『当たり前の生活が一変。障害を受け入れる過程。』という記事で書きましたが、僕は生まれつき障害があります。
日常生活はほぼ問題なくできるんですけどね、それ以上のことを求めることは無理なんです。
なにかの専門家やプロを目指すのなら、僕は生まれつきなれないんです。
医師からもしてはいけないこととして指導を受けています。
まあ、ぶっちゃけると身体面での障害なんですが、軽く走ったり、軽く運動するくらいなら問題がないんですが、それ以上を目指したら障害が足を引っ張るんです。
上達するために真剣に練習をしたり、クタクタになるまで運動をすると身体に悲鳴がきます。
全身に電気が走るんです。
痛み自体は今は慣れてそれほど痛いとは感じなくなったんですけどね。
子どもの頃は痛みで眠れないなんてこともありました。
あれですね。筋肉痛が一番わかりやすいかもしれません。
あれに似た痛みが襲ってきます。あれより何倍か強い痛みで。つき指ぐらいの痛みですかね?
筋肉痛なら2~3日もあれば治るけど、僕の場合は一度なってしまったら治すのに最低でも2週間ぐらいはかかりました。
治りきる前にまた少し無理をして数ヶ月かかったこともありますね。
日常生活を普通に過ごすだけなら問題はないと言われていますが、意外とこれぐらいの障害でも足を引っ張ってきます。
運動方面でのプロ選手はまず目指せませんし、身体を酷使する仕事にもつけません。
できる選択肢が人よりも少ないんです。
でも僕は、小さい頃は自分がそのことで損をしているとか、不幸だなんて思ったことはありませんでした。
物心つく前に教えられていたので、わかっていたからです。
体育の授業とかで負けん気を出してやり過ぎてしまい、何週間か体育の授業は欠席なんてこともありました。
小学校のときのマラソン大会とかが多かったですね。短距離走は学年でも最下位争いをするほど遅かったのですが、長距離走は得意だったんですよ。(このブログでもマラソンを例えにしていますが、好きではありません。むしろ嫌いでした。マラソン好きの人ごめんなさい!)
普通に持久力が人よりも優れているとか、そういう理由ではありません。ただの根性論です。
小学校のマラソンのペースって先頭の子たちでもそれほど速くはないんです。短距離走の全力疾走よりペースが速いなんてことはありません。
皆が短距離走の4割ほどのペースで走っていたとしたら、僕は短距離走の7割ほどのペースで走っていただけです。
で、結果、無理をしてしまって、あとで身体に響くと。
そのときに決まって聞かれるんですよ。「お前、元気なのになんでサボってるんだ。」って。
書き忘れましたが見た目は僕、普通の人とほとんど同じなんです。中身が少し違っているだけで。
普通に学校には元気に登校して、熱や風邪といった症状もない。なのに体育の授業だけ休むんです。さぼりと思われても仕方ありませんね。
最初は「ちょっと調子がよくないからー。」みたいな感じで流していたんですが、それが何回もとなると子どもは疑問に思うんですよね。(僕は『別に知られるのが嫌だ。隠していたい!』と思っていたわけではなかったと思います。ただ一から事情を説明するのが面倒くさかっただけです。)
そのことに気づいた担任がある日ホームルームをしました。「実は◯◯君は生まれつき障害があって、、、」と、ご丁寧に説明してくれました。
その日からクラスの子の僕を見る目が変わりました。こっちを見てヒソヒソ話をしていたかと思うとこっちが視線を送ると目をそらす。同情とどう接すればいいかわからないという戸惑いの視線ですね。
そのとき、僕はショックでした。初めて自分が障害者であることに気づいてしまったんです。
こういうことを書くと障害を持っている人に失礼かもしれませんが、このときに僕は障害者にさせられました。
中学や高校に行くとますますできないことが増えていきます。体育の授業だからといっても、小学生の頃と違い男女が別れ、かなりしんどくなりますしね。
不甲斐ない自分を実感します。
体育は嫌いでしたが『さぼれてラッキー』という思考になったことはありません。
成人になると仕事の面で悩みます。なにがやりたいかではなく、自分でも一人前に他人の手を借りずにやりきれる仕事にはどんなものがあるかで探しました。
20代も中頃になると結婚も考えるようになります。みんな僕が障害者であることを知りません。結婚を考えていた女性に自分が障害者であることを告げます。
僕の一番怖いところは、この障害は遺伝性です。子どもにも遺伝をする可能性があります。
そのことを女性に告げました。怖くて震えて。緊張で声が裏返ってカミカミしながら。
でも『きっとわかってくれるはず。』という期待を込めて。
その女性は僕から離れていきました。
その女性は数年後、障害もない健常者と結婚しました。
(僕がいつもブログに書いてある『彼女』とは違う人です。この時点ではショックもありましたが、まだ心は折れてません。)
そのときは、正直悔しかったです。障害を理由に断られたから。自分ではどうすることもできないことで、自分にはないものを持っている人が選ばれたのだから。
でも、それも当然だと思うんですよ。自分の子どもは障害がなく生まれてほしいって親なら誰でもそう思うと思います。
ただ、そのときは将来が怖かったです。
『僕は結婚できるのだろうか?』とか、『子どもができたとき障害を持っていたらやっぱり母親は悲しいんだ。』とか、なにより自分の子どもが僕の障害を遺伝して生まれたときに『本当に好きになった人に障害を理由に断られるなんて、こんなつらい思いを子どもにもさせないといけないのかもしれないのか。』と。
将来が不安で『僕を受け入れてくれる人なんて現れるだろうか?』とか、『子どもにこんな思いをさせてしまうなら、僕は子どもを作らない方がいいんじゃないか?』とか、不安で泣けてきたこともあります。
まあ、今から思えばこれも僕が心が弱ってしまったことへの一因というか、最初のきっかけだったと思います。
障害がハンデになることは現実問題としてあります。
変に気を遣われることもあるし、避けられることもあります。
生まれた赤ちゃんが障害持ちで、つらい想いをしたお母さんもいるでしょう。
高齢出産では「障害のある子が生まれたらかわいそうだから。」と堕胎する人も多いようです。
だけどね、僕から言わせたら
『お前が決めるな!!』なんですよ。
障害はハンデになる。これはたしかです。
障害にハンデなんかありませんなんてきれいごと言いません。
実際につらい思いをしたことも何度もあります。
でもね、それをかわいそうかどうか決めるのは本人なんですよ。
周りはもちろん親にさえ、子どもがかわいそうと決めつける権利はありません。
少なくとも僕は、障害があるけど幸せな生活ができていました。(ここで過去形になってしまうのが悲しいところなんですが、これから絶対に幸せになってやります。)
障害者はかわいそうとイメージするのは勝手ですが、それを押し付けるのは違うと思います。
そこは本人が決めるべきことですよ?
心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。
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