ってもらえると思って受けたところはなんと不採用の通知。『あれだけ面接もうまくいったのに・・・』と手ごたえを感じていればいるほどダメージも大きいです。

 

とにかくどこでもいいから仕事に就きたい。最初はより好みをしていたけど、15回不合格通知が届いた。もう最初の希望とはかけはなれたやりたくもない職業や過酷な労働条件のところにも当たってるのに、それでも採用の文字がない。不合格は三桁になってしまった。『こんなに妥協しているのに、それでもわたしはいらないって言われるんだ。』と自分の価値がどんどん下がっていきます。

 

 

こういった二つの例のときはかなり精神的にダメージがきます。

 

 

望んでいて入れると思ってた職場から拒否されて。

 

数を打ってるのに全てから拒否をされて。

 

 

自分はいらない存在なんだと強く認識してしまいます。

 

 

日常生活も悲観的なものになっていきます。

 

『どうせ自分なんか・・・』というワードが日に日に大きくなっています。

 

就職活動の結果を真剣に受け止めているんですね。

 

 

これね、全然気にしなくていいですよ。

 

 

面接なんかであなたの人間性なんかわかりません。

 

たった数十分の時間であなたのことを見抜くことなんて、できるわけがないんです。

 

 

第一印象などはわかりますが、それはその人の印象にすぎないので間違っていることも多いです。

 

 

履歴書の空白期間はね、相手側があなたを落とすための理由がほしいから利用されているだけなんです。

 

 

面接を何回かおこなったところで、あなたの本質を面接官が見抜けないから、落とす材料にされているだけです。

 

 

あなたの人間性や日常生活を判断するものではありません。

 

 

だからね、一時的には落ち込むかとは思いますが、あまり引きずらないようにしましょう。

 

履歴書の空白期間であなたを落とすようなところは、あなたのことをしっかりと見てくれてはいません。

そんな会社に入ってしまったら、入った後にすごい苦労が待っています。

 

 

そんな会社に入れなかったことを悔しがるよりも、あなたを大切にしてくれるまだ出会っていない会社へと意識を向けませんか?

 

あなたのことを全然考えてくれていない企業のことを、あなたが真剣に考えて受け止めてしまうことは、それこそ悔しいことではありませんか?

 

 

あなたとの出会いを待っている会社もたくさんあるはずです。

 

履歴書の空白期間も入れてあなた自身なんです。

 

あなたをしっかりと見てくれる会社との出会いをこれから目指しませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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皆さんは自分の感情がわからなくなってしまったことはありますか?

うれしいのか、悲しいのかさえマヒしてしまい、ただボーッとしてしまう期間になったことはありますか?

 

この時期ってすごく大変なんですよね。




何をするにしても身体が重く、気力をふりしぼろうとしても、気力がどこにあるかさえわからない。

 

刺激を受けたはずなのに、衝撃が脳まで届かない。心にひびかない。

 

まるで自分が夢を見ているんじゃないかというくらい現実感がなくて、自分を違う視点から見ている自分が現れる。

 

現実に自分に起こっていることをまるでテレビで眺めていることのように思える。

 

 

本来なら大きな反応や反射をしないといけないところなのに、まるで他人事。

 

 

殴られたのは自分のはずなのに、『痛い!!何するんだ!!』と思えない。『???なにか頬がヒリヒリするなー。なんでだろ?あ、さっき殴られたからかなー。まぁいいかー。』

 

自分がミスをしてすごく叱られているはずなのに、全然実感がない。相手が怒っているというのはなんとなくわかるけど、なんで怒っているのかがいまいちわからない。相手の言葉は自分の頭の中を素通り。内容は入ってこない。『この人、なんでこんなに怒っているんだろう?元気な人だなー。』

 

相手を泣かせたのは自分のはずなのに、戸惑いも罪悪感もない。心に届かずむしろ白けてさえいるような気がする。『泣いてるなー。なにか悲しいことがあったんだなー。ふーん。』

 

 

刺激や感動を直接受けている感じがなくなり、目の前に大きな幕があり、そこで刺激や感動が吸収されているような感覚。

 

 

自分にも他人にも興味がない人になってしまいます。

 

 

周りや世界にも興味はなく、自分はただそこにいるだけの駒です。

 

主役ではなくて、ただの背景です。

 

世界は生きている場所ではなく、ただのテレビ画面です。

 

 

こんな状態になってしまうのは大きくわけると二つのパターンがあります。

 

 

①現実でひどくショックな出来事に遭ってしまい、心があなたを守るために防衛するとき。

 

②日常生活で疲れきっているのに、それでもがんばり続けて限界を超えたとき。

 

 

①のすごくショックな出来事は、記憶障害まで起こしてしまう人がいます。

 

死亡事故を目の前で目撃してしまったとか、パートナーの不倫行為をその目で見てしまったとか、全然知らない人に強姦されてしまったとか、自分の判断ミスで人を死なせてしまったなど、予期してなかった強い衝撃を心に受けたときになりやすいです。

 

なかには衝撃から自分を守るために記憶喪失になってしまう人もいます。

 

強すぎる衝撃から身を守るために別の人格を作り、多重人格になってしまう人もいます。

 

 

②の日常生活で疲れてしまい、現実感が曖昧になってしまう方は記憶障害を起こすまでいく人は少ないです。

 

緩やかな進行なので精神も覚悟ができているんですね。ゆっくりと進んでいくので急激な変化ではなく、そこに耐性ができてきます。

 

そして最後の記憶や人格といった壁を壊さないようにコントロールをします。

 

その調整でパワーを使うことになり、しんどい思いをまたしていきます。

 

 

①と②のどちらの方がひどいかなどは、僕にはわかりません。




①の記憶障害を起こしている方の苦悩は僕自身は経験していません。(多重人格の場合自分自身のことを主人格と言います。ようは元々のあなたの人格です。別人格のことを副人格というのですが、その副人格に主人格がくわれてしまう、ようするに自分という人間が別の人間になってしまうという恐怖があるそうです。)

 

②の自分という人格があるからこそつらい思いをしているというのもわかります。(消し去りたい記憶をいつまでも鮮明に覚えている。なかなか眠れないし眠りも浅い。起きている間は一日中すべてがしんどくて、『なんでだろう?』、『不思議だなー。』と疑問ばかりが頭の中を支配する。それでも心と身体が宙に浮いているような奇妙な感覚で現実感が薄れている。)

 

ただ一つ言えることとして、この①と②

 

 

どちらの状態になってもものすごく大変です。

 

 

通常の状態では精神的なダメージに耐えられないから、あなたの心を守るための救済手段に身体が入っているんです。

 

 

記憶を消去する手段をとって。

 

別人格を作り上げるという手段をとって。

 

現実感がないフワフワの世界にするという手段をとって。

 

 

あなたを守るために、あなたの感情をなくすんです。

 

 

麻酔と同じなんですよ。

 

大きな手術を受けることになりました。

 

 

麻酔をつけずにやったらどうなりますか?

 

 

最初は激痛ですよね。痛いというよりもはや熱いという感覚かもしれません。

そのままの状態で手術を続けたらどうでしょう?

 

気絶します。

死にます。

 

 

麻酔も使わずに大きな手術に耐えられるようには人間の身体はできていないんです。

 

 

今の皆さんの心はそれと同じです。

 

 

まともな状態では耐えられなくて命の危険性まであるから、身体が緊急信号を出して、感覚を鈍感にしていっているんです。

スイッチを次々とオフにしてくれているんです。

 

 

あなた自身を守るために。

 

 

ただね、これのやっかいなところは、スイッチをオフにした状態ってものすごくしんどいんです。

 

 

もしあなたがロボットだとしたら、いままでは十分な電力を供給されてきました。

 

それが今は電力の供給はなくなり、非常電源だけで活動している状態です。

あなたの性能を100%発揮することもできないし、次第にできないことも増えていきます。

 

 

今はね、あなたは行動してはいけない時期です。

 

 

感情がなくなったこと、無気力になったことを無理に治そうとしてはいけません。

 

そんなことをすればあなたの電力は空っぽになってしまいます。

 

 

今はね、充電期間なんです。

 

 

本当のあなたを取り戻すための。

 

生きている喜びを感じられるようになるための。

 

 

焦って充電を途中でやめてしまってはいけません。

20%充電ができてそれで動いてしまったら、またすぐに動けなくなります。

 

 

無気力なときは無気力で生活をしてください。

 

感情がわからないときは感情がわからないまま生活をしてください。

 

 

月日はかかりますが、そのうちにあなたの感情が少しわかるときが来ます。

 

そのときはその感情を何よりも大切にしてください。

 

 

それまではしんどくても、無理をしない生活をして、ゆっくり充電が溜まるのを待ちましょう。

 

大切な時間を無駄にしてしまうという気持ちもあるかとは思いますが、時間なんてあなたの命に比べたら全然軽いものですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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心が不安定で落ち着かない。情緒不安定。自分の気持ちがわからない。

ショックを受けてトラウマに。心の傷を癒すこともできない時は?

もう限界。もう疲れた。もう無理だ。もうダメだ。脱力感がすごい時は?

自分の心がわからない。頑張りすぎて麻痺してしまったあなたに。

ショックからいつまでも立ち直れない!引きずってしまう性格が嫌い。

笑えなくなったのは心のSOS!泣けなくなったのは心の死!!

感情に素直になろう!我慢をすると自分の気持ちがわからなくなる。

心がしんどい時は無理は禁物!生きているだけでもあなたはすごい!

眠くて仕方ないのはストレスが原因かも?頭の使い過ぎに注意しよう!

疲れているのに気づかなくなったら要注意!頑張りすぎのサイン!