泣くことって人間の生理現象の一つかと思いますが、結構特殊ですよね。
他の生理現象は自分の意思ではとめられない、無意識に起こるものがほとんどだと思うのですが、泣くって、自分の意志でとめられるんですよね。
よっぽど感情を揺さぶられることでなければ、泣くか泣かないかの判断も自分でできますし、あるいは泣いてしまっても、涙を抑えようとするかそのまま泣き続けるかの判断もできます。
この自分の意志である程度コントロールできるというのも、実は厄介なんですよね。
泣くって人間なら誰もがもっている機能の一つですが、一般的には人前で泣くことはよしとされていませんよね。
泣くことを許されているのは赤ちゃんだけで、幼少期になると「そんなことで泣かないの!」、「お兄ちゃんでしょ!?しっかりしなきゃ!」、「泣いてわがままを言ったってそんなもの買いません!」、「○○くんは強い子でしょ?泣かないの!」といった具合に泣くのはダメなこととしてしつけられます。
赤ちゃんだって厳密には、泣いていたら親が駆け寄り、泣いている原因をさぐります。『お腹がすいたんだろうか?』、『おむつかな?』といった具合に泣いている状態から泣いていない状態にしようとします。いつまでも泣いていると必死であやします。
そういった意味では、赤ちゃんでさえも自由に泣くことは許されていないのかもしれませんね。
「泣いていたってわからないでしょ!?なんでこんなことしたのか、泣くよりちゃんと説明しなさい!!」、「泣いていたら周りの迷惑になるでしょ!やめなさい!」となにかにつけて泣くのを否定されて育ちます。
泣く回数も年齢がいくにつれて少なくなっていくと思います。
小学生では転んで泣いていたのに、高校生で転んで泣く子って少ないですよね。
幼少期のあの純粋な感情はどこへ行ってしまったんでしょうか?
泣くことが減る=大人になる
ということだと思います。
大人になると泣くことは許されていません。
転んで膝をすりむいてわんわん泣いている、見た目50歳ぐらいの男性。「どうしたの?ころんじゃったの?」と声をかける人いませんよね?むしろ不審者として通報される可能性のほうが高いと思います。
まだね、感動で涙を流すというのは許されていると思いますが、悲しい、痛いで流す涙は特に拒否されます。
「そんなことぐらいで泣くな!」、「泣くぐらいならこんなことするな!」、「泣けば許されると思っているのか!」、「泣きたいのは私のほうだ!」と拒絶をされます。
悲しい涙を流していいのはお別れの場面ぐらいじゃないですかね?
泣くということに関しては世の中は厳しいです。
・・・
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でも、本当に泣くのって悪いことなんでしょうか?
恥ずかしいことなんでしょうか?
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僕もね、泣くのは恥ずかしいことだと思っていました。すごく変わった子どもだったんですよね。物心ついたころから泣くことは恥ずかしいことだと思っていました。幼稚園でびゃーびゃー泣いている同級生を見て『なんでこんなことぐらいで泣いているんだろう?格好悪いなー。』と思っていました。嫌な子どもですね。だから人前では絶対に泣かない子どもでした。『大丈夫か?まともな大人にならないだろ?』レベルですよね。
僕の場合は本当に病的なまでに泣かない子どもでした。クラスメイトの誰一人僕の泣き顔を知りませんし、担任の先生や近所の人も誰一人僕の泣き顔を知りません。(家族の前では泣くことができていたので、そこはまだ救いですが。)転んで血が出たくらいじゃ泣いたことありませんし、4歳か5歳のときに頭を数針縫う怪我をしてしまったのですが、そのときも泣きませんでした。周りから見たら怖い子ですよね。頭から血がダラダラ出ているのに、平然としている幼児。周りが「大変だー!」と泣いているのに、当の本人は泣きわめくこともなく冷静。
(あれって当時の子は血が出ているのに泣いていたんじゃなくて、僕の態度が怖くて泣いていたのかもしれませんね。)
まあ、異常な子だったんですよ。
自分にも悲しい気持ちや痛い気持ち、怖い気持ちがあるのに人前でそれを表現できなかったんですね。
泣くのは恥ずかしいことだと思っていたから。
20代まではそれで生活できていたんです。僕の場合。家族以外、僕が泣いているのを見た人がいないという生活を。30歳になってから様々な挫折を結構なペースで味わってしまったんですけど、そこから変わったんですね。
・・・なんと、人前で泣いてしまったんです。あれだけ人前で泣くことを嫌っていた僕が。気づいたら涙が出ていたんですね。それは悲しい涙ではなく、人の優しさに感動しての涙だったんですけど、気がついたら頬に涙が流れていてとめることはできませんでした。(ちなみにうれし涙や感動の涙があると気づいたのは青年になってからだったと思います。幼少期は『なんでこの人泣いているんだろう?』と理解できませんでした。その感動の涙すら人前で流すのは恥ずかしいことだと思い我慢してきました。)
本当にね、極端なほど人前で自分が泣くことを嫌っていたんです。どんなに泣きたい場面があっても我慢してきました。周りが同じ状況で泣いているのを見ても、『自分はこんな状況でも泣かない。泣いてたまるか!』と意地を張って生活してきました。
でもね、それを我慢できなくなってしまったんですね。自分の意志でとめることのできない感情があふれてきたんです。そんな僕に一番驚いたのが自分だったわけですが、とにかく僕は病的と言えるほど人前で泣くことが嫌いでした。
『泣くのは我慢できる。』、『我慢しなくちゃいけない。』と思ってきたわけですが、人前で泣いてみるとスッキリしたんですね。今まで我慢していたのが馬鹿らしく思えるくらい。自分の本当の気持ちに気づけたというか。『今うれしいんだ。』とか『今悲しいんだ。』というのが泣く前よりはっきりと自覚できるんですね。
泣くことによって自分の感情に気づくことがあります。
泣きたいときに泣けないと、自分の感情にふたをしてしまって、自分の思いに気づけなくなってしまうことがあります。
泣くことって実は、すごく大切なことなんじゃないですか?
僕もね、挫折を味わってから泣くことが増えました。ときには『こんなことぐらいで泣いてしまって、昔の自分ならこれぐらいのことで泣かなかったのに、弱くなった。』と思ってしまうこともありますが、それは痛みを経験して理解できるようになった、人間として成長できたからではないかと思います。
歳をとると涙もろくなるってやつですね。
うれし涙は我慢する必要がないと思いますし、悲しい涙でないてしまうのも仕方ないことです。抑えきれないほど涙があふれてしまうことはあります。血まみれになっても、腕や足を骨折しても、いじめられていても泣かなかった僕が言うので間違いありません。
泣くのは悪いことじゃありません。
泣いてしまう自分は弱くなんかありません。
むしろ、自分の感情にまっすぐに向き合える強い人だと思います。
泣くことは心からのSOSです。我慢せずに耳を傾けてあげましょう。泣いてしまうことは罪ではありません。恥じゃありません。ずっと我慢をしているといつか感情が爆発してしまいます。
それに、我慢するよりも泣きたいときに思いっきり泣いたほうがスッキリしますよ?
前に進みたいときほど、泣くのを我慢するのをやめて、しっかり泣いてみてはいかがですか?
心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。
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