当たり前の生活が一変。障害を受け入れる過程。

障害・・・身体や精神や知能などが、正常な人間と比べて劣っている状態ですね。一般人以下という証明です。

生まれた時点から障害を持っている人もいますし、生まれた時点では障害はなくても、生きているうちに病気や事故等により障害を負ってしまうことがあります。

あるとき目を覚ましたら病院のベッドの上。一時的に車いすを使っているだけのつもりが、リハビリをしても効果がない。「以前の状態に戻ることはない。」と医師から告げられる。

なんてことがあります。




以前は健常者だったのに、障害者になってしまうことがあります。

人生が一変します。

 

 

まずね、現実だとは思えないんですよね。今は夢を見ているだけで、目を覚ますと以前の状態に戻っている。悪夢の中にいるだけと思います。

ある意味、他人事状態です。

 

次に、自分が正常に機能しないことを意識しだします。当たり前にできていたことができなくなっていることに気づきます。『自分なわけがない!』、『ちゃんと正常に機能するはずだ!』、『必ず治る!!』と現実を否定します。

 

でも、戻りません。現実として障害者としてのあなたが付きまといます。『違う!!』、『離れろ!!』と叫んでも離れてくれません。

 

悲しみがとまりません。『どうして?』、『なんで?』以前の生活を想い、これからの未来を想像し涙します。

泣いても泣いても現実は変わりません。もうあの頃のようには戻れないと理解をしだします。

 

『なにを失ったのだろう?』と考えます。そして『なにをまだ失っていないんだろう?』と考えるようになります。

最終的には『この状態でなにを手に入れられるんだろう?』と考えるようになっていきます。

 

 

受容過程を簡単に書きましたが、それぞれの段階で信じられないくらい高い壁を越えていかないといけません。

何日も何日も、何十日、何百日とかけて壁を越えていきます。

 

 

これは生まれつきの障害者にはない過程です。

 

途中から障害者になってしまった人だけが通る道です。

 

 

健常者から障害者に落ちてしまった人だけが通る道です。(障害者に落ちるという表現は批判があるでしょうが。)

 

特に20代から60代ぐらいになってしまうのが、一番ダメージが大きいのではないかと思います。

 

いままで健常者として生きてきた時間が長かった分、障害を受け入れるまでには時間がかかります。周りの自分の年代をみても現役バリバリで働いているのに、『自分はできることが限られている。情けない。』と思ってもしまいます。思い描いていた将来像が一瞬で粉々になってしまうこともあります。

 

『いつまでもクヨクヨするな!!』は頭ではわかっていますが、自分が当事者になってしまうと理屈じゃありません。

『なぜ、自分なんだ。』が呪いのように付きまといます。この気持ちを消し去ることは本当に難しいことだと思います。




僕もね、人より少しハンデを抱えて生まれたんです。見た目には普通の人と変わりないし、日常生活にほとんど支障はないのですが、何万人に一人だか、何十万人に一人だかの障害が生まれつきあります。(どうせ何万人に一人かなら宝くじでもあたってほしいですが。)

でもそのことで小学生の時に劣等感やコンプレックスを持っていたかと言えば、全然そんなことありません。障害を持っていると知ると驚かれたり、同情されたりしたこともあったのですが、びくともしませんでした。

 

その障害で全然悩まされていなかったからです。

 

その障害を抱えていることが自分の当たり前の世界だったから。驚かれても『大げさだなぁ。』と思ったし、同情されても『なんでこの人同情してくるの?』と不思議でした。もし、手術とかで治ると言われても『これが自分なんだから。』と断っていたと思います。『障害のない自分なんて気持ち悪い。』と。

 

今はこんなにも跳ね返すことができなくなってしまいました。

 

人生経験を積んでいくにつれて、やっぱり不利な面はどうしても出てくるんですね。こんなことで人生は左右されないと思っていても、障害があることによってうまくいかないこともあるんです。

色々と『こんな障害がなければ・・・』と考える機会が増えました。

遺伝性なのですが、『子どもに遺伝したらどうしよう?こんなつらい思いさせたくない。』といった感じで、障害を個性ではなくハンデだと認識してしまうようになりました。

その後は自己否定ですよね。『なんで自分はこんな障害を持って生まれてきたんだ。』、『どうして普通の子のように産んでくれなかったんだ。』と自分や親まで恨むようになりました。その感情はすごく醜いもので、自分が汚い人間になってしまったように感じました。

 

ただ、僕の場合は障害受容はかなり軽度だったと思います。

 

正常な状態を体験していないから。

 

だからいまひとつ正常な状態というものを想像できないんです。

 

 

兄弟がいない人ならわかってくれると思うのですが、「一人っ子は寂しいね。」と言われたことありませんか?

これって『???』ってなりませんでしたか?『別に寂しくともなんともないよ。』って思いませんでしたか?

 

 

最初からなかった人は、苦しまないんです。

 

 

最初から目が見えない人は、周りから思われているよりも不自由していないんです。
最初から耳が聞こえない人は、周りから思われているよりも自由なんです。

 

あなたは自分の背中に羽がなくて飛べないことを、真剣に悔やんだことはありますか?

 

 

最初からなかった人は苦しみません。

 

 

途中から失ってしまった人が苦しみます。

 

 

兄弟の例に戻りますが、最初から一人っ子だったらそんなに寂しくないんです。でも、3歳上の兄がいて、10歳のときに事故で亡くしてしまったら、めちゃくちゃ寂しいと思います。寂しいという表現ではぬるいほどの想いがこみ上げてくると思います。

 

もし、なにかのきっかけで障害を抱えてしまい、いま悩んでいるのなら、無理に受け入れようとしなくていいと思います。

 

あなたは一番しんどい立場に立たされています。

 

 

「いつまでも下を見てないで、ちゃんと前を見ないと!」と言ってくる人もいるかもしれません。

 

でもね、他人は無責任なんですよ。気軽に言ってくるんです。軽く流してください。立場が逆なら相手も泣き続けているし、あなたも相手に無責任なことが言えるんです。

 

真に受けすぎるのは要注意です。

 

相手の言っていることが正しいとは限りません。というか、相手が適当なことを言っている場面って想像よりはるかに多いんです。

 

障害を抱えて悩んでいるのに、満足に悩ませてももらえない。「早く復活しろ!!」と言ってくる相手。そんなこちらの想いも汲んでくれない自分勝手な人たちの言葉に耳を傾ける必要はありません。

 

 

あなたはもう十分がんばっています。

 

今できることを精一杯しています。

 

焦る必要はありません。

 

障害を受け入れられない自分を責めないでください。

 

周りの言葉は所詮他人事です。

 

 

障害だとわかり心に傷を負ったのに、期待に応えられない、早く回復できない、と傷を広げる必要はありません。

 

現実逃避、無気力、それが当たり前です。

 

 

数カ月で乗り越えられる人もいますが、そういった人はあなたが思っているよりも少数派です。

映画やドラマといった創作物はやけにあっさりと受け入れてしまいますが、現実はもっとドロドロです。あんな簡単なものではありません。

 

誰かの一言であっさりと前向きになれるような単純なものではありません。

地獄の苦しみと闘っていかなければなりません。

 

期限を決めることなく、受け入れようとして泣いて、前に進もうとして絶望して、それでも前を向こうとしてを繰り返してください。

 

ありがちな言葉ですが、神様は乗り越えられる人にしか試練を与えません。

あなたなら焦らなければ必ず乗り越えられます。

 

 

心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。

 

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