皆さんは『誰かに必要とされる人間になりたい!』と思ったことはありますか?
人の役に立つ人間になって認めてもらいたいと考えたことはありますか?
存在価値と存在意義を示してほしいと願ったことはありませんか?
人間ってね、誰かに必要とされていたいんですよね。
誰かに必要とされると『自分はここにいてもいいんだ。』と安心するんです。
反対に誰からも必要とされていないと感じていると、ここに自分がいる意味を見出せないんですね。
安心して生きていけないんです。
誰からも必要とされないことは寂しいことだし、なによりすごく怖いことでもあるんです。
誰かから必要とされたいし、誰かに認めてもらいたいんです。
このことを承認欲求と言います。
承認欲求は誰でも少なからず持っています。
今までに『認められた!』と思うような体験が少ない人ほど、『誰かに認められたい!!』という欲求は強いです。
否定され続けて生きてきた人ほど、内心では大きな承認欲求を抱えています。
そのための一番簡単な方法が・・・
役に立つ人間なんです。
誰だって役に立つ人間と役に立たない人間なら、役に立つ人間を選びます。
自分に安心を与えてくれる人間と自分に危害を与えてくる人間なら、自分に安心を与えてくれる人間を選びます。
選択できることではみんな平等というようにはなりません。
しっかりと取捨選択をされます。
役に立てば立つほど人から選ばれる可能性が高まります。
自分が選ばれるということは、他の人よりもあなたのことを優先させてくれたことになります。
それはつまり自分のことが認められたということです。
でもね、ここまでいくのが難しいんです。
他の人よりも優れていないと選ばれないんです。
でも簡単には他の人よりも優れているところを作れないんですよね。
それ相応の努力が必要になるし、場合によってはかなり無理をしないといけないときもあります。
そこですごく無理をしてしまう人たちがいます。
自分の限界近くまでがんばってしまう人たちがいます。
限界を超えても無理をすることをやめない人たちがいます。
そして最悪なことに、いくら優れていても認めてもらえないときもあります。
役に立つことと認めてもらえることはイコールではないんです。
全然何の役に立たない人でも、認められている人はたくさんいます。
周りに迷惑ばかりかけて困らせている人でも、認められている人はたくさんいます。
相手にとってはその人は特別な人で、存在するだけで価値があるんです。
役に立っても役に立たなくても関係ないんです。
代わりのきかないたった一人だけの特別で大切な人なんです。
そういう相手が一人もいないのと、たった一人でもいてくれるのでは精神的な安心感が全然違ってきます。
心が疲労してきたときほど人間はなにか心の支えになるものをさがします。
その一つが誰かから必要とされている安心感です。
自分は存在していていいという証明です。
誰からも必要とされていないと感じると『自分はなんのために生きているんだ?』と思うようになってしまいます。
心が疲れているときは生きている理由を見つけないと、引きずられそうになってしまいます。
ただただ漫然と生きていくことが不安なんです。
誰からも認められていないと感じると、世界から拒絶されているような気持ちになるんです。
誰かから必要とされたいし、愛されたいんです。
人間ね、元気なときは生きる意味なんて小難しいことはあまり考えないのに、弱ってくると意識をするようになるんです。
それを得ることでまた戦える元気をもらえると思うようになります。
だから弱っているときほど支えてくれる他人を求めます。
また一人で立ち続けることができるよう一時的でも支えてくれる相手を求めます。
でもね、あなたの価値はそんなものじゃないんですよ?
何もできなくても価値があるんです。
そこに存在しているだけで価値があるんです。
社会から切り離されていても価値があるんです。
あなたの価値は役に立つ、役に立たないで揺らぐようなちっぽけなものではありません。
自分の価値を他人にゆだねすぎてしまってはいませんか?
自分自身のことなんです。
もっと自分の独断と偏見で価値を決めたらいいと思います。
あなたは自分のことを少し、なめすぎているのではありませんか?
心優しいあなたの人生が幸せに包まれますように。
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役に立たない自分は価値がない。誰からも必要とされなくなるのが怖い。
自分はダメな人間だ。本当に何もできない。何の役にも立てない欠陥品。
心が弱った時ほど何かにすがりつきたくなる。依存しすぎに注意!
精一杯頑張っているつもりでも否定されて。認めてくれない相手。