できないことばかり指摘されて比べられる。全然ほめてくれない。

皆さんは職場や学校でよくほめられていますか?

 

それともほめられることなんかほとんどなく、いつも注意ばかりされていますか?

 

この違いによってやる気や成長速度が全然違ってくるんですよね。




人はね、基本的にはみんなほめられたい生き物なんです。

 

否定なんかされることなく、自分のしていることを認めてほしいという欲求を持ってます。

 

だけど否定されることもあるんです。

 

相手の期待してよりもこちらの行動と結果が下だった場合です。

 

 

仕事関係や学校・クラブ活動関係、親子関係に多いです。

 

 

経験者だから採用したのにコミュニケーションが下手な中途採用。

 

監督に期待されているのに成長が止まってしまった選手。

 

あの大学に行かせたいのに成績がのびない息子。

 

こういったように相手側の期待値が高くて、それに見合うだけの実績が残せていないときに否定されます。

 

怒鳴られます。

 

 

『どうして期待に応えてくれないんだ!?』って。

 

 

実際には言い方は「ぼそぼそとしゃべるな!顔が暗い!しっかりと声を出して話せ!!」、「どうしてもっと真面目に練習しないんだ!?お前は才能があるんだから努力をもっとしろ!!」、「なんでいつまでたってもこんな点数ばかりとってくるんだ!?親として恥ずかしい!!」みたいに違いはありますが、たった一つのことを理由にあなたは怒られています。

 

 

『どうしてわたしの期待にお前は応えてくれないんだ!?お前がわたしの期待通りの働きをしてくれないから、わたしがイライラしてしまうだろ!?』です。

 

 

そうなんです。

 

あなたを想って叱ってくれているのではありません。

 

「あなたのためを想って言っているんだ!」・・・違います。

 

「お前が幸せになるためにアドバイスをしてあげているんだ!」・・・違います。

 

 

あなたのことなんか考えもせず、自分がイライラするからあなたに怒っているだけなんです。

 

 

簡単に言えば八つ当たりです。

 

あなたのことを本当に考えているなら、こんな怒り方はしません。

 

こんな怒り方をしたってやる気をそぐだけで何の効果もありません。

 

こんな怒り方をしてしまったらあなたの将来のためには悪影響です。

 

 

だってあなたの将来のことなんか関係ないから。

 

 

あなたがわたしにもたらしてくれる恩恵だけが必要なだけで、あなた自身のことなんかどうでもいいんです。





あなたのことを考えている風を装ってはいますが、実際は自分の都合のことだけなんです。

 

だから叱って成長を促すよりも、イライラの怒りをあなたにぶつけてきます。

 

あなたを平然と傷つけることができるんです。

(怒っている本人はあなたのためを想って言っていると思っていますが、それは自分の未熟さを認められないからです。『わたしは八つ当たりをするような未熟な人間じゃない!』って思っているから、ただの八つ当たりであることに気づきません。)

 

 

なかでも最悪なのは人と比べられて否定をされることです。

 

 

人と比べられるのってあまりいい気がしませんよね?

 

わたしはここにいるのに、わざわざ相手を持ってこられるんですから。

 

しかもそれでほめられるのならいいですが、否定されるんです。

 

「あの人はあれとこれとあんなことまでできるのに、お前はそんなことぐらいもまともにできない。」って言われるんです。

 

最早ケンカを売りに来ているだけにしか思えませんよね。

 

比べられる回数が少なければ『なにをー!!絶対に見返してやる!!』という気持ちになることもありますが、未熟な人間ほどネチネチと何回も比べてきます。

 

 

こちらがうんざりして聞きたくないと思っていても、その空気すら読んでくれません。

 

 

『自分はわざわざ叱ってやっているんだ。』という意味のわからない上から目線です。

 

何回も何回も比較してきます。

 

人間すべてにおいて万能ということはないので、苦手分野や人より劣っているところも多くあります。

 

そこだけに着目して、そこが得意な人と比べられ続けます。

 

あなたがいかにできない人間かをもっともらしく説明し続けます。

 

人のことを否定している間は、その人のいいとこが見えなくなっています。

 

あなたは否定され続けます。

 

 

何回も何回も繰り返し否定をされ続けることによって、あなたは自分のことを『ダメな人間なんだ。』と認識するようになってしまいます。

 

 

洗脳されて自信がなくなってしまうんです。

 

自分のことを過小評価してしまい、気持ちが落ち込んでしまいます。

 

あなたには他にいいところがたくさんあるはずなのに、それが見えなくなってしまいます。

 

相手の否定が正しいものかどうかもわからないのに、それを信じてしまうようになります。

 

 

相手のことを疑ってみてください。

 

 

大きな声で勢いよく言ってくるから、何度も何度も言われ続けるから、自分に問題があるように思ってしまうかもしれませんが、あなたに問題がないことも多いです。

 

相手はただイライラしているのを解消するためにあなたを利用しているにすぎません。

 

そんなことも相手はわからないような人なんですよ?

 

真面目に受け止めてしまいすぎると、自分を見失ってしまうことになるかもしれませんよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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皆さんは心が悲鳴をあげるほど無理をしてしまったことはありますか?

 

本当はしたくないのに、しなければいけないからやっていることはありませんか?

本当は内心『休みたい。』、『したくない。』と思っているのに、我慢をして続けていることはありませんか?

 

これって心にすごく負担が来るんですよね。




ちょっとした無理であったらまだよかったのに、すごく無理をしないといけないときもあります。

 

一回だけ無理をするだけならばよかったのに、それをずーっと継続させないといけないときもあります。

 

なかには合わせ技の【すごい無理をずっと継続していかないといけない】ときさえあります。

 

本当に勘弁してくれって感じです。

 

 

でも皆さんは、その無理をしてきたんですよね。

 

 

だから心が悲鳴をあげているんです。

 

 

心だってね、暇ではないんです。

 

外部からの刺激を受けて自分がどう反応するか、自分がどう感じるのかを決めないといけないんです。

 

すごく忙しいんです。

 

そんな風に『嫌だー!』、『もうやめろー!』、『これ以上は無理!』、『少しは休むことを考えろー!』なんてことを、あなたに知らせる時間さえもったいないんです。

 

本来なら心は悲鳴をあげるようにはできていないんです。

そんなことをする暇があるのなら膨大な作業に集中していたいんです。

何も問題がないのに心が悲鳴をあげることはありません。

 

・・・

でもあなたは心の悲鳴が聞こえていますよね?

 

 

本当に緊急事態だからです。

 

 

忙しい心が作業を放り投げてでもあなたに知らせているんです。

 

「もうこれ以上はやばい!!」って。

 

これ以上やってしまうと通常モードではいられないことを叫んでいます。

 

ここで少しでも休みをいれないと、本調子に戻れるまでかなりの時間がかかってしまうと焦っているんです。

 

でもあなたはそれを聞こえないふりをします。

 

 

深く考えないようにその声を頭の外に追い出します。





深く考えてしまったらここで立ち止まってしまうから。

 

怖くて続けられなくなってしまうから。

 

心の声が聞こえてきたときに気合を入れてそれを跳ね返します。

 

『大丈夫だ。こんなの大したことない。』、『わたしがやらなければ誰がやるんだ。』、『まだできる。もっとできる!』と自分に言い聞かせます。

 

 

まだ無理をすることができるように自分の精神を持っていきます。

 

 

本当はすごくしたくなくて、それをしなければいけないと考えると下痢や嘔吐をしてしまうようなことなのに、心を殺してそれをします。

 

本当はずっと前からもう休みたくて、もう無理をしたくなくて気持ちがふさぎこんでいるようなことでも、心にムチを打ってそれを続けます。

 

本当はもうボロボロのはずなのに、『まだ動くことはできるから。』とフラフラになりながらも、無理をし続けます。

 

 

あなたが歩みを止めるのは、本当に動けなくなってしまってどうしようもできなくなったときだけです。

 

 

そしてそのときになって『なんであのときにやめておかなかったんだ!』って後悔することになります。

 

サインはちゃんと出ていたのに、『どうしてそれを無視してしまったんだ!!』と嘆きます。

 

『こんなことになるなんて思いもしなかった。』、『なんであんなにも甘く見てたんだ。』って身をもって思い知ることになります。

 

 

心の悲鳴を軽視してはいけません。

 

 

心の悲鳴に危機感を抱かないと、いずれ最悪の事態になってしまいます。

 

『こんなの大したことない。』なんて思っていてはダメなんです。

 

『うるさい。邪魔をするな!』なんて思ってしまってはダメなんです。

 

心の悲鳴に耳を傾けてしまうとがんばれなくなってしまいますが、それでいいんです。

 

 

あなたはもうがんばらなくていいんです。

 

 

あなたはほんとはもう、がんばれるような状態じゃなかったんです。

 

 

人間ね、自分が本当に大切にしているもののためなら、自分が壊れてしまうまで無理ができてしまいます。

 

過労で倒れるまで無理もできるし、不注意からくる事故にあうまで無理ができてしまいます。そしてほとんど回復もしていないのに動けるようになったらまたすぐに無理をします。

 

本当に大切にしているものを守るためなら、自分の心を殺すこともできてしまいます。

 

自分を犠牲にしてしまうこともできてしまうんです。

 

 

自分のことをもっと大切にしてあげませんか?

 

 

自分の心に逆らってばかりだと心は悲鳴をあげてきます。

 

その悲鳴が聞こえてくるのに慣れてしまって、当たりませにしてはいけません。

 

心の悲鳴が聞こえてくるのは緊急事態です。

 

【しなければいけない】という義務感があるのはいいことでもありますが、あまりにもそれが強いと心と身体を壊してしまいます。

 

せめて心の悲鳴が聞こえてきたときには、素直にその悲鳴を受け入れてあげまぜんか?

 

反発ばかりしていると、いつもがんばっている心がかわいそうですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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人間関係に疲れた。面倒でわずらわしい。何もかも放り出したい時は?

皆さんは人間関係に疲れてしまったことってありませんか?

 

わずらわしくなって、『もう嫌だー!』と追い込まれてしまったことはありませんか?

 

予想していた成果と正反対の結果が出てしまい、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまったことってありませんか?




人間には互いに相性というものがあります。

 

「人類みな兄弟だ!」、「みんな平等!」なんてことはありえません。

 

必ず自分に合う人と合わない人がいます。

 

人と長く関わると必ず自分が好意的に思う人、苦手で嫌いな人がでてきます。

 

価値観を共有できる相手と、いくら話しても絶対にわかりあえない相手がいます。

 

 

みんな仲良しこよしなんて不可能です。

 

 

人間ね、好きな人とだけ関わって生きて、嫌いな人や苦手な人とはまったく関わらないって生き方は難しいんです。

 

社会で生きていくのならまったくの無所属でいることは難しいです。

 

人間は生きていくうちにいくつもの集団の中で生活をしていきます。

 

学校、習いごと、会社、ママ友、近所、親戚、その他にも様々なコミュニティの中に入ります。

 

生活していくことを考えると簡単には切ることができないつながりです。

 

その中でお互いに苦手な人や嫌いな人というのが現れます。

 

会う人すべて、関わる人すべてが『わたしは大好き!!』なんてことはありません。

 

 

苦手な人や嫌いな人とでも、一緒にやっていかないといけない期間はあります。

 

 

なかには嫌いを通り越して、恨みや憎しみで『〇してやりたい!』と思うほどの人とも共存していかないといけないときもあります。

 

そういう人とはもう同じ空間にいるだけでも疲れるんです。

なにもなくても、あの人がここにいるだけでも嫌気がさすんです。

 

あの人が視界に入るだけでも緊張するし、あの人に話さないといけないことがあるときは何日も前から気分がどんよりです。

 

これからあの人のいる空間にいかないといけないと考えただけで身体が拒絶反応を示すこともあります。

 

それでもそう簡単には縁を切ることはできないんですね。

 

 

そして人間関係というのは、人数が増えれば増えるほど、複雑でややこしいものになっていきます。

 

 

5人全員が仲良しだというグループはあっても、1000人全員が仲良しだという集団はありません。

一つの共通する目的のみのためなら1000人全員が団結できるかもしれませんが、1000人がお互いに深く関わらなければいけないのなら、いくつものもめごとや激しい衝突は必ずあります。派閥なんてものもできてきます。

 

 

違う人間が多くなればなるほど、人間関係の糸はもつれあう可能性は高くなります。





自分はAさんともBさんとも仲が良いけど、AさんとBさんはものすごくお互いを嫌っているなんてこともあります。

 

AさんとCさんの愚痴を話していたら、その内容がCさんに伝わってしまう(AさんがCさんに告げ口をした)なんてこともあります。

 

自分は全然関与していなかったのに、気がつけばその事態(悪い出来事)の中心人物にされていることもあります。

 

 

人との関わりが多くなればなるほど人間関係も増えていきます。

 

 

ひどい人間関係の輪の中にいて疲れているのなら、そこから脱出するのも必要になります。

 

特に人間関係が悪いわけでもないのに疲れているのなら、あなたは気を遣いすぎているのかもしれません。

 

 

気遣いが上手な人ほど人間関係に疲労していきます。

 

 

相手との関係が良好なものとなるように必要以上に気にします。

 

自分と他人だけではなく、他人と他人の人間関係も悪くしないように気を配ります。

 

グループ全体の雰囲気が悪くならないように、的確に空気を読んで言動をします。

 

他人と他人の中継役になって板挟み状態になることもあります。

 

ときには「あなたは一体どっちの味方なんだ!」と両方から責められることもあります。

 

 

人間関係に疲れてしまうと気分転換をどこまでできるかが重要になります。荒れた人間関係がすぐによくなることはないからです。

 

 

人間関係に疲れてしまったときは、まずは自分のことだけを考えていきましょう。

 

『もうどうでもいい。』となってしまったときは、その人たちからしばらく離れましょう。

 

実際に距離をあけることが難しい場合は、心の距離をあけてください。

 

あなたと相手との間に心の壁をいくつも作ってください。

 

 

人間関係に悩むのはいつでも、優しい人たちなんです。

 

 

相手との関係がどうすればよくなるかを常に考え、それに向けて行動しているからです。

 

嫌いだからといって、その人たちのことを無視できていないからです。

 

その人たちとしっかりと向き合おうとしているからです。

 

それがあなたのいいところだとも思いますが、ずっとその状態だと疲れてしまいます。

 

ときには『あいつは害虫だからどうでもいいや。』と割り切ることも大切なことだと思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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皆さんは自分のことを「弱いなー。」と思ってしまったことはありますか?

 

自分のあまりもの弱さに落ち込んでしまったことはありますか?

「ここまでわたしは弱いのかー。」と自分に対して幻滅してしまったことはありませんか?

 

これってすごくつらいことなんですよね。




自分のことを必要以上に責めてしまいます。

自分のことを必要以上に卑下してしまいます。

 

自分のことを情けない人間と思いこみ、他人よりも劣っている存在として見てしまいます。

 

そうなると自分の悪いところばかり見えてくるようになるんです。

 

もちろんあなたは悪いところばかりでなく、良いところや他の人に比べてすぐれているところもたくさんあります。

 

でも、そんなことが見えなくなってしまうくらい自分のダメなところが目立ってしまうんです。

 

悪いところばかり見つけることが多くなり、最終的にその理由は自分が弱いからだと結論付けます。

 

自分が弱いからあの人よりもできなくて、自分が弱いから他人よりも悪いところがたくさんあって、自分が弱いからこんなにダメな人間なんだとわけのわからない結論を出します。

 

 

弱いことと劣っていることは本来は直接結びつかないことなのに、強引にそれらを結びつけます。

 

 

そして自分が弱いのを理由にして自分を徹底的に責めます。

 

自分を極端に攻撃していきます。

 

『弱いのは罪だ!』とばかりに自分を犯罪者であるかのように扱います。

 

『なんでこんなこともできないんだ。』、『なんでこんなにも弱いんだ。』、『もっと強かったはずだろ?』、『一体いつからこんなにも弱くなってしまったんだ。』と自分が情けなくてたまらなくなります。

 

 

人がね、弱い自分を必要以上に責めるときは、自分の強さを知っているときです。

 

 

自分の強さを知っていて、自分ならこんなことで落ち込んだりしないと思っているときです。

 

ショックを受けた事実はもちろん、自分が思っている以上に落ち込んでいる事実にあなたは驚いているんです。

 

こんなことで傷つくような弱い人間じゃなかったのに、こんなことに傷つくようになっていた弱い自分にすごくショックをうけているんです。

 

 

いつの間にかこんなに弱くなってしまっていた自分が許せません。





こんなことで傷つくような弱い人間は自分なんかじゃないんです。

 

自分は本当はもっと強くて、こんなことぐらいで負けてしまうような弱い人間ではなかったはずです。

 

今までの自分ならこんなにも傷つくことなんかなく、こんなにも情けなくてみじめな思いをすることもなかったはずなんです。

 

 

あんな他人なんかに自分の心を揺さぶられてしまった自分が許せません。

 

あんな他人なんかを気にしてひどく落ち込んでしまう自分が悲しいです。

 

本来の自分はこんなにも弱くなかったはずなのに、弱くなってしまった自分が情けなくて仕方ありません。

 

 

元々が強かった人ほど自分が弱くなってしまったことを実感し、弱い自分が情けなくて許せません。

 

 

今の自分をなかなか認めることができないんです。

 

 

だから落ち込んでいる自分に対して『こんなことで落ち込むな!』と活を入れるんです。

 

ひどく傷ついているのに、『こんなことで傷つくはずがないだろ!芝居をするな!』とさらに追い打ちをかけます。

 

それでも泣き言を言ってしまう自分が情けなくて悔しくなります。

 

 

なかなか強かったころのあなたに戻れません。

 

 

でもそれは当り前のことなんです。

 

弱いことを情けなく思うほど毛嫌いをしているあなたが、強いままの状態ではいられないほど疲れてしまっているんです。

本当はね、自分が思っている以上にあなたはヘトヘトなんです。

 

本当なら自分に「よくがんばったね。」、「疲れたよね。」と声をかけないといけない場面なんですね。

 

本当なら自分をいたわらないといけない時期なのですが、弱くなってしまうことを嫌うあなたはねぎらうことができないんですね。

 

 

「前みたいに強い状態に戻れ!!」があなたの要望なんです。

 

 

それを達成する前に甘やかすわけにはいかないんです。

 

それを達成するまでは泣き言なんて聞いてやりません。「弱音を吐くな!」と強く鞭を打ってやります。

 

こんなところで満足されたら困るんです。

 

 

こんなところで自分を受け入れて、弱いままの自分でいられたら困るんです。

 

 

だからどんなにしんどくても「何をしているんだ!?」、「もっとがんばれ!!」という言葉を止めません。

 

「お前はそんなもんじゃないだろ!!」と自分を奮い立たせます。

 

必死で強い自分に戻ろうとします。

 

 

あのね、あなたは別に弱い人間なんかではありません。

 

 

あなたと同じ境遇になれば、誰だって今のあなたのようになります。

 

あなたよりも弱ってしまう人も多いはずです。

 

あなたが今のように弱ってしまったのは、情けないことなんかではありません。

 

人間ならごく普通のことなんです。

 

 

だからそろそろ、今の自分を受け入れてあげませんか?

 

 

本当に弱い人間は自分のことを『なんでこんなに弱いんだ!』なんて責めません。

 

弱い自分がベースなので、自分が弱いなんて今さら責めるようなことでもなんでもないんです。

 

自分のことを弱い人間だと責めてしまうのは、いつだって強い人間なんです。

 

そんな強いあなたでも今は弱ってしまっているんです。

 

根性でどうにかなるものではありません。

 

今の自分を許してあげることが、強い自分を取り戻す一番の近道です。

 

そんなにも自分を責めてしまっては、自分がかわいそうですよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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500記事達成記念

【心が弱っても】を読んでいただきありがとうございます。

 

皆さんのおかげで500記事まで書くことができました。




・・・

 

ここまでが正直かなり長かったです。

 

 

読んでくださる人が増えていればモチベーションも上がるとは思うのですが、実は今は一番読まれていた時期と比較すると3割くらいまで落ちています。

 

記事数は増えているのに右肩下がりです。ぜひ読まれている皆さんはSNSで宣伝をお願いします。

 

 

・・・冗談はここまでにして、このブログにたどり着いて目を通していただいている皆さんには本当に感謝しています。

 

 

前にもなにかの記事で書いたことがあるんですけど、こういったブログって普通の人から敬遠されてしまうものなんですよね。

 

僕もつらい経験をしてこなかった頃はこういったブログは嫌いでした。

 

なんというか独特の気持ち悪さがあって、僕自身は元々毛嫌いしていました。

 

 

それが自分の中でかなり苦しい体験を何度も繰り返すようになり、今までにはなかったつらい経験をいくつも重ねるようになってからは、生きていくための依り代の一つになりました。

 

大げさでもなんでもなく、僕はこういったブログなどを読んでいなかったらここまで生きてこれなかったと思っています。

 

 

今読まれている皆さんもそんな状態ではないですか?




・・・で、元気だった頃のあなたに戻れたら、自然とこういったブログからは離れていくと思います。

 

だからそれまではお付き合いいただけたらと思います。

 

内容は似たり寄ったりの記事や、少し特殊系統の記事も増えてきましたが、それでもその中から何かの役に立てればとは思っています。

 

 

この【心が弱っても】を読まれている人の多くは、がんばり屋さんだと僕は思っています。

 

 

そしてがんばっているのにまだもっと『がんばろう。』と思っている人が多いと思っています。

 

がんばり続けるための給水ポイントとして、このブログを読まれているのではないかと思います。

 

 

皆さんは本当にすごい人たちです。

 

 

そんな人たちが報われず、つらくて苦しいまま終わってしまうことはあってほしくありません。

 

誰よりも幸せになってほしい人たちです。

 

このブログも利用できるなら思いっきり利用してください。

 

自分の都合のいいように全力で解釈して、思いっきり共感していただけたらと思います。

 

 

皆さんのことを僕は尊敬しています。

 

いつか他の誰よりも幸せな生活を手に入れてくださいね。

 

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はじめに

真面目すぎると病む可能性あり。適当でいい加減になることも必要!

皆さんは自分の性格をどんな性格だと思っていますか?

 

いい加減で適当な性格だと思っていますか?

几帳面で神経質な性格だと思っていますか?

 

この二つの性格なんですが、皆さんはまじわらないと思っていませんか?




いい加減だけど神経質な性格の人、います。

几帳面だけど適当な性格の人、います。

 

言葉上では矛盾しているのですが、人間の性格では矛盾が融合できます。

 

むしろ矛盾のない単純なものなんかではありません。

 

人間の性格は一人ひとり違っていて、あなたと同じ性格の人は一人もいません。

 

 

すごく複雑で混沌としているものなんです。

 

 

あなた自身も自分のそのときの境遇や調子の状態で行動や対応が変わってきますよね。

 

ずっと一貫して同じ選択を選び続ける人の方が少ないです。

 

そんな星の数ほどもある性格なんですが、大きくいくつかにわけられることが多いですよね。

 

 

その大項目の1つに【真面目】という項目があります。

 

 

皆さんは真面目な人でしょうか??

 

 

「はい。」、「いいえ。」どちらだったでしょうか?

 

「はい。」を選んだ人は自分でも自覚できるほど真面目な人なんでしょうね。

よく周りから「真面目だねー。」と評価されているのかもしれませんね。

 

 

では「いいえ。」を選んだ皆さんは真面目ではないんでしょうか?

 

 

すごく不真面目なんでしょうか?

 

これ、意外とそうでもないんですよね。

 

むしろ真面目かと聞かれて「はい。」を選んだ人よりも真面目な人がたくさんいます。

 

 

真面目な性格というのは案外、自分では気づきにくい性格なんです。

 

 

だって、一年中ずっと自分は真面目というわけではないから。

 

生まれたときから不真面目なことをたくさんやってきた記憶があるから。

 

学校の先生に「真面目ないい子。」と評価をされても、友だちからは「ほんっとにお前は適当でいい加減なやつだなー。もう少し真面目になった方がいいんじゃないか?」と言われたことがあると、『自分は真面目な人間ではないんだ。』という認識になります。

 

 

真面目だから。




適当な性格の人なら友だちから上のようなことを言われても『はあ?なに言ってるの?俺は真面目な性格に決まってるじゃん!』となるんです。

 

適当だと跳ね返せるものが真面目だと跳ね返せなくなるんです。

 

 

真面目な人はね、真面目すぎるんです。

 

 

バカみたいな言葉になりましたが、わりとこれ、本質をついているんです。

 

真面目な人はね、自分が真面目かどうか考えたときに、自分が不真面目だったときのことも同時に考えます。

 

『あのときあんなことをした。真面目な人間ならそんなことしない。』なんてことまで考えてしまうんです。

 

適当な性格の人からしたらアホです。

 

 

真面目に対する敷居をあげすぎているんですね。

 

 

適当な人は真面目に対する敷居はそれほど高くありません。

 

10回中3回でも真面目なことをしたら自分のことを真面目な人間と認識します。

 

でも真面目な人は10回中1回でも真面目じゃなかったら『自分は真面目な人間なんかじゃない。いい加減で適当な人間。』と認識してしまいます。

 

 

バカ真面目です。

 

 

真面目過ぎて融通が利かないんです。

 

これがね、日常生活の出来事に対しても発揮してしまいます。

 

9の成功体験をしても1の失敗体験があれば『自分はできない人間だ。』と評価をしてしまうんです。

 

9割完成させていたとしても残りの1割ができなかったら『達成できなかった。』と評価をしてしまうんです。『これでも十分できた。』、『このぐらいでいいだろ。』、『よくがんばった!』と思えないんです。

 

 

真面目な人は自己評価が低いことが多いです。

 

 

人生なんて成功体験もあれば失敗体験もあります。

 

割合は人それぞれ違えど、成功体験だけの人、失敗体験だけの人というのはいません。

 

しかし真面目な人は、成功体験よりも失敗体験を数えてしまう傾向があります。

 

その失敗体験ばかりを思い出してしまうから、自分の能力を過小評価するし、次は成功させようと普通の人よりも無理をします。

 

 

『成功させなければいけない!』と思っているから。

 

 

それで成功してそのことをしっかりと吸収できたらいいのですが、真面目な人は成功しても自分をほめることが少ないんです。

 

成功させることは当たり前で普通のことという認識なんです。

 

そして失敗することを極端に嫌います。

 

 

一生懸命がんばり続けても、少しでも失敗するとすごく自分を責めるんです。

 

 

真面目過ぎるとね、正直、輪の中から少し外れた位置にいってしまうことが多いです。

 

真面目を自分の中だけにとどめておくのならいいのですが、それを他人にまで強要してしまうことがあるからです。

 

真面目ばかりの集団の中にいるのなら問題はありませんが、一般の輪の中では多少は融通が利く人の方が好まれます。

 

 

もう少しだけ肩の力を抜きませんか?

 

 

真面目過ぎると世の中しんどいこと、許せないことがたくさん見つかります。

 

そんな状態で生活を続けると疲れてしまい、心も弱ってしまいます。

 

真面目が長所で適当が短所ということではありません。

 

もう少しリラックスして生活ができるようになればいいですね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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失恋をすることって悲しいですよね。




本気の恋ではなかったら失恋なんて単なる儀式の一つなんですが、相手に本気で恋をしていた場合は悲しくて悲しくて仕方ありません。

 

食欲がなくなってなにも食べられなくなるし、仮に食べられたとしても気持ちが悪くなってすぐに吐いてしまう。

 

お腹がすくという感覚が壊れ、食べなくてもそれほど苦ではありません。

 

 

人間は必ず食べないと生きていけないのですが、その行為さえ停止させてしまうほどの力が失恋にはあります。

 

 

睡眠にしても眠ろうとしてなかなか眠れず、まぶたを閉じるとその人のことばかりが浮かんできます。

 

普段なら睡魔が襲ってくるような時間になっても、一向に眠くなりません。

 

仮に眠れたとしてもいつもよりも浅い眠りで、すぐに覚醒してしまいます。

 

 

人間は眠らないと生きていけないのですが、その機能さえ奪ってしまうほどの力が失恋にはあります。

 

 

失恋をした直後は本当に絶望です。

 

悲しくて悲しくて仕方なくて、涙がポロポロこぼれて、目が痛くなってしまうくらい泣いてもまだ涙は枯れてくれなくて。

 

頭の中をグルグルと色んな考えが渦巻きます。

 

気持ちが悪くなって吐いたり、無気力になってしまったり、『もう生きているのが嫌だ。』と思えてしまうほど苦しみます。

 

 

それでもあなたの日常は続きます。

 

 

失恋をしたからといって、あなたの日常は終わってはくれません。

 

あなたは生きていくために日常を壊さないようにしないといけません。

 

悲しい気持ちを抱えながらも、あなたはいつも通り振る舞おうとします。

 

いつまでも落ち込んで何もしなかったら生きていけないので、暗い気持ちを引きずりながらも生活を続けていきます。

 

それで日常生活にとけこめて、元の恋人を忘れることができたらいいのですが、そうではない場合もあります。

 

恋人を忘れることができず、その人とのことを過去の出来事にすることがなかなかできないときがあります。

 

 

その場合は日常生活に支障をきたします。

 

 

失恋をしたときは皆ダメージを受けます。

 

それを過去の出来事にすることができないということは、現在進行形であなたにダメージがいっているということです。

 

その間は食欲がなかったり、なかなか眠れなかったり、眠ったと思ってもすぐに目が覚めてしまったりで、健康上よくはありません。

 

 

心と身体の両方からあなたをむしばんでいきます。





頭がボーッとして変なことをしてしまったり、普段なら絶対にしないようなミスも連発します。

 

気がつくと泣いていたり、泣くような場面でもないのに突然相手との過去を思い出して涙が止まらなくなったりします。

 

そんな生活は苦しすぎるのであなたは必死になんとかしようとします。

 

元の恋人のことを過去の出来事としてケジメをつけようと努力します。

 

 

でも忘れられないんです。

 

 

思い出を忘れようと思っても、あなたにこびりついて離れません。

 

前の恋人のことなんか忘れて今を生きようと思っても、ことあるごとに思い出があふれてきます。

 

その思い出の数々に押し潰されそうになります。

 

 

忘れたくてもどうしても忘れられないんです。

 

 

趣味に夢中になろうとしても、趣味をやっても熱中できません。押し寄せてくる悲しさをこらえるので精一杯です。

 

考える暇もないくらい忙しく動き回ろうと思っても、ほんのちょっとの休憩時間にすぐに思い出してしまいます。

 

友人たちと楽しもうと思っても、励ましや慰めが心地良いときと鬱陶しいときにわかれます。

 

 

忘れようと思って努力をしても、すきがあれば相手のことを考えるようになってしまいます。

 

 

今は相手は何をしているんだろうか?

 

こっちと同じように悲しんでいるのだろうか?

 

それともこっちのことなんかもう忘れて、平然と日常にとけ込んでいるのだろうか?

 

もし、あの人の隣に別の人がもういたらどうしよう?

 

元気にしてるかなー?

 

と、過去の思い出だけでなく、現在の相手のことも気になってしまいます。

 

 

これね、無理に忘れようとしているからなんですよ?

 

 

『忘れなくてはいけないー!』って思っているからよけいにその人のことを思い出してしまうんです。

 

『忘れなくてはいけないー!』と思っているということは、その間は相手のことを考えている時間なんです。

 

早く忘れよう、忘れようとして、反対に覚える方法をとってしまっているんです。

 

これでは忘れられるはずがありません。

 

 

相手のことを思い出してしまったときは、無理に忘れようとしなくていいです。

 

 

相手のことを思い出したり考えてしまうときは、忘れようとはせずにそのまま受け止めてください。

 

 

それはつらいことですよね。

 

それは悲しいことですよね。

 

それは苦しいことですよね。

 

 

でもそれほど、大切で大事な人だったんです。

 

 

思い出してしまって忘れられないときはね、それはまだ忘れなくていいときだからなんです。

 

 

今の時点で忘れようと努力をしてしまえば、ますます失恋を乗り越えることが難しくなります。

 

失恋で乗り越えられていないうちはすごくつらいものですが、焦らずにそれをかみしめてください。

 

たくさん泣いていいんです。

 

何も手につかなくなってもいいんです。

 

あなたにとってはそれほどつらい体験なんです。

 

そこまで大切な相手との失恋ですぐに立ち直れる方法なんてありません。

 

そんなに軽い存在の相手ではなかったはずです。

 

すぐに忘れるなんて無謀なことに挑戦せず、つらくても時間をかけて少しずつ受け入れていきませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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もしかしたらあったかもしれない可能性を想像してしまう。意味ないのに。

皆さんはもしかしたらあったかもしれない可能性を考えてしまうことってありませんか?

 

『あのときこうしていれば・・・』、『あのときにああなっていれば・・・』と今とは違う生活を想像してしまうことってありませんか?

 

ありえなかった、【もしも】について考えてしまうことはありませんか?




多少なら人間はこの【もしも】について考えます。

 

【もしも】のことを考えるのは何も悪いことではありません。

 

未来について『もしも宝くじが当たったら何に使おう?』と期待もするし、『もしも病気になってしまったらどうしよう?』と不安にもなります。

 

過去について『もしもあのときああしていたら・・・』、『あのときに違う方を選んでいたら・・・』と考え、それから連なる現在を想像します。

 

 

人間なら【もしも】を考えるのは当然のことです。

 

ですが、この【もしも】、未来について考える場合と過去について考える場合はまったく反対の意味を持ちます。

 

 

未来についての【もしも】を考える場合は、現在に不満がないことが多いです。

 

 

現在でも不満はなく十分幸せだが、さらなる幸せを求めたいと思うときに想像します。

 

現在が満たされていて幸せだということがわかるから、それを壊してくる危険性があるものに恐怖を感じます。

 

『もっと幸せになりたい!』、『どうか幸せの現在がいつまでも続いてくれ!』なんです。

 

 

未来についての【もしも】は、手に入れたいという欲望と、失いたくないという願望なんです。

 

 

過去は違います。

 

 

過去についての【もしも】を考える場合は、現在に不満があることが多いです。

 

 

現在に不満があり幸せを感じることが少なく、過去のあの時点で違う選択をしていたら現在の自分は幸せを築けていられたんじゃないかと想像します。

 

現在の生活が満たされていないことがわかるから、こんなつまらない人生、不幸になってしまった人生の原因を妄想します。

 

『なんでこんなことになってしまったんだ!』、『どうして幸せになれるはずの手を払いのけてしまったんだ!』なんです。

 

 

過去についての【もしも】は、こんなのは嫌だという現在の拒絶と、幸せになれたはずなのにという後悔なんです。

 

 

もちろん『ああしていなければこんなに幸せな今はない。』という感謝の【もしも】もあります。

 

現在が幸せで仕方なくて「ありがとう。」の【もしも】の場合もあります。

 

ですがそれよりも強い【もしも】は拒絶と後悔なんです。

 

 

人はね、幸せに慣れていく生き物なんです。



夢のない話ですが、感謝の【もしも】はその場限りの一過性で、拒絶と後悔の【もしも】は継続的です。

 

 

人間は誰もが未来の【もしも】について考えます。

 

これから起こるかもしれない可能性を想像し、それにどう対応していくかを考えていきます。

 

他の動物のように今だけに集中して生きることは不可能です。

 

今の生活を確認し、将来のことを考えます。

 

 

ですが、過去の【もしも】については考えないで生きていける人がいます。

 

 

後悔をしない生き方をしている人たちです。

 

その場その場での今をしっかりと受け入れてそれを糧に未来を目指し、そこにたどり着いた人たちです。

 

現在の位置に満足し、過去を誇りに思っている人たちです。

 

今に満足しているので『もしもしていれば・・・』、『もしもしていなかったなら・・・』なんてありもしない仮定で振り返る必要もないんです。

 

 

過去の【もしも】についてよく考えてしまう人は、今の人生に不満があり『こんなはずではなかった。』と後悔しているんです。

 

 

この過去の【もしも】なんですが、一度考えだすと止まりません。

 

現在に不満があればあるほど、強い気持ちでいくつもの【もしも】が思い浮かんできます。

 

それこそそんな選択をすることはありえなかっただろというくらいの【もしも】が次々に浮かんできます。

そしてその【もしも】が叶ったときの今を想像し、自分が今どれだけ不幸な境遇にいるのかを確認します。

 

 

手に入っていたかもしれない幸せを逃してしまったことを実感します。

 

 

悔しくて泣けてきます。

 

つらくて泣けてきます。

 

『なんで自分はこんなに不幸な人生を歩いているんだろうか?』と悲しくなります。

 

『よりにもよってここまで落ちてしまうのか。』とむなしくて笑えてきます。

 

 

【もしも】と比べてしまうとキリがないんですよね。

 

 

どうしてもそれができなかった現実があるのに、【もしも】を出されたら勝てるはずがないんです。

 

妄想の方が現実よりもあなたに優しい世界になってしまうのは当たり前なんです。

 

 

でもね、一度考え始めると止めることは難しいんです。

 

 

今よりも良い世界にいるはずの自分、幸せとまではいかなくてもここまで落ちぶれていない自分、これらの魅力は今がつらい人ほど強力に誘惑してきます。

 

もしかしたらあったかもしれない現在の可能性は、今はあなたの手の届かないところにある世界です。

 

あなたが今さら何をしたところで追いつくことなんかできません。

 

そのことをあなたもわかっています。だからこそ悔しいんです。

 

【もしも】を考えることは決して悪いことではありません。

 

ですが【もしも】ばかり考えすぎてしまうと、今がよりつらくなってしまうかもしれません。

前を向くためにも過去の【もしも】が必要になるときはありますが、考えすぎて底なし沼にはまってしまわないように注意してくださいね。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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周りの人間が敵に見える。傷つけられるのが怖い。そんな自分が情けない。

皆さんが周りの人間が敵に見えてしまうような経験をしてしまったことはありますか?

 

こちらのことをことあるごとに責めてくるように感じるようになってしまったことはありますか?

 

これってすごく大変です。




相手からしたら傷つける意図も、攻撃している意図もないのに、あなたは攻撃されているように感じ、そして傷つきます。

 

しかもそれがあなたの苦手な人や嫌いな人であるとは限りません。

 

あなたにとって大切な人の場合もあります。

 

 

相手が誰であっても攻撃されたように感じ、あなたは傷ついてしまいます。

 

 

相手が大切な人で、『わたしを傷つけるようなことはない!』とわかっている人であっても、あなたは傷ついてしまうことがあります。

 

そのときにあなたは、その人相手に傷ついてしまった自分にショックを受け、そして申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

 

あなたのことをよく想ってくれている相手であればあるほど、そのことがわかっているのに傷ついてしまう自分に衝撃を受けます。

 

いつも自分の味方をしてくれている人が相手でも、攻撃されているように感じてしまう自分が情けないし、その人に申し訳なくて苦しくなります。

 

そんな風にあなたにとっての絶対的な味方であるはずの相手でさえ、今のあなたには攻撃をしてきているように見えてしまうんです。

 

 

では特に親しいわけでもない他人ならどうでしょう??

 

 

もう、敵にしか見えないんですよね。

 

いつ自分を攻撃してくるかわかりません。

 

どれほど傷つけられるかも想像もつきません。

 

話しかけるのに勇気がいるし、相手から予期していないときに話しかけられるとビクッーとします。

 

 

人と会話をするのも怖くなります。

 

 

相手が発した何気ない言葉に、いつ致命傷をあたえられるかわかりません。

 

相手がわたしを責めるような言葉を言ったときには『自分は耐えられるんだろうか?』と不安になります。

 

『どうかわたしを傷つけるようなこともなく、無事に終わってください!』と願い続けます。

 

普通にただ会話をしているだけなのに、心臓をつかまれているかのような緊張が走ります。

 

そして相手との会話が終わり安全圏にたどり着いた瞬間、全身が急激に脱力します。

 

冷や汗がだらだらと垂れてきます。

身体の震えが止まらなくなります。

心臓は爆発しそうです。

 

自分でも信じられないくらいの異常を体中から感じます。

 

 

あなたにとって周りの人間は味方でもただの景色でもなく、敵なんです。





ちょっとしたことでも「お前が悪い。」と攻撃されているように感じるようになり、あなたはひどく傷つきます。

 

『なんでこれぐらいのことで傷つくんだ!』、『こんなのただの被害妄想じゃないか!』と思っていても、自分が傷つくのを防ぐことはできないんです。

 

傷つくことってもちろんつらいです。心に大きなダメージが残ります。

 

それがいつどこからくるかわからない、そんな恐怖の連続の世界で生きていかないといけなくなります。

 

 

そしてそんな日常生活を送らないといけなくなってしまった、弱い自分を心底情けなく思います。

 

 

他人から傷つけられて、あなた自身も自分を傷つけます。

 

『いつからこんなにも弱い人間になってしまったんだ。情けない。もっとお前は強い人間だったはずだろう?』と自分をののしります。

 

外と内から傷つけられて、あなたの心はもうボロボロです。

 

ボロボロ状態の心では物事を悪いように悪いようにととらえてしまいます。

 

極端な解釈をしてしまったり、言われたこと以上のことを勝手に思い込んで傷ついてしまうこともあります。

 

傷つきやすくなっている状態なので、人と関わることが怖くて仕方ありません。

 

 

こういうときはね、無理に人と関わることをしなくていいんです。

 

 

必要最小限の関わりだけでおさえて、消極的にいきましょう。

 

社交的にならなければいけないなんてことはありません。

 

周りが敵に見えているときに上手にコミュニケーションなんてとれるわけがありません。

 

 

怖いのに無理をする必要はありません。

 

 

まずは自分を大事にしましょう。

 

 

怖いのにがんばって外に出る必要はありません。家に引きこもっていていいです。

 

怖いのに電話に出る必要はありません。電源を切っていたらいいです。

 

『怖くない!』、『このままじゃダメだ!』なんて言い聞かせて勇気を出す必要もありません。

 

 

怖いものは怖いんです。

 

 

自分がおかしいと思っていても、怖いと感じることをなくすことは急にはできません。

 

周りの人を怖いと思う気持ちを否定しなくていいです。

 

あなたのことを考えてくれている人ほど、「そんなことでどうするんだ!?」と言ってくるかもしれません。

 

でもね、そんなことはあなたが一番よくわかっているんです。

 

 

わかったうえでも、それでもどうしようもできないことなんです。

 

 

今はね、焦らずに自分を大切にしてください。

自分を大切にすることで余裕を持てるようになり、それが結果として敵を減らしていきます。

 

周りが敵だらけの世界でがんばっていこうと思ってもそんなことは無理です。

 

自分を大切にして敵が少ない世界で生きてみませんか?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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上から目線で物を言う人、人を見下してばかりの人への関わり方は?

皆さんの周りに、何を言うにしても上から目線で物を言う人っていませんか?

 

言葉にトゲがあるように聞こえたり、自分以外の人のことをどこか見下しているように聞こえてしまう人はいませんか?

 

『なにもそんな言い方しなくても』と思うような経験はありませんか?




この人たちに合わせるのってけっこう大変なんですよね。

 

 

自分が上から目線で物を言っている自覚がないから。

 

 

その人たちにとって上から目線は嫌味や皮肉などではなく、自然体なんです。

 

ナチュラルに自分の方が上だと思い込み、他人を見下すことなんて当たり前のことなんです。

 

当たり前すぎてまったくの無自覚です。

 

 

指摘をしたとしてもこちらの言葉は通じません。

 

 

「わたしのどこが上から目線なんだ!?」と反撃をくらいます。

 

しかも下の人間としてみているから、言葉はきついし表情はするどいです。

 

『わたしにそんなことを言うなんて無礼者!!』ってノリなんです。

 

人のことを見下している自覚がある人なら『あ、そうだな。気をつけないといけないな。』と反省をしてくれることもありますが、無自覚なので反省はしないし、そもそも何を指摘されているのかの意味さえわかりません。

 

 

自分は人を見下しているということにすら気づかずに生活をしています。

 

 

もちろん、本人には自覚がなくても周りには様々な面で見下しているように伝わります。

 

「あの人と話をするのは疲れる。」、「あんなことを言われて腹が立った!」など、本人は無関心なのに周りは荒らされてしまいます。

 

 

そして上から目線で物を言う人は周りに合わせるということが苦手です。

 

自分と周りの意見がわかれたとき、自分の意見を貫き通すことが多いです。

 

意志が強いと言えば聞こえはいいですが、この人たちの場合は意志が強いのではなく、『周りの意見なんか聞く価値もない。』と思っていることが多いです。

 

しっかりとした自分を持っているというよりも、『わたしより劣っている人の意見なんて聞いても無駄。』精神が強いです。

 

 

だからその人が見下していない人の意見には耳を貸すことができるし、その人が尊敬している人の意見ならあっさりと自分の意見を変えられます。

 

 

自分が認めた人間以外は同じ人間とは認めていないんです。

 

根本的な部分で周りを見下し、自分の方が優れていると思っているんです。

 

やっかいな人です。

 

そしてかわいそうな人でもあります。



こういう人たちと仲良くやっていこうと思ったら、その人に見下されないことが大事になります。

 

 

一度見下されてしまっては、この人たちの評価はなかなか変わりません。

 

いつもことあるごとに『自分の方が上だ。』というような態度をとられるし、あなたは勝手に競争相手にさせられてしまいます。

 

そして自分があなたより優れているところを無自覚で探しだし、優越感にひたります。

 

あなたがよほどできた人間でないと、そんな人と一緒にいても楽しくはありません。

 

 

上から目線で物を言う人たちは本当は自分に自信がない人たちが多いです。

 

 

『自分の方がお前より優れているんだぞー!』と思わなければ、普通のコミュニケーションもとれない人たちなんです。

 

自信がなくて、そのままでは人と関わることが怖すぎるから、自分の方が上だと徹底的に思い込み、自分を洗脳するんです。

 

上から目線になってしまうのはただの去勢です。

 

 

本当に自分に自信がある人は謙虚でもあるし、他人に合わせるということもするのですが、それができないため周囲からは異分子として扱われます。

 

 

上から目線の人と上手に付き合っていくには、あなたが距離感をあける必要があります。

 

相手は自分が上であることを示すためにドンドン距離を縮めて圧力をかけようとしてきます。

 

そのまま相手に任せていてはぶつかります。

 

上から目線の人はそれほど相手と自分との距離感をはかることが苦手なんです。

 

 

近づいてくる人には逃げましょう。

 

 

あなたや周りがいくら注意したところでなおりません。

 

態度を改めることもないし、その必要性も感じていません。

 

その人が近くにいてはあなたや周りに被害がでるだけです。

 

 

大丈夫です。あなたが離れてもその人には別の人がいます。

 

 

その人が同じ人間だと認めた人たちがいます。

 

あなたが離れたからといって一人きりにさせることではないし、仮に一人きりにさせることになったとしても、そこまであなたがつきあう必要のないことです。

 

あなたが無理をしてまで近くにいる必要はありません。

 

その人から避難し、被害の少ない位置までいきましょう。

 

 

あなたがその人のために嫌な思いをする必要はありません。

 

 

その人との関わりは必要最小限にしてみましょう。

 

その人に根気よくつきあってあげる必要もありません。

 

人を見下すことがその人の価値観だと認めてあげませんか?

 

イチイチまともに相手をしていたら疲れてしまいます。

 

その人から離れることは逃げではありません。お互いにとって必要なことだと思いますよ?

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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