見捨ててしまった!救えなかった!守れなかった!それはただの勘違い。

皆さんは人を見捨ててしまったことがありますか?

僕はこれを人一倍感じてしまうんですよね。

 

実際に救えなかった経験があるので、過剰というぐらい反応します。

似たようなケースに遭遇すると、震えがとまらなくなります。




『僕がしなかったから、あの人を不幸にしてしまった。』、『本気で全力でやっていたら救えていたかもしれないのに、途中で手を抜いてしまった。』、『僕に出会ってしまったからあの人の人生を変えてしまった。』とよく感じていました。

というか、今もこれ直ってません。

 

 

傲慢な人なんですよね。

 

自信過剰もいいとこです。

 

 

自分ならなんでもできると勘違いをして、相手の人生を半分背負い、こちらがその重みに耐えきれなくなって相手より先に膝をついてしまう。

 

 

一体いつから自分はそんなに万能になったのでしょう?

 

一体いつから自分にはその力があると勘違いしていたのでしょう?

 

 

自分一人のこともままならないのに、そんな自分のことを無視して他人の人生を背負う。

 

 

そんなことしていたら潰れてしまうのは当然です。

 

 

だから自分の荷物を捨てていくんです。相手の荷物を背負うことができるようになるために。

自分の荷物をできる限り減らして、そこに相手の荷物を背負うような生活をするんです。

 

 

自己犠牲をしていきます。

 

 

だけどそれはイビツなんですよね。

 

50キロ減らしたから相手の荷物を50キロ背負えると思っていたのですが、その捨てた50キロの荷物の中には自分の中の大切な部分もあったんです。

 

 

自分の軸や芯となるものも含まれていたんです。

 

 

芯がある人には50キロは背負えても、芯がなくて軸がブレブレだとすぐに倒れてしまいます。

最終的にはわかるんです。

 

『相手の荷物を捨てないと自分は死んでしまう。』、『相手の荷物を一刻も早く返さないと自分が壊れてしまう。』ということが。

 

 

けれどその荷物を返すのも大変なことなんですよね。

 

 

「いままでありがとう。助かった。」と言ってくれるような人ばかりではありません。いくら最初は自分の荷物だったとしても、こちらが半分背負うことを約束したんです。相手は軽い状態に慣れています。「ふざけるな!約束しただろ!」とものすごく責めてくる人ももちろんいます。

 

それに「いままでありがとう。助かった。」と感謝をしてくれる人であっても、『自分はこんなにもいい人のことを見捨ててしまうんだ。本当にそれでいいのか?まだできることを全部していないんじゃないか?それをしていないのに裏切ってしまうのか?』というように罪悪感や迷いが生まれます。

 

 

でも自分が助かるためには、そんな人たちを見捨てないといけないんです。

 

 

救いの手を求めている相手の手をほどいて、蹴って、無理やりひき離さないといけないんです。

 

「ありがとう。」と本当に感謝して手を放そうとしてくれている相手の手を、再び強く握りしめてはいけないんです。

 

 

勝手ですよね?





自分から「助けるよ」と手をさしのべて、しんどくなったら相手を蹴って、殴ってでも荷物を相手に返すんです。

 

相手は今も救われていないのに、相手の感謝の言葉に感動と罪悪感を自分だけが感じてひたるんです。

自分が途中で背負うことをやめてしまったから、相手は動けなくなってしまいました。軽い状態で慣れていたのに、いきなり50キロ背負わされたら相手は潰れてしまいました。

 

 

相手の人生を狂わせてしまったのは自分です。

 

 

自分さえ「一緒に背負ってあげるよ」と手をさしのべなければ、相手は普通の人生を歩んでいたかもしれません。

 

へたな期待を持たせてしまって、地獄に突き落とす。

救いの手をさしのべて、相手が引き上がる直前に手を離す。

 

本当、タチが悪いです。

 

自分の力を過信して、それが無理だとわかったら切り離す。

相手にとって自分は悪魔のような存在でしょう。

 

最後まで一緒に背負ってくれるんだと思っていたのに、重りを返されるんです。

相手にとって自分は裏切り者ともいえるでしょう。

 

 

でもね、それでも相手に荷物を返さないといけないんです。

 

 

あなたが背負いきれなくなった状態なのに、それでも意地を張って荷物を持っていたらダメなんです。

 

 

自己犠牲なんかをしては絶対にダメなんです。

 

 

それがあなたのためでもあるし、相手のためでもあるんです。

 

 

もしあなたがその人に手をさしのべなければ、その人は自力で歩くこともできるかもしれません。

もしあなたがその荷物を背負おうと思わなければ、本当に助ける力を持った人にその人は助けられていたかもしれません。

 

 

本当に疲れ切ってしまった相手を助けたいと思ったのなら、軽い気持ちで関わってはいけません。

 

 

あなたの力でどうこうできるものではありません。

 

 

物理的にも成人男性なら50キロの重りを持ち上げられるかもしれませんが、女性や子どもが50キロの重りを持ち上げるのは無理ですよね。それに成人男性にしたって50キロの重りを持ち上げ続けるのは不可能です。

 

 

見捨ててはいけないのではなくて、見捨てないといけないんです。

 

 

できもしないで自分が潰されて再起不能、または死んでしまってはいけないんです。

 

自己犠牲なんか自分に酔っている人のたわごとです。

 

 

あなたは見捨てた罪や罪悪感に毎日悩まされているのかもしれませんが、それは間違いです。

 

 

そもそもあなたは見捨てていないんですよ?

 

 

だから今も罪悪感をもっているし、『わたしが見捨ててしまったらこの人は・・・』なんてことを考えているんです。

 

本当に見捨てた人はその人のことなんか忘れます。覚えてもいません。

本当に見捨てた人はその人のことなんか気にしません。その人の今後のことなんかどうでもいいんです。

 

 

あなたは本当にその人のことを見捨てましたか?

 

あなたは本当にその人のことを見捨てようとしているのですか?

 

 

そこをもう一度自分に問いかけてみてはいかがですか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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