心が壊れてしまいそうと感じたことはありますか?
あまりにも理不尽な目にあってしまい、頭がおかしくなってしまいそうな経験はありますか?
あれって怖いんですよね。
おかしな動作をしている自分と、もう一人正常な自分がいて、おかしなことをしているとわかっている自分がいる。
いっそ壊れてくれたら楽なのにとも思うのに、なかなか壊れてくれない。足掻こうとしている自分がいる。
『心が壊れていないのは、それほどのことではないからだ。自分はなんとか心を保てているから大丈夫だ。大げさになっているだけだ。大丈夫だ。本当に耐えられないことならとっくに心が壊れている。だから大丈夫。甘えているだけだ。』
こんな合言葉を使っていた時期があります。
壊れるくらいのことでもないのに、勝手に壊れそうになっているバカなヤツだと自分に言い聞かせていました。
通常の状態では考えられないような思考に至ったり、普通の状態からはありえないミスをしていたり、認知症かと疑うぐらい記憶があいまいで。昨日のことが一カ月前のように思えるし、一週間前のことを半年、一年前のように思える。
あきらかにいつもとは違う異常さがある。心というより頭が壊れたのかと思ってしまう。
今までの自分じゃない恐怖。ほんとに怖いです。
これは個人差があるかもしれませんけど、僕は壊れてしまった後よりも壊れる直前のほうが苦しかったように思います。
ちょうど今の皆さんのような段階ですね。
誰かに少しでも話を聞いてもらいたくて。
本屋で心が軽くなるという本を買って。
それでも期待した効果がでなくてネットで調べて。
苦しくて、つらくて、かなしくて、でもこのままではいけないと思っていたときが、一番苦しかったように思います。
陸上で酸素を吸って生きているはずなのに、水中で空気ではなく水を飲んで生きているんじゃないかと思うほど、苦しかったです。エラ呼吸ができたら楽になるのでしょうが、それもできなくて。
打ち上げられた魚のように陸で溺れていました。
壊れてしまうことってすごく怖いんですよね。壊れてしまったらもう二度とここには戻れないような気がして。
だから壊れないように必死で闘って、しがみついて、また傷だらけになってを繰り返していました。
『あの頃の自分はこんなんじゃなかった。強い自分に戻りたい。』
あらがっているはずなのに全然脱出できなくて。
水中から息をしに顔を出すのが精一杯で、少し空気が吸えたと思ったらまた同じ場所に沈んでいく。
溺れていたんですよね。
そのことに気づかず、自分は泳げるものだと思っていただけなんです。
心配を掛けたくなくて、壊れかけていることを気づかれたくなくて、無理して生活していました。自分ではうまく誤魔化せているように思っても「どうしたの?疲れてるんじゃない?」、「顔色悪いよ?大丈夫?」と全然隠し切れなくて、それでも「大丈夫。大したことないよ。」と意地を張る。
『大丈夫。まだいつも通り振る舞える。』と思い生活する。でもふと鏡を見ると『これが自分の顔か!?』と思うくらいひどい顔なんですよね。かっこいい、かわいいではなく、全体的に暗いというか、悲愴感があふれているというか。どこか身体が悪いんじゃないかというくらい人相が悪いんですよね。実年齢よりもかなり老けて見えます。
僕の場合は心が壊れかけている原因はわかっていたんです。疲れているのも自覚していたし、精神が前に比べてすごく不安定になっているのもわかりました。
ただ、それでもその原因から目をそらすことができなかったんですね。その原因から目をそらせたら、逃げることができたら回復できると頭ではわかっていたのですが、それを実行することがどうしてもできなかったんです。だから壊れてしまわないように綱渡りを続けていました。
身体と心が疲弊していきます。限界なんて何度も超えてきたと思います。
自分は水の中で生活していると思っていたのですが、気がついたら水に流れがあることがわかりました。同じ場所で溺れかけているだけだと思っていたのに、川に流されていることがわかりました。同じ場所で息継ぎをしているのではないことに気づきました。
川に流され溺れながらも、気を失う前になんとか息継ぎだけはすることができました。でも本当の限界は迫っています。息継ぎどうこうの問題じゃなく、滝が見えるんですね。本当にそこを超えてしまったら終わるというほんとの限界が。
そのときになって気づくんです。「誰か助けて!!」とそのときになってやっと声を出すんです。
でもね、そのときになってしまったら誰も助けてはくれないんです。滝があまりにも目の前に迫っていて。声に気づいて手を差し伸べてくれた人も間に合わないんです。
もっとね、前の段階で助けを求めていたら、滝から落ちることもなかったんです。
その前の段階で救いの手がなかったかといったらそんなことはありません。「大丈夫か!?」ともっと上流で声を掛けてくれる人がいたんです。「流されてるぞ!ロープにつかまれ!!」と助けようとしてくれた人、いるんです。
でもそこで「大丈夫!!泳いでいるだけだから。」と助けを拒絶したのは、自分なんですね。
本当はそのときにはとっくに大丈夫じゃなかったんです。そのことに気づいていたら、まだなんとかなったかもしれません。
責任感、見栄、プライド、意地、いろんな思いが交差して判断力が低下していたんです。判断力が低下というか、見えないようにフタをしていたんです。
それを捨てていたら心を守ることができたかもしれないのに、心が壊れてしまうことよりもそっちを守ってしまったんです。「助けてくれー!!」と叫びながら滝から落ちてしまいました。僕の場合は幸いなことに滝の高さが低かったのでなんとかなりましたが、高層ビルのような高さから落ちてしまうこともあります。
実はこの川なんですが、わりと浅瀬のことも多いんです。流れはあるので焦ってしまうのですが、実は自分で立ち上がることができるんです。流れも思っていたより緩やかで、歩いて川から脱出できるんです。
溺れながら流されるよりも、「助けてー!」と叫ぶよりも、自分で立ち上がりさえすれば助かることも多いんです。
いま心が壊れそうと思っている人は、いまが一番しんどい時だと思います。川に流されないように必死で溺れている状態です。(泳げていません。)いまのままではいつか滝から落ちてしまいます。
本当にそれはあなたの心を壊す価値のあることなんでしょうか?
あなたが自分で立とうとするだけで、あなたは助かることができるんです。あなたがいま直面している問題は、あなたが心を壊してまで譲れないものですか?
「誰か助けてくれ!!」と叫ぶのはもちろんですが、あなたはいざとなれば立つこともできるんです。滝から落ちてしまう前に自分で立つ、それを選ぶのはあなたにとってつらい選択かもしれません。
譲れないものを譲ってしまうことになるかもしれません。自分で立つことによってしばらくは別の痛みが襲い掛かってくるかもしれません。
それでも心を守るためには、その選択をしてもいいのではないでしょうか?
壊れてしまった心を癒すには何年も何十年もかかります。体感時間はそれの何倍もの時間になります。気が遠くなるほどの、自分にとっては永遠と言ってもいいほどの時間です。トラウマとして一生抱え続けることもあります。そのたびに強烈な感情が押し寄せてきます。これからの人生で100や1000ではきかないほど、つらい思いを繰り返すかもしれません。
まだ壊れていないのなら、いまはまだ引き返せるチャンスです。
あなたの大事な大事な心なんです。もう少し心を大切に扱ってもいいのではないですか?
心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。
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